第15話 ヒロインとは鬼畜な作戦で恋を進めるものである
――コンコン。
自分でも信じられないが、ここに来ることしか考えられなかった。中から「はい」という低い声が聞こえただけで、ものすごくホッとした。
昨日の今日で何か変わったわけじゃない。ここに来ればリオルドがいるとわかっていたのに、それでも彼が変わらずいてくれたことに安堵した。
私は扉を開け、おずおずと中を伺う。
「マデリーン?」
「おはようございます」
「……おはようございます」
窓際で、コーヒーカップを手にしていたリオルドは、私を見て目を丸くしていた。まさか来るとは思っていなかった、そんな表情だ。
うん、私もまさか来るとは思っていなかったもの。予想外のことが起こってどうしたらいいかわからなくて、結局リオルドを頼ってしまった。
逃げ込んだ、という表現が正しい。
「どうぞ?」
彼はしばらく無言で思考を巡らせていたらしいが、なぜ私が来たのか見当もつかず、そして考えることを放棄して私をソファーに座るよう促した。
門前払いされなくてよかった。私は黙ってソファーに腰を下ろす。
彼は私の正面に座り、戸惑いつつもまっすぐに目を見て尋ねた。
「どうされました?」
まるで進路相談の先生みたいだわ。あ、先生だったわね。忘れていたけれど。
「予想外の展開が起こりました」
「ほぅ」
「逆ハーです」
「ん?」
俯きながら声をつむぐ私。リオルドは視線を斜め上にして、腕組みをしながらシナリオを思い出しているように見える。
ちらりと彼の姿を盗み見るようにしていると、その男っぽい手の甲も、思案する真顔も、後ろに撫でつけてある髪も、どれをとってもキュンときてしまう。
やはり、これが恋をするということなんだろう。
彼の全部がよく見えてしまう。胡散臭いと思っていた整った顔立ちも、嫌味にも感じられる声色も、どれをとっても心地よく感じてしまう。末期だわ。
「病気だわ……」
思わずそう漏らすと、リオルドは「はい?」と意識をこちらに向けた。
やめて。見ないで、ときめくから!恋煩いとはよくいったもので、本当に患っているようだ。不治の病だわ。
ふいっと目を伏せると、彼がくすりと笑う声が聞こえた。
「シナリオ通りではないですか?逆ハーといいましても、もともと本命であるシリル王子との恋を深めながらも、周囲の男性を無自覚に夢中にさせていき、何かと助力をいただくのがここのヒロインだったと記憶しています」
そうですね。でも無自覚に夢中にさせていません、セラくんからの恋心をはっきりと自覚しています。
「それはそうなんですが……」
私はリオルドに、さっき馬車で起こった出来事について話した。
「予想外に恋の展開が早い、ということが気になるのでしょうか」
「はい、そうです。ソフィーユがいきなり毒を盛ったこと、いっきにイベントが発生して恋が加速したんでしょうが、ヒロインは初仕事ですからここからどうしたらいいのかわからなくなりまして……」
「それでここに逃げ込んできた、と」
「その通りです」
呆れたように私を見るリオルド。気まずさに沈黙していると、彼はふっと笑いを漏らした。
「ははっ……、ふっ……」
右手で口元を覆ったリオルドは、堪えきれずに笑い始めた。人が困って逃げ込んだのに、それを笑うってどういうこと?怒ったらいいのか哀しんだらいいのかわからなくなり、私は何も言えなくなってしまってただただ彼が笑うのを見ていた。
「すみません……!いや、ちょっと、本当にすみません」
「謝っていながらも、笑っていますよね!?」
「すみません!もう何だかおかしくなってしまって……!昨夜マデリーンを送ったとき、もう普通に接してもらえないかと思ったのです。まさか……こんな風にあなたから会いに来てくれるとは思っていなくて」
ええ、そうですね。私も思っていませんでした!
「今日からどうやってあなたに接しようかと、どうやってシリル王子とのことを応援したらいいのかと真剣に考えていたんですが、まさかマデリーンが朝から恋の相談に来るなんて」
「べ、別に相談に来たわけじゃないわ!あなたに頼るつもりなんてないもの!」
いくらここが現実世界でないからといっても、恋を自覚したばかりなのにいきなり「他の人との恋愛を手伝ってくれ」なんて言えない。ポイントのためとはいえ、急には切り替えられない。
身勝手にも腹を立てる私。ようやく笑いが収まったリオルドは、今度はうれしそうに私を見つめた。
「失礼いたしました。あまりにあなたがかわいらしくてつい笑ってしまったのです。お許しを」
「か、かわいいって言われたくらいで機嫌が取れると思わないでよ!?」
どこのツンデレ令嬢だろう、心の中で自分自身にツッコミを入れる。理知的で冷静な悪役令嬢マデリーンさん、ギルドではそんな評判のはずなのに……!
リオルドは、なぜか喧嘩腰になってしまった私に嫌な顔一つせず、大人の余裕で受け流す。
「えっと、話を戻しますが逆ハー展開は確かに唐突ではありますが、それだけ好感度が上がっていたという証明ではあるのでいいと思いますよ?シリル王子だけよりも、二人から好意が寄せられていた方がポイントは稼ぎやすい」
「なるほど」
「二人をうまいこと手のひらの上で転がして、ポイントを二倍稼ぐ。ソフィーユのおかげで展開が早まったなら、その道が最善でしょう」
「あら、それは素敵。天然ヒロインらしい鬼畜なポイントの稼ぎ方だわ」
両方にいい顔をして、誰が好きかはっきりしないまま結論を長引かせる手法ね?恋を自覚していない風を装って、複数の男性といい雰囲気になるアレね?
悪役令嬢を演じながらいつも思っていたのよ、ヒロインは鬼畜だわって。
「だいいち悪役令嬢が退散してしまった今、逆境に立たされて苦難に立ち向かうヒロインという部分ではポイントが稼げませんからね」
「それはそうだわ」
そういえばソフィーユは、いくら自業自得とはいえかわいそうなことになった。いじめポイントを稼がせるために、もう少し積極的に絡まれてあげればよかったかも、なんて今頃になって思う。
しゅんと気を落とした私を見て、リオルドは優しく目を細める。
「ソフィーユのことならご心配いりません。謹慎という立場でも、あなたに不幸の手紙を送ったり、嫌がらせの贈り物を届けさせたり、遠隔でのポイント稼ぎはできますから。私が裏で指南しておきます」
「え!本当?」
「ええ。マデリーンは彼女からの嫌がらせの贈り物に傷ついて、王子やセラくんに相談すればいいのです。それだけで仲が深まってポイントが稼げます。後は学園内にいるモブ令嬢を私が裏からけしかけますので、嫉妬に駆られた彼女たちに嫌がらせを受けたあなたはシリル様とセラくんに庇ってもらって好感度を上げましょう」
「すごいわ!他人を手足のように使ってポイントを稼ぐそのやり方、まるで悪役の鑑ね!あなた悪役イケメンギルドに向いているんじゃないの?」
思わずパチパチと拍手してリオルドに賛辞を送る。
しかしリオルドは苦笑し、テーブルの上のコーヒーカップに視線を落とした。
「私にしてあげられることは、何だってしますよ。他ならぬマデリーンのためですから」
「っ!」
油断したわ……!あやうく仕留められるところだった……!
真っ赤になった顔を手で仰ぎながら、私は平常心を取り戻すべく意識を集中する。
「そんなこと言われても、私は別に感謝したりしないわよ」
違う。私が言いたいのはこんなことじゃない。
リオルドは全部お見通しという顔でクスクス笑っているから、余計に素直になれない。
「私が協力するのは、あなたへの罪滅ぼしです。感謝して欲しいからではありませんので、大丈夫です。それにこうしてまた会いに来てくれたので、私は十分に感謝していますよ」
優しい笑みに、穏やかな口調。
私のメンタルがごりごりと削られていく。最初の頃のいじわるな態度はどこに行ったんだろう?
わざと?わざとなの?私のことを攻略しようとしているの?
訳が分からない。
恋をすると冷静じゃいられなくなる。
だいたいリオルドは私のことが好きなはずなのに、どうして私の方がこんなにも心を乱されているの!?
「……こんなの不公平だわ」
思わず口から漏れたその言葉に、リオルドは首を傾げた。
「何がですか?」
「何でもないわ!えっと、これからのことなんだけれど、その、逆ハー展開はこれで正解ね。私はシリル王子とセラくんと関係性を深めて、裏からソフィーユを操りイベントを強制的に発生させてポイントを稼ぐ。これでオッケーかしら?」
まとめてみると、シンプルな計画だわ。
よく考えてみれば、ヒロインは基本的にやって来るイベントをこなすという受け身なのよね。
これからどうしようって不安になっちゃったけれど、結局のところ私があがくことは少ない。
「何とかなりそうね」
一人で納得する私を見て、リオルドは深く頷いた。
「ご理解いただけて何よりです。マデリーンはただ、ヒロインらしく自分の思うままに行動するだけでいいのです。誰かに合わせたり、気を遣ったりすることはありません。今のあなたは、ヒロインなのですから」
「私は、ヒロイン」
「はい。私にとっては、永遠に手の届かない姫君ですが」
「っ!?」
やめて。さらっとそういうことを言うのは本当にやめて。
悪役令嬢は口説かれ慣れていないのよ!
深呼吸をして自分を落ち着かせようとするけれど、目の前にリオルドがいるだけで落ち着かない。
「あなたなんて嫌いよ」
憎まれ口だって、涙目で言ったら効果なんてない。
リオルドは涼しい顔をして笑った。
「それもいいかもしれませんね。忘れられてしまうよりは、あなたの心の棘になれるならその方が数倍幸せです」
もう埒が明かない。
このままここにいても、自分の中に芽生えた恋心に翻弄されて苦しいだけだわ。
「もう行くわ。授業が始まっちゃう」
「そうですね。そろそろタイムリミットです」
私はスッと立ち上がり、実験室を出ようとする。扉を閉めようとしてふいに目が合ったら、リオルドは少し淋しげに私を見送っていた。
何よ、私がいないと淋しいみたいにそんな顔するなんて。
扉を閉める間際、私は捨て台詞のように言った。
「また来るわ!」
呆気にとられた顔。一瞬だったけれど彼が目を瞠ったのがわかった。
見たくない恋心にフタをするみたいに、私は乱暴に扉を閉めて小走りに教室へと向かう。
顔が火照って熱い。
手のひらで頬を冷やそうとするけれど、なかなか熱は引かなかった。
こんな体たらくでは、うまくヒロインを演じられない。
私情に流されて仕事をおろそかにするなんて、私のプライドが許さない。
「私は、ヒロイン。王子様と恋をして、幸せになるの」
呪文のようにそう繰り返し、教室に着くころにはどうにか平常心を取り戻すのだった。
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