第13話 「 無理強いすれば無理は祟る 」

 痺れるが適当なのか。それとも、神経の鈍麻が正確なのか。しかし、それは疲れたとは感じない、感覚の外側の知覚だった。肉体に溜まる疲労。腿や腕は痙攣したように震え、肩や腰は鋭く痛い。危険信号だった。体からのSOSだった。――もう無理だ。休ませてくれ。このままじゃ崩壊してしまう! 肉体の叫びがそれらになって訴え続ける。


 だが、そうであっても。

 時に人は、それらをねじ伏せてしまえるほどの力を発揮してしまえる。


 痛みも、震えも、吐き出しそうになる胃液も飲み込んで、根性の一言での行動――いいや、根性というどちらかと言えば自身の意志からくる原動力とは違う、「やらなければいけない」という強迫観念からの焦燥感に突き動かされた愚行。


 つるはしを振り上げ、振り下ろすカルネの眼には狂気が色濃く表れていた。人の臓腑を貪り食う悪魔のような形相になっていた。


 何度も、何度も、何度も。

 何度も、何度も、何度も。

 何度も、何度も、何度も。

 何度も、何度も、何度も。

 何度も、何度も、何度も。

 つるはしを振るい、笊で川底を浚う。


 何度も、何度も、何度も。

 何度も、何度も、何度も。

 何度も、何度も、何度も。

 何度も、何度も、何度も。

 何度も、何度も、何度も。

 目を皿のようにして、掬った泥の中を見つめる。


 でも、それは見つけることが出来ない。

「……ッッッ!」


 バシャンッ、と水面を叩き奥歯を噛みしめた。

「畜生め……アタイには時間がないんだよっ」

 同じ行動を幾度も幾度も繰り返すうちに独り言が出るようになった。抑えきれない感情に押されるように漏れる言葉はどろりと汚い。ふと気づけば川から出た二人の姿が見当たらず、どうしようもなく苛立ちが心を埋めていく。だから余計に。

「ふん、どうせそんなもんさ。あの二人には関係のないことだからね!」


 それでも体は行動を繰り返す。つるはしを振り上げて、乱暴に振り下ろされる。

「アタイの故郷だ。アタイが何とかするなんて当り前さね。故郷の人間でもない連中の、それもチビとノッポなんか必要なんてあるもんかよ!」


 つるはし握る手のタコがつぶれても、疲労に乾いた唇が裂けても、体を止める理由にはならない。


「だいたい、ここにあるはずのものを見つけたとき、あいつらに奪われちまう可能性だってあるんだ。そうさ、いくら二人とも数年来の長い付き合いだからって、もとをただせばアタイの故郷にふらりと現れただけのよそ者さ! そんな連中がどうしてアタイを裏切らないはずがあるってんだ。長い旅路を一緒に苦労してくれたからって、探し物を見つけたら、あんな奴ら……あんな、やつら……」


 そのとき、脳裏に駆ける今までの旅の光景。

 三人だけに伝わる記憶がそれを否定する。

 本当に、あの二人はそんなことを考える連中だったか、と。


 振り上げた腕は振り下ろされずに力が抜ける。ゆったりと流れる川に自分が映り込み、その呆れるほどにひどい顔が胸を抉る。年という単位をいくつも折り重ねて出来上がった絆は太くて強くて、なにより濃いはずだろうと、思い出が声を上げる。


(アタイは、なにを……)

 そう思った瞬間――カクン、と。


 膝が折れ、重心が崩れた。溜まりに溜まった疲労と、振り上げたままだったつるはし。安定しない川底の石と泥がカルネの足を取る。

(あ……)


 その時にはもう、どうしようもないほどカルネは水面に向かって倒れ込んでいた。


 バッシャーンッ! と大きな水飛沫が上がり、咄嗟に目をつむって息を止める。つるはしの上に倒れなかったのはただの幸運だが、かぶっていた帽子は流され、腰に下げていた笊が嫌な音を上げたのを耳ではなく体で聞いた。

(くっ、何やってんだろうねぇ、アタイは……!)


 水の中に倒れ込んだ割には落ち着いているカルネ。ここが浅い川だと知っていればこそ、慌てる必要がない事を理解しているのだ。水面から底まで深い場所であっても膝上ほどだ。万一転んだとしても、両手をついて体を持ち上げれば水面から顔が出る。どれだけ浅くとも危険がない事はないが、流れも穏やかなこの川で溺れるなんてそう起こるものではない――と。カルネは、そう思っていた。そしてそれは本当のことだ。休日、この川で遊ぶ多くのニペソの子供たちであっても水の事故など何十年も起こっていないのだから。


 だが、条件が重なれば結果はひっくり返る。

 静かな川は牙をむく。


(!? なんだい、こりゃあ!)

 ため息をつくように川底に手をついて起き上がろうとしたカルネの体は、一向に持ち上がることはなかった。

 どんなに頑張っても、踏ん張っても、両手両足をついて体を持ち上げようとしても、水面より上にいけない。水という檻に閉じ込められた感覚。


(水の中なら体は動く! なのに、水の上に体を持ち上げようとすると何かが圧し掛かってくるようだよ!)


 仄暗い水底に引き込まれるような感覚ではない。透き通った視界に映る水の流れは陽を通して輝いている。何一つ恐怖を感じる要素などない環境も、精神的な油断を誘う一つになっていたのかもしれない。だからこの状況になってようやくカルネは焦りを覚えた。歯を食いしばり、全力で体を持ち上げようとしても悉く失敗に終わる。つるはしを振るっていた時には何でもなかった水の流れが、緩やかに、しかし万力の金具を締めるように着実に下流へと体を押し流す。


(このっ! 動け……動くんだよ! アタイの身体あぁ!)

 手足を突っ張り、身体を持ち上げる――子供でもできるたったそれだけのことが出来ない。腕が、足が、全身の筋肉が痛みと震えを発して力を入れようにも入れられない。そもそもいくら緩やかといっても流れがある川の中で、今のカルネじゃ手足を突っ張ることすら難しい。


 ハンガーノック。

 ここが極限まで酷使した肉体の限界だった。

 大の男でさえつるはしを一日振り回していたら疲れは溜まる。それを日々の仕事としている人間でさえ、全身に蓄積される疲労は著しく肉体機能を低下させてしまう。だからこそそういったものに従事する人たちは日に何度も休息を入れ、しっかりとした食事をとって、必ずきちんと睡眠をとる。肉体を回復させる。


 だが、カルネはそれを怠った。

 マメやキノコが言うように、カルネがこの場所に辿り着くまで長い時間を必要としたのだろう。多くの努力が必要だったのだろう。ならば、誕生日前日に翌朝のプレゼントに期待して興奮するように、この場にあるかもしれない探し物を探さずに休憩することが出来なかった気持ちも理解はできる。けれど、そうであればこそ。浅い川であっても油断するべきではなかった。


(くそっ、くそっ、くそったれ、め……!)

 十秒、二十秒と時間が経ち、焦ることが出来ていた意識も白く濁っていく。体を起こそうとする意志さえ霧がかった闇に飲まれ始め、もがくことも出来なくなっていく。


(服が重い……感覚が鈍い……ああ。皮肉なもんだよ、欲しいもんを一生懸命探した末路がこれじゃあ締まらない。こんな事なら、二人の言う通り休んでやっても、よかったのにねぇ……)


 自分の目玉が濁りガラスにでもなったような感覚の中、大きく息が抜けた。ゆったりした流れの中に気泡が散り、一メートルもない川底に沈んでいく。意識を保とうとする意志がある一点を過ぎて急速に遠のき、全身から力が抜けていった。


(ほんとう、何を……なにを、やってんだか……)


 死ぬ。その間際。

 それは自覚のない闇を見るような不思議をカルネに味合わせる。気絶にも似たそれは川の中にいるにもかかわらず温かみさえ感じさせていた。


(これが……死ぬって、ことかぃ……)

 ――だが。


 響く。

 死という圧倒的な運命を拒絶する叫びが。

 場に轟く。


『だめぇぇえええええええええええええええええええええええええええっ!』


 人の言葉として届かない言葉。

 胸に痛みが走るような足音。

 それを最後に、カルネの意識は完全に闇に沈んだ――。

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