殺戮屋敷 ‐1
専用チャットによる打ち合わせは非常に事務的であった。どうやら依頼者はアプリを使い慣れている様子で、場所や対象の情報を簡潔に伝えると後は適当にお願いしますという感じに終わった。
早速、送られて来た地図を頼りに一日掛けて移動した。
現地は意外なほど緑の多い、いわゆる田舎だった。
周囲一帯は山に囲まれており、盆地の休耕田を縫うように歩いた。この一本道の先に指定された住所がある。開けた緑の平原の遥か向こうに白い大きな邸宅が確認できた、おそらくあれがターゲットの住まいだろう。
道すがら、小さなバス停は茂みの中に埋もれ、置きっぱなしのトラクターは赤茶けて表面がザラザラだ。この数時間、誰ともすれ違わなかった。
田畑には隕石が落ちたような穴が所々に現れ凹凸が激しい。焼け落ちた民家は真っ黒に崩れて元の形は分からなかった。少し郊外に出るだけで旧時代の破壊痕が未だ生々しい実景を呈する。
しかし、あの遠くに見える邸宅はまるで景観に似つかわしくない綺麗な洋風造りだ。特に破壊が見られないあたり最近の建造物なのだろう。白い外壁がよく目立っている。
到着には徒歩でもう少しほど掛かるだろうと思っていると、まだ遠い建物のずっと手前で、敷地を区切る鉄の門に阻まれた。広大な敷地、巨大な豪邸、一体どんな富豪の別宅なのだろう。
試しに門を押してみると、多少の軋み音と共にそれは容易に動いた。施錠はない。
「空き屋か?」
元々は綺麗に整備されていたであろう庭園も、外と同じような雑草が悠々と生い茂り、やはり人の気配は全くない。初期装備として携えた出刃包丁も、すでに藪漕ぎの鉈になっている。道を阻む草を払い、広い庭園を前に進んだ。
鳥の声も、虫の羽音もない。圧倒的静寂。まるで世界からここだけ切り取られたかのような感覚に襲われる。
ようやく邸宅前に辿り着き、見上げるほど高い玄関の木戸を前に足を止めた。
「人を殺しに来たんだよな……、なんか正面から普通に来たけど。こんなんでいいのか?」
そもそも本当に人が住んでるのだろうか、という疑問を今更自覚した。そして、これが何かの罠ではないかという発想は今のところ浮かばない。
まるで人類の滅亡した平行世界に迷い込んでしまったかのような気分だ。そんな不思議な感覚に全身が包まれ、警戒心も薄れていたように思う。
そして、こんな場所に誰もいるはずも無いという勝手な思い込みがその安易な一歩を踏み出させたのだった。
「ごめんくださーい。なーんて。流石に住んでるわけないよな、こんなボロ屋敷に……」
埃と土でざらつく床、美しい装飾には蜘蛛の巣が張り巡らされ、リアルなホラー屋敷と化していた。これは、もはや単なる廃墟探索だ。自分が殺し屋である自覚など、遠く意識の隅っこに追いやられている。
包丁で蜘蛛の巣を払い除け、そうして部屋を一つずつ開けて回った。
「こんちわー。……誰も居ない」
客間がいくつも並んでおり、他には書斎や大きな厨房なども見つけた。とんでもない富豪が建てたのだろう。立地こそ意味不明だが、朽ちてもなお壮麗さに溢れる。
「どもー。……誰も居ない」
止まった時間の中で、ただ一人の足音が床を鳴らした。
「この依頼どうなってんだ? ホントに誰もいないし。わけわかんねぇな」
そろそろ本格的に依頼のおかしさを実感し始めた。いたずらにしても意味がわからない。一体この邸宅は何なのだろうか。大金持ちの別荘か、土地持ちの成金趣味か、もしくは第三セクターによる観光事業の跡地なのか。あらゆる想像が頭に浮かぶが、どれも有り得そうで、結局廃墟となった理由などわからない。だが、その実態を黙示する踪跡は期せずして夥しくあった。
「ども宅配でーす。な~んて……」
そして、その時に目にしたものが、この邸宅の真相であり、静寂の答えだ。
狭く暗い角部屋を開けると、人がいたのだ。
黒いベールを全身に纏い、ソファーの上で天井を仰ぎ見るのは緑色の人間。瞬き一つせず、虚ろな白い瞳はただ一点を凝視する。
次の瞬間、本能的に扉を閉めた。
「……、な、なんだこれ」
愉快な探検家ごっこは終わった。背筋が凍りつくのには秒と掛からず、早まる心悸が激しく体を打ちつけた。今見たものは果たして幻覚だったか、いや、確かにあった。日常にあるまじき異様な景色が見えた。手は震えていたが、しかしこれを確認しないわけにはいかないと試しにもう一度扉を開く。
「こ、こんちわ、……」
その者を覆う黒いベールは無数のハエだ。そしてもう一歩近づけば、非常に攻撃的な空気が鼻奥に刺さる。慌てて鼻を摘まんでもう少しだけ緑の人に近づいた。緑の人は、体中に小さな虫を放し飼いにし、それを特に気にする様子もない。
この部屋にはもう一分もいられなかった。唐突に胃袋が裏返りそうな感覚を覚え、慌てて出てしまった
「……、いや、まじかよ」
それからしばらく動悸が収まらなかったが、しかし探索は続けた。
試しに隣の部屋を覗くと、今度は極限まで痩せた白い人が寝ていた。更にその隣はもっと激しく、赤黒い人が幾重にも寝そべっていた。
そして遂には一階最奥の宴会場を開いた。もはや転がってるのは人と言うより人の破片だった。指だけ、手だけ、足だけ、顔だけ。白骨から肉や皮のついているものまで人間の生ゴミが床とテーブル一面に敷き詰められている。
「……」
目の前がふわっと暗くなった。思わずそこにしゃがみ込んだ。足に力が入らない。
「落ち着こう。落ち着こう。息を吸って、吐いて、……俺はノロクロ、殺し屋だ、そうだな? よし。……で、これはなんなんだ」
という自問に、持ち合わせる解は当然ない。
人っ子一人いない土地に、豪邸がひとつ、その中は廃墟で新旧死体が沢山。事実だけまとめるとそれだけだ。
ルドセイに相談すべきなのか。果たしてこれは異常事態? それとも、この邸宅は意図的に殺戮へと導かれた処刑場なのか。
「……、俺は殺し屋、デリーター。死体がなんだってんだよ。俺がそのプロだっての」
そう自分に言い聞かせ、深く息を吸い包丁の柄を強く握り直した。気持ちを切り替えて、立ち上がる。
今まで生きてきた道を思い出せば、死体の山など、大した事ではないはずだ。
「死体がなんだ、こ、殺し屋が死体にび、ビビるわけないだろって。だ、だろ?」
再び部屋を開けてまわった。やはりどこも死体だらけ、腐ってるものから白骨死体まで、中には部分的にしか体が残ってないものまである。
合計で何体あっただろうか。それを観察して回る内に一つの共通点に気が付いた。彼らはおよそ何らかの刃物を携えていた。鎌、鉈、鋸、斧、大きさも長さもまちまちだが、人を殺傷するには十分に足り得る凶器である。そしてそれは自分の手の中にも例外なく収まっている。
もはや名探偵など必要ないだろう。過程はどうあれ、間もなく自分も彼らの仲間に加わることは想像に容易い。この邸宅は殺戮の巣だ。どこかに鬼神の如く猛烈な殺人鬼が潜んでいる。この澄みきった静けさに、そいつは身を隠しているに違いない。
「やべって、やべえよ。やばいじゃんね、やばいやばいやばいやばいやばい……」
それでも「俺はデリーターだ」などと言うつまらない意地が足を前に出させ、せめて全ての部屋を覗こうと、遂に最上階、廊下の突き当たりまで来た。最後の部屋である。
『やばい』の三文字をぶつぶつと繰り返しながら、軋む扉をゆっくりと開いた。
最後の扉、その向こう側には……。
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