第14話

 ヒスイは黙ったまま、ローラと共に外へ出た。

 女の護衛数名も無言で、この建物の中で何が起ころうと無関心に見える。

 プロだからなのか、何度も経験済みなのかは分からないが、大したものだ。

 良心の呵責を己の怒りでかき消しながらも、何とか平静を保っているヒスイには出来ない態度だった。

 感情を表に出さぬためとはいえ、捕えた若者の腕を敢て強く攫んでいた。

 怪我をしているはずの固定された右腕は包帯越しにも細く、初めの頃に男二人を打ちのめしたとは信じがたい。

 だが、東が一目置く若者なら話は別だった。

 どういう能力かは分からないが、セイならば本来指一本動かす事なく、相手を負かすことが出来るだろう。

 先日、触らずに起爆装置を動かし、逃げ遅れた女二人と子供を移動させたように。

 そう、赤の他人をヒスイの知る若者たちに似せて、それと気づかせずに仕事を遂行させることも、難しい事ではなかったはずだ。

 それに気づかずに出方を計れなかったことに腹が立ち、更に攫んだ手に力がこもる。

 流石に、少し体を強張らせたセイを連れ、女について所定の場所につくと、そこでは東が待っていた。

 ヒスイに頷いてからその前に立つセイを見て、表情を硬くする。

「……」

 東の傍には、拘束された通訳の男が立っていた。

 それを見て、若者がゆっくりと笑みを浮かべる。

「大丈夫か?」

 やんわりとした問いは、自分の現状を忘れているように聞こえる。

 答えるレイジの方が青ざめていた。

「あなたこそ、そんな……」

「目覚ましには、丁度いい」

 答えた若者に、ヒスイは苦い顔になる。

「立場は弁えた方がいいわよ。折角あなたは助ける気でいるのに」

 ローラが困ったようなしぐさで首を振り、笑った。

「あの二人が助けに来ると思っているのなら、無理よ」

「撃たれて戦意を消失するようじゃあ、今頃命乞いでもしてるかも知れないですな」

 軽い口調で護衛の一人が言い、周囲で失笑が広がる。

「お姉さんに限っては、無理ね。いつも、単に見てるだけだもの。あの場にいる男たちも言ってたわ。どんなに許しを乞いても、あの場では動かないんですって」

 そんな会話を耳にして更に青褪めているのは、レイジだけだ。

 男は身じろぎして首をめぐらし、建物の方へ目を向ける。

 血走った目を再びセイに向け、動きを止めた。

 若者の表情は、先程から変わらない。

「……お姉さん、ですか。あなたは、血縁の濃度による関係性について、どう思いますか?」

 それどころか、そんな質問を投げた。

「何を言っているの? ああ、まさか、姉さんとの血縁関係は全くない事を知ってて言ってるの? お姉さんはお父様の再婚相手の連れ子だけど、私が苦しんでいる時に助けてくれた、優しい人よ」

「らしいですね。でも、助け方が、尋常ではなかったからこそ、あなたは、騙されてしまったんですね。血縁云々と言う割に、見分けがつかない誰かさんとは、大違いのようだ」

「……おい、騙していた親玉が、偉そうにほざいてんじゃねえ。まだ、黒星を認めねえ気か?」

 どんよりとヒスイが呟くのにも構わず、セイはローラを見つめていた。

 女は微笑み、切り出す。

「褒めてくれてるのかしら。ありがとう。私、あなたとなら長くやって行けそうな気がするんだけど、あなたは?」

「末永いお付き合いには、私は不向きです。他所を当たって下さい」

 返事は速攻だった。

 そんな若者に、ローラは呆れながらレイジの背後にいる護衛に合図する。

「この男も役に立つから、傍に置いておこうと思ったけど、あなたが来ないのならこの場で二人とも片付けないとね」

 その言葉で、ヒスイは目を見開いて東を見た。

 確か、その通訳を口封じすると言って昨夜は去っていったはずだ。

 前言を撤回して助けたのかと戸惑う男の前で、セイは全く変わらぬ声音で答えた。

「命を取られるのも、あなたの仲間にするのも、その人は勿体ない人材です。これからきっと大物になる。あなたには及びもつかないほど、立派に」

「……そう思うのなら、もう少し考えなさい」

 ようやく、言葉に棘がある事に気付いた女が表情を険しくすると、目を見開いたレイジの背後で護衛が銃を構えた。

 体を硬直させる男を見やり、セイは口を開いたが、それは背後の赤毛の大男に向けてのものだった。

「ヒスイさん、すみませんね。程々にと合図を送ろうかと思ってたんですが、あれを見た後じゃあ、それもする気にならない」

「何を言って……」

 急な呼びかけに、ヒスイは戸惑う間もなかった。

 背後の鋭い殺意に反応して、振り返りざまに応戦する。

「……あんた、相変わらず、オレの神経逆なでする事には、長けてるよなあ」

 拳銃で受けた剣は鋭い。

 その剣の先の男を見て、ヒスイは舌打ちした。

「お前、そういえば、ずっとこいつについていたなっ」

 力任せに刃を突き放し、間合いを取りながら構え直した男オキを見据えた。

 思わぬ展開に、唖然としたのは一瞬で、ローラは護衛に叫んだ。

「撃ちなさいっ」

 鶴の一声で一斉に銃を男と若者に構えて引き金を引いたが、乾いた音が響いただけだった。

「……眠すぎて、集中力が続かなくて、時間がかかってしまった」

 やんわりとした言葉に、ローラは恐る恐る若者に目を向けた。

 先ほどと同じように立つセイは、最後の銃に詰まっていた銃弾を、左手を広げて草の生い茂る地面にパラパラと零しているところだった。

 唖然とする女の目の端で、レイジが護衛から身を振りほどいて逃げ、それを追う屈強な男を、突然出てきた小柄な女が、一発で撃沈するのが見えた。

 セイに攫みかかった護衛も、先程まで立ち尽くしたままだった大柄な色黒の男に腕を攫まれて、ひねり上げられる。

「ろ、ロン、お袋っ? 何やって……」

「御免なさいね、ヒスイちゃん。ここにあなたが来た時、合図を送るつもりだったんだけど、それはちょっと、許しがたいのよ」

 人を食ったような笑顔で東が答え、その体をすり抜けてメルが突進してきた。

 その勢いのまま、ヒスイに殴りかかる。

「この、こいつが怪我してるの知ってて、何て捕まえ方してんだよっ」

「そういう事よね、要は」

 殴られるままに、呆然としている男に構わず、東はローラの護衛陣を無力化して束縛していく。

 その間に、セイはレイジを束縛している手錠を、解いていた。

「だ、大丈夫ですか? そんな治療だけじゃあ、腕が駄目になっちゃいますよ」

 解放された男はまず、若者の腕を心配する。

 そして、東に手渡された固定具で、治療を始めた。

「無茶にもほどがありますよ。刺し傷と骨折なんて、うまく固定すれば分からないようにできたんです。なのに、ばれるかもしれないなんて言って……」

 ぶつぶつ言いながらも、素早い。

「おい、どういう事だ? 何、頼まれた通りに、物を用意してんだ、お前はっ?」

「相変わらず、物分かりが悪いな、あんたは」

 剣を治めながら、オキが苦々しい顔を東に向け、ヒスイの目を剝きながらの疑問に答えた。

「忠告を無視して、薬使った結果、しっぺ返しを喰らって、完全敗北したからだろ」

「完全敗北だとっ?」

「オレは、消去法で、セイが分かったんだけどな。ああいうことをやられるんじゃあ、戦意も喪失する」

 メルは深く溜息を吐いて言い、東も黙ったまま深く溜息を吐いた。


 食堂の廊下の内、行きつく先が壁で何もない廊下に向かい、東はヒスイと会った後にやってきたメルと顔を合わせた。

 女の足元には、男がセイの部屋の向かう前に気絶させた、レイジが座り込んでいる。

「……眠らせたのか?」

「当身喰らわせただけだったから、いつ目覚めるかは分からないけど、問題ないでしょ」

 小声で問う女に答え、ぐったりとしている男を担ぎ上げた。

「一思いに、息の根は止めてあげましょう。血が流れても大丈夫な場所で」

 人を食ったような笑顔でそんなことを言い、廊下の奥へと歩き出した。

 コンクリートの壁の向こう側には隠し階段があり、地下室が広がっている。

 そこに、ローラは、生き物を放置していた。

 ここを利用するときに、不要となった女を片付けるためだけのその生き物は、いつも腹を空かせている。

「下手すると、飢え死にしてるかもしれない位間隔は空いてるのに、かわいそうな事をするわよね」

 言いながらも、東にとっては、世間話の延長線上の会話だ。

 身近な者の事、特に幼い子供には気を遣うが、顔を合わせたこともない生き物たちを憐れむほど、優しくないのだ。

 階段を下りた先の重い扉を開きながら、男は少し眉を寄せた。

「……メルちゃん、ここで待っててくれる? レンちゃんが来ちゃうかもしれないから」

 女は内心ほっとしつつ、その言い分に首を傾げる。

 当然、考えられることなのだが、何故か取ってつけた言い訳に聞こえたのだ。

「すぐ、終わるから」

 振り返っていつもの笑顔で言いきり、男は女をその場に残して地下室に入り扉の鍵を閉めた。

 これで、一応は声も遮られる。

 男は、小さく笑ってから先客たちを見返した。

「あなた達が、最後の砦かしら?」

 小さな明かりを灯して待っていた男が、何故か溜息を吐き、代わりに隣の赤毛の男が答えた。

「最後じゃねえが、砦の一つではある」

 溜息を吐いた男は、東が抱えてきたレイジに目を向け、彼らしからぬ、静かな声音で問いかけた。

「殺しては、いないんだな?」

「形跡を残す真似をするほど、落ちてはいないわ。勿論、ここの生き物に与える前に、楽にしてあげるつもりだったけど……」

 人を食ったような笑いを浮かべ、男は室内を見回した。

 建物全体の広さの地下室に、独特の獣の匂いが染みついているが、その匂いの元が見つからなかった。

「……セイが、そんな危険なものを放置して、仕事を続けるはずがない」

 それを受けて、男オキはゆっくりと言った。

「あんたが提供してただろう? 猛獣を保護している、信用できそうな団体。あれは、ここの生き物を早々に引き上げるための、準備作業だ」

「あらあら」

 困ったように首を振るが、全く困っていない東は、レイジを床に下ろしながら言った。

「じゃあ、そう見せるやり方をするしかないわね。後回しになっちゃうけど」

 男は姿勢を改めながら、軽く身構えて自分を見守る、もう一人の男に笑いかけた。

「久しぶりに会ったけど、相変わらず弱そうね、コウヒちゃん?」

 頬が引き攣りそうになりながらも、コウヒは無理に笑いを作る。

「レンと違って、オレは頭脳派なんだよ。筋肉馬鹿のあんたとは、張り合いたくもねえ」

「なら、どうして、ここにいるのよ? あたしが考えてること、分かるんでしょ?」

 じんわりと、大男が間合いを計る。

 その間合いから、逃れるように後ずさりながら、上ずりそうになる声を絞り出す。

「あの赤毛親父が、本当の事を知ったら、その時に、オレがあんたの手にかかって死んだと知れたら、流石に、あの親父は許さねえんじゃねえのか?」

「だから、それを危惧してるんじゃないの。あなたが生きてる限りは、その不安が消えないの。後の問題は、あなたが気にすることじゃないわ。元々、あなたは死んだことになってるんだから」

 一瞬言葉を失くす男に、東は笑いを浮かべたまま続ける。

「こっちが散々探した時には、顔を見せすらしなかったくせに、弟をつついたら、あっさりと出てくるのね」

「……」

「レンちゃんが、ヒスイちゃんと血が繋がっていなくったって、それが明るみに出たって構わないわ。あの子は、見た目ほど子供じゃないし、あなただって別に関係ないでしょ?」

 男は、笑いを濃くしながら言い切った。

「あなたとも、血は繋がってないんだから」

「……どういう意味だ?」

 低いコウヒの声が、少し揺れて聞こえるが、構わず続ける。

「あなたのお母さんが亡くなったのは、あなたがまだ生まれて間もない頃だった、あなたがそう言ったじゃない。弟が生まれる余地は、何処にもないわ」

 顔を伏せた男から、足下にいるレイジを見下ろし、東は話を切り上げた。

「早くしないと、一般人を無闇に怖がらせちゃうから、話はここまで。あまり、手を煩わせないでね、まさか、ここにあなたがいるとは思わなくて、一人、外に待たせてるの」

「……煩わせねえよ。あんたの相手は、オレじゃねえから」

 伏せた顔を上げたコウヒは、東の後ろの扉に目線を向けた。

 ちょうどその時、扉に遮られながらも、よく聞き取れる声が、外で待つ女に言った。

「メル、そこをどけ」

 無感情な、静かな声だ。

「お、お前、それ……」

 メルの声は、驚きに悲痛が混じっている。

 その聞こえた声に、思わず振り返った東の耳に、オキの溜息交じりの呟きが聞こえた。

「あんた、やっぱり使ったんだな。もう知らんぞ。ご愁傷様、だ」

 最後の言葉は、オキの連れ合い候補である律が、電話越しに投げかけたものと同じだ。

 だが、そんな言葉を気にする余裕は、もうなかった。

 何故、眠らせたはずの若者が、扉の外まで来ているのか。

 レンが戻って対処する時間稼ぎにしては、今の会話は短すぎた。

 扉の外に立つ若者は、鍵を開けると言う動作すら、今は面倒らしい。

 一瞬沈黙した後、盛大な音が、扉をぶち壊した。

 重い扉が若者によって蹴破られ、ゆっくりと内側に倒れかけたが、それが急に東に襲い掛かった。

 明らかにそれは、男の頭を狙っている。

「ち、ちょっと待って、セーちゃんっっ」

「うるさい。言っただろ、次会った時は、敵としてお相手するって。大人しく、これの角で頭をかち割られろ」

 無感情のまま言いながら、セイは左手一本で扉を攫み上げ、ぐいぐいと東の頭に押し付けている。

「……あいつ、薬の対処は出来るようになったが、機嫌悪くなっちまうよな」

 しみじみと言いながら、コウヒはその様を見守っている。

「元々、寝起きは最悪だ。半端に起きてる状態だから、質が悪いのなんの」

 しかも、その薬の対処の仕方が、今のメルのように、唖然とさせるものなのだ。

「……セイ、や、やめろって、そんな、そんな状態でっっ」

 半ば泣きながら、メルが若者にすがりついた。

「そうよっ、大体、押し付けたってかち割れないわっ。潰れるだけよっ」

 必死で、扉を押し戻しながら、東も言いつのる。

「悪かったわっ、降参するっ。だから、やめなさいっ。どうしてそんなことするのよっ」

 悲鳴のように告げた男を見下ろし、セイはようやく、扉を床に放り投げた。

 何もいない場所を、見据えての行動だ。

 それを見届けてから、敵だった二人は、座り込むほどに脱力した。

「……あなた、どうやって、右腕を折ったのよ?」

 ロンが見上げる先は、セイの力なく落ちた右腕、だった。

 先ほど、薬を使った時に治したはずの腕は、再び負傷している。

「仕事中に、眠る訳にはいかないからな。少し前に考え付いた、対処法だ」

「だから、対処は分かったけど、どうやって……」

「訊くなよ」

 オキが思わず口走る中、セイはあっさりと答えた。

「蹴り折った」

 言葉を失くした二人から、若者は倒れているレイジへと、意識を向ける。

「あんたが慎重で助かった。捕まえてその場で、って奴がこの人を捕まえに出てたら、私は黒星確定だった」

「そんなことになりそうなら、オレが先に動く気でいた。余計な心配はするな」

 セイは、オキの言葉に無感情のまま頷き、コウヒに目を止めた。

「……何で、あなたがここにいるんです?」

「……何で、だろうな」

 その言葉で、自分を時間稼ぎに使う行為が、オキの独断と知り、コウヒは思わず隣の男を睨む。

 そんな二人に、メルが目を凝らして、気づいた。

「……お前、もしかして、コウヒか?」

 天井を仰ぐ東に構わず、女は立ち上がって、赤毛の男に近づく。

「え? お前……?」

「あー、どうも、初めまして」

 戸惑うメルに、コウヒは、引き攣りながら挨拶した。

 混乱する女に、オキは多少同情しながら、言った。

「本物見れば、流石に気づくな。レンは、あの旦那の子じゃない」

「誰かさんが無闇に逃げ回るし、どこかの考えなしは、その場しのぎの動きをしたし、あんたが騙されたのは、仕方ないけどね」

 無感情な声に、東が目を剝く。

「あなたも、コウヒちゃんのこと、知ってたのっ?」

「まあね。メル、ヒスイさんに話すかは、あんたに任せるけど、荒波立たない言い方をしてくれよ」

「あ、ああ……」

 呆然と答えてから、メルは我に返った。

「じゃあ、レンは? 誰の子なんだ?」

「オレの母親の子に、決まってんだろ」

 コウヒは即答したが、それには東が目を細めた。

「まだ、そんな嘘を? あなたを産んで、すぐに亡くなったんでしょ?」

「嘘じゃねえよ、あんた、馬鹿だったのか?」

 呆れた声の男に、東は笑みを濃くした。

「何ですって?」

「……この人の事を、レンが話す時、違和感なかったのか?」

 ようやく、目を開いて顔を持ち上げたレイジの傍に、膝をついたセイが、眠そうに口を挟んだ。

 眉を寄せる男に、コウヒが言う。

「はた目からじゃあ、結構前から、オレの方が年上に見えてたからな、レンもそうしろって言ってたんで、名前呼びしてたんだよ」

「レンも、名前呼びしてる。名前で呼ばない時は、『兄弟』。変だろう? 『兄貴』とか『兄上』とか、呼び方はある」

 コウヒが、兄だと言うのなら。

「え、ちょっと、待って」

 思い当たった男の、強張った顔を見据えながら、コウヒは言い切った。

「オレは、レンの弟だ」

 父親違いの、蓮より年下の兄弟、だ。

「レンは、オレと初めて会った時から、時を止めてた。そん時オレはまだ、洟垂れ小僧だったぜ」

 母親が死に、その夫だった男の身に、危険が迫った時、男は実の子に頼る決心をした。

 呪いの為に、半端な年齢で時を止めてしまい、身を隠していた息子に、幼い子供を託す決心を。

「レンと死に別れたと思ったあの後は、その親父の元へ帰った。もう、あんたらにも、こりごりだったからな」

「……その親父って……レンの、親父の事かっ?」

「ああ。もう、元気いっぱいの人だぜ」

 笑いながらコウヒは、盛大な威力の爆弾を放った。

「自分の親父を、この手で滅ぼすことを、誰よりも強く願ってる。今回のこの件が、その親父の画策だと知ったら、いい口実が出来たと、喜んで乗り込んで来るぜ」

「そうなったら、少し困るんだ。そちらは、内密でお願いします」

 固まった二人に構わず、セイが無感情に、コウヒに頼む。

「当たりめえだ。伯母上が混じっているのを黙ってるのは、その為だぜ。仕事の一環だってのに、ぶち壊しは、お断りだ」

 凍ったように動かない二人を見つめ、若者は首を傾げて見せた。

「これを話すかどうかも、あんたらに任せるよ。どちらにせよ、メルはひ孫にも会いたいだろ?」

「ひ、孫?」

「この人、子供が二人いるから」

「おい、死んだ子で、水増しすんな」

 コウヒが強く言って、はっと顔を強張らせた。

 扉が無くなった出入口に目を向けて、息を詰める。

「……済んだか?」

 若い声が外の方から投げられ、セイがすぐに答えた。

「ああ。レイジさんも、無事だ」

 答えながら立ち上がり、一人冷静に成り行きを見ていたオキを振り返った。

「後は、任せる」

「ああ。合図は頼む」

 短いやり取りの後、それまで成り行きが理解できなかったレイジが我に返った。

「ま、待って下さい、怪我の手当て……」

「怪我の具合が、全く違うから、いいよ。固定されたら、周囲に不自然さがバレる」

 肩越しに答え、セイは立ち止まらずに立ち去った。

「……まあ、予想通りの展開で、諦観するしかなかったんだが。一応、尋ねるぞ」

 残ったオキは、充分に警戒しながら立ち去るコウヒを見送りながら、確認した。

「あんたらは、今後どうする? このまま引き上げるか、否か」

「……あの怪我見て、引き上げろって言うの?」

「邪魔されるよりは、そうして欲しいだろうな、あいつは」

 意地悪く言う男に、二人は同時に答えた。

「しないわよっ」

「するか、そんなことっ」

 ならいいと、男は意地悪く笑いながら頷き、若者の指示を伝えたのだった。


 成り行きを話しはしたが、まだ衝撃の事実を消化していない二人は、ヒスイに事実を半分も話していない。

 だが、それでも、分かったはずだ。

「……じゃあ、あれは、本物の蓮、だったのか?」

「大した、御父上ですね」

 穏やかに笑いながら、セイが答える。

 演技としての表情は、全く陰りがない。

 仕事を終えるまでは、その表情をやめないだろうが、東はついつい溜息を吐く。

「ねえ、それ、もしかして、エンちゃんの真似?」

「参考にした。似ているか?」

「……顔まで、似て見えるわ」

 勿論錯覚だが、元々エンとセイは兄弟のような間柄だ、言ったところで気を悪くするほどでは、ないだろう。

 実際気にせずに、セイはレイジに尋ねる。

「リヨウとの連絡はついたか?」

「はい。網は仕掛け終わっているから、いつでも大丈夫だ、と伝えるように言われました」

 答えに頷き、若者は踵を返す。

 建物の中に戻ろうと足を踏み出した時、空気が震えた。

「……?」

 立ち止まったセイに声を掛けようとした東は、建物からわらわらと飛び出してくる役者たちに、目を丸くする。

 男の役者たちは、数人ずつ束縛した今回の容疑者たちを、数珠繋ぎにして連れていたが、一人数が足りない。

「……」

 空気が、また揺れた。

 地震とは違う、風が、木々を揺らす感覚に似た揺れ方だ。

「レイジっ、無事だったのかっ」

 コウが立ち尽くすセイに気付き、続いて行方が分からなくなっていた男を見つけ、声を張り上げる。

 適当な場所に容疑者たちを転がし、ゲンが報告する。

「ヒビキさんが、急いで建物を離れろと。……レンが、おかしいんです」

 それを聞いても、セイは黙ったままだった。

 黙ったまま、建物の中へ歩き出す。

「セイっ?」

 メルが思わず呼びかけて、後を追おうとしたが、セイが振り返って制止した。

「来るな。もう少し、この建物から離れろ。そいつらも連れて」

 静かな声ながら、その重みが、全員に何かを感じさせた。

 その背が建物に入った時には、その指示に従った全員が、建物を脱出していた。

「……姉さんはっ?」

 ほっとした一同を、我に返らせたのは、ローラの上ずったその声だった。

「あれ、そう言えば……」

「いや、その女の事なら、気にするな」

 気づいて呟くコウに、何故かヒスイが、げっそりとして答えた。

「何を言ってるのよっ。まさか、あのガキ、姉さんに何か……」

「例え、そうでも、自業自得だ」

「なんですってっ」

 ヒステリーを起こして、束縛された身で暴れるが、ヒスイはやけに疲れた顔で、女を見下ろしているだけだった。

 一方、稽古場に急ぐセイは、あり得ないと思っていた事態に、歯を噛み締めた。

 空気が震えるこの感覚は、滅多にないのだが、セイには覚えのある感覚だ。

 どうしてそうなったのか、経緯を聞くのは後だ。

 足早に、稽古部屋に戻ったセイを迎えたのは、待ちわびていたヒビキと、背を向けたまま立ち尽くすレンだった。

 厳しい表情のヒビキと頷き合い、セイはゆっくりと部屋の中に入る。

 レンが立ち尽くす前で、ローラの姉である女が、座り込んでいる。

 それを一瞥してから、セイは静かに声をかけた。

「レン、よく耐えた」

 それは、名を呼ぶことで標的を自分のみに限定する、引き金の様な物だった。

 振り返ったレンは、正気を失っていた。

 一気にその力を爆発させるその瞬間、セイの蹴りが若者の頭に決まった。

 が、遅かった。

 部屋全体が何かの力で軋み、内側から粉々に崩れ始める。

 何もかもが、粉々に崩れる落ちるまで、それは止まらなかった。


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