彼女の生きた街。

無人

第1話 いつもの朝

 朝6時、目覚めた瞬間から、僕の気分は、暗く沈み始める。

 寝床の近くに置いてある、テレビのリモコンを手に取りテレビをつける。

 特に見たい訳では無いのに、目覚めると、無意識にテレビをつける。


 テレビを、ボーッと見ながら寝床の隣にあるテーブルに手を伸ばし、昨日の残りのコーヒーの入った、カップを手に取り冷めたコーヒーを啜る。


 テレビでは、若い女性アナウンサーが、芸能界や事件、事故の、ニュースを伝えている。

テレビからの情報に、興味が湧く訳でもなく、ただボーッと画面を見つめる。

 しばらくそうした後、重い身体を起こし、暗く沈んだ気分のまま、毎日の何かの儀式の様に、トイレとシャワーを済ませ、熱いコーヒーで、パンを流し込み、出勤の準備を終える。


 

 アパートのドア閉めカギを掛ける。

そこから僕の心は徐々に凍り始め、周りの風景が灰色に染まり始める。

 出勤途中で、出会う人々、街路樹、公園の樹木や草花でさえ、灰色で無機質な物質に変化する。


 このまま、何もかも捨てて、宛の無い旅にでも出てみようかと、よく考える。

 そんな思いが頭をよぎると、にわかに、辺りの風景が本来の鮮やかな色を取り戻し、心と身体が軽くなってゆく。


 しかし、現実は、翌日の上司の叱責や迷惑を掛ける同僚への後ろめたさから、実行出来る訳もなく、ため息をつく。

 その瞬間、冷たい一陣の風が、周囲を、また元の灰色に塗り潰してしまう。

 

 最寄りの駅で、灰色で無表情な人の群れにまぎれ、灰色の鉄の箱に詰め込まれ、会社のオフィスが入ったビルにたどり着く頃には、僕の凍った心は全身を氷の鎧で覆ってしまっている。


 職場に近づくとガヤガヤと同僚達や上司の雑談している声が聞こえて来る。

 ドアを開け中に入る、何人かの同僚がこちらにチラッと顔を向ける。

 入ってきた人間が、僕だと気づくと、何事もなかったかな様に、お喋りを再開する。


 そんな同僚達の間を、誰とも挨拶をかわす事もなく、縫う様に進み自分のデスクにたどり着くと、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。


 僕とは、仕事以外の事は、話さない同僚達。

 入社して間もない頃は、よく話し掛けて来てくれた。 

 だが、他人とのコミュニケーションが苦手な僕は、話し掛けられると緊張してしまい、表情が強張り、会話を長く続ける事が出来なかった。 

 

 そんな感じだから徐々に、話し掛けられる事も無くなっていった。

 他人とのコミュニケーションが苦手な僕は、同僚達の態度を、それほど気にしてはいない。

 自分に原因があり、心のどこかで、望んでいた状況でもあるからだ。


 問題は上司の佐々木だ、年は2つしか違わないのに、仕事が出来、明朗闊達、会社からの信任も厚い、僕と上司は正に光と影、真逆の人間だ。

 

 上司は高卒らしい、入社して間もない頃に参加した飲み会で他の同僚と話している時に自分で話しているのが聞こえてきた。出来る人間には、学歴など関係無いらしい。


 初対面から直感で、反りが合わないと感じた。他の同僚達とは、時おり談笑しているが、僕には、一度も笑顔を見せた事が無い。

 仕事に関しては誰に対しても厳しい。

しかし僕に対しては、理不尽なくらい厳しい。


 同僚と僕が同じ様なミスをやらかしても同僚は軽い叱責程度で済むのが、僕の場合は罵倒される、初めの頃は、余りの理不尽さに、僕にしては珍しく、何度か反論した事もある。

 

 しかし、ことごとく論破され、揚げ句、職場内全体に、響き渡る位の大きな声で、罵倒された。

 今では反論も出来ず、そう言う時は、氷の鎧を更に厚くし、ただ罵倒の嵐が過ぎるのを待つだけだ。


 就職難の時代に、ブラックだが、やっと見つけた会社。毎日午後9時迄の残業、仕事以外の事は話さない同僚や怖い上司に、気を使い。

 デスクにかじりつき、早く終業時間が来るのを祈りながら、ただ黙々と仕事をこなす日々。


 

 

 たった一度しか無い、人生の貴重な自分の時間。

 その貴重な、一日の大半の時間を犠牲にし、ただ生きる為だけに働く。


 

 

 僕の名前は、森野賢治、社会人二年目の二六歳。

 対人関係が苦手なゲームオタク、もちろん彼女は居ない。


 昔っからこんな性格だった訳じゃない。 これでも小学生の頃は、活発で大勢の友達を引き連れ、外で遊ぶのが好きなガキ大将的な、わりと腕白な子供だった。 

 

 それが中学、高校と進むにつれ友達が減って行き大学に入る頃には友人と呼べる奴が一人も居なくなっていた。

その原因は小学生の高学年辺りから始めたオンラインのVRゲームだ。


 ゲームにハマリだすと、外に遊びに行くことも少なくなり、VRの仮想空間に入り浸り、必然的に友達と遊ぶ機会も減っていった。

 年々進化をとげるVRゲームに、元々ハマリ安い性格の僕は、どんどんのめり込む。


 思春期になっても、外見に気を使わず十代の若者の持っている、青春の輝きに必要なエネルギーの、殆んどをゲームに注ぎ込み、殆んどVRゲームの仮想空間の中で生きている様なものだった。

 高校を卒業する頃には、立派に対人関係が苦手な、ゲームオタクが出来上がっていた。


  そんなゲームオタクの僕でも、大学に入り、ゲーム熱も覚め始め、自分の周囲が見えて来ると、友人や彼女と言う存在が今さらながらに欲しくなった。

 

 親友は居るにはいた、顔も名前も知らないオンラインの仮想空間の中だけの親友。

 

 そいつと出会ったのは、中学3年の頃だった。

 僕はその頃、対戦型のオンラインゲームにハマっており、そのゲームの中で、モリジーと言う名前で暴れ回り、殆んど無敵だった。

 

 かなり天狗に成っていて、相手を挑発し、バカにし、暴言を吐いて、ボコボコにしていた、かなり嫌な奴だった。

 

 そんな僕の鼻を折ってくれたのが、そいつだった、そいつはヒーロー的な物に憧れているらしく、名前がヒィロでアバターがマッチョなヒーローの様なキャラだった。

 

 いつもの様に挑発しバカにし暴言を吐いた。

 しかし、そいつが挑発に乗る事は無く冷静に返され、初対決はあっさり負けてしまった。

 僕は悔しくて何度もそいつに挑戦したが結果は同じだった。

 そいつは、しつこく挑み続ける僕に嫌がる事も無く付き合ってくれた。

 

 何とか互角に戦える様になった頃には僕の相手を挑発したり、バカにする言動は無くなっていた。

 

 いつの間にかボイスチャットでやり取りする様になり、同い年でお互い友人も居ないゲームオタクだと分かった。

 それからは、好きなゲームの話をしたり、進路や将来、悩み事の相談なんかも出来る唯一の親友になっていた。

 

 そのうち僕のアバターの孫悟空の様なチビキャラと、ヒィロの某ヒーローの様なデカキャラで、デコボコ、コンビを組んで、チーム対戦型のオンラインゲームで暴れ回った。

 

 二人はいつの頃からか戦いに勝利すると胸を張り拳を突き上げその拳で二度胸を叩くポーズを取るように成った。

 

 大会などにも二人で出場し殆んど負け知らず、勝利するたびに例のポーズで喜びを分かち合った。

 そうする事で今まで孤独で感じた事が無かった連帯感みたいな物を感じられた。

 

 その親友とも大学に進学し、お互いにゲームから足が遠のき始め、疎遠に成っていった。

 

 


 

 友人はいずれ気が合う奴がいれば程度にしか考えていなかったが。 

 彼女はどうしても作りたかった、大学在学中の残り少ない青春時代が終わる前に。

 

 それからは、積極的に合コンなどに参加した。ところが、今まで、まともに女の子と、話した事が無い僕は、女の子を前にすると、緊張し何を話して良いのか分からず、話す事と言えばゲームの事を熱く一方的に話すだけ。

 

 結局、10代の殆んどをゲームの仮想空間で過ごし、対人スキルを磨かず、他人とまともにコミュニケーションすら取れない僕に、彼女など出来るはずも無かった。

 これで僕の、寂しい青春時代が約束された。結局、親友と呼べる程の友人も出来ないまま、僕の青春は、幕を閉じる事になる。 


 それでも、その頃までは、まだ将来に希望を持っていた。

 何の根拠も無く、時が来れば全てが好転すると、良い会社に就職し、いずれは彼女も、などと。



 何の努力せず。



 社会人二年目の今現在は、しっかり現実に打ちのめされ、夢も希望も無くただアパートと会社を往復する日々。

 

 人間らしい心が徐々に麻痺し、何を食べても、何を観ても、何を聴いても、何も感じ無くなって来ている。

感情を爆発させたいと、訴えていた心の声も、聞こえて来なくなっていた。

 

 生きているのか、死んでいるのか、解らない。

生と死の境が曖昧になり、死に対する恐怖心も無くなりつつある。

確実に死との距離を縮める、まさに生きる屍、それが今の僕だ。

 

 大学に入った頃から、やらなくなっていたゲームを再開し、今では仮想空間だけが自分の居場所になっていた。 








 







 


 

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