第3話

そちらとの接触、無事完了。

 そんな短い文面のメールが届いたのは、昨夜の遅い時間だった。

 それを読んだのはつい先ほどで、それでも速瀬良はやせりょうは一安心できた。

 自分の望みと父親の希望の間で板挟みになっていた友人の弟を見かねて、気晴らしにと自分の仕事の手伝いに駆り出したはいいが、その仕事が一筋縄でいかない事例と気づいた。

 気晴らしどころか、友人の弟の命の危険も考えられる事案に大慌てした良は、一昨日急遽ある人物を頼った。

 快くとはいかないが相手はそれを受けてくれ、翌日には接触を成功させてくれたのだ。

 動き出すと早いと舌を巻く良は、今その友人の弟のレイジからの報告を待っているところだった。

 三十過ぎてもふらふらとしている高校時代の友人は、国外に遊びに出てしまい今回は長く帰ってこない。

 そろそろ会社を子供に継がせて隠居したいという父親の気持ちも分かるが、だからと言って真面目で頭のいい母親違いの次男のやりたいことを無視して、後継ぎとしての教育を強要するのは、早計過ぎである。

 レイジの腹違いの兄は、頑丈な男だ。

 そして、会社を継いで大きくする、そんな野望も秘めている男だ。

 今回長く連絡すら取れないが、死んではいない。

 あの男は、本格的に命を狙われているならまだしも、そこいらの行きずりの強盗に引けを取る奴ではない。

 仕事の包囲網と友人の捜索網の他に、レイジの心配まで抱え込んでいた良は、ようやく網広げにのみ心を砕ける状態になった。

 ほっとした男に報告の電話が入ったのは、昨夜より少し早い、日本時間で午後九時を回った頃だった。

「……もしもし、レイジです」

 やけに疲れた声には言及せず、良は軽く受けた。

「おう、何か、変わりはなかったか?」

 その問いに、しばらくの沈黙の後に答えた声は、珍しく荒れていた。

「……どこまで変わっていれば、変わったと報告してもいいんですかっ? 僕の感覚では、最初っから変わってることなんですって、何度言えばいいんですかっ」

 昨日より壊れている。

「何だ、昨日より、変わったことがあったか。どんなことだ?」

「どこから話せばいいのか……もう、僕は、頭が破裂しちゃいそうですよ。良さんが頼んだ助っ人の人は、いつ来てくれるんですかっ? 本っ当にまともな人なんでしょうねっ?」

「? 会ってないのか?」

 相手が嘘をつく人物ではないと知る良は、少し考えた。

 接触はあったが、レイジは気づかなかった、ということか。

 昨日は演出の若者三人と、女監督と赤毛の男ヒスイとの会食があったと言っていた。

 今日は、最終審査で役者たちとも接触している。

 メールの着信時間からして、演出の若者の一人が、助っ人に呼んだ人物かも知れない。

 そう納得した良の耳に、真面目な若者の声がぼやいている。

「監督も変だし脚本家も変、演出兼護衛も変だし、選ばれた役者の人も全員変な人が選ばれちゃったんですよ。これ以上一人でいたら、オレ、本当に気が狂っちゃいますよっ」

 一人称が変わるほど耐え難い環境らしいが、男は敢てそれに触れず、別なことに問い返した。

「役者たちも、全員変なのか?」

「そうですよっ」

「まあ、ああいう事を仕事にする者が、まともって方が信じられないが。中々楽しそうだな」

 思わず笑ってしまった男の耳に、レイジの若干低くなった声が届く。

「笑い事じゃないです。それに、あなたが考えて楽しめる類なら、僕だって免疫がありますっ。残念でしたねっ」

「ほう、じゃあ、どういう類の奴らだ?」

「少しは自分で考えてみたらどうですかっ?」

「怒るな怒るな。これも状況報告の範囲だぞ」

 そろそろ真面目にと釘を刺すと、レイジは渋々説明した。

「本日、最終選考で選ばれたのは、男女それぞれ五人ずつの十人で、ど素人の僕から見てもとてもすごい方々です。先に推されていた二人の役者さん方が、完全にかすむくらい見目もいいですし。どうして今まで名が売れないんでしょう、ああいう人たちが?」

「まあ、世間の世知辛い事情のせいだ。どんな大根役者でも、大きな役にありつけたりするもんだ」

「そうなんですか。一般の我々も、それで損してるんですね」

 世間知らずなレイジは一応納得して、話を元に戻した。

「経歴は、主に舞台で活躍している方々で、人当たりもいいんですが……何だが、顔つきが怖い、といいますか」

「? それで、人当たりがいいのか? 想像できんが」

「うーん。何と説明すれば……話しかけやすい人たちではあるんですが、そのあたりの良さの裏に、鬼気迫るような何かが、潜んでる? と言えばいいんでしょうか? 話しててもこちらがオロオロしたくなるような、そんな感じがして……」

「選ばれた全員が、か?」

「はい」

 考え込む良の耳に、躊躇いがちに若者が言う。

「女性の方の数名は、何となく分かるんですけど」

「……と言うことは、女役者たちは、あれ目当てか?」

「はい。僕の目には、そう見えました」

「つまり、そういう事か」

 女たちはあるものが目的で、怪しい応募に乗った。

 では、男たちは?

「鬼気迫る何かってことは、似たような思惑かも知れんな。ただでさえ厄介な話だというのに、随分複雑になっているな。今回、何で、男の役者まで選考されたんだ?」

 今までの調べでは、男女問わず応募はされても、選ばれていたのは女だけだった。

 監督であり、スポンサーの娘でもある女の目的が、健康な若い、特に見目のいい女だからだ。

 条件のいい、普通の感覚では怪しくすら見える公募だが、監督が見目のいい女ということが、それを麻痺させてしまっているきらいがある。

 条件に適った女を釣り上げるためのエサは、破格の報酬で、かなり高額だ。

 何度かこの手で女を集めている広告が、噂程度でしか疑われていないのは、男役者も一応は選ばれているからだが、今回はサクラではない者達が選ばれたらしい。

 自分達の目を欺くため、とも考えられるがそれならば今までのやり方でも充分のはずで、こんな余計な人数が増えても得にはならないはずだ。

 こちら側からしても、巻き込まれる人間が増えることは、余り有り難くない。

「昨日の話だと、選抜は演出の連中に任されたという事だったが、そいつらが全員選んだのか? よく監督が反対しなかったな」

「はあ、昨日も言った通り、選ばれてた二人の主人公の役者さんより見目がいい人たちなので……」

 特に金髪の若者の容姿に、一発で落ちてしまったらしい。

「……」

 少し考え、良は昨日尋ねなかったことを訊いてみた。

「そいつら、お前が若い、と思うぐらい、若い奴らなのか?」

「はい。若いというより、一人なんか幼いって言ってもいい位ですよ。十代後半位の男女と、十四五歳くらいの男性の三人です」

「ほう・・・」

 二十代のレイジの見立てに、良は思わず軽く答えていた。

 その声で笑ったと察した若者が、受話器越しにかみつく。

「笑っていないで、何とかしてください。助っ人の人と、連絡は取っているんでしょ? 早く合流してくれるように伝えてくださいよっ」

「落ち着け、落ち着け。心配ない。お前、もう会ってるぞ」

「え?」

 安堵でさらに砕けた気持ちになる良が、言い切った。

「ヒスイさんが推した人材が、その人選をするのはおかしい。その、演出のガキの三人のうちの一人が、間違いなく助っ人だ」

「あの三人の中に? まさか」

 確信した男と反対に、レイジの方は疑いを解かない。

「大体、どうして、敢てあんな人選をしたっていうんです?」

「それは分からんが、必要があっての事だろう。詳しい容姿を訊いても、オレにはその三人の中の誰がそいつかは分からん位にはカムフラージュしているはずだが、間違いない」

「百歩譲ってそうだとしても、人選までああいう偏りができる人なんですか、その人は?」

「ああ、その気になれば、そのくらいできる奴だ」

「本当に?」

 当然ながら全く信じていない若者に、良は太鼓判を押した。

「心配するな。そいつはな、どんな相手を敵に回すとしても、いるかいないかで事情が全く変わる位、実力がある奴だ。このオレだって、二度とは敵に回したくない位なんだぞ」

「はあ、そうですか。でも……」

「まだ、信じないのか?」

「いえ。良さん、二度と敵に回したくないって、一度は敵対してたんですか?」

「……」

「一体どういう間柄の人なんですか?」

 痛いところを突かれ、良はしばらく黙り込んだ。

 素朴な疑問だと分かっているだけに、はぐらかしたらもっと不自然だ。

 思わず口を滑らした事を悔やみつつも男は答えたが、嫌そうな声は抑えられなかった。

「意見が合わない奴なんだ、ことごとくな。で、一度、あることで衝突したんだ。その時は……殺されるかと思った」

「……」

 その時以来、その人物の目をまともに見ることもできなくなった良の、苦々しい思いが伝わったらしい。

「そうですか。そんな人に、頭を下げてくれたんですね」

「まあな」

「心配をかけて、すみません」

 人のいい男の謝罪に、良は小さく笑った。

「お前をそんな現場に駆り出したんだ、謝るのはオレの方だろう。これからがまた気を抜けないからな。慎重に、報告の時にも注意を怠るな」

「はい。また明日、報告します」

「ああ、お休み」

 少し落ち着いた若者との電話を切ると、良は紅茶を煎れながら溜息を吐いた。

 敵を欺くには、まずは味方から。

 その言葉はよく聞くが、実際にやっているという話は聞いたことがない。

 だが良は、その手の動きも助っ人が長けていると判断し、考えをまとめていく。

 あの脚本家として女監督に近づいている赤毛の男ヒスイは、この仕事から接触している事は間違いなく、昔からこの件の裏で関わっているわけではない事は、調査済みだ。

 しかし……助っ人の人物が、やりすぎな位にばら撒いているカムフラージュは、その調査結果を信じすぎてはいけない、そんな気持ちを起こさせる。

 もしかすると、ヒスイが今回近づいてきたということ自体が、何かの企みなのではないか?

 とすると、そのヒスイを思惑通りに動かしている人物が背後にいる。

 それは恐らく、自分もよく知る人物だ。

「やれやれ、本当に、厄介だな」

 仕事が難しくなったからではない。

 後始末が、恐ろしく大変な状況になると予想したためだった。


 コウヒ、と言うのがその男の名前で、その一文字の読みを取って自分の名は付けられたと、コウは聞いていた。

 母親の考えなしな行動のせいで自分が生まれ、小学生に上がって数年後にようやく父親の事を知らされた。

 その時には母親も今は亡き義父と結婚し、父親違いの弟もいたのだが、コウは義父との生活を選び義父と同じ職業に就いた。

 それ以来顔を合わせていない父親を捜したのは、何も感情のままの行動ではない。

 無事に連絡が取れて再会した時は、妙に複雑な気持ちが募ったものだったが、今回はそれほどでもなかった。

 連絡が取れた父親の勤め先の食堂で待ち合わせたコウは、先に相談した件の結果を報告した。

「……受かった? 方針を変えたのか、そいつら?」

 見開いたコウヒの瞳は、明るい若葉色だ。

 長身なところはコウと同じだが、容姿は恐ろしく似ていない。

 どちらかと言うと、先にあった最終審査の審査席にいた赤毛の男の方に似た色合いの髪で、あの男の顔をもう少し若く端正な物に変え、世の中を小馬鹿にしているような表情を浮かべさせれば、血縁者と言われても誰も疑わないだろう。

「前の時は引っ掛かりもしなかったからな。そうなんだろ、きっと」

「お前が、女装して行ったってわけじゃ、ねえんだな? それじゃあ、受かるもんも受からねえもんな」

「黙れ、くそ親父」

「良かったじゃねえか。ってことは、オレに相談する必要もなかったってことだろ? 無駄な神経使ったな。ただ、お前自身が怪しかっただけだ」

 父親の名前を借りて最終審査を通ったのだから、そういわれても当然だろうが、コウは苦い顔で首を振った。

「それが、一概にそうと言えねえから、まだいらいらしてんじゃねえか」

「してたのか、いらいら? 前もそうだったから、元がその顔だと思ったぜ」

 面白そうに笑う男を睨み、コウは黙ったまま手にしていた茶封筒をテーブルに置いた。

 その上で中身を引き出して広げる。

「……今回、あの映画の撮影に参加する奴らの、身辺調査の結果だ」

 写真付きで学歴、職歴など、詳しく書かれたその紙を一枚一枚目で流し読みし、コウヒは黙ったまま説明を促す。

「スポンサーとその妹の監督、通訳として雇われた日本人、映画の撮影と称して集められた役者九名。それから、監督が先に推していたという男二人の経歴だ」

「のようだな。それがどうした?」

「それだけしか、分からなかった」

 悔しそうな息子に、男は笑顔で返した。

「これだけ分かれば大したもんだ。いい仕事したな」

「んなわけねえだろ。後四人も残ってんだぜ」

「四人?」

「その四人、どうした訳か、オレの調査網に掠りもしねえ。もしかしたら、あんたと同じ系列の奴らじゃねえかって」

 コウヒの目が際限まで細まった。

「今更止めねえよな。オレの顔で、あんたの名を使ったんだ。あんたじゃあ、どうしたって怪しい」

「一人ならまだしも、四人か。考え直せと言っても無駄なようだな。勝算はあるのか? 無駄死にさせるために、手を貸しているわけでもねえぞ?」

「だから、それを最低限防ぐために、こうして来てんじゃねえか」

 結果報告だけなら、わざわざ呼び出さない、そう言う息子に父親は頷いた。

「何か、取っ掛かりになる物は、持ってきてるか?」

「ああ。一応、写真を手に入れた」

 違法だ何だと言っている場合ではなく、必死でその四人をカメラに収めた。

 それを見せると、男は四枚の写真を穴が開くほど見つめた。

 真剣に、というよりも、きょとんとしているように見える。

「どうしたんだ? 知ってんのか?」

「……答える前に訊くが……こいつら、どういう関係者だ?」

 誰を指すでもない問いかけに、コウは不審に思いながらも答える。

「その赤毛の奴は、監督が連れてきた、今回の映画の脚本を書いたって男だ」

「……」

「で、他の三人は、演出を担当するらしい。オレたち出演者に色んな動きをさせて、それを見てたのは、どちらかと言うとこいつらの方だった」

 黙ってそれを聞いていたコウヒが、舌打ちした。

「こういう巻き込み方をしやがるか。相変わらず、可愛げがねえな」

 誰に対しての毒づきなのか、苦い表情で吐き捨てる父親の意外な一面を見守り、コウが問う。

「知り合いがいるのか?」

「ああ、と言うより……」

 そこでようやく手を伸ばし、写真の内三枚を息子の方へ滑らせた。

「この三人は、特によく知っている」

 それをまじまじと見下ろし、疑わし気に父親を見返す。

「あんた、この赤毛の男と、兄弟か何かか?」

「その人とは兄弟じゃねえよ。……残念ながら、血は繋がってるがな」

「マジかよ」

「はっきり言って、その人は、問題じゃねえ。厄介なのは、他の奴らだ。お前の事も知っているはずだから、まあ最悪、命の心配はいらねえが……」

 そこで深い溜息を吐き、続けた。

「大変な目にあう可能性は、考えられる。気を付けていけ」

 雲行きの怪しい言葉を胸に、コウは撮影現場の地を踏んでいた。

 以前より、東洋の物語を映画化する、という名目で公募があり、今回選ばれたのも黒い髪を持つ、東洋系の男女だった。

 通訳として雇われ、今はまだ到着していない監督から言付かったらしい事を、メモを見ながら、今回の撮影で共通語として定められた英語で話している男も、目立つ容姿ではないが日本人だ。

 中華の国の最西端の村の出の父親の名前と経歴を借りたコウは、他の役者たちとともに話を聞きながらも、この場にいる人物を一人一人観察していた。

 やがて通訳の男から話の舵を受け取り、演出の一人でセイと名乗った若者が前に立った。

 一礼して口を開く。

「私からこのふた月のスケジュールをこなす上での注意や、流れを説明します」

 穏やかに笑ったまま軽く片手で眼鏡を押し上げ、若者が説明を始めた。

 同時にスケジュール表が配られたが、役者全員が絶句した。

 一瞬、何を目的に集まったのか、忘れそうになったほどの、トレーニング量だ。

「先程、レイジさんから話があったように、君たちは全員が生身で打ち合い、乱闘し合わなければならない。だが、見る限り君たちは殆どが素人同然で、今のままそこの二人の演出に沿う動きをさせたら、一瞬で再起不能か最悪命が危ない。そこで、明日から半月は、セリフ覚えの時間以外は体力をつけることを強要しようと思う。せめて、私の今の動きについて来れるよう、これから頑張っていただく」

 顔を引きつらせ、呆然とする一同の前で、セイの背後の二人、ヒビキとレンはすまし顔である。

 説明する若者も、前で話を聞く役者たちの気持ちに構わず続ける。

「最小限の怪我は、マットレスが防いでくれるが、それで防ぐことのできない場面や、場所の方が多い。それを肝に銘じてこれからのトレーニングと撮影に臨んでほしい」

 誰の返事もない。

 一同を見回したセイが首を傾げた時、役者の一人が口を開いた。

「どれほど有名な演出家さんかは、知りませんがねえ」

 小馬鹿にしたような言い回しでそう口をついたのは、監督が推薦していたうちの一人で、アレクと呼ばれている男だ。

 格闘家として一時期有名だった男は、甘いマスクに似合わぬ好戦的な技を繰り出すことで、当時は実力も認められていた。

「プロを差し置いてこんなスケジュール表作るなんて、それこそ怪我の元になるんじゃないですか? ちゃんと、我々に相談してくれないと」

 その言い分は一理あるのだが、セイは表情を変えず返した。

「そのプロの判断で、作らせてもらったのだが、優しすぎたか?」

「……いい加減なことを、言ってんじゃねえ」

 地から這うような声で返したのは、もう一人の推薦された役者、ジャンだ。

 こちらはアレクより大柄で、やはり一時期名を知られた格闘家だったから当然の反応だ。

「お前らの名前は、全く聞いたことねえぞっ。素人が、何を偉そうに言ってやがるっ」

 その勢いは、大男の部類のジャンの迫力と相まって、女役者たちの身をすくませたが、それに返ったのは、女であるヒビキの声だった。

「ただの格闘家崩れのお前らに、名を知られている方が恥ずかしい。今後も知ってほしくねえな」

 鼻で笑ってのその言葉に、ジャンが完全に逆上して立ち上がった。

「こらこら。つまらない喧嘩を売るなよ」

「いいじゃねえか。一度ああいう奴は力の差って奴を、見せつけておいた方がいいんだ」

「誰が見せつけるんだよ、あんたはやる気ないだろ?」

「まだ、ど素人相手に、力の差云々は、早すぎる」

 一気に喧嘩腰になったジャンとそれを宥める優男の前で、演出の三人は静かに会話を交わしている。

 そんな空気が一気に変化する言葉を発したのは、アレクだった。

 半ばからかいの口調で、三人に言葉を投げた。

「いいですよ。その力の差って奴を、我々との手合わせで見せて下さい、お嬢さん方」

 空気が、凍った。

 他の五人の男役者たちが身構える中、演出達の初めての反応に気を良くしたジャンがニヤリとして頷く。

「そうだな。名も知られてねえのにプロと自認している奴の力ってのを、じっくりと見分させてもらおうじゃねえか。大きな口を叩いたんだ、負けたらオレらの恋人役として出演してくれるんだろうな?」

 顔を引き攣らせたヒビキが、何かを呟いたが声にはならず、周囲には何を言ったのか分からない。

 その横で、今まで無感情だったレンが、不意に微笑んだ。

「セー、お前、手合わせとやらに付き合ってやれ」

 微笑んでいるのに、声音は全く感情がない。

 役者の半数が、悲鳴を必死でかみ殺す。

 そんな外野にお構いなく、振られたセイがやんわりと返す。

「私は動かない予定で、ここまで来たはずだが?」

「今のお前なら、手加減できずに万が一の事になっても言い訳が利く。オレは今、手加減する気が失せた」

「分かった。武器はどうする?」

 頷いて問いかけたのは、手合わせ相手だった。

 それにはアレクが答える。

「何でもどうぞ。そこに道具入れもありますよ」

 やはり小馬鹿にしている言い分にも反応せずに、セイは道具入れから細身で長い錫杖を取り出した。

 一度回してみて頷く。

「まあ、これなら、何とかなるだろう」

 片手での動きに鼻で笑った後、アレクも道具箱に近づき、同じものを手にした。

「大丈夫なんですか? あんた、片腕が動かないんだろ? 見栄でこんなことして、涙を流して後悔することになっても、知りませんよ」

 心配しているようで完全に見くびっている言い分にも、セイは穏やかに笑って頷いた。

「分かった。どちらかが涙を流したら勝負あり、でいいんだな? では、そちらが負けたら、主役はヒロインにしてもらおう」

「ええ、構いませんよ」

「勝てる気でいるなら、そうしろよっ」

 二人はすぐに返したが、聞いている全員が嫌な予感で身を竦めた。

 まず、見た目よりかなり好戦的なアレクが、容赦のかけらのない攻撃を左手に杖を手にした若者に仕掛けた。

 素早く間合いを狭め、杖を大きく振り上げる。

 振り下ろされたそれは、金色の頭を捉えたかに見えたが、セイの方はそれよりも早く後ろに下がっていた。

 髪の毛が風圧で揺れた程度のダメージだ。

「力は、有り余っているようだな」

 地面に埋まった杖を上げ、再び構えた男を見て、若者はのんびりと笑って見せた。

 それを見返した男は、少し顔つきを改めつつも返す。

「そちらも、逃げ足が速いようですね。小回りが利いて羨ましいっ」

 剣を帯びた顔で笑いながら、アレクは胴に杖先を突き出す。

 それも空振りに終わるとすかさずそのまま横に振り回したが、そこにはすでに若者の杖が待ち受けていた。

 右からの攻撃を左側から受ける無茶をする若者に、余裕を取り戻した男が笑ったが、その顔はすぐに歪んだ。

 小柄な若者の細い体ごと振り切ろうとしているのが傍目でもわかるのに、押し返す腕力が出なそうな体勢から、徐々に男が押され始めている。

「すごいな」

 固唾をのんで見守っていた男役者の一人が呟き、コウが振り返ると小さく笑って見せた。

「武器ってのは、持つ場所があるだろ? 刀や剣は刃があるから柄を持つしかない。だから、相応の腕力と技量がいるわけだけど……」

 杖はその意味では自由だ。

「あの手の武器は、持つ場所が自由な分、場所次第で力の入れ具合が変わる。あの人は、自分の力量と武器の重さと長さ、それに対する相手の力量と武器の状況を見たうえで、間合いを取ったんだ」

 もちろん、それだけで自分よりはるかに大きい相手を力で押し切るのは難しい。

 だが見ている先で、アレクの方が徐々に押されていくのが分かる。

「あの体勢であの人は、使っていない右腕を梃子にして、ない力を補ってる」

 アレクが焦って押し返そうとしている間に、セイは体の位置を変え、不自然な体勢から抜け出していた。

「ああなったら、あの手の武器に慣れている方が有利だ。アレクって人、確か元々は空手家だったから、勝負はあったな」

 役者たちの前で、勝負は突然ついた。

 セイが不意に杖を斜めにして相手の武器を流し、勢い余ってよろけたアレクの懐に入ったのだ。

「分かりやすい解説だったけどな……」

 鳩尾に深々と杖先を沈められ、魚のような口になって蹲った男を見ながら、この中で一番背の高い男がぽつりと言った。

「逆の腕を梃子にする以前に、あの細腕で、持つ位置変えたくらいで、あの体勢から優勢に持ち込めるか? 普通?」

「だよな。少なくても、オレにはできない」

 説明していた男が早々にお手上げのポーズをして見せた。

 役者たちが会話を交わす間に、通訳と推薦仲間のジャンに抱え起こされたアレクは顔を歪ませて、目どころか顔じゅうの穴から涙を流しているように見えた。

 その男を見下ろしていた若者は、変わらぬ笑顔で口を開く。

「力だけでなれるものなのか、プロの格闘家と言うのは? ずいぶん楽な仕事だな」

 穏やかに言っているが、どう考えても挑発だった。

 この二人を基準に格闘家を見ないでやってくれ、とは外野の思いだが、ジャンはあっさりと挑発に乗った。

「この、クソガキがっ」

 相方が取り落とした杖をつかみ、怒号を上げながらセイに飛び掛かる。

 大男の迫力のある攻撃に、見ていた女役者が身を竦めたが、相対する若者はのんびりと言った。

「攻撃は最大の防御、なんて言う事もあるが、それも場合によっては違うものだぞ。特に、頭に血が上りすぎでいては、攻撃としても防御としても役に立たない。その迫力で気をそげる対戦相手ばかりだったのかもしれないが……」

 そこまで言って、セイは突然動いた。

 一歩前に出たようにしか見えなかったのに、ジャンの巨体はあっさりとひっくり返った。

 屋外の土壌での事なのに、その振動は少し離れたところで見ている役者たちの足下まで伝わって来る。

「一応、受け身は知っていたようで、何よりだ」

 大男の背後に回って杖で足を払った若者が、そう言いながら微笑んだ。

 左手の杖を真っすぐ立てて、仰向けで転がったジャンの体の上で振り上げている。

 顔を引き攣らせた大男が何かを言う前に、それは深々と鳩尾に沈められた。

 仰向けに寝転がったまま、咳込んで呻く大男とまだ立ち上がれない男を、役者一同は呆然と見比べ、ぎくしゃくと視線を動かして、杖を手中で気楽に回して地面につき、自分たちを見た若者を見返した。

「不服がある者は、今の内に言ってくれ。私が相手をする」

 息一つ乱れていないその言葉に、まだ呆然としたまま首を振った一同に、セイは笑顔で頷いた。

「それなら、話を進める。一応言っておくが、私はこの三人の中で、一番弱い」

 きっぱりと言い切られ、一同は叫びたくなった。

 それに構わず、若者は忠告する。

「そのトレーニング内容をしっかりとこなして、少なくとも今の私並みの力とスピードは身に付けてくれ。でないと、本当に死ぬぞ」

 有無を言わせぬ言葉に、役者一同はただ何度も頷くしかなかった。

 話がついたと察した演出家の残りの二人が、ようやく近づいてきた。

「終わったな。監督と連絡取れるか?」

 セイよりもさらに小柄で、とても強そうに見えないレンが、無感情に通訳に話しかけた。

「取ろうと思えば取れますが……本気ですか?」

「約束は守るのが普通だろ」

「しかし、元々決まった方々ですし……」

 遠慮がちと言うより、少々腰が引け気味のレイジの言い分は正論だったが、レンは無感情に言い切った。

「別に、人を変える必要はないよ。役を変えるだけで」

「……は?」

「名前を少し変えて、この二人を女に変装させれば、ヒロインの出来上がりだ」

 唖然とするレイジに、セイも言った。

「この二人も、女の格好で化粧でもすれば、女に見えないこともないだろ。ちょっと苦しいかもしれないけれど」

 ちょっとどころではない。

 役者たちは、今度こそ悲鳴を漏らしてしまった。

 呆れた表情で立ち尽くしているヒビキと言う女以外の二人が、何をきっかけに男二人の喧嘩を買おうと思ったのかは、明らかだ。

 腕は一流なのに、器の程はかなり小さい。

 今後を思って不安を覚えている役者たちの前で、レイジが必死で訴える。

「無茶ですよっ。何のために女性の役者さんがいると……」

「先に言い出したのは、その人たちだぞ。男を女の役で出す、なんて」

「確かに言ったな、その人たちが。我々では思い浮かばない案だった」

 無感情な若者の言葉に、金髪の若者も笑顔で同意する。

「いや、ですけど……」

「監督も、面白いと思うかもしれないぞ」

「ああ。大笑いしてくれるはずだ」

 その時ようやく完全敗北した二人が身を起こしたが、大男の方はまだ堪えているのか涙目のままだ。

 そして、反論などする気力は、この二人にはなさそうだ。

 このまま演出二人の主張が通りそうな気配に待ったをかけたのは、ずっと黙っていたヒビキだった。

「お前ら、そろそろ落ち着け」

 呆れからか溜息交じりの言葉に、すかさず二人が反論する。

「何言ってるんだ、オレは、これ以上ないほど落ち着いてるよ」

「私もだ」

「あのなあ、何を好き好んで、こんな辺鄙なところまできて、見目の悪い女をわざわざ作って、それをヒロインにした映画を作る手伝いなんぞしなくちゃならねえんだ?」

 全くその通りの言い分に、二人は言い返した。

「意外に面白いかもしれないぞ」

「その通りだ。受けて賞が狙えるかもしれない」

「……心にもねえことを宣いやがって。ふざけるのもいい加減にしろっっ」

 女が二人の若者に飛び掛かった。

 本人たちは本気なのだろうが、こちらからはじゃれ合っているようにしか見えない。

「……大丈夫なのかね、あれで」

 その様子を見守っていた女の一人が、その場の全員の心境を代弁した。

 全くもって、心配である。

 そこでようやく役者たちが、顔を見合わせた。

 よく見ると、同じ黒髪と瞳の色でも顔立ちや体格は様々だ。

 ぎこちなく挨拶を交わし、自己紹介を思い思いでしていく。

 僅かな緊張が解け、打ち解けるほどの時間がたったころになって、演出家の三人のじゃれ合いも下火になっていた。

 一人で二人を相手取っていたヒビキは、さすがに息を切らしながらようやく立ち上がっていたアレクとジャンに近づき、下から睨みつけた。

 ひるむ二人にゆっくりと言う。

「あんたらも冷静になったのなら、考え直せ。こいつらは、やると言ったら本気でやる。それが嫌なら、ここできっちりと謝るか、監督に直談して役を降りちまえ」

 自分達よりはるかに小さい、しかも今度は女にそう指示されてさすがに顔をゆがめた二人の気持ちを察し、ヒビキは笑った。

 恐ろしく好戦的な笑いだ。

「どっちも嫌だってんなら、今度はオレが、役云々以前の体にしてやっても、いいんだぜ?」

 本当は、返事を聞く間も与えたくない、そう言わんばかりの声音に、本気度を知った二人は顔を歪めながらも承諾した。

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