フィンガー・リトル・キス
水城しほ
フィンガー・リトル・キス ①
五年ぶりに彼と会った時も、私はひとりぼっちだった。
いつも「孤独」を消してくれる指先が、そっと私の背中に触れた。
私みたいな女でも、恋をして、いいですか。
◆
試験明けに短大の友達と集まって遊んでいた時、一番仲の良いマユリがふわふわした声で「今度は
私の地元である
駅前広場に特設ステージが作られ、駅周辺の道路は歩行者天国になって、所狭しと露店が並び、近隣の協賛店舗が店頭でワゴンセールをしていたりする。土曜と日曜の二日間、町をあげてのお祭りだ。
友達はみんな別の予定があると言い、結局マユリと二人になったので、悪ノリで「一緒に屋台グルメを全制覇、その後は朝までアニソン縛りカラオケ」という豪快な約束をした。マユリとはすこぶる趣味が合うので、楽しくなりそうだ。
ウキウキしながら迎えた土曜日、自力で浴衣を着付けて、髪もアップにして、約束通りの十八時に駅の改札へマユリを迎えに行った。
浴衣姿のマユリの隣には、知らない男の子が立っていた。
背が高くて、金に近い茶髪で、耳にはボルト型のピアス。甚平姿のその人は、お嬢様タイプのマユリとはミスマッチに見えた。私がケチをつけるようなことでもないし、はじめましてと声をかけたら、いきなり渋い顔をされた。
「カナメちゃん、村松くんだよ!」
マユリに言われて、ようやく誰なのかがわかった。かなり雰囲気が変わってしまっているけれど、村松くんは中学時代の同級生だ。
地元の顔役的な家に生まれた私は、教師に気を遣われていたせいで、あまりクラスに馴染めずにいた。頼れる友達がいない私に向かって、村松くんはよく悪態を吐いていたものだ。
そんな事情を知らないであろうマユリは、いつものようにふんわりと笑っている。
「同じ中学だったんだよね?」
「あ……うん、そう。久しぶり」
「どうも」
村松くんは、視線を合わせないまま会釈をした。機嫌が良いようには見えないけれど、さすがに悪態を吐く事はなかった。
マユリに気に入られたいんだろうな、と思う。
正直、彼と一緒だなんてこの上なく不快だけれど、あれから改心している可能性もゼロではないし、マユリにとっては良い人なのかもしれない。
そもそも、二人がどう言う関係なのかもわからない。
余計な口は挟むまいと、半ばボランティア気分で一緒に歩いてみたけれど、楽しくお喋りなどできるわけがなかった。それは村松くんも同じみたいで、マユリが一人でご機嫌なだけだ。
どうやら二人はバイト先のコンビニで知り合ったらしく、次第に会話はバイトの話になり、マユリが村松くんの仕事ぶりを褒め称え始めた。
困ったような顔で「そんなことないよ」と謙遜を繰り返す村松くんが、何だかすごく不快だった。
いったいマユリは、どんなつもりで私をこの場に呼んだんだろう。気まずいし、面白くもないし、無意味に古傷を抉られ続けている。
好きなひとを誘いたかったのなら、頑張って一人で誘えばいいのに。
せめて先に事情を説明してくれていたら、割り切って接する事もできたのに。
何となく買ったレインボーわたあめを食べながら、仲良く喋る二人を眺めていた私は、とうとう我慢の限界を迎えてしまった。
「悪いんだけど、帰るね」
「えっ? カナメちゃん、でもっ」
「理由はその人がわかってると思う、ごめん」
困惑するマユリを振り切って、私は人波にまぎれた。これだから友達と長続きしないんだよな……と自分を責めながら、少しずつ歩調を速めてゆく。
今年新調したばかりの下駄が
泣いているマユリと、それを慰める村松くんが脳内に浮かび上がって、なんだか空しい気分になる。
もう二度と、マユリが誘ってくれることはないんだろうな。
あの子と離れるのは寂しいけど、村松くんだけは、どうしても無理だ。
大丈夫。おひとりさまには慣れている。
賑やかな駅前通りを、たった一人でわたあめを食べながら歩いていると、急に背中をポンと叩かれた。まさかマユリたちじゃないよねと、おそるおそる振り返ってみれば、そこにいたのは懐かしい人だった。
「お前、一人で何してんの」
「あっ……
これまた中三の時に同じクラスだった田端くんが、呆れたような顔で私を見ていた。さすが地元のお祭りだ、石を投げれば同級生に当たる。
中学の頃の田端くんは、成績優秀でスポーツ万能、くっきり二重にサラサラ栗毛のイケメンという、スペックだけなら少女マンガの王子様を抜き出したような人だった。ただし性格は王子様なんてキャラじゃなく、自分より格下だと認定した相手には、どこまでも冷たくできる人だ。
あの頃より少し大人びた彼は、村松くんのようにイメージが変わることもなく、今も綺麗な人のままだ。このくらい顔立ちが整ってるなら、もっとお洒落してても良さそうなのに、無印あたりで売ってそうなボーダーのカットソーにチノパン、ボディバッグ。意外と普通で逆に驚く。
昔からこの人は、自分を過分に良く見せようなんて思っていない。いつだって
この人は、クラスに友達を作れなかった私が、一人にならないようにしてくれていた。
それは隙あらば私の背中を叩くという、まるで好きな子イジメみたいな方法だったし、余計に孤立する原因にもなったのだけど……それでもあの頃の私は、確かに「孤独」から解放されていた。
そんな田端くんのことが、私は好きだった。もし彼の顔が綺麗じゃなくても、私より成績が悪くても、その気持ちに変化があるとは思えなかった。
だけど周囲の視線が怖くて、そして迷惑をかけてしまう事に怯えて、私の想いは伝えることすらできなかった。
私なんかが好きになっていい人じゃなかった。
別々の高校に進学してそれっきりだったし、声をかけてくること自体が意外だった。
「もう暗いのに、こんなとこ一人でウロウロしてんなよ」
「そっちだって一人じゃん」
「俺は用事の帰りに通りかかっただけ。そもそも浴衣着てる女子と一緒にするなよ、変なのに絡まれても知らねーぞ」
いちおう私を心配してくれたのか、さりげなく周囲を見回している。
ちょっとヤンチャっぽい集団が盛り上がっているのが見えて、彼はその集団を避けるように、人のいない路地の方へと、私の背中を押した。
彼の手が背中に触れるのも、五年ぶりだ。
「で、何してんの? まさか迷子じゃないよな?」
「えーと……」
私は何をしているんだろう、こちらが教えて欲しいくらいだった。どうして私はこんなところで、ひとりぼっちで、巨大レインボーわたあめなんか齧ってるんだろう?
「……友達カップルを、二人きりにしてきた」
共通の知り合いが絡む以上、細かい事情を説明するのは憚られて、それだけを言った。
昔の田端くんと村松くんは仲が良かったけれど、今の二人がどうなのかは知らない。付き合いが続いているのなら、あとで村松くんから話を聞くかもしれないけれど、別にそれならそれでもよかった。
「ふーん、そう」
田端くんの返事はそっけないけど、適当に聞き流しているわけじゃない。それを証明するように、田端くんは私の顔を見て笑い出した。
「くははっ、だからって一人で巨大わたあめ食ってんのかよ。ぼっち満喫してんじゃん」
「せっかくだし、お祭り楽しんで帰ろうかなって……」
「おっ、無駄に前向き。それ、俺にも分けて」
わたあめの棒を握っていた私の右手を、田端くんが両手でがっちりと掴んだ。
十五センチくらい身長差がある私たち。私の唇の前に固定された巨大わたあめ。彼は意味ありげに笑うと、目を細めてわたあめに齧り付いた。
まるで、キスするみたいな角度だ。
絶対に狙ってやってる、完全にからかわれている。
負けてたまるかと、彼の存在を意識しないよう、私も反対側からわたあめを齧った。田端くんは「近いって」と笑ったけれど、一向に止める気配はなく、私の手もしっかり掴んだままだ。ふわふわで甘くてカラフルなわたあめが、意地の張り合いによって消費されていく。
鼻が触れ合うくらいの距離になったところで、棒ごと残りを彼に譲った。
そのまま唇が触れてしまっても、きっと田端くんには何でもない事なんだろうな……悔しい、完璧に私の負けだ。
「後は、どこ回る?」
「え?」
「気が済むまで付き合ってやろうかって、言ってんの」
田端くんは涼しげな顔で、指先についたわたあめの破片を舐めながら、言った。
こんな展開、困る。とっくに手放したはずの想いが、今頃になって溢れてしまいそうだ。
どうにもならないと、知っているのに。
傷付くだけだと、わかっているのに。
それでもせめて今日だけは、本当の気持ちを伝えたかった。
「じゃあ、付き合って……欲しい、な」
「お?」
素直に返事をしたのが意外だったのか、田端くんは目を丸くして驚き、そして照れ臭そうに笑った。
「よし、とことん付き合ってやるよ。何したい?」
「射的でアクキー取りたい! 好きなアニメのやつがあったんだよね~」
「射的ねぇ……取ってやろうか? お前、あーゆーの絶望的だろ?」
「うるさーい! 取って下さいお願いします!」
つい昔のノリで大声を出した私を見て、くははは、と田端くんが笑う。
「お前、本当に変わらないね。ちょっと羨ましいわ」
わたあめでベタベタしている私の指に、平気で自分の指を絡めてきた彼は、こちらを見ないまま「はぐれんなよ」と言った。
その指先が、すごく熱い。
昔、ずっと私の背中をノックし続けてくれていた指が、今日もまた孤独から救ってくれた。
教室の中でさえなければ、私たちはこんなにも近くにいたんだ――今はもう、誰に見られても構わなかった。
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