第13話
動きがないからと、安心するより不安になるのは、仕方がない事だ。
動きがあれば、終わりも近いと感じることが出来るからだ。
最近、役者たちも体力的な余裕が出来、今夜は夕食の後お茶に誘われた。
蓮もその場にいたのだが、少し早めにその場を離れ、いつものようにヒスイたちの様子を見に行っている。
鏡は男たちと馴染み始め、酒が欲しいとぼやく位羽目を外したが、我に返って今の状況の不安定さを警戒する。
レイジもその場にいて、別れた時にそっと公衆電話に向かっていたから、何事もないこの数日に不安を募らせているのだろう。
焦っても仕方ない、気長に向こうが動くのを待つ、そう言う考えのセイは鏡と共に役者たちと別れ、部屋の前に戻ってきたところだ。
隣同士の扉の前で、鏡が振り返り鍵を開けてドアノブに手をかけている若者に声をかけたが、それは就寝の挨拶ではなかった。
「おいっ、ドアを閉めろっ」
緊張のはらんだ声に答える前に扉が内側から開き、そこから伸びた手に胸倉を攫まれ、身を引く間もなく部屋の中に引きづり込まれる。
思わぬ状況に我に返った時、素早く後を追って来た鏡共々身を凍らせる声音が、男の声で言った。
「みいつけた」
耳元で地を這うように恨めし気に言われ、セイは悲鳴をかみ殺した。
そんな様子を見下ろし、胸倉を攫んでいた男が大袈裟に溜息を吐きながら、若者を解放する。
「もう、あなたはどうして毎度毎度、あたしがこういう近づき方したら、そんなに驚くのよ。いい加減傷ついちゃうわ」
それは驚くなと言うのが無茶だ、と思うのだがセイは男を見上げて言った。
「仕方ないだろ。あんた、こっちが少し素に戻った時を見計らって、そういう事をするから、反応が遅くなるんだよ」
「それこそ仕方ないでしょ」
嘆き口調だった男が、頬を膨らませて言った。
「あなた、素に戻ってしまった後も、仕事モードの時もあたしに気付かないふりするじゃない。最近、あまり顔を合わせられないのに、ひどいわ」
それは、色々うるさいからだとは言わず、セイが黙り込んだのを幸いに、男は顔を曇らせた。
「心配したのよ、約束したのに来ないから。一体どうしたのよ? 言っとくけど、緊急の仕事なんて嘘、通じないわよ」
答えを促す男に、セイは仕方なく答えた。
「……蓮を撒こうとして、捕まったんだ」
簡潔過ぎる答えに、相手は勿論納得しない。
「セーちゃん……」
膝をついて両手を伸ばし、若者が身を引く前にがっしりとその顔を攫んだ。
「いつも言ってるでしょう? いくら面倒でも、言い訳は順序良く、詳しくして頂戴」
「ご、御免なさい」
悲鳴に近い謝罪は、とても昔、この男を従えていたとは思えない。
鏡が呆れて見守る中、セイは声が震えないように抑えながら、説明した。
「本当は、何時間でも待つ気でいたんだ。あんたの仕事は、時によっては時間が守れない事態もあるだろうから」
「そんなに待たせないわよ。例え強盗事件が起こって、犯人が立てこもってたって、あなたを優先させるわ」
「いや、頼むから、人命は最優先してくれ」
本気で頼む若者にいつも通り笑いながら、男は捕えていた顔を開放する。
人を食ったような笑顔に押され、セイは話を続けた。
「約束の時間の五分ほど前に、蓮が歩いてくるのに気づいて……厄介な悩みを抱えている顔をしてたから撒いておこうと、一度あの場を離れたんだ」
「撒いて来れなかったの? どうして? いつもなら、早急に撒けるんでしょう?」
更に深く切り込む男に、セイは鏡を一瞥してから答えた。
「それは……撒いている最中で、とても珍しい事をしている人を見つけてしまって……つい、そっちに行っちゃったんだ」
歯切れが悪い若者から、思わずそっぽを向いた鏡に視線を流した男は、溜息を吐いた。
「今も、シノギって名乗ってるみたいよ、叔父様」
「……」
「動揺するのは分かるけど、それで人助けしちゃうなんて、あなたらしいわね」
どうやら、あの線路内の出来事も察しているらしい。
無言のままの鏡に頷いて、男は再びセイに向き直った。
「その過程で、蓮ちゃんに捕まっちゃったのね」
男の口調にはまだ責める色がある。
「でも、それなら、蓮ちゃんの用事が済んでから、来てくれればよかったのよ。どうして来なかったのよ?」
「それは……」
歯切れ悪く目を泳がせるセイは珍しい。
「これをカムフラージュにすると言う手も、使えるなと思って……」
「カム……フラージュ、ですって? あなたねえ」
目を見開いて、男は声を必死で抑えながら言った。
「そこまでやっといて、まだ、そんなものがいると思っちゃうの?」
「いや、これは、予想外の産物なんだ」
これまた珍しく言い訳する若者をしみじみと見つめ、男は深く溜息を吐いた。
「カスミちゃんの引きが、恐ろしく早かった原因は、それね。違和感があるなとは思ってたけど、余りにも些細なこと過ぎて、気づかなかったわ」
「良かったな、分かって」
話の間に、自分を取り戻しつつあるセイが無感情に返し、話を切り上げようとするが、男はまだ納得していなかった。
「まだ、分からないことがあるんだけど」
若者を見据え、問いかける。
「あたしを呼んでまでそれをどうにかしようとしていたと言う事は、相当の大事だったんでしょう? どうして蓮ちゃんの仕事を優先させちゃったの?」
「優先になんて、してないよ」
あっさりと答えられ、一瞬考えてしまった。
「……? そちらは解決してきたってこと?」
「いや」
短く答え、セイはあっさりと言った。
「同時進行中だ」
動きを止めてしまった男が、不意に声を張り上げた。
「な、何ですってっ」
忍んできたはずの立場を忘れた大音量の声に、セイは流石に顔を顰める。
「なんて声出すんだよ。あんた、内密で来たんじゃないのか?」
「そんな呑気な事を……」
必死で声を抑えているが、男は動揺しっぱなしだ。
この子の行動は相変わらず、突拍子がなさすぎる。
「一体、どんな仕事と、同時進行してるの?」
「あんたなあ……」
つい、真剣に訊いてしまった男に、セイは面倒臭そうに溜息を吐いた。
「それ、あんたなら、ペラペラ喋るのか? 終わったものならまだしも、まだ遂行中の仕事の内容を?」
そう言いつつ、セイは終わった事でも決して外に漏らさないと決めている。
どちらにしても仕事がかち合い、協力できるという異例がない限りは、事情を漏らす気はない。
ましてや、この男は敵側にいる。
なのに、男はやんわりと笑って首を振った。
「あなたと今受け持ってる仕事を天秤にかけるとして、どちらが優先かは言うまでもない事よ。あたしも協力するわ」
背後で鏡が顔を顰めるのを見るでもなく、セイは溜息を吐く。
「そうか、そこまで、失敗させたいのか」
「……」
「まさか、そんな白々しい言い分をまっすぐにとるとは、あんたも思ってないよな?」
笑顔のままで、男は答えた。
「勿論よ」
「あんたって、つくづく労力の無駄遣いが、好きなんだな」
しみじみと言い切るセイの言葉に棘はないが、直球だ。
だから、男も腹をくくったようだ。
「分かったわ。この際、はっきりと言わせてもらいましょう。セイちゃん、この仕事から、手を引きなさい」
「断る」
返事は短く、きっぱりとしていた。
そんな若者に、諭すように話しかける。
「あなたにはそんな記憶がないから、分からないんでしょうけど、子供と言うのは大人に甘えて成長するものよ。蓮ちゃんだって頼る人がいるうちに、そういう経験をしなくちゃ」
「その頼る人とやらに仕向けられてるのに、頼ろうと思う程蓮は若くないよ」
「それは、頼り慣れてないだけよ。若さなんて関係ないわ。それに、血縁でもそうでなくても関係ない。年上の知り合いが心配しているのに、無茶ばかりするのも、どうかと思うけど?」
鏡が、呆れ顔で溜息を吐いている。
「……言っても無駄だろうけど」
セイは静かに口を開いた。
「本当に助けが必要だった時、傍に誰もいなかった子供に、そんな無理な期待はしないでくれ。あの人は優しい人だから何も言わないけど、それに付け入る人は、質が悪すぎる」
「……」
「あんたの言葉、そっくりそのまま返そう。あんたの方こそ、この仕事から手を引け」
男を見返す目は、いつも通りの無感情のものだった。
「引かないのなら、次に顔を合わせた時は、敵としてお相手する」
迷いのない言葉に、男は溜息を吐いた。
そして、小さく笑って言う。
「次に会う時には、全て終わっているわ」
やんわりと、しかし、いつもよりも迫力のある声音が、他の二人を身構えさせたが、それは長く続かなかった。
男から間合いを取ろうと身を引きかけたセイが、突然体勢を崩して床に倒れこむ。
「おいっ」
思わず声を上げた鏡も、そこで膝をついた。
力が抜けて床に手をついた鏡が、片手で口元を抑え顔を歪ませる。
「お前、まさか……」
睨んだ先の男は、やんわりと答えた。
「無臭の筋肉弛緩剤。気づかなかった? 入口の前に仕掛けてたのよ。この部屋にいきわたらせるには少量で時間もかかるけど、近くにいたら少量でも効くし、この子に至ってはこの通り」
人を食ったような笑いでセイを見下ろし、男は身をかがめた。
体勢を立て直そうと足掻く若者の身を起こし、用意していた布を口と鼻に押し当てる。
男が所持していたそれには気づいていた鏡は、歯軋りして動こうとするがその間に、セイの動きが止まった。
振り返って立ち上がり、近づいてくる男を睨むが、相手はたじろぎすらしない。
「蓮ちゃんが戻る頃には、あなた達の仕事の失敗は確定しているわ。明日、ローラは動く。その前に、邪魔な人間は消すように言われているの。リヨウちゃんの送り込んだ子よ」
あっさりと言い切る声は、普段通りだ。
つまり、人ひとりの命など、それほど重くないと思っている口調だ。
これでも、子供には優しいはずの男だ。
それを知る鏡は、苦々しい気持ちで、呟いた。
「お前、そこまで戻る程に、そいつが心配なのか? いい加減、認めてやれ。そいつは、お前が思っている程……」
「無理よ」
短い答えは、悲痛に聞こえた。
……セイの部屋に入った蓮は、その惨状に眉を寄せた。
静かに扉を閉めてから、鏡の傍に膝をつく。
争った形跡は余りないが、ここに来た男が、どうやって鏡を戦闘不能にしたのかは想像つく。
「大胆な真似をしたな、あのおっさん。それに……」
部屋を見回しながら、本来の部屋の使用者がいない事実を見止め、やんわりと笑みを浮かべる。
「命知らずだな、本当に」
呟いて、鏡の額に触れた。
どういう結果であろうと、男の後を追う必要があった。
翌朝、レイジが姿を見せなかった。
いつもならば誰よりも早く食堂に向かい、役者たちや演出達に明るく挨拶してくれる男なのに、全員が朝食を終えて稽古の段になっても姿を見せない。
「ノックは何度もしたんですけど、返事もないんです」
サラが心配そうにそう報告してきた。
「風邪で寝込んでるのか……様子を見て来る」
セイが眠そうに答え立ち上がったが、それを制してカインが立ち上がった。
「オレが行ってみます」
言いながら、何故かゲンの腕を攫む。
「あ? 何だ?」
「鍵開け、手伝え」
返事の暇を与えず、男は年下の男を引きづるように歩き出す。
「おい、何でオレが……」
「変だぞ」
「何が?」
「セイの怪我……」
言いかけたものの、躊躇うカインにゲンが戸惑いながら聞き返す。
「刺し傷が、どうしたんだ?」
「ああ、確かに、刺し傷だった。昨夜までは」
「昨夜まではって……何、言ってんだ?」
「オレもどう言っていいのか分からない。人が入れ替わったわけでもないんだ。本人なのは間違いないんだが……」
頭を掻きむしる男を、戸惑いながら見守りゲンは少し考えた。
「まあ、そう言う事もあるだろ。あの人は、結構常識から外れてるから。それより、レイジだろ。あの人、一体どうしたんだ?」
「何で、それだけで話を終わらせられるんだ? お前、やっぱり、あの手に慣れてるな?」
「あの手って、どの手だよ?」
困惑していたゲンが、カインの目を見てぎょっとなった。
「……この手の奴に、慣れてるだろう?」
年下の男を見据える目は、いつもの瞳の色より、透明度のある色合いに変わっていた。
「……犬、いや、狼か?」
引き攣り笑いで後ずさるゲンに、カインは静かに頷いた。
「正体さらした上での話だ。セイは、確かに深い刺し傷を負っていた、昨夜までは。なぜ分かるか、訊かれる手間はないな?」
「あ、ああ」
「だが、今その刺し傷はない。この数十日治る気配のなかった怪我が、急に一晩で治っている。代わりに……」
カインは、その違和感をゲンに告げた。
「? 何で?」
「分からないからお前に相談している。この手の奴に慣れているんだろう? こういう事は、あるのか?」
「あるわけないだろ。勿論、オレだってそれほど詳しいわけじゃない、だけど、珍しい事例なら、耳に入るのは早い」
言いながら、何かを感じていた。
一つの予兆、だ。
「……レイジが姿を見せない事と言い、そろそろかもしれない」
カインもその可能性を口にした。
「じゃあ、レイジは、まさか……」
「残念だが、可能性はある」
ゲンが歯を噛み締め、カインも溜息を吐く。
「もしかしたら、レイジを助けようとした結果が、あの状態なのかもな。痛い黒星だ。これ以上の痛手は、勘弁だな」
「逃げるのか?」
抑えた声の問いかけに、男は笑って答えた。
「いや。オレは、ここで確かめなきゃいかん事がある。例え、あの三人の仕事が失敗したとしても、ここに来れただけましだ」
「安心した。戦力は多い方がいいと、あの人も言っていた」
僅かに笑いゲンが頷き、カインも笑い返す。
言葉通り、レイジの部屋に向かい無人を確かめると、その旨を報告する。
「……遅かったな」
「あのな、鍵を外すの、結構難しいんだぞ」
「やったのか、本当に? お前、検察官じゃなく、泥棒向きじゃないのか?」
コウの呆れた言い分に、ゲンは睨んで返した。
「刑事に向いてない奴に、言われたくないなっ」
「しかし、どうしたんだ、レイジの奴」
若い反論は聞き流し、コウは姿を見せない男を心配する。
「心配だが、それどころじゃないかもな。今日は」
トレアが台本片手に言った時、稽古場にヒスイが顔を出した。
顔を上げた役者が一様に不信を抱くほどに、顔を強張らせている。
「監督が、スポンサーを連れていらした」
「はい」
目を見開いてセイが頷き、ゆっくり立ち上がる。
そして、目を上げて視線を合わせたレンとヒビキに、頷いてみせた。
「迎えに行ってくる」
やんわりと声をかけて、ヒスイと共に稽古場を去っていく。
それを見送って、ヒビキが小さく舌打ちした。
「体が、思うように動かん」
「質の悪い薬だったな。体にしみこむのも早かったみたいだ」
「あの、変態野郎が」
意味不明の言葉を吐き捨てる女に苦笑し、レンは稽古場の出入り口に視線を移したが、その顔が傍から見ても分かる程に強張った。
見ると、監督のローラともう一人、よく似た美しい女が稽古場に入って来る。
そして、その部下たちが入って来たが、そのうちの一人のジャンがにやにやと笑いながらセイの両腕を封じていた。
その封じ方は明らかに怪我を圧迫するもので、役者たちが戸惑いと怒りを浮かべる中、レンは顔を強張らせて立ち上がった。
そこに、乾いた音が響き、立ち上がったレンが肩を抑える。
「動くな、それだけ無駄に痛い目に合う」
ヒスイが、静かに口を開いた。
肩を抑えて立ち尽くしたレンが、無言で赤毛の男を睨む。
驚きを隠さず座ったままのヒビキに、アレクが銃口を向けた。
右腕を強く攫まれたまま、セイは目を見開いてヒスイの手元を見つめた。
「あんた、何でっ?」
いつもの表情を消し去り、セイが叫ぶようにヒスイに呼び掛ける。
「仕事の邪魔は、されたくねえんだ。お前らと一緒でな」
まだ白く煙を上げる銃口を、レンに向けたままヒスイは言った。
「こちらにも、深い事情がある。これ以上痛い目は嫌だろう? 大人しくしてな。そうすりゃ、人によっちゃ楽しめるだろ」
「赤毛っ、お前っ」
ヒビキが、嫌悪感をあらわに叫んだが、ヒスイはローラに頷いてジャンからセイを引き取り、稽古場を去っていく。
連れていかれるセイが、肩越しに振り返る。
立ち尽くしたレンはその目を見返して頷き、不敵に笑って見せた。
頷き返した若者が大人しく連れていかれるのを見送り、残った女がジャンとアレクに声をかけた。
「今回、女が少ないのね。これで足りるの? ローラは高く売る気でいるけど、信用は大事よ。依頼された分は出荷日に間に合わせないと」
「大丈夫ですよ。これだけいりゃあ、上手くすりゃあ六人分、半年後には『収穫』出来る」
「『収穫』後、すぐに次を仕込めば、出荷数も余裕ですよ」
アレクも言い、女たちをねめつけた。
男たちが、嫌悪感で顔を顰める中、女は首を傾げた。
「次を仕込むって、そんなに頑丈かしら、その女たち?」
「頑丈ですよ、特に、こいつは」
銃口を向けているヒビキを見ながら、アレクはにやりとする・
「女たちも、こいつらが鍛えるだけ鍛えてくれたはずです。他の方は、オレたちが鍛えてやりゃあ、長持ちしますぜ」
ジャンも一か所に固まって身を縮め、何が起こったのか図ろうとしている女たちを、一人一人物色する目で見つめる。
「それは期待するけど……」
女は残念そうに部下たちを見回した。
「男を沢山連れて来ちゃったわ。鍛える前に、壊れなきゃいいけど」
「それなら、また馬鹿な女どもを、今度は大量に集めりゃいいんだ。今回は、楽しむだけでも、オレは全然構わないですよ。出荷までまだ間はあるんでしょ?」
ジャンは女に答えながら、マリーの腕を攫んで引き寄せた。
激しく抗い、マリーが言葉を投げる。
「何よ、何の出荷の話なのっ?」
「そんなこと気にせず、楽しもうぜ。その方が何かと楽だろう?」
「……子供、だよ。正しくは、受精五か月を過ぎた、胎児」
動きを止めたジャンが、答えた声を振り返った。
肩を抑えて立ち尽くしたままのレンが、そのままスポンサーの女を見据えていた。
「羊水に包まれた胎児か羊水自体か、その辺は分からないし分かりたくもないけど、美容液の元となる物が、産まれた時に包まれていたもので出来ています……って言う、へどの出るようなキャッチフレーズの商品。それこそ、一部の金持ちの間の、若さを願うマダムが購入対象の材料確保が目的で、この映画撮影の公募は行われている」
微笑む女に微笑み返しながら、レンは首を傾げた。
「これで、合ってるか?」
「……黙れ、クソガキがっ」
マリーを離し、ジャンが大股に近づき、力任せにレンを殴りつける。
小柄な体は抵抗なく床に転がり、その体に馬乗りになった大男が怒鳴るように女に言った。
「こいつからやっちまってもいいですか? その口が二度と聞けねえようにしてから、嬲り殺してやる」
「それはいいな。こいつらの敗北の後なら、女どもも無駄に抵抗しないだろう」
アレクも言いながらヒビキを抱き寄せた。
「はいはい、好きになさい」
女は男たちが思い思いに目を付けた相手に近づくのを、呆れたように見つめ首を振った。
抱き寄せられたヒビキは、一瞬固まったがすぐに動いた。
胸元に引き寄せられたのをいいことにその勢いを利用して、そのまま思いっきり拳を男の腹に叩きつけた。
籠った声と共に、一撃でアレクは沈む。
自分より大きい男を乱暴に体からどかし、他の者たちの救助に動こうとして、固まった。
空気が、凍っている。
その空気をまとっているのは二人。
一人は、サラとティナを背に、倒れている男たちを見下ろすシュウだ。
「いや、驚いたよ。こんな猟奇的なこと、会社ぐるみでやってるところがあるんだね。うちは大丈夫なの?」
誰にともなく言い、シュウはまだ立っている敵を見据えた。
「……大丈夫ですか?」
ゲンが、大柄な敵の男たちを牽制しながら、ヒビキに声をかけた。
「ああ。鳥肌がまだ収まらねえが」
「そうですか。戦力に数えても、大丈夫ですよね?」
「当たり前だ」
言いながら、ヒビキは銃を持った者を探した。
レンのように撃たれて平気な人間は、あまりいないだろうから、早いうちに無力化する必要があると、思ったのだが……。
もう一人の凍った空気をまとった女が、ジャンの拳銃を手にした手を攫み上げていた。
「なるほど、これは、少々度が過ぎる。意図せず作ったとはいえ、放ってはおけませんなあ」
やんわりとマリーが呟き、つかんだ手首をそのままひねり上げた。
「レンと申したか? 合図は、どのようなものだったのだ?」
尋ねた先は、泣きわめく大男が馬乗りになっていた若者だ。
「合図?」
「暴れる合図はないのか?」
「あ、ああ」
今、何が起こっているのか分からなくなっているのか、レンは珍しく呆然としていた。
しどろもどろになりながら、マリーに答えた。
「さっき、セイが出て行くとき、振り返っただろ。オレたちの我慢が切れたら、反撃開始だ」
「分かりやすいのう」
女は楽し気に笑い、無造作に拳銃を立て続けに発砲した。
身を起こしたレンは、銃口の先でアンを背後から羽交い絞めにしていた男が、拳銃を落とした手を抑えて倒れこむのを見た。
「聞いたか、カスミ殿の娘御。もう暴れてもよいようだ」
「と言うか、君ら、我慢強いねえ。私だったら、八つ裂きだよ、そこまでされたら」
シュウも稽古場にあった錫杖を手にし、襲い掛かった男を一撃で沈めている。
「……おい。あいつら、何もんだ?」
呆然としながらも、ヒビキは飛び掛かってきた男を撃退していた。
撃退された男たちを、手際よく束縛していたゲンが、首を傾げて答えた。
「あなた方が分からないのなら、オレが分かるはずないです」
出る幕がないレンは身を寄せてきた女たちに支えられ、肩を抑えながら圧倒的に有利となった味方たちを見物している。
銃を全て無力化した後シュウから杖を投げ渡され、マリーは嬉々として男たちを撃退しているのだが……。
「……おい、あれは、そのものだろう」
誰にともなく呟いた。
「ですが、あの方は、当の昔に……」
「だよな……だけど、そのものの動きだ」
小声で返す女に戸惑いを伝え、シュウに目を移すとその傍でトレアが束縛の補助をしていた。
「安心してください、確かに伯母さんがいなくなる前は荒くれもんの集まりだったけど、随分大人しくなって営業を出来る奴もいるんですよ」
「そうなのか? あの子も少し落ち着いた?」
「あんたが、ちゃんと大人しく療養して、元気になればもっと落ち着きますよ」
「仕方ないでしょう。仲良しだった子が、自刃覚悟でこんな辺境に向かうって挨拶に来るんだもの」
意味不明なのになぜか理解できる会話を交わす二人を見て、レンは疲れたように呟いた。
「何だこれは? 偶然にしても、鉢合わせし過ぎだろ」
まだ、最後の仕上げが残っているのに、脱力が止まらない。
そんなレンを我に返らせたのは、無言で男たちを沈め、見物しているスポンサーに近づいた男だった。
「おい……お前、何者だ?」
引き攣らせながらも笑みを浮かべる女は、カインを見上げる。
「あなたには及びもつかない場所で生きてる者よ。ここまで近づくのも、あなたごときには許されない」
「ふざけるな。そいつの姿だけ似せて、オレを誤魔化せると思ったか? 何者だっ?」
「何を、訳の分からない事を……」
「あいつを、どうした? あいつに成り代わるために、どうしたんだっ?」
身を竦める女に掴みかかるカインに、レンは素早く近づき腕を攫んだ。
勢いの付いた体の向きを強引に変え、床に抑え込む。
倒れたカインの体に、糸くずが無数に落ちた。
いや、糸くずにしては長い、焼けて落ちた糸状の束、だ。
肩の痛みを忘れて動いたレンは、男を押さえつけた体制のまま、恐る恐るそれを凝視した。
それが、銃弾で焼かれて切れた自分の髪の毛だと認識して、そのまま体を硬直させてしまう。
「……何なのよ、あなた達。こんなことして、只で済むと思ってるの? 雇われのくせに」
「雇われ、と言うのは、それなりの報酬をいただける保証がある人に使う言葉だろ?」
ジムが気のない口調で答え、無節操な欲を向けてきた男どもを足蹴にして見下ろす。
「そんなもん、期待できねえだろ。行きつく先が、口封じじゃあな」
コウも嫌悪感を丸出しにしたまま、倒した男たちを見下ろしていた。
「大人しく、どこぞの国の法の裁きを受けるんだな。この建物自体が証拠として使える」
ヒビキの言葉に笑い、女は煙草を取り出した。
「そんなもの、もみ消せるに決まってるじゃないの。どこの国でも、私たちの財力をもってすれば、法を振りかざす前に内側から弱体化できる」
ライターを取り出して、煙草に火をつけてふかし、女は優雅に笑った。
「うちの従業員を、そうやって乱暴に扱った事の方が、犯罪として見られるようにするくらい、簡単なのよ」
「き、貴様、いい加減に……」
カインは勢いよく起き上がり、女を見据えた。
そして、すぐ横に立ち尽くすレンに気付き、我に返る。
若者は、女の手元を凝視して固まっていた。
「……レン?」
様子が明らかにおかしいレンは、女の手元のタバコの火に目をくぎ付けにされていた。
それに気づいたヒビキが、強く名を呼ぶ。
「レンっ」
びくりと、肩を震わせて振り返った若者の顔は、強張ったままだった。
「すまない、やばいかもしれない」
「馬鹿、耐えろっ」
ヒビキは叫ぶように返し、レンの傍にいるカインを呼ぶ。
「おい、早く来いっ」
反論の余地を与えぬ迫力の声に、男はすぐに動いた。
女も、レンの表情に何かを感じたのか、後ずさる。
「……あんた、煙草なんか、吸ってたっけ?」
無感情に、レンが尋ねた。
「その女の嗜好なのか、只の演出か……カインのあの反応からすると、後者だろう?」
「そんなこと、どうでもいいじゃないのっ」
「仕方ないだろ、どうでもいい事を話してでも、避難の時間を作らないと、頼んだ当のオレが、加害者もろとも全員死亡させてしまう」
体中の何かが、ざわざわと動く。
その感覚に顔を顰めながら、若者は女を見据え続けた。
その様子を見守り、女が微笑む。
「いいじゃないの。当の依頼者のあなたが、派手な演出をする。それが出来るように種をまいてくれたヒスイに、感謝したら?」
「……あんたは、本当に、質が悪いな」
そろそろ会話がつらくなってくるが、まだ意識ははっきりしていた。
このまま耐えて抑えつけられるなら、それに越したことはない。
そう思った時、背後で声がした。
「レン、よく耐えた」
静かな聞き慣れた声にレンは振り返り、その瞬間、意識が飛んだ。
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