#3 赤の勇者 【3-4】

「エミリア、顔上げて」


「ん」


 ディアスに言われてエミリアは顔を上げた。

ディアスはポケットから小さな布の切れ端を取り出して。

取り出した布でエミリアの口許くちもとをぬぐう。


「きれいになった?」


「ああ、きれいになったよ」


 ディアスはエミリアの長い前髪を横に流した。

たれ目がちな目とその中で赤く光るつぶらな瞳があらわになる。


 気恥ずかしそうに、けけけと笑い声をあげるエミリア。

にっと笑うと右側の犬歯が乳歯の生え変わりで抜けているのが見えて。


 エミリアはいで頭を左右に振った。

ディアスが流した前髪をおろして目元を再び隠す。


 エミリアはディアスの肩に頭をり付けた。

ディアスの肩にもたれて目を閉じる。


 聞こえるのは風が草葉を揺らす音とアーシュの寝息、そしてエミリアの吐息の音だけだった。


「…………嬢ちゃん」


 少ししてアムドゥスは顔を上げるとエミリアに声をかけた。

アムドゥスを抱くその手が小刻みに震えていて。


 エミリアはアムドゥスの呼び掛けに答えなかった。

伏せ目がちに虚空を見つめるエミリア。

ただアムドゥスを抱く手に力が入る。


 エミリアは片手でアムドゥスを抱いたまま、もう一方の手の甲で口許くちもとを何度も強くぬぐった。

それと同時に強い吐き気に襲われる。


 ディアスはエミリアを抱き寄せた。

その頭を優しく撫で続ける。


 エミリアはディアスに体を預けながらアムドゥスを強く抱いて。


 エミリアは落ち着くと眠りに落ちた。

ディアスもそれを見届けると眠りにつく。







「────アーくん、起きて!」


 エミリアの声。


 アーシュが目を開けると、その顔を覗き込むエミリアの顔が目前にあった。


「けけけ。アーくん、よだれ垂れてるよ」


「ん……」


 アーシュは自分の頬に冷たいものを感じると、慌ててそれをぬぐう。


「おはよ、アーくん」


「おはよう、エミリア。ディアス兄ちゃんもおはよう。あとアムドゥス? も、おはよう」


「おはよう」 


「おいくそガキ、呼び捨てにしてんじゃねぇ。俺様のことはアムドゥス様と呼びな。ケケケケケ!」


「アーシュ、別に呼び捨てでいいぞ。あんまり口うるさいようなら俺に言え。焼き鳥にしてやる」


「ケケ、まーたワンパターンだ」


 ディアスはアムドゥスを睨むと剣の柄に手を置いて。


「ご希望の斬られ方があればどうぞ? ご期待に可能な限りお応えしますよ、アムドゥス様?」


 ディアスはそう言うと鼻で笑う。


「もー、2人ともケンカしない」


 エミリアが言った。


「怒られてるぞ、アムドゥス」


「ケケケ、怒られてんのはお前さんだぜ? ブラザー」


 アーシュはディアスとアムドゥスが睨み合っているのを見て。


「ディアス兄ちゃんとアムドゥスて仲いいんだね」


「アーくんもそう思う?」


 エミリアそう言って、にやりと笑った。


「全然良くない!」


「全然良くねぇ!」


 2人は声を揃えて否定する。


 ディアスはため息を漏らすと街道の先へと視線を向けて。


「行こうか。切断された腕は結晶で完全に包まれていたから劣化は早くないと思うが、アーシュの傷口の方が塞がると腕のつけ直しに支障が出そうだ」


「え。じゃ、急ごう! おれ腕が繋がんなかったらやだよ!」


 アーシュはそう言うと勢いよく立ち上がった。

だが立ち上がると同時にアーシュのお腹の音が響いてきて。


 アーシュの腹の虫を聞いてエミリアは吹き出す。


「な、笑うなよ!」


 アーシュは少し顔を赤らめながら言った。


「アーシュ、ほら」


 ディアスは守衛から預かった小さな鞄をアーシュに差し出した。


 アーシュは鞄を受け取ると、中から包み紙に入った携行食を取り出して。

包みを剥がすと、中から現れたのは握りこぶし大の茶色いだんご。

アーシュはそれをもぐもぐと食べ始める。


「それって美味しいの?」


 エミリアがたずねた。


「ぜーんぜん」


 アーシュは真顔で否定して。


「そういえば普通の食べ物も食べれるんだっけ。食べてみる?」


「いいの? じゃ、ちょっとだけ」


 エミリアはアーシュの食べていた携行食を一口かじって。

視線を右へ、上へ、左へと移しながら何回か咀嚼そしゃくした。

そしてごくりと飲み込むと顔をしかめる。


「ほんとに美味しくないなー」


「でしょ」


 アーシュが笑う。


「けけけ。でも美味しくはなかったけど、美味しかったよ。口の中がすっきりした」


「それって結局美味しいの? 美味しくないの?」


 アーシュは怪訝けげんな顔でエミリアを見た。


「んーと……普段からは食べたくないけど、今朝は美味しく食べられたってこと」


「ふーん? そうだ、ディアス兄ちゃんも食べる?」


 アーシュはディアスに振り返った。


「いや、いらない。その手の携行食は食い飽きた。可能ならもう2度と食いたくない」


「美味しくないもんね」


 アーシュは苦笑するとまた携行食を口に運ぶ。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る