第14話 「 異種間コミュニケーション 」
その日、ルチル・ハーバーグとアニール・クッキーは散歩をしていた。
いや、正確に言えば、マルフサという葡萄に似た果樹園でルチルがアニールを手伝って、ちょうど仕事が一区切りしたタイミングで少し遅めのお昼を食べようと、場所を探している最中だった。果樹園周りから足を延ばして森の中へ。そして今は広い川の横を歩いている。バシャンッ、バシャンッと空に響くのは同じ川で例の三人組がつるはしを振るっているからだ。
「何だろう。今日は場所に迷う。どうしてだろうね」
アニールは顎に指をあてて隣を歩くルチルに尋ねる。もちろん、会話はない。だって子牛だ。おしゃべりできる相手じゃない。おなかすいたねと言ったところで、モーとしか返ってこないなんて十分に分かっている。
にも拘らず。
アニールはルチルに、隣にいる真っ白な子牛にしゃべりかけていた。
「でも、本当に驚いたよ。疑っていたわけじゃないけど、本当に白いヤクの子供なんて。君のおかげで、あの時、マルコったら怪我しちゃったんだからね」
事実、アニールは子牛とおしゃべりがしたいわけじゃない。子供が人形に話しかけることと大差ないものだ。
けれど。
ルチルにとってはそうではない。
だって、もともとを考えれば同年代の女の子と一緒にランチを取ろうというだけだ。しゃべりかけられれば返事をするし、あの時と言われて何を指しているのか察してしまえば申し訳ない気持ちだって湧いてしまう。それが相手に「モー」としか伝わらなくても謝ってしまうのだ。
『ごめんなさい……あの時はパニックになっちゃって』
そして、そういった気落ちというものは相手が子牛であっても伝わるもので、アニールを僅か慌てさせるのだった。
「ああ、違うの。別に君を責めてるわけじゃなくて。だからそんなに落ち込んだ顔しないで」
アニールは隣を歩くルチルの頭を優しくなでて、大きく膨らんだ肩掛け鞄の位置を直した。表情が柔らかいのは実際、言葉の通りだからだろう。
「本当は、ね……君が牧場に来てくれて助かってるって言うか、嬉しいていうか」
『嬉しい?』
「去年の暮れにね、落石事故があったの。その事故で私の親もマルコの両親も、ううん、村の人も多くが亡くなってしまったんだ。一時期それはもう辛くって、悲しくって。村全体がどんよりしちゃって。村一つが涙で押し流されちゃうかと思うくらい」
『……、』
「けど、いつまでもそうしていられないでしょう? 死んじゃったみんなに胸を張れるように、二ペソは大丈夫だよって言えるように、みんなが頑張った。もちろん、マルコも沢山、歯を食いしばってくれた。それからかな、マルコちょっと頑張り過ぎちゃうようになって。お父さんやお母さんに追いつかなくっちゃ、安心させなくっちゃ、って」
『あの子にそんな……ううん、二ペソの村一つに、そんなにもつらいことが……』
「でもね! 君が来てマルコは変わり始めてるんだよ。ほら、君は毎朝、荷車引きを手伝ってくれているでしょう? ちょっと前のマルコなら「自分でできることは全部やります!」って勢い込んで、人の手を借りることも、ミイ姉さんの力を借りることもなかったから。本当に、ありがとうね」
そう言われて、ルチルはここ数日のことを青空に目を向けて思い返してみる。――しかし。
『駄目だ。マルコ君のことを思い出そうとしても、服を剥がれたときのことのインパクトが強すぎて……それに、山ヌシ様から教えてもらった『良いこと』って何だろうってことで頭が一杯だったから。思い出せないや』
フモー、と。弾息のようなものが鼻から出て行った。
そのルチルの反応をどう受け取ったのか、アニールは二度ほど深く頷いて見せる。
「でしょう? 君がそう思うのも無理はないよ。マルコは何でも一人でやろうとし過ぎなんだ。きっと、ミイ姉さんだって私たちと同じ気持ちのはずだよ!」
『まあ、確かにミルク姉さんの気遣いは、あの美少年に向いているかな。自分が牛だから深く突っ込んだことはしないって決めているみたいだけど』
「でしょう!? ま、まあ、ミイ姉さんもって所は言い過ぎかもしれないけど、でも、村のみんなや私だっているのに、ううん、私は待っているのに! どうしてマルコは……! そりゃあ、一人で何でもできることに越したことはないよ。けどさ、でもだよ! 私は、もっとこう、マルコにほら、あるじゃない!? もう、マルコのおたんこなす!」
顔をルチルの鼻先に知被けるアニールは、何だかエキサイトしていた。怒っているのか、心配しているのか。それは判断つかないけれど。それでも、子牛のルチルは少女のルチル。知り合って少しではあるけれど、アニールの言葉に感じ取れるものはあった。
『いいなぁ。ほんと、羨ましいなぁ』
モフフンと笑って、ルチルは再び歩き出したアニールの尻に自分の尻をトンと当てる。その意味に頬を赤らめるアニールは「ちょっとー、なによもーぅ!」と照れ隠し、にやにやと表情を崩すルチルは『なんでもなーい』としっぽを振った。
「べ、別にそんなんじゃないんだからね! ちがうんだからー!」、とかなんとか。
はたから見れば白い子牛と女の子がじゃれ合っている牧歌的光景に過ぎずとも、しかしそれは、けれど確かに女の子同士の会話だった。姿の違いを飛び越えて、二人は確かにおしゃべりをしていた。だから笑いあえる。子牛とヒトとで。楽しそうに。
それからしばらく。
河原を進む二人は昼食をとるだけのつもりが、ずいぶんと歩いていた。視界の先には弧を描いた川と絶壁とは言えないけれど決して丘とも言えない壁が、その先の景色をふさいでいる。
「っと、この先のカーブを越えたらあの三人組がいる場所か……」
『あの三人って?』
ルチルはアニールに向かって首をかしげて見せた。
「ん、気になる? 少し前、そうだ、君がマルコの牧場に来た日に三人組を見たんだよ。冒険家見たいな格好で、つるはしを持った人たちっだった。なんだろ……不思議な? 面白い? 人たちだったよ。背の高い人と低い人。それと、コロネパンの人。ほら、さっきまで聞こえてたでしょ、バシャンバシャンって水の音。あれたぶん、三人して川底に穴開けてる音だよ」
そう言って少し笑みを漏らすアニール。ハッとした様子で口を押え、恥じ入るようにっ肩を竦めた。
「いま笑ったことは内緒にしてね」
それからアニールは周囲を見回した。石が多く転がる河原。そのうちに腰を下ろせる場所を見つけると「あそこでお弁当食べようか」と、指をさし移動する。広く平らな石に腰かけて弁当を広げれば、ちょっとしたピクニックの様相になった。
『わーい、おいしそう!』と広げられるサンドイッチとミイ姉さんのミルクに目を輝かせるルチル。大きく膨らんだ鞄から次々に出てくるものをテーブル代わりの石に並べ終えたアニールは、腰に手を当てて満足げだ。
「さあて、いただきましょう。君の分もいっぱい用意してあるから、たくさん食べて早く大きくなるんだよ。そして早く私と一緒にマルコの役に立てるようにならなくちゃね!」
――な、なーんて、冗談だよ、冗談! と言いたしちゃう女の子アニールはアハハと笑うのだった。
タイミングとしては。
この時だった。
離れた場所。
目に映らない位置から。
バッシャーンッ! と。
何かが水に飛び込んだようなひと際大きい音が二人の耳に届いたのは。
けれど、食事の手を止めるほどのことではなかった。特にアニールは、あの三人組が近くに居ることを知っていて、ふざけているのだろうと思った。
でも。
それから数分もしないうちに、二人の動きは止まった。
その場所は川。
揺れるのは帽子。
探検家然としたピスヘルメット。
背中に氷柱でも突っ込まれた様な強烈な寒気。危機感が二人を襲った。
(こんなに流れの緩い川で、帽子が流されてきた……?)
ルチルの思考が痺れる。
もし帽子が人の手を離れたからといって、拾いに行けないほどの急流ではない。
(それに、聞こえない……っ!)
飛び込んだのなら、続く音が聞こえなければおかしい。
だから二人は立ち上がっていた。
足場の悪い河原をそれでも出来るだけ早く足を出し、弧を描いた川の向こう側へと向かっていく。
そして、その先で見えたものに。
ルチルの叫びがこだました。
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