第105話 何かを乗り越えるために

 マヌエルが剣を薙ぎ払ってきた。

 刃がかみ合う瞬間に風を刀身に纏わせる。かろうじて切っ先が逸れた。

 後ろに飛んで間を開ける。


「ライエル!」


 テレーザの悲鳴のような声が聞こえた。


 疲労感が酷い。

 切り合いが始まってから恐らくさほど時間は経っていないが、途轍もなく長く戦っている気がする。

 

 向こうの武器は魔獣を倒すための前衛用の武器、こっちはただの鉄の剣だ。普通に受ければひとたまりもない。 

 今は風である程度威力を殺しているが、所詮小細工だ。

 こんなことをしていても、そう長くはもたない。


 ただ、かといって打破できる手が無い。

 もし前のままのような武器に振り回されていたマヌエルなら、触媒無しでも組み伏せるくらいは出来ただろうが。

 前が酷すぎたというのを差し引いても、明らかに強くなった。風の触媒無しでは厳しいと感じる程度には。


「どうした、オルランド公。逃げ回るばかりではないか」


 フェルナンがあざけるように笑うが、こっちはそれどころじゃない。

 マヌエルの動きに意識を集中する。


 ただ、絶対優位のはずのマヌエルが剣を交えているうちに醒めた感じの表情になっていた。

 最初は強引に押してきていたが、今は攻め込んできても突然下がって変な間を取ってくる。


 こっちの攻撃を誘っているのか、何か意図があるのかと思ったが、そう言うのでもなさそうだ。

 そもそもこの状況でそんなことをする意味があるとは思えないが。


 今は自然の風しか使えない。

 そして、触媒無しで風を使うのは、いわば息を止めて水に潜る感覚に近い。

 剣さばきにも影響が出るし、疲労も溜まる。それに、そもそも長くは維持できない。


 連続して押し込まれれば、受けに風が使えなくなって剣が折られる。

 それだけで詰みかねない状況だが……マヌエルは不思議とそうしてこない。

 こっちのことを知らないだけなのか、それとも警戒しているのか。


「マヌエル。あまりいたぶるのも良い趣味ではないぞ。そろそろ楽にしてやったらどうだ?」


 フェルナンが横から言う。

 苦々しい表情を一瞬浮かべてマヌエルが剣を構え直した。


 表情もだが、最初に比べて足さばきも太刀筋も明らかに雑になっている。

 疲れたという感じじゃない。舐めて手を抜いているって感じでもない。

 足でも挫いたかと思ったがそうでもなさそうだ。


 何を考えているのかわからんが、今はどうでもいい。付け入るスキだ 

 こっちから仕掛けるのは得策じゃない。このボロイ剣を盾で受け止められたらこっちの剣が多分折れる。

 それに攻撃してくるときが最大の隙ができる。


 チャンスは一度きりだ。マヌエルの様子を伺う。

 狙いは一歩目。呼吸を合わせることを意識してタイミングを伺う。

 二呼吸の間があってマヌエルが動いた。 


「風よ!」


 雑な踏み込みに合わせて足元に風を凪がせる。マヌエルが段差を踏み外したようにバランスを崩した。

 ここしか無い。剣をはじいてそのまま組み伏せてやる。


 踏み込もうとした途端に剣を握っていた手に焼けるような痛みが走った。剣が地面に落ちる。

 顔をあげたが、マヌエルはもう体勢を整えて距離を取っていた。

 

 手の甲を見ると赤い跡が残っていた。

 何が起きたのかと思ったが……周りを囲んでいる兵士の一人が表情を変えないままに革の鞭を一振りした。

 あんなものまで持っていたのか。

 

「触媒が無くてもそこまで風を操れるのか。流石だな、英雄オルランド公」


 フェルナンが嫌味な感じで手を叩いた。

 折角のチャンスだったが……もうこの手は使えないか。地面に転がった剣を拾い上げる。


「さあ、マヌエル。続けろ」


 フェルナンが言ってマヌエルが煩わしそうにフェルナンを一瞥して何かつぶやいた。

 それから俺の方を向く。

 悔しそうでもあり、不満げでもあり、形容しがたい表情を浮かべて唇をかんだのが見えた。


 すぐ切りかかってくるかと思ったが、自分の剣を見たまま動かない。

 何の意図があるのかはわからないが……助かった。とりあえず一息付ける。深呼吸して息を整えた。


 鉄の剣はもう刃こぼれだらけになっていた。

 もう大して持たないな。これがへし折れる前にどうにかしないとダメだ。


「マヌエル?どうした。さっさと終わらせてやればどうだ」

「そこのお前」


 しばらくの奇妙な沈黙の後で、マヌエルが突然周りを囲んでいる兵士を剣で指していった。

 俺の刀を持っている兵士だ。


「はい、マヌエル様」


 兵士が姿勢を正して応じる。


「こいつに……その刀を渡してやれ」



 一瞬何を言っているのかわからなかった。

 その兵士も何を言っているのかわからないという顔で首を傾げた。


「刀を返すんだ」

「何を言っている、マヌエル!」


 フェルナンがマヌエルに怒鳴ったが、それを無視してマヌエルが俺を見た。


「僕はあれから死ぬ思いで訓練してきた。実践にも何度も出た。すべてお前を倒すためだ。ねじ伏せるためだ……こんなことをするためじゃない」


 吐き出すようにマヌエルが言って刀を持った兵士の方に目をやる。


「刀を取れ。今のお前を殺しても意味はない。あの屈辱は晴れはしない。あの日の屈辱を乗り越えるためには……」

「何を言う!馬鹿者!渡すな」

「渡せ!」


「渡してはならん、命令だぞ!」

「渡すんだ!」


 フェルナンが怒鳴って、マヌエルが怒鳴り返す。 

 兵士が困ったようにマヌエルとフェルナンを交互に見るが。


「血迷ったのか!マヌエル。無駄な危険を……」

「黙ってくれ!父上!これは僕の戦いだ!」


 何度かのやり取りの後で一際大きな声でマヌエルが言って、フェルナンが気圧されたように後ずさった。


「渡せ!」


 マヌエルが兵士に強い口調で言って、弾かれたように兵士が刀をこっちに放り投げた。 

 石畳の上に刀が音を立てて転がる。マヌエルが拾えと言わんばかりに剣で刀を指した。


 刀を拾って抜く。

 風の魔力が共鳴するように体にしみてきた。漸く気分が落ち着く。


「誰も手を出すな、分かったか」


 マヌエルが言って周りの兵士たちが頷く


「あの日、僕が感じた屈辱を、今日こそ返してやる。思い知らせてやる」


 そう言ってマヌエルが剣を構え直した。


 ……俺に刀を返すことは、こいつには何の得もない。

 刀を返して全力の俺を簡単に倒せるとも思ってないだろう。が、あえてそうするのか。


 改めて目の前のマヌエルを見る。

 さっきの醒めた感じとは雰囲気が違う。

 あの時の団長の屋敷の庭で戦った時の緩んだ感じも全くない。


 敵意に満ちた、心底俺を憎んでるって感じの目だが、それでもなぜか、心地よかった。

 家名の矜持か、戦士の誇りか、男の意地か、どれだかわからないが。

 敬意を払うに値する相手になったな。


「今日こそ切り刻んでやる、下賤な冒険者め」


 二歩下がって間合いを取る。

 マヌエルが動くかと思ったが、盾を構えたまま動かない。

 刀を握り直して深呼吸した。


「敬意をもって全力で行くぞ」


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