重みを忘れた傭兵

緑樫

第1話 いつものように

 右手に握った、なんの変哲もないただの鉄の剣。


 これを正面に一薙ぎするだけで、ばたばたと、敵国の兵たちが血飛沫を上げながら崩れ落ちていく。


 盾も鎧も、彼我の距離すらも飛び越えて。


 これが俺にのみ許された力。


 『見えない刃』なんて俺が勝手に呼んでいるこの力は、武器の延長線上約三十メートル内にあるもの全てを、一刀の元に切り裂く。


 俺は一人ゆっくりと前進し、死体を踏み越えて、また無感情に右腕を振り、また無慈悲に命を散らせる。この一帯から敵の姿が見えなくなるまで、延々と。


 敵わないと悟ったのか、兵士たちは背中を向け、一目散に駆け出した。


——関係ない。


 その背中の悉くを両断する。鮮血が飛び散り、地面も、そして彼らも、みな赤く染まっていく。

 

 見渡す限りが死体の山となって、ようやく俺の今回の仕事は完遂された。


——帰ろう。いつまでもここにいたら、充満する血の臭いで頭がおかしくなりそうだ。


 一切血が付いていない剣を腰の鞘に収め、俺は、俺だけは、このいくつもの血だまりで埋められた平原を後にした。





 戦場から帰還した俺を出迎えたのは、味方兵士たちの畏怖の視線。


 いや、訂正する。彼らは決して味方などではなかった。


 彼らは王国軍に所属する正式な兵士たちであり、俺はただの雇われ、すなわち、守るものを同じくしたというだけの他人同士なのだ。


 まあこの程度、特に気にすることでもない。恒例行事みたいなものだ。


 俺に割り当てられたテントへと向かい、べろ、と入口をめくって少し屈みながら中へと入る。


 木の骨組みに薄汚れた白い布を被せた、一人で使うにはあまりにも広すぎるこのテント。しかしここには、俺以外が立ち入ることはない。


 隅に寄せた荷物のあたりまで来ると、帯剣用のベルトや革の鎧を脱ぎ捨て、その場に腰を下ろした。


 おもむろに、傍の鉄剣を鞘から引き抜いて、ぼうっと眺める。


 所々が欠け、錆び付いた安物の剣。俺がまだ軍の兵士だった頃に国から支給された量産品だ。


 手入れをしなくなってから、もう随分と経ってしまった。


 戦士にとって装備とは、自らの命を預けるもの。それを粗雑に扱う俺は、自分の命すら軽々しく扱えてしまう、精々が殺し屋程度の存在か。


 一人前の戦士になるべく、鍛錬を重ねていたかつての日々が酷く懐かしい。


 だが、武器の手入れも、鍛錬も、もはや意味を為さない。俺はただ剣を振るだけで、全て終わらせることができる。


 剣に返るあの重みも、既におぼろげだった。

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