第86話 海水浴なるもの

 海水浴、というものの名前くらいは聞いたことが有る。

 ただ、アルフェリズの近くの海は水温が低いうえに漁船や貨物船が行きかっているからあまり泳ぐのには向いていない。


 そもそも海水浴は貴族の遊びだ。

 普通の冒険者がわざわざ南まで来て海で泳ぐなんてことはしない。というよりそんな暇はない。

 

 ということで来てはみたものの何をしたらいいのかが分からない。

 波打ち際や海の方には何人かの姿が見える。

 泳いでいたり、足を波に触れさせたりという感じで楽しむようだが。


 周りを見ると、長椅子のようなものに寝そべって日向ぼっこしていたり、大きめの日除け傘の陰で飲み物を飲んでいたりという感じだ。

 何人か師団で見た顔がいるから、俺達以外にも出発前に骨休めに来ている奴は居ろうな。


「一杯如何ですか、騎士殿」

「ああ、ありがとう」


 ジュース売りが声を掛けてきたから一杯買ってみた。木のカップに入っていたジュースを飲む。

 ひんやりした口当たりで照り付ける太陽が暑い分、心地いい。

 初めて飲む濃厚な甘みと酸味、プチプチした果肉が入っていて飲んだことのない味だ。


 宿で借りて来た麻の薄手の服は風通しがいい。

 サンダル履きの足に温まった白い砂が触れる。サクサクとした感触だ。

 風が運んでくる潮の香りもアルフェリズとは全然違うな。


 しかし。

 人を誘っておいて、テレーザは何処にいるんだ。


「ライエル」


 ベンチに腰掛けて周りを見ていたらテレーザの声が掛かった。



 テレーザが浜辺の方から歩いてきた。


 ぴったりした黒い革鎧のようなものをつけている。

 普段は結い上げている銀色の長い髪は解かれていて水にぬれているから、いつもと大分雰囲気が違う。片眼鏡モノクルもない。

 

「お前は泳がないのか」

 

 水にぬれた髪を掻き上げてテレーザが並んだベンチに腰掛ける。


「いや、あんまりな……気が進まない」

「なぜだ?」


 テレーザが不思議そうな顔で聞いてくるが。


「冒険者なら分かるんだが、俺達は水にいい思い出がないんだよ」


 これはノルベルトや団長なら分かってくれるだろう。

 冒険者は魔獣討伐のために森とかを探索していると川を渡るときがある。


 だが川を渡るときは水が冷たいし装備も濡れる。水中では動きも制約されるし、川の両岸でパーティが分断される。

 万が一水の中にいるときに襲われたら圧倒的に不利だ。

 というわけで、冒険者は水の中というのは鬼門だ。


「此処なら襲われたりはしないぞ。一度試してみろ」

「ところで、その格好はなんだ?」


 金属鎧の下に切る下着のような、首から腰までをぴったり覆う黒い革鎧のようなものに、太ももの付け根までの短めのスリット入りのスカートのようなものがつけられている

 もちろん皮鎧とかではないんだろうが……見たことがないものだな。 


「水着と言ってな、水をはじく服だ。海水浴のときにはこれをつけるのだ」


 革とはまた違うんだろうか。たしかに水滴が黒い素材の表面で光っている。

 ぴったりしているのは水中での動きを妨げないためか。水の中では服が絡んで邪魔になるのは俺も知っている。

 しかし。

 

「……そんな恰好でいいのか?」


 水着がぴったり張り付いて体の線がむき出しだ。

 黒い水着に透けるような白い肌のコントラストが明るい太陽に映えている。

 つーか、なぜ俺の方が気を使わねばならんのだ。


「ここはそう言う場所だからな」


 こっちの気を知らずって感じで、テレーザがあまり気にしてない口調で言った。

 まあ確かに周りの男女も似たような恰好ではあるから気にしても仕方ないのかもしれない。


 ただ、こっちとしては水浴びの場にうっかり出くわしてしまったようで落ち着かんぞ。

 あまりにも堂々とされるとこっちが目のやり場に困る。

 アルフェリズで鎧を変えた時は抵抗ありそうだったが、気分の問題なのか。

 この辺の感覚は俺には分からんな。


 タオルで髪を拭いているテレーザを見た。

 近くで見ると肌がほんのり紅潮している。普段が白い分だけ、赤さが目立っていた。


 なだらかに形よく膨らんだ半球状の胸が細い体に合っている。

 華奢な腰のラインから伸びた長い足が何とも綺麗だ。

 白い砂にまみれた素足はなんか秘密の場所を見ているようで気恥ずかしい。

 

 しかし。

 普段は色気って感じではなく、どちらかというと落ち着いた感じで静謐な肖像画のような感じではあるんだが。

 こうしてみると健康的な女らしさを感じさせる。


 これはこいつにかぎった話じゃないが、一緒に戦う時間が長くなると男女というより戦友って感覚が強くなる。

 が、こいつも女の子なんだよな、当たり前なんだが。


 なんとなく見ていると視線が合う。

 テレーザが俺を見て、胸元を隠してそっぽを向いた。


「やっぱり……ダメ」 

 

「なんだ?」

「やっぱり見るな。あっちを向け、早く」


 突然険悪な口調でテレーザが言った


「早くあっち向いて」

 

 ……さっきまで気にしないと言っていたのに。

 仕方ないから視線を逸らす。


 周りを改めてみると、周りは水着姿ばかりだ。着てないのはむしろ俺以外の数人って感じだな。

 ここでは水着姿の方が当たり前らしい。


 男は半ズボンの様な感じで、女はテレーザと同じように上半身を覆う水着。

 誰も隠すそぶりも無いからやっぱりそういう場所なんだろう。


 不意に視界が暗くなった。

 肌に湿った布が触れる。タオルを掛けられたらしい。


「もういいぞ……周りを見ず私だけを見ろ」


 タオルを取るとテレーザが大きめのタオルで上半身をすっぽり覆っていた。

 ただ、すらりとした足がのぞいていて隠しきれてないが。見ていると睨まれたので目を逸らした。

 

「で……俺はどこを見ていればいいんだ?」

「空でも見ていろ」


 テレーザが素っ気なく言う。

 全く……仕方ないので座ったままで空を見上げた。

 広々とした鮮やかな青い空に真っ白い雲が浮かんでいて、雲の向こうから暑い太陽の光が照り付けている。


 温かさと海から流れてくる潮の香が心地いい。

 海水浴は貴族の娯楽というだけでなく、塩湯浴みとか言って体にもいいというが、なんとなく分かるな。


 風が静かに吹いて、見慣れない高い木の葉擦れの音が聞こえた。

 周りの声が遠くから聞こえる気がする。打ち寄せる波の音が気分がゆったりさせてくれる。


 時間がのどかに流れる感覚。

 環境が変わってすぐに戦ってばかりいた気がするから、こういう休みも悪くない。


「オードリーとメイも連れてきてやりたいな」

「うむ、いいではないか」


 普段の調子に戻ったテレーザの声が横から聞こえた。


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