第136話 終局のその時

『【ფრთის ბალეტი მილიონი】』


 また金属の羽根が空中に浮かんだ。今までよりはるかに多い。

 まるで豪雨のように羽根が降り注いだ。風の断層に羽根が弾き飛ばされるが……断層が持たない。


 断層を羽根が突き抜けた。とっさに体に風を纏わせて飛ぶが、金属の羽根が足に突き刺さった。


 焼けつくような痛みが走って膝が崩れる。傷口から血が噴き出す……足を止められた。

 腰のポーチからポーションを抜こうとしたが、目の前に剣の切っ先が突き付けられた。 



『無駄な努力でしたね、ライエル。それだけ戦っても、見なさい。私には傷一つない。貴方は体も傷だらけ、魔力もはや殆どないはずだ。

そして頼みのテレーザの詠唱もまだ終わらない。君達の言葉でいうなら詰みチェックメイトです』


 ヴェレファルが俺を見下ろして言う。

 改めてヴェレファルを見た。確かにまったく傷一つない。最初とその姿は全く変わらなかった。


 テレーザの詠唱はまだ続いている。

 空に淡く魔法陣が浮かんでいるが……多分まだ時間が必要だ。


『テレーザ。貴方のために身を挺した愛しいライエルを見て何もしないのですか?今まさに死なんとする彼を助けようとは思いませんか?

まあ無論見捨てても構いませんが。愛だのなんだの言っても人は自分の命が大事ですからね』


 テレーザが魔族を一瞥して、何事もなかったかのように詠唱を続ける。

 ヴェレファルが俺の方を見た。


『ライエル、貴方は精一杯戦った。すばらしかったですよ。ですが、彼女は君のことを見捨てたようです。

死にたくなければ、テレーザの命を捧げるといいなさい。そうすれば大切な姪のもとに帰れるのです。さあ、どうしますか』


 ヴェレファルが問いかけてくる。

 答えを待つようにヴェレファルがしばらく沈黙して、天を仰いで首を振った。


『愚かしいですね。本当に二人そろって死ぬつもりですか。正気とは思えない。

醜く罵り合うなり、せめて涙にくれるなりしてくれると思ったのに……まったく』


 そう言ってヴェレファルが空を見上げた。

 

『そろそろ死んでもらいますか』


 ヴェレファルが空に浮かんだ魔法陣を見上げながら言う。

 

『もはや防ぐ力もないでしょう、ライエル。君には死んでもらい、テレーザは腕の一本でもらって生かしておくことにしますよ。君の躯の前で……彼女は泣くでしょうかね、それとも死なずに済んだと安堵するでしょうか。どう思いますか?』


 芝居がかった口調でヴェレファルが言う。


「さあな……多分泣いてくれると思うよ」

『案外、死なずに済んでよかった、と思うかもしれませんよ。人間はそんなものです。

どうですか?ライエル。最後の機会を与えましょう。死が目の前にあるこの時、気が変わりませんか?人のために死ぬなど愚かだと思いませんか?』


「どうかな………だが後悔はない。あいつが泣いてくれば満足だ」 

『私があなたを殺した後、テレーザも殺すかもしれませんよ。自ら命を捨ててテレーザを救おうとは思いませんか?』


「あいつは俺と一緒に死にたいと言ったからな……それもいいかもな」


 ヴェレファルがうんざりしたように首を振った。


『互いを想い合う同士だから楽しめると思ったのに……二人とも死を恐れない異常者とは、まったく興醒めでした』


 ヴェレファルが剣を振り上げる。紫色に光る剣が勿体ぶるように高く掲げられた。

 ……時間稼ぎはこれが限界だな。


「ああ、待ってくれ。死ぬ前に……一言いいか?」


 そう言うと、ヴェレファルが剣を振り上げたままで止めた。


「命乞いにはもう遅いですが……聞いてあげましょう」

「ありがとう……と言っておきたくてね」


 ヴェレファルが首を傾げた。


「……なんですって?」

「下らない口上を並べてくれたおかげで、稼ぐ時間が少し減ったよ。

風司の13番【風よ、撚糸となりてかのものを囚えよ。狭き回廊の先、雲の上に届く細き尖塔の頂にある小さき鳥籠に】」


 竜巻のような風がヴェレファルの周りに浮かんだ。それが絞り上げるように絡みつく。

 翼を広げて破ろうとするが、帯のような風が次々とヴェレファルを捉えた。



「これは?」

 

 ヴェレファルが剣を振り上げようとしたのが見えたが、四方から飛んだ風が球のようにヴェレファルを押しつぶした。

 羽根が折れて、風の音と硬いものが拉げる音が木霊のように響く。


 これが最後の切り札だ。

 今までの斬撃も何もかも囮。捕縛する風の最上位。最後の時間稼ぎはこれだ。


 刀を握って意識を集中する。

 うごめくヴェレファルを繭のような風が押し返すように包み込んだ。

 ふつうの魔獣なら風で押しつぶせるくらいの威力はあるんだが、こいつにはそれは無理だ。

 だが、動きを止めることはできる。


「なぜ今更こんなものを」

「最初に見せたなら警戒しただろ?本当の切り札は最後まで取っておくのさ」


 俺の風の斬撃が効かないからこそ、俺の無駄な足掻きを楽しんでいたのは途中から分かっていた。

 だからこそこれを温存した。動きを止めることに特化したこれが、詠唱の最後の一節のための時間を稼ぐ技だ。


「『栄光の歴史も、恋人たちの想いも、戦士のいさおしも、よきものもあしきものも、緑なす平原も、青く澄んだ湖沼も、等しく塵となって失われるであろう。遺されるは……』」


 テレーザの詠唱が進む。 雲が吹き散らされるように消えて、空高くに巨大な魔法陣が浮かんだ。

 いくつもの魔法陣が層のように展開して、魔法陣の中央にオレンジ色の光が集まる。

 今までの経験で分かる。詠唱が終わるまであとわずかだ。


「小賢しい真似を!!」

「お前等より弱いからこそこっちは頭を使うのさ。 もしお前が魔獣なら、最初から全力で来て俺達はとっくに死んでるだろうよ」


 風の檻と金属の翼がせめぎ合う。暗い金色に輝く羽根が舞い散った。

  

「冒険者の格言を教えてやるよ。

英雄の道は隘路を征くが如く険し、愚者の道は丘を下りるが如く易し、だ。敵を侮るような真似をする奴は愚者バカだぜ」


 軋るような音を立てて羽根がうごめいた。風を押しのけようとする力が膨れ上がる。

 全身の魔力を刀に集中した。風の塊がヴェレファルを押しつぶす。触媒がきしみを上げて意識が飛びかける。

 持ってもあと数秒だ。恐らく。


「『されど我らは此処にあった。故に今一度謳おう。

我らの愛と喜びを。欲望と哀しみを。為した善も悪も、その全てを。今宵滅びが来りて我ら悉く死するとも、この思いは幻にあらず』」


 足の傷の痛みももう感じない。風の音も聞こえない。

 自分の心臓の音と肺の痛み。遠くから詠唱の声だけが聞こえた。


 耳を貫くようなヴェレファルの声が聞こえて抵抗の力が強くなる。魔力を使い過ぎで頭が割れるように痛む。

 早く終われ。


「『のちの者たちに我が声が届くことを望む。我は語り部。これは終わる世界の物語』術式解放!」


 躊躇なく最後の一節をテレーザが唱えた。

 空に浮かんだ魔法陣に輝いて、もう一つの太陽のような光が生まれる。


「風よ!守れ!」


 最後の力で守るように風の断層を立てる。光の柱が天と地を結んだのが最後に辛うじて見えた。

 赤い光が視界を覆い尽くしてとてつもない轟音が響いた。

 風の断層を突き抜けて、火のような熱い熱風が吹きつける。

 踏ん張ろうと思ったが、まるで木の葉のように体が飛ぶのが分かった。



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