二章 目覚め
第11話 目覚めて覚える違和感
(……あったかい)
まどろんだ意識の中。
体を取り巻く温もりが気持ちよくて、マテリアはもっと温まろうと体を丸める。
(ん? スベスベする?)
マテリアが脚を動かすと、肌触りの滑らかな布がこすれた。
「よっ、おはようさん」
知らない男の声。思わずマテリアは目を開ける。
そこには隣のベッドで腰かけ、にやけ顔で見つめてくる男がいた。
何だか軽いヤツ、それが第一印象だった。
顔は決して悪くないのに、漂う空気が三枚目だ。
「アンタ誰?」
頭はハッキリしてきたが、体はまだ重く、動かすのは面倒だった。マテリアは体を横たえたまま、男をにらんで牽制する。
「オレはビクター。昨日お前さんが勝手に寝ちまったから、オレの世話になってる宿に連れてきたんだ」
ビクターがわざとらしく頬をふくらませる。
おどけ通す姿に、マテリアの気はゆるむ。
「昨日?」
そういえば、とマテリアは思い出してみる。
言われてみればビクターのほかに、二人の男性と会話した記憶がある。
(コイツと、少年の僧侶と……アスタロの顔をしたヤツ)
覚えているのは、遠くで友人のアスタロが襲われていたから加勢したこと。
でも襲われていた相手は、アスタロとは別人だった。ここまでは記憶にある。
じゃあ、昨日より前は?
しばらく考えて、考えて――何も浮かばない。
マテリアの鼓動が大きくなる。
「ここ、どこだ?」
一瞬、ビクターは意外そうな顔をしたが、「知らなくて当然か」と肩をすくめた。
「ここは元城下街、ダットの宿屋だ」
「ダット……あ、なんだ。王都か」
聞きなじんだ街の名前に、マテリアは少しホッとした。ただ、元城下街という言い方が気になる。
詳しい話を聞きたくて、マテリアは体を起こす。
いつ着たのか覚えていない、大きくダブついた白シャツが、マテリアの目に入った。
「あれ? こんなシャツ、いつの間に着たんだろ?」
ビクターが親指を自分に向ける。
「オレが着せたんだ。ちなみにソレ、オレのシャツな。汗臭くても勘弁してくれよ」
鼻をくんっと動かし、マテリアはシャツを嗅ぐ。
少しほこりっぽい臭いはしたが、ビクターが言うほど臭くはなかった。
「気にならないよ。世話になったみたいだな、ありがと」
汗臭いっていうのは、真夏に農作業で汗をたれ流し、その汗をぬぐって絞ってを繰り返したタオルやシャツのことだ。
こんな少しだけまったりした男の香りがついたシャツなど、まだまだ清潔感があって着られると、本気でマテリアは思う。
素直に礼を言ったのに、なぜかビクターはあからさまに肩を落とした。
「もっと色気のあること言ってくれよ。お前さんには、恥らいというものはないのか?」
思わずマテリアは吹き出し、背中をかいた。
「あはは、勘弁してほしいな。色気だなんて私には縁がないから。うーっ、背中がムズムズする」
「それでも女かぁ? ……まあいいけどな」
ビクターはこれ以上話題を引っ張らず、おもむろにマテリアへ、丸めた衣類を投げる。
「ホラ、寝ている間に服を調達しておいたから、着てみてくれ」
色気発言に笑いながら、マテリアは衣類を受け取る。
触り心地のいいクリーム色の長ズボンと、赤味が強い桃色の上着、そして女物の半袖シャツに下着。
さっそくマテリアは着替えだす。あわててビクターが視線を窓辺へ外した。
「頼むからオレの目を気にしてくれ。そのムダな度胸はどこからくるんだ……ったく」
「昨日のうちに見てるんだろ? 今さら恥ずかしがるほうがムダだって。すぐに着替えられるし」
素早くマテリアは下着をはいて服に袖を通す。
少しズボンの裾が足に垂れていたが、自分好みの動きやすい服だった。
「着替え終わったよ。上着の色はイマイチだけど、服自体は好みだな」
どういう状況かわからないが、新品の服を着られるのは嬉しい。
思わずマテリアから笑顔がこぼれる。
振り返ったビクターの眼が一瞬大きく開き、首をかしげた。
「……そんな顔で笑える罪人なんて、今まで見たことないな」
同じようにマテリアも首をかしげる。
「罪人って、私が?」
「オレもよく知らんが、お前さんは『永劫の罪人』だって言われてたぞ。一体、何しでかしたんだ?」
初めはビクターの冗談かと思ったが、彼の目は真っすぐにこちらを見ていた。
どうやら軽口ではないらしい。マテリアは眉間に皺を寄せる
「『永劫の罪人』って……そんな重そうな肩書き、本当に私のこと? うーん」
昨日も確か、この国に災いをもたらした者とか言われていたなあ、とマテリアは天井を見上げながら思い出す。
けれど、いくら頭を働かせても、出てくる答えなどない。
「やっぱり知らない。覚えていない」
自分が今、ここにいるという実感はあるのに、胸の奥が大きな空洞だけで何もない。
頭に詰まっていたはずの記憶も、なぜか残りカスしかない。
何とか自分の中を埋めようと、マテリアは思い出し続ける。
小さな痛みがひとつ、マテリアの胸に生まれた。
「覚えていないけど、何か引っかかる感じがする」
ほんの少しだけ胸が苦しい。
思い出せないから苦しいのか、思い出したくないから苦しいのか。
さらに答えを探そうとしたマテリアの頭の上へ、ビクターが長い指の大きな手を置く。
「『永劫の罪人』かどうか、オレは知らんけどな。たった今決めた、お前は悪い奴じゃない。今はそれで納得しとけ。うん」
マテリアの頭を笑ってなでるビクターの瞳が、心なしか優しくなった気がした。
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