第11話

 平和な稽古場が、戻って来た。

 あの夜の会合が、いい方へと事態を進展させてくれたようだ。

 しかし。

 気づいている者は気づいていた。

 演出三人の間に、僅かな溝が入り始めているのを。

 その一人レイジは、ちらりとセイの方へ目を向けた。

 いつものように、舞台となる場所についた面々は、動きを確認するために、周囲に散っている。

 戦闘を主に行うそこは、ある富裕層の別宅の土地を、丸々借り受けたため広く、伸び伸びと動くことができる。

 本日監督は不在だが、相変わらず赤毛の男が目を光らせていた。

「庭の方は好きにしてもいいが、破壊防止のため、建物の方には近づくなと言うお達しだ」

「承知しました」

 頷いてセイは、それを役者たちに告げる。

 いつものように、役者たちの準備が整うのを、待っているように見えるのだが……故意に、目を合わせないようにしているものがある。

 一つは、気安いはずの若者レンだ。

 仕事の合間には、多少話しているようだが、どちらかと言うと、セイの方が会話を永く続かせないように、避けているように見える。

 そして、今日はもう一つ、なぜか、二階建ての建物の方に目を向けない。

 近づかせないと承知しているから、近づく役者たちには目を光らせているが、その建物自体には、興味を持っていないように「振舞っている」ように感じた。

「どうしたんだ?」

 気になって、周囲の警戒を疎かにしていたレイジに、声をかけてきたのはカインだ。

「いえ。あの建物、何かあるのかな、って思って」

 一個人を気にしているのが、少し照れ臭くなって、男は全く違う気になることを口にした。

「……建物? ああ。この辺ではよく見る類の、木製の建物だな。変わっていると言えば……」

 カインは、建物を振り返って言った。

「……留守のはずの建物に、薬物まみれの生き物がいる、って事くらいだ」

「え?」

 思わず聞き返したレイジに、男は小さく笑って声を潜める。

「気づいてはいるが、あの人はここで騒いでも、悪い事態にしかならないと、分かってるんだろ。だから、故意に建物から目を背けてるんだ」

「悪い事態って……」

「オレたちがいる今は、その事態に陥らないはずだ。調べたとおりのものならな」

「?」

 全く、意味不明の言葉を後に、男は稽古に戻っていく。

 この場所での撮影は、全員が出演する予定だ。

 台詞がある役もあるが、ない役もある。

 だから、役者は全員、忙しそうだった。

 暇をもてあそんでいるレイジは、それとなく全員の様子を伺っていたが、背後で息を呑む音が聞こえ、振り返った。

 セイが、ある方向を見て、目を見張っていた。

 その方向に目を向けたが、変わったところはない。

 ただ、建物の勝手口らしい扉が、半分ほど開いている以外は。

「あ、あれ? いつの間に……」

 呟くレイジに構わず、セイは足早にそちらに向かったが、その時には新たな問題が発生していた。

 その近くにいたサラが、見るともなく扉の方へ目を向け、偶々奥まで見えたのだ。

「……!」

 凝視した後、思わず扉に近づくのを、セイが鋭く制止する。

「近づくなっ」

 いつにない、厳しい声音に一瞬驚いたが、サラはすがるように若者を見た。

「で、でも、あれ……」

「落ち着け、見なかったことにしろ」

「そんなっ」

 更に、言いつのろうとした女に近づいたカインが、静かに言った。

「やめとけ。この国の法は、国の貧民層に、優しくない」

「……?」

「下手にオレたちが騒いだら、罰せられるのは、そこにいる奴だってことだ」

 男がサラを宥めている間に、セイは扉をしっかりと閉め、近くにいた若者の一人を、鋭く睨んだ。

 見られた小柄な若者は、しれっとした顔で見返す。

「……あんた、この仕事を、失敗させる気かっ?」

 鋭い口調に、目を見張る役者たちに構わないセイを見返し、レンがゆっくりと答えた。

「お前、そこまで信用してないのか、オレたちを?」

「は? 何を言ってる? これは、信用云々の話じゃあ……」

「そういう話だよ」

 眉を寄せての言葉を遮り、小柄な若者は言い切った。

「お前、オレやヒビキが、この程度の綻びで、仕事を失敗させると思ってるんだろう? 随分、甘く見られたもんだな」

「……」

「まあ、そういう事だ」

 いつの間にか、傍に来ていたヒビキが、のんびりと言った。

「お前が気になるんだったら、この場でやっちまえ。この程度のアクシデントで後手に回る程、オレらは素人じゃねえぞ」

「おい、折角、こっちは説得できそうなのに……」

 カインが呆れた声を上げるが、その説得されていたはずの女が首を振った。

「何か方法があるなら、私も協力しますっっ」

「いいのか?」

 扉を、透かし見るように目を細めたゲンが、水を差す。

「今やっても、既に手遅れかも知れないぞ」

「……ああ。これは、危うい薬の量だな」

 カインの言葉で、反応したのは、セイだった。

「……知らないぞ、どういう結果になろうが。私は、我慢していたんだからな」

「分かってる。よく我慢したよ」

 呟く様に低く言う若者に、レンが珍しい声音で答えた。

「だけど、初めからそういう期待はしてない。お前は、お前のまま、この仕事を成功させろ」

 きっぱりとそう言われ、セイは顔を上げた。

「しばらく、待機しててくれ」

 役者たちにそう言い残し、何事かと立ち尽くしているヒスイに、近づいていく。

 様子は見ていたが、どういう事があったのか理解できずにいるレイジの傍で、若者は男に頼んだ。

「ここの家主と、連絡を取りたいんですが、可能ですか?」

「あ、ああ。何か問題があったか?」

「ええ、些細な問題です」

 曖昧に答えながらヒスイを促し、自動車の中の無線で、別荘の持ち主と連絡を取る。

 ヒスイと変わって持ち主と会話したセイは、ある交渉を始めた。

「? 何を考えてやがる?」

 赤毛の男が困惑する傍で、レイジも困惑していた。

 一通り交渉し、挨拶をして無線を切った若者に、戸惑いながらレイジが尋ねた。

「どうしたんですか? この土地を買い取る、なんて……」

「所有の敷地内なら、多少はましになるはずだ」

 口約束でまずは契約し、権利書が来るまで暫く待つことになったのだが、それが意外に早かった。

 一時間ほどで持ち主が現れ、喜色の顔で権利書を差し出したのだ。

 早口のこの国の言語の会話を聞き、レイジもヒスイも戸惑う。

「……いつ、金を払い込んだんだ?」

 元持ち主を見送りながらのヒスイの当然の質問に、セイは笑顔で答えた。

「先程です。口座は一つ持っていますので、そこから振り込みました」

「だ、だから、いつだっ?」

「ご想像に、お任せします」

 変わらぬ笑顔を凝視していた男が、顔をひくひくと震わせた。

「お、お前、まさか……」

 そんな男を残し、セイは役者たちの方へと歩いていく。

 自主稽古をしながら待機していた役者たちの方へ、慌ててついて来たレイジは、後二人の演出の姿が見えないのに気づいた。

 それに構わず、セイが告げる。

「これより、アドリブの稽古を敢行する。説明は一度だけしかしない。しっかり聞いてくれ」

 真剣に頷いた役者一同に頷き返してから、若者は先程閉じた扉を、大きく開け放った。

「……は? 待てよ、何で、動いてるんだっ?」

 ゲンは、扉の奥にある物の、ある部分を見止めて、思わず声を上げた。

「そんなはずは……あと一時間じゃあ、オレたちまで……」

 目を見張るカインや、顔を強張らせる者たちに構わず、セイはゆっくり頷いた。

「思ったよりは、永く見積もっているようだな。これなら、どうとでも出来る」

「何を、言ってるんですかっ。これ、何のタイマーですかっ?」

「すぐに分かる。説明している間に、時間は過ぎてしまうからな。しっかり聞いてくれ」

 悲鳴に近い問いかけも受け流し、若者は説明を始めた。

 最初で最後の、演出らしい一面だった。


 その後暫くは、先程の緊迫を伺わせない稽古が続いた。

 二人の役者を除き、全員変わった動きを指示されたわけでもないからだ。

「本気なの、これ?」

 地面に絵をかきながらの説明を受けたシュウが、疑わし気な声で確認する。

「いや、出来ないとは言わないよ。でも、今は……」

「あんた、私が今、どれ程の犠牲を強いられてると思っているんだ? 協力してくれないかな。……ここまで、黙って来てるんだろう?」

「……何で、分かるかね? 控えめにしてたのに」

 穏やかに笑いながらの言い分に、シュウは空を仰いで苦笑した。

「仕方ないな、やるだけやるよ」

 了解した女から、マリーへと目を向けると、長身の女は何とも言えない顔で二人を見下ろしていた。

「……私は、何をやるんですか?」

 自分に話が来たと、女も膝をつくとセイは静かに説明した。

「……出来るんですか、そんな事?」

「ああ。後はあんたたちの技量次第だ。出来るか?」

 少し考えてから、女は慎重に返す。

「……切れる武器、もう処分済みじゃあないんですか?」

「ティナに今、研いでもらっている。それで十分、使えるはずだ」

「分かりました、やりましょう」

 出来ないと言えない何かが、今の若者にはあった。

 何かは分からないが、マリーは仕方なく頷いた。

 まもなく、ティナが二振りの模擬剣を持って来た。

 一つは細身の日本刀に似せたもので、もう一つはそれより大ぶりの剣だ。

「……もう、何から突っ込めばいいかの迷いを通り過ぎて、呆れる子だな、本当に」

 剣の方を手にしたシュウが呟くのを聞きながら、マリーも刀の方を手にする。

 鞘から抜いて研がれ具合を確かめ、感心する。

「刃紋も綺麗ね」

「昔日本の方から流れてきた人がいたんです。だから、この手の物の研ぎ方も、教え込まれるんですよ」

「そう」

 頷いてから、マリーは本日の手合わせ相手を見た。

「真剣での手合わせは、したことないんだけど、そちらは?」

「手合わせはないけど……」

 シュウは鞘から抜いた剣を、一度軽く振り回して答えた。

「仕合なら、数えきれないくらい、あるかな」

「あら、物騒ね」

 ティナが言葉を失くしたマリーの代わりに感想を述べ、他の役者たちの方へと戻っていく。

 そんなことをしている間に、セイは建物内を最終確認し、役者たちを集合させた。

「丁度、三十分を切ったところだ」

 その意を理解している男が、小さく息を呑む。

「十五分前から五分前までは、切り結んでもらうが、問題ないな?」

「多分、大丈夫」

 後ろについてきていた女二人に念を押すと、シュウが自信なさげに頷く。

「多分でいい。自信満々に言われたら、余計に心配だ」

 笑顔のまま素っ気ない事を言い、セイは役者たちに告げた。

「後の者は、この周囲から離れ、見学がてら待機だ」

 めいめいに返事して、個々で建物が見えてかつ安全そうな場所に移動する。

「……敵じゃなくて、良かった」

 カインが、そんな一部始終を見守った後呟いた。

 何やらこの半日ほどで、げっそりとやつれているようにも見える。

「……でも、あんな場面を、見なかったことにしろ、なんて冷静に言えるなんて。いくら仕事人間だからって……」

 日本人のサラが、顔を曇らせるのを、アンが微笑んで見た。

「冷静じゃなかったから、ああも厳しく言ったんですよ、あの人」

 そして、カインを一瞥する。

「誰かさんが、余計な事を言ったせいで、我慢が切れたみたいですし」

「ああ……ややこしい事態にしたことは、謝るが」

 別な場所では、ゲンが目を細めて様子を伺っていた。

「何で、タイマーがもう動いてるんだ? 事が起こるのは、いつも夜中のはずなのに」

「お前、知ってたのか? ああいう事件が、起きていたのを?」

 厳しい口調でのコウの問いに、男は頷いた。

「事件と言っても、知られてない事件、だけどな。オレがこの地に入ったのは、この件の大元を追ってたからだ」

「大元?」

「娯楽目的で、やってるんだよ、あれ」

 目は話し合っている女二人を追いながら、続けた。

「ここが現場の一つとまでは思わなかったが、どちらにしろ、助けられないと思ってた。だから、大元を壊滅させて、犠牲者の弔いとしようと考えてたんだが……やっぱ、目の前で見ると、嫌だな。見殺しは」

「……だな」

 また別な場所で、ティナは女たちの様子を見守っていた。

「……真剣に近いもので切り結ばせるなんて、意外だわ」

「真剣が必要な事態だから、話を取ってつけたってところだろ。今いる現場だけでも大変だってのに、よくやるもんだ」

 近くの木に寄りかかり、ジムが気のない返しをする。

 何をする気かは知らないが、ご苦労様、と言いたい気分だ。

 空を仰いだジムの耳に、傍に立っていた男の息を呑む音が聞こえた。

 顔を上げた男は、唖然として女たちの立ち合いを見つめるトレアを見た。

 そこまで驚くかと、女たちの方へ目を向ける。

 ティナも驚いて、目を見開いていた。

「嘘、あの人たち……」

 その声に構う者はいない。

 ジムも、二人の動きに目を剝いていたのだ。

 最初に剣を抜き、シュウがマリーに飛び掛かったと思ったら、受ける方も素早く刀を抜き応戦する。

 鍔競り合いは長く続けず、すぐに身を離すことで力の消耗を最小限にし、切り結んでいた。

「み、見えないんだが……何もんだ、あの二人?」

 カインが呟く傍で、アンもマリーの動きを目で追って呟いている。

「そんなはずが……」

 自動車の傍で見ているヒスイも、シュウの動きを見つめて呟いた。

「何であの女、オレたちと同じ流派なんだ?」

 セイは、動き出した女たちを遠目に見守りながら、一緒について来たレイジに言う。

「ここにいてくれ。万が一、失敗した時に備えて」

「し、失敗? どうするつもりなんですか?」

 問う声に、若者は答えない。

 女たちを目で追いながら建物に近づき、意識を集中している。

 うまく切り結びながら建物に入った女二人は、問題のモノを見据えた。

「本当に、これ、開くのかな?」

「あの人がそういうなら、そうなんじゃないかしら」

 触るのは、問題のモノの扉が開いてから、そう念を押されていた。

 タイマーは、五分を切り、少しずつ数を減らしている。

「これ、タイマーがゼロになったら、どうなるのかな?」

「爆発、とかしないわよね」

「じ、冗談」

 引き攣り笑いしたシュウの言葉に、微かな音が重なり二人はそちらを見る。

 タイマーは二分を切っている。

 扉は、静かに開いていた。

 二人は顔を見合わせ、その中にいるモノに近づいた。

 微かに息をしているのを確認し、シュウがそれを抱え上げる。

「間に合う?」

 入って来た扉の外は、塀で囲まれているから、再び扉を開け、何かを抱えて避難するには不向きだ。

 何より撮影を装っているのだから、大袈裟な行動が必要だった。

 逆側を切り開いて、逃げる。

「……」

 マリーが見据えた反対側は、板張りの壁だ。

 深く息を吐き、刀を構えてすぐに鋭く切りつけた。

 一番もろくなっている場所を正確にとらえて切りつけ、そのまま横に切り払う。

 残った残骸を蹴り上げて、シュウを振り返った。

「急いでっ」

 走り出した二人が建物の外に出た時、タイマーがゼロを表示し、鋭い警戒音が響いた。

 途端に背後で爆音が響き、地響きが女二人の足元を疎かにした。


 爆風で、建物の残骸が、遠く離れた場所まで飛んで来る。

 思わず悲鳴を上げ、建物に近づこうとするサラを、カインが肩を掴んで止めた。

 他の者がその惨状に唖然と立ち尽くす中、建物の方を見つめていたトレアが、別な方へ目を向け、小さく笑う。

「終わったみたいだな」

「な、何が?」

 ティナが流石に動揺しながら問うと、トレアがそちらを指さした。

 遠くでレイジが走って来るのが見え、その先に立ち尽くす若者が見える。

 その足下で、身を起こした二人の姿があった。

「マリー、シュウっ」

 悲鳴に近い声で呼びかけ、サラが駆け寄っていく。

「本気で、死ぬかと思った」

 腕に抱くモノを地に下ろしながら、シュウがげっそりと呟いた。

「釈然としないわね、これが本番で、起用されないなんて」

 座り込んだマリーも、げっそりとしている。

 背後の煙を振り返り、溜息を吐いた。

「半信半疑だったけど、本当に、出来るとはね」

「本当だな。出来るとは思わなかった。自分でも、驚きだ」

 穏やかに返され、女二人は思わず若者を見上げた。

「え、これ、行き当たりばったり、なの?」

「もしも間に合わなかったら、と言っておいただろう? 本当に、時間ギリギリに出て来るとは、思わなかったからな」

「……あなた、分かってるの? 結構、木の板って、斬りにくいのよ」

「そうだろうなとは予想してはいたが、あんたたちなら、問題ないと思った」

 穏やかに答えてから、走り寄って女たちの前に座り込んだレイジに話しかけた。

「どうだ?」

「かなり、質の悪い薬みたいです、病院へ……」

 言いかけて顔を上げた男を押し倒す勢いで、誰かが体を割り込ませた。

 シュウが抱えてきた小柄な体を、泣きながら抱きしめるのは、現地の住民の男のようだ。

「……近くの病院まで、運んでくれますか?」

 無感情な声が、かかった。

 顔を上げると、先程までいなかった二人が、立っていた。

 ヒビキは、男の妻らしき女に肩を貸している。

 レンが声をかけた先には、目を見張ってセイを見ていたヒスイがいた。

「一刻を争うんですけど、その子供。下手したら、死にますよ」

 無感情な声に冷ややかなものが混じり、赤毛の男が我に返る。

「あ、おう。今、こちらに車を回す」

 慌てて走り出す男を見送り、レンが子供と父親の前に膝をつき、子供の額に優しく触れた。

「……分量オーバーだ。まずいな、やっぱり」

 呟く声に、セイは無言で目を逸らす。

 自動車を傍まで動かして来たヒスイが外に出て来るまで子供に触れ、レンは自然な仕草で離れる。

「あ、僕も、付いていきます。症状の説明をした方が、治療も早いはずです」

 レイジが申し出、それに頷いた男と共に子供と、その親夫妻を自動車に乗せる。

「今日はもう切り上げるから、落ち着いたら、ここに寄らずに戻って来てくれ」

「はい」

 セイがレイジと言葉を交わし、自動車は病院へと走り去った。

 それを長い間見送り、金髪の若者は気を取り直したように、役者たちを振り返った。

「お疲れさま。今日は、これで終わりだ」

 穏やかに切り上げる若者を、役者たちは無言で凝視した。

「……何だ? 何か変なものが、顔についてるか?」

「いえ」

 サラが目を細めて答え、ティナが続ける。

「顔にはついていませんけど、さっきの一連の出来事、変でした。説明してくれないんですか?」

「ちょっと、信じられない出来事が目白押しで、このままじゃあ、眠れなくなりそうなんですけど」

「え、そうか?」

 目を見開いて、仕事仲間の二人を見るが、笑い飛ばされただけだった。

「お前な、オレたちは、この場にいなかったんだから、訊かれても困る」

「やりすぎを注意するのを、忘れちまってたな、そういや」

「わざとだけどな」

「……」

 意地の悪い言葉を吐く二人を睨みつつ、セイは役者たちに言った。

「さっきの出来事は、夢、だ」

「はあっ? あんた、ふざけてんのか?」

 思わずコウが言葉を荒げるが、そんな男を見上げて若者は返した。

「仕方ないだろう、どの辺りが変だったのかも、私には分からない」

「うわ、本当に、たち悪っ」

 カインが笑いをこらえ、ジムとトレアが溜息を吐く中、ゲンが疲れた顔で尋ねる。

「……タイマー動かしたのは、どうしてですか? それくらいは、教えてください」

「そうしないと、事を隠滅できないだろう。場所が消えれば、いくらでも言い訳を考えられる」

「あなたが、一介の手品師のお手並みだと言うのは、理解しましたよ」

「……どうしてあそこまでぎりぎりな時間振りをしたのかが、理解不能だけど」

 マリーが言うと、セイは頷いた。

「少しぎりぎりだったのは、悪かったと思っている。理想としては、あんたたちが出て来て、充分離れてから爆発、だったんだが」

「二分弱で、子供助けて、壁破って逃げるなんて、忙しすぎでしょうがっ」

「だから、悪かったよ」

 頬を膨らませるシュウに、笑顔を苦笑に変えて謝る若者を見つつ、トレアが女に声をかける。

「オレとしては、あんたらが意外に動ける、と言うのに驚いたんだが」

「へ?」

 間抜けな声で返すシュウに、トレアは凄みのある声で言った。

「アクション俳優、か。中々、修練された剣技だったな、見直した」

「そ、そう?」

「ああ。だが、それと、これとは、別問題だな」

「いや、ちょっと、待って……」

 焦る女を呆れて見やり、セイを一瞥する。

「まあ、同罪もいるがね。追及は、ここが終了してからでもいいか」

「ほ、本当?」

 あからさまにほっとする女の隣に立ったアンは、レンにそっと話しかけた。

「あの。知っていたんですか?」

「何を?」

「……いえ。何でもないです」

「?」

 しばらく躊躇って首を振る女を見やってから、シュウとマリーの手にある物を見止めた。

「武器を研いだのか、また?」

「はい。セイの指示で」

「へえ」

 ティナの答えを聞いて、ヒビキと顔を見合わせた。

「中々の剣技、か。見て見たかったな」

 笑い合う二人を見て、アンが溜息を吐く。

「……どこまで図ってやってるのか、本当に理解不能ですね」

「色々な事が起こり過ぎて、麻痺してきた。保険どころか、対策じゃないか、これ」

 次いで呟いたカインと同意見の一同は、気抜けした表情で帰路についた。


 ヒスイたちも、事実に気付きつつあるようだと、オキからの連絡を受け、日本の捜査隊は緊張を孕みつつ出国した。

 見送りに来たエンは、市原葵と高野信之と共に空港に来ていたが、関東から再び出てきた森口律とばったり会って、その話を耳にした。

「オレたちが行っても、邪魔にしかならねえからな。こっちでやきもきしてるしかねえ」

 警告を耳にしても、同行出来ない市原は、苦い顔で呟く。

「ま、そういう事だ。意外に多くの保険があるようだから、大丈夫だろう」

 凌も呑気に言い、律を一瞥した。

「念のため、確認したいんだが」

「何でしょう?」

 荷物を取り、仕事に向かおうとする律に、銀髪の大男が問いかける。

「お前、シュウレイに、余計なものを土産にやってないか? 目くらまし的な何かを?」

「……」

 黙って見上げる狐に男はゆっくりと報告した。

「セキレイの所に様子を見に行ったら、部屋に軟禁状態のはずのシュウレイが、消えていた。オレが部屋に入ったら解ける程度の目くらましだったが、中にいたのがあの現場にいるはずの女だった」

 考える顔になった律は、問いかける。

「もしかしてあの人、あなたの弟子の一人ですか?」

「カスミの子供なんだから、どういう敵が出来てもおかしくないからな。処世術と護身術くらいは教えた」

「護身術……あなた、その感覚で、他の方達にも教えていたんですか」

 律は溜息を吐いてから、答えた。

「あの人には恩があったんです。仇に借りを作りそうな事態を、最小限の被害で抑えてもらいました。だから、何か欲しい物をと申し出たら、私の趣味のものに興味を示してくれまして……同じものを三個ほど、差し上げました」

「三個もか。一つは使っていたが、もう二つどこで使う気だ?」

「一つは、使っているようですよ」

 昨日の報告で、オキはある女の動きを気にしていた。

 ヒスイも驚いていたようだから、余程の腕前なのだろう。

 だが、それまではそういう様子を伺わせていない。

 つまり、それまではひっそりと履歴通りの女として動いていたのだろう。

「だからか、現地にいる調査員も、シュウレイを知っている。気づいているなら、すぐに報告があったろうからな」

「あの社長、また取り乱しているんですか?」

「いや。身代わりの女は意識がなかったんで、そのままカムフラージュして来た。セキレイが乗り込んだら、現場はとんでもないことになるからな」

 何でもないように答える男に、律はゆっくりと頷いた。

 あの現場に一時保護していた女が紛れ込んでいる事は、内密にしてほしいと伝言を受けていた。

 言われなくてもそのつもりだったが、気づいた相手は自分たちの危惧も承知していた。

「……あなた、セキレイを知っているんですか?」

 二人の会話を聞くともなしに聞いていたエンが、穏やかに問いかけた。

 それを意外に思いながら凌が頷く。

「ああ。シュウレイが生まれた頃から知ってる」

「……そうですか。全く、あなたたちは、周囲の者の子供はすぐに気に掛けるくせに、どうして自分の血の繋がった子供を見つけきれないんですか?」

「どうしてだろうな。子供が出来ると言う事が、奇跡みたいに思える家柄だからかもな」

 だから、子だくさんのカスミが羨ましい。

「しかも、『孫』まで出来ているとは、驚きだった」

「孫?」

 思わず驚いてしまった律に、凌は真顔で頷いた。

「この間の身内の集会で、ややこしい事になったと言っただろ。セキレイが行けば一目瞭然だったんだろうが、まさか、あんなことになるとはな」

「親父さんがもう少し考えてくれれば、こうはならなかったでしょうね」

 お蔭で今、本当にややこしい事態になっている。

 ただでさえ、ややこしい事件の現場なのに。

 事情を知る男二人は苦い顔だが、相変わらず説明が足りない。

 全くと首を振り、時計を見た律はその場を立ち去ろうとしたが、その前に市原に呼び止められた。

「あなたは、今回どんな御用でこの地に?」

 何気ないようで、何となく察している問いかけに、律は微笑んだ。

「雇い主の調べものです。この空港から移動した方が速いようなので」

「……」

「ご心配なく。あの子は、単に情報収集のために雇い主に話を吹き込んだんです。それを承知でこちらも動いている」

「場所は、分かってるんですか?」

「見当程度ですが。雇い主の細君に収まっている者のことは、あなたもご存知でしょう?」

 そんな律から、後ろで会話する連れたちを伺い、声を潜めた。

「数日前は、随分取り乱してたんですが、あんたの時は、どうでした?」

「あなたにも、連絡があったんですか。しかも、数日前って……蘇芳の元に連絡が来たのは、昨夜ですよ」

 その時は、いつも通りだったと答えると、市原はほっと溜息を吐いた。

「そうですか、それならいい。あんな状態で、あの人たちの相手なんか、難しいだろうし。もう終わったことで、今更混乱してもどうしようもないと、腹をくくれたんだな」

「あなたの実家の事を、自分が調べたらすぐに知られるからと、こちらに話を持って来たらしいのですが、あなたの叔母に当たる女性の死が、あの子にどうしてそこまでの衝撃を与えたんでしょう?」

 純粋な疑問に、大男は黙り込んだ。

 小さく息を吐いてから、更に声を潜める。

「オレとしては、調べるだけじゃなく、伯母さんが、あの家を壊滅するくらいに動いて欲しい。当時、あいつを散々振り回しちまったし。そんな理由であんなことになっちまったと今更分かったって……」

「それはするなと、あの子本人が釘を刺して来たようですから、諦めて下さい」

「……ったく、相変わらずそういう根回しは、完璧だな」

 思わず本音が大男の口から洩れ、律が微笑んだ時、携帯電話の音が鳴り響いた。

 正確にはマナーモードのバイブ音だったが、受信の手ごたえは充分で市原は懐から携帯電話を取り出した。

「……?」

 知らない番号に首を傾げて出てみると、知っている声が聞こえた。

「なっ、何で、あんたがこの番号……っ」

 ぎょっとした声は予想以上に響き、会話を弾ませていた男たちも振り返る。

「は? 何で、それを……」

 目を剝き、何とか反論していたが、市原はやがて固まって視線を泳がした。

 何事かと見返すエンを見つめ、ぎくしゃくと携帯電話を差し出す。

「……お前に代われと、言ってる」

「は? 誰が……?」

 そんな相手はいないと首を傾げる男に、引き攣った顔で大男は謝った。

「すまねえ、誤魔化しきれなかった」

 押し付けるように携帯電話を手渡され、納得できぬままに電話に出る。

「お電話、代わりましたが……」

「やっぱり、葵ちゃんと一緒だったのね」

 心臓が凍り付くかと思う程に、エンが固まった。

 やんわりとした男の声は、その様子を想像して人を食ったような笑いを浮かべるさまが、すぐに予想できるほど身近な知り人のものだ。

「久しぶりに声を聞いたけど、心配するほど病んでいるようでもないわね、安心したわ」

「ど、どうも……どういった御用で、わざわざ市原さんの電話に?」

 体を強張らせたのは一瞬だったが、その様子は異常なものだと思ったのか、その場を立ち去ろうとしていた律も、手持無沙汰で土産屋を遠目で見止めて歩き出そうとしていた凌も注意を向ける中、エンはいつも通りの声音に戻り、やんわりと問いかけた。

「いえね、別に、今はあなたの事をどうこう言うつもりは、無いんだけど……ちょっと、意見を聞かせて欲しい事があるの。聞いてくれる?」

「何でしょう? あなたが、オレなんかに意見を求めるなんて、珍しいですね」

 いつものように茶化しながら、エンは電話の主の話を聞いた。

 それは、電話の主が携わっている仕事の話だった。

 昨日の昼間に起こった、敵対している者たちの奇妙な動き。

 身を隠していたロンや、メルだけでなく、ヒスイまでも怪しむような動きを見せた若者たちの話だった。

「こちらも三人いたんで、一人ずつに張り付いてたのよね。だから、ここまで動きを観察できた。ねえ、エンちゃん。この中に、セーちゃん、いるわよね?」

 話を聞きながら、エンは叫びそうになっていた。

 これは、気づき始めていると言うレベルではない。

 大っぴらに、自分の正体をさらけ出す行為を、あの三人は自らやってしまっている。

 あの馬鹿猫っ、大袈裟は困るが、状況説明は正確にしろっっ。

 この場にいないオキに心の中で毒づきながらも、エンは表面上穏やかに答えた。

「どういう状況下でそうなったのか、言葉だけでの説明では判断できませんけど、居ないとも言い切れない所が、難儀ですね」

「……そうね、今のあなたの立ち位置なら、そう答えるかしら。ありがとう、それで十分だわ。葵ちゃんや信ちゃんには、謝っててね。そちらの捜査陣、間に合わないかも」

「待って下さい、あなただって、この国の警察関係者でしょうっ? 犯罪の手助けする気ですかっ?」

「仕方ないじゃない、宣戦布告してきたのは、あの子の方よ。こうなったら、完全敗北させて、泣いてもらうしかないわ」

 楽し気な声に、思わず叫んでいた。

「あんた、まさか、汚い手を使う気じゃあ……」

「仕方ないじゃない、それも覚悟の上じゃなきゃ、あの子もあたしたちを敵に回そうなんて思わないでしょ? 実際、虚をつくのが難しいけど、出来ない事じゃないわ」

「ふざけ……」

「やめた方が、いいですよ」

 珍しく怒りをむき出しにしたエンの傍で、電話口に向けて言葉を遮った声があった。

 それほど大音量での会話ではなかったはずなのに、ロンの話を聞いていた律が近づいて、携帯電話の通話口に声を投げたのだ。

 冷静な声音に、我に返った男に微笑み、携帯電話をそっと奪う。

「旦那、随分余裕がないようですが、その手は、やめた方がいい」

「律ちゃん? あなた、まさか、オキちゃんに、何か入れ知恵した?」

「人聞きが悪いですね。あの人は、敵に回したくない相手は、本当に回さない素直な人なんです。相談を受けることはしましたが、知恵を貸したわけではないです」

 答えながら律は、目を細めて歩み寄る凌を手で制する。

 微笑んで頷く律に困った顔で頷き返し、足を止めたところで立ち尽くす男を見届けてから、続けた。

「あの子の言ですが、自分の気力次第でどうにでもなる事は、弱点とは言わないそうですよ。だから、あなたが考えている手は、通じないです」

「そういうはったりが通用するほど、浅い付き合いじゃないんだけど」

 高らかに笑う男に、律は更に微笑みを濃くした。

「はったりじゃなく、警告のつもりなんですが」

「何ですって?」

「まあ、やって見れば分かりますよ。なぜ、オキが、敵に回したくないと考えているのか、嫌と言う程分かりますよ。見てるこっちが大打撃を受ける、そう言ってましたから。私も同意見です。だから、今のうちに言っておきます。ご愁傷さまです」

「……部外者に何と言われても、今回は、負けないわ」

 固い声になった男は、捨て台詞を残して一方的に電話を切った。

「……自分から電話をして来ておいて、相変わらず勝手な人ですね」

 呆れながら電話を持ち主に返し、律は凌を見た。

 見られた男は困った表情のまま、昔馴染みを見返した。

「ヒスイの子供として、紹介した子が嫌いなのか、ロンの奴は」

「……」

 思わず目を見張った狐に、慌てたようにエンが言う。

「蓮は、見た目は子供ですが、時を止めてしまっているので、ロンの子供好きとしての枠には入らない様なんです」

「そうか、つまりあいつ……ヒスイの本当の子供が存在することは、知っているんだな?」

 凌は頷いて納得したようだが……。

 律はその二人を交互に見ながら、信じられない事実を知った。

「……自分の血縁者を見つけられない、とは、そう言う事ですか……」

 なるほど、知れば知るほどややこしい。

 頭痛がして来た律に、エンはそっと声をかけた。

「電話の方、助かりました。ですけど……本当に、はったりじゃないんですか?」

 声を潜め、言葉少なに問いかける男に、律は微笑んで見せた。

「大丈夫ですよ。最悪、そう言う手を使われるかもしれないのは、本人も覚悟しているはずです」

「覚悟してるからって、平気な訳は……」

「ええ。やるからには、平気ではないでしょうけど、その倍、相手も平気ではないと思いますよ」

 含みのある言葉にしばらく考え込むエンを背に、律は今度こそその場を後にした。

 それをそれぞれの思いを秘めて見送った男たちは、顔を見合わせた。

「どうする? 現地入りするなら、手配するぞ」

 凌の問いかけに、エンは首を振った。

 若干引き攣った笑顔で、穏やかに答える。

「それには、及ばないです」

「そうか? ひどい顔になってるが」

「これは……ロンが、これから、直面することを疑似体験してしまっただけです」

「?」

 怪訝顔の男に、高野も答えた。

「ここからは、さっきも言ったように、帰るしかありません。何せ、管轄も違いますから」

 内密で相談を受けはしたものの、自分たちは深くかかわるわけにはいかない。

 市原も頷いて、帰路につくことになった。 

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