第4話 潜入前
円筒形の望遠鏡越しに見える、連綿と広がる灰色の壁。しかしその一部は崩れ、赤茶色の屋根が被さった白塗りの家々が顔を覗かせている。瓦礫の撤去や壁の修繕に集まった者たちで随分と賑やかだ。
戦いの爪痕。そして、作戦失敗の証。上手くいっていれば、今頃あの都市はこちら側の占領下にあったことだろう。
——さて、どうしたもんか。
望遠鏡を持った腕を地面へと投げ出し、身を隠すように木の幹に背中を預けた。
城塞の周りには、鎧を着た敵兵どもがうろついているし、確認はできなかったが、あの城塞内にも何人もの兵士が常駐して周囲の警戒をしているはず。
騒ぎを起こせばこの後に響く。となると当然、今はこの悪魔の力は使えない。
もう少し周囲を探ってみるべきか。そう考え、荷物袋を背負い直して、俺はゆっくりと移動を開始した。
木の陰から木の陰へ。木の陰から岩の陰へ。見張りの目をかいくぐりながら、あちこちへと視線を配る。だが、どこまでも拓けたこの平原に、あの壁を越える助けになりそうなものは見当たらない。
やはり強行突破しかないのか。まあ力に頼れば、あれだけ立派な城塞であろうと、紙切れ同然。しかし——
そう、ぐだぐだと葛藤している——この間も、周囲の警戒は怠っていない——と、遥か遠く、天と地の隙間にぼんやりと小さな何かが見えた。
それはじわじわと拡大し、鮮明さを取り戻していく。と、俺は咄嗟に近くの草むらに飛び込み、身をかがめた。
見られてはいない、はず。壁付近にいる連中にも。
しかし、周囲を丈の高い草に囲まれ、身を隠せる反面、敵の様子が確認できない。
一瞬暴れかけた心臓を力尽くで黙らせ、息を殺す。耳を澄ませば、風に煽られた葉の音だけが聞こえてきた。
今は耐えるしかない。が、周囲の音に何か異変があれば、すぐに動けるだけの準備もしておく必要がある。
俺は懐から前腕くらいの長さの短剣を取り出す。ただし、鞘からは抜かない。光の反射を防ぐためだ。
この件を済ませたら、真っ黒な刀身のものでも探しに行こうか。金はあるし、いずれまた今みたいなことをする必要も出てくるだろう。その際には、きっと役に立つ。
まあ、どこで売っているのかは知らないが。
それからしばらくして、風音や葉音以外の、雑音染みた音が聞こえ始めた。
おそらくは、あの遠くから近づいてきていた連中だろう。複数の足音や、何か重いものが地面と擦れたり跳ねたりするような音など、次第に判別可能なものになっていく。
俺はそれらが、この草むらを過ぎていくのをじっと待つ。
思ったより随分と大所帯らしい。なかなか音が遠ざかっていかない。それでも、辛抱強く待ち続け、ようやくといったところで音に変化が見られた。
草むらから少し顔を出してみる。
城塞の門へと真っ直ぐ伸びる獣道。そこに、彼ら——たくさんの物資を積んでいるであろう馬車数台と、護衛兵たち——はいた。
見慣れた光景である。今回の仕事で、どれだけの輸送兵たちを屠ってきたことか。
——気にしても仕方がない。今は目的に集中しないとな。
急ぎ草むらから獣道へと出て、輸送隊の背後から近寄る。最後尾を単独で行く兵とその馬を、「力」を使って音もなく刺し貫き、即死させた。崩れ落ちていく彼らを尻目に、素早く馬車の荷台に飛び乗る。
今の一連の物音が聞こえたのか、御者が振り返った。が、俺は荷台内を一息に移動し、
「声を出すな」
御者に短剣を突きつけ、そう呟いた。緊張した面持ちの御者が首を縦に振る。
「……っ」
「力」を発動し、男の肩に少し「見えない刃」を食い込ませると、袖にじわりと血が滲んだ。「刃」を維持したまま少しずつ御者から離れ、荷物の上にかかっていた布を被さり、身を隠す。
不意に、御者の男が、びく、と肩を跳ねさせた。刃が少々深く入ってしまったらしい。
「力」は、一応、出力の調整——今回の場合は刃の伸縮——が可能。しかし、今までは全力行使が常だったため、あまり慣れていないのだ。
もうしばらく我慢してくれることを祈りつつ、周囲の様子にも意識を配る。
こうして俺が色々と動いている間も、この輸送隊の動きによどみは見られない。どうやら、ひとまずは上手くいったらしい。
伸びた隊列、かなりの騒音に満たされた環境に兜の装着。これらが、俺にとっていいように作用したんだろう。思惑通りではある。
あとはあの門を抜けるだけ。むしろ、こちらの方が肝要か。
だが、俺の心配をよそに、城門は簡単に開かれた。荷物の点検も行っていないというのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます