会癒笑子獲夢有路(ASMR)
明日波ヴェールヌイ
沼へようこそ
もう日が傾きかけの中、俺は画面に向かっていた。
「君のこと……私は大好きだよ?」
ヘッドホンから響く囁きの声が止まり、少し乱れた息を整える。そして、PCに映る美麗な少女の絵の前で俺は静かに目を開く。なんと心地よく昂らせる音だったのだろう。その余韻を楽しみつつ通話アプリの友達欄から沼に引き摺り込んできた友を選択、電話ボタンをタップする
トゥルルルルル…トゥルルルルル…トゥルルルルル…
三コール目にして出た友は笑いを含んだ声でこう言う。
「そろそろ終わると思った。今回のはどうだったよ?」
電話越しでも分かるが、奴は少し息が荒かった。俺と同じことをしていたのだろう。
「ストーリーは滅茶好み。もうちょっとお姉さんみたいな声ならなお良き。」
自分の素直な好みをぶつける。それが俺たちの界隈にいるオタクの流儀だ。
「あー……そう言うのあるかな……今度探しとくわ。」
この友は俺をとある沼に引き摺り込んだ。その沼こそASMRだ。ASMRとは本来、人が聴覚や視覚への刺激によって感じる、心地良い、脳がゾワゾワするなどといった反応・感覚のことを言う。と言っても俺たちが聞いているのは、動画再生サイトで女性の静止画一枚と声優らしき人々がシナリオを読む、いわゆる声で癒しと興奮を得ると言うものだ。
「にしても、この人のシリーズなかなか多いな……この動画はどうなん? ヤンデレ吸血鬼に愛され過ぎていて逃れられないのだが… ってやつ」
なんと言う会話をしているのだろう。他人が道端で聞いたらギョッとするような文字の羅列だ。しかし、こう言ったものが本当に良く出来ているのだ。
「あーそれ、なかなか良いよ。聞いてみ?」
動画の推薦欄はすでに同じような動画で彩られ、次は私と待っているようにも感じられる。しかし、今は通話中なので少し躊躇い思いとどまる。
「後で聞く。あーもうさ……」
完全に友の術中に嵌っている。それはやつももう気付いているのだろう。
「もう完全に沼に嵌ったって?」
完全に読まれている。今まで散々沼に引き摺り込んできたこの俺が別の面で引き摺り込まれるとは。
「そうだよ、もう完全に嵌ってるよ。」
すると、やつは笑いあちらの世界にもっと引き摺り込もうとする。
「堕ちたな。(確信)」
「もうしょうがない。(諦め)」
本当にやられてしまった。これで俺も一人のASMR好きだ。
「ようこそasmrの世界へ……(暗黒微笑)」
「ほんとだよ!どうしてくれるんだよ!(絶叫)」
しかし、そう言ってる自分ももうすでに何種類も聞いており、次の動画、次の動画とどんどん自ら堕ちて行っている自覚すらあった。
「まぁ、ASMRのいいところは手頃に癒しが得られたり処理のネタにまで使えるところだし。堕ちていいんじゃね?」
そもそも、自分がこの沼に引き摺り込まれたのには訳がある。たまたま疲れていた時にこの友に癒しが欲しいと言った瞬間一つの動画が送られてきた。二時間ほどの動画だったが、奴はそれだけでは飽き足らず定期的に、二日に一回ペースで送ってくるようになったのだ。
「おい、下ネタ酷過ぎ。しかも、たまに命の危機を感じる……夜起きた時とかさ、首にイヤホンのコード巻きついててみ?ひやっとするわ。」
「あーあれね……自分もよくなってたわ。」
俺たちは基本的には夜にこのような動画を見るが、大抵寝落ち用だ。心地よいセリフと声を聞きながら寝るといい夢が見られるか、眠りが深過ぎて夢すら見ないのではないかと思う。それに俺たちは有線のイヤホンやヘッドフォンを主に使う。聞きながら寝落ちをすると言うことは、起きた時に首にワイヤーが絡まってしまう可能性もあるのだ。すると軽く首を締め付けるので、若干命の危機を感じる。無線にすれば良いのではと前に言われたが、音質ではやっぱり無線より有線の方が同じ価格でも良いように思える。
「そう言えば、前に送ったやつ。良かったろ?」
奴が言っているのは、しばらく会ってなかった幼馴染姉妹とする。と言うシチュエーションの動画だ。
「よかったし、抜ける。えちすぎる。」
あの動画は本当に凄かった。舐める音や水気を含んだ粘膜音、囁き。あれでやられない方がおかしいレベルだった。その上ストーリーとセリフが良いのだ。
「だろ?あれ聞きすぎると体力消耗すごいし、賢者になる。」
「分かるわ〜!昨日それともう一本で六発はいったわ。」
すると、友は呆れたように、
「お前なんでまだいけてんだよ……普通賢者で、できないだろ……」
と言う。さすがに昨日はそれで終わったものの、欲望なんてものは満たされないのが普通だ。それが食欲だろうと睡眠欲だろうと性欲だろうと。だから昨日の欲は昨日で終わって、今日にはリセットされてしまう。だから、毎日のようにするのだ。
「昨日はそれで終わって、今日もあまりできてないし、普通でしょ。」
「ま、まぁ?お前は結構すごいよ……俺は無理。ところでシナリオ案は進んでる?」
前に作ってみろ、と言われたので今俺がシナリオを作っているのだ。この通話は基本俺から始めるのだが、毎回奴はこれの催促をしてくる。
「今一応プレイまでは進んだ。何か入れて欲しいセリフとかある?」
そう聞くと、友は少し唸った。
「あるけど結局は言う人の技量なんだよなぁ……」
まさにその通りだろう。良いシナリオも間違いなく必要だ。しかし、どこまで作り込むかがかなり大切で、それはもはや動画を作る人達の領域だ。もし俺たちが自分自身で作ろうとしても意味はないだろう。大して声も良くないし、そもそも俺たちが聞きたいのは”女の子”が囁いたりしている音声である。女ではない自分たちがいくら猫なで声で可愛く言おうとしても気持ち悪いだけだ。もし、俺たちが女性で声が良かった場合は多分ものすごく良いものが出来るのではないか。と、感じることもある。
「まぁでもこう言うシナリオも大事だし、尊いシチュエーションを考えよう。時間が滅茶かかってるけど」
今書いている純愛イチャラブものはかなり時間をかけて書いている。そもそもこう言うのを書くときの参考資料を読むだけで体力消耗が激しいし、一回賢者になるとなかなか書く気が出ないのだ。時間がかかるのは当たり前だろう。
「その上、これ音だけだから難しいよね……漫画とかなら親指で閉じた唇をなぞったり、歪ませたりするのはとても良いシチュなんだが。」
「分かる!それどっちがやっても良いよなぁ……そう考えると出来ないものも多いし、セリフも大分違う……」
漫画に音声が無い。音声に映像はない。そうすると、シナリオの書き方というのも大きく違う。その上、漫画だと二人や何人かのやり取りというのがあり、登場人物たちのやりとりを見て世界に没入させるのが主流だが、ASMRには声優が演じるキャラが言っているように物語が進むから、聞いてる人を対象にして世界に引き摺り込みつつ物語を進めなければならない。そこが台詞の中身などに影響してくるのだ。
「確かに……どこでも吐息とか耳舐めを入れて良いわけでもないし。」
吐息音、耳舐め音。これがASMRにはとても重要だ。と言うかこれがメインと言っても過言ではない。それをシナリオ内の場面、バランスなどを考えながら自分たちは作品を作っている。
「これのせいで俺は耳舐めと吐息音のフェチ開拓がなされた。」
こう言ったメディアの恐ろしいところは新たなフェチが開花する可能性がある所だろう。世界には様々なフェチがある。新たなメディアに手を出すと言うことは新たなフェチに出会うことでもある。そして新たなフェチにつながり沼はさらに深く、広くなっていく。
「同志よ!では新しい動画を……」
ピピッピピッピピッ!
唐突にスマホのアラームが鳴り出した。時刻は午後六時、塾の時間だ。こんな夢の世界から一気に現実に引き戻された。
「悪い。俺今から塾だ。」
「塾前にこんなの聞いていたのか…」
「んじゃあまた。」
そう言って通話を終わる。憂鬱な現実の時間が始まろうとしている。その前に少しの夢を見られただけありがたいと思うべきだろう。
そして、俺が思うにこの沼は”尊く””深く””広い"
会癒笑子獲夢有路(ASMR) 明日波ヴェールヌイ @Asuha-Berutork
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