戻らない時

 京一は車椅子から降りると、アスファルトに大の字に寝転がった。


 夜空には、夏の星屑たちが次々と輝き始めていた。


 屋上には京一以外誰もいない。


 視界一杯に広がる夏の大空を、京一は独占した。時折、夜風が気持ちよく彼の頬をなでる。ゆっくりと目を閉じて、息を大きく吸い込んでみる




 あの日、京一は高校生のグループに襲われた後、家へ戻る途中で大型トラックに撥ねられた。


 幸いなことに、運転手は京一の存在に素早く気付き、すぐにブレーキを踏んだため、全治三ヶ月の左足の脛骨単純骨折と全身打撲、それと軽い擦り傷で事なきを得た。


「流石は『北海の荒熊』ですね。うひゃひゃひゃひゃ……」


 眼鏡を額に引っ掛けて、京一は輝き始めた星屑を裸眼でぼんやりと眺めた。


 完全なる静寂。


 しかし、数分も経たないうちに屋上のドアが開けられると、あっさりとそれは破られた。


 京一はゆっくりと身体を起こし、眼鏡をしっかりと掛け直した。ぼやけていた照準は徐々に精密さを増し、よく知っている顔を捉える。


「面会時間はとっくに過ぎてるぜ……淳くんよ」


 京一は驚いた様子もなく、薄ら笑いを浮かべると車椅子に腕だけでよじ登り、首を左右に傾け音を鳴らした。


 それから改めて、手提げを持って立っている少年、淳を見据えた。


「京一……今日の登校日で、初めておまえが事故にあったこと知ったよ。大丈夫かよ? それに明仁が、屋上から飛び降りたんだ……でも怪我はそれほど酷くなくて……で、今この病院に入院してる。そ、そのこと知ってるのかよ?」


 淳は興奮気味に捲し上げた。


「……いつ行くんだ?」


 京一はそれらの質問には一切答えず、ポケットからタバコを取り出す。


「え? ああ、来週の水曜日だけど……」


「……そうか」


「京一……」


 数え切れない程たくさんの言葉が、淳の口から発せられるのを順番待ちしているはずだった。しかし、そのどれもが出てくることはなかった。


「淳、吸うか?」


 京一はポケットからタバコを取り出すと、淳に差し出した。


「いや、オレは……」


「これが最後だぜ、たぶん」


 という言葉が、淳の心を強く殴った。差し出されたタバコに手を伸ばす。


「明仁……会ったよ。でもあいつ、寝た振り決め込んで、シカトしやがった。ありゃ完璧死んでるね。うひゃひゃひゃひゃっっ!!」


「……京一、オレ……明仁に謝ったんだ」


「……」


 京一の表情から笑顔が消えた。


 二人の間に思い沈黙が流れる。


「……オレ、明仁とは仲の良い友だちだったからさ。だから……」


「オレとは友だちじゃねーのかよ?」


 氷のように冷たい視線が淳に向けられる。


「い、いや、もちろん友だちだよ。おまえも周も……」


 淳は、今日学校で会った周のことを思い出す、もう明仁のイジメには加わりたくはないと言っていた周のことを。


「周?」


「ああ、周もおまえと話したがってた。今日は一緒に来れなかったけど、また別の日に来ると思う。本当に話したがってたから……」


「……淳。オレはおめーを信じてたぜ。おめーはオレと同じ転校生だからな」


「分かってるよ」


 京一が転校してきたあの日、淳は彼が自分の方をじっと見ていたことに気が付いていた。そして、彼の思惑にも。


 京一は最初から知っていたのだ、淳が転校生だったことを。そして転校生は孤立しやすいことも。だから、京一は先手を打って、まずクラスの中心人物である周を手懐け、淳を仲間にし、それから明仁を苛めたんじゃないだろうか。


 淳の頭の中に、一瞬そんな考えが浮かんだ。


「オレのくれてやった『巌窟王』大事にしろよ。で、おまえの夢、叶えろよ……じゃあな」


 早口に告げると、京一は慣れた手つきで車椅子をターンさせると、ドアへと向かった。


「おいっ! 京一!」


 淳の呼ぶ声は、京一を止めることもなく空しく響き、ドアは大きな音をたてて閉まった。


 一人残された淳はその場に立ち尽くす。


 京一から受け取ったのタバコを口に咥え深く吸い込む。


「うわっ! ぺっ!」


 タバコには、火が点いてなかった。京一は、火を点けてくれなかったのだ。


「あいつ……」


 淳には、京一がここにいることが何となく分かっていた。なぜなら、最初に淳が京一と話をした場所も、学校の屋上だったから。

 

 夏の夜空を、淳は独り占めしながら思いを巡らせる。


 その時、淳は京一と周の共通点に気がついた。彼らは両方とも、母親のいない片親だった。転校生である淳、片親である周、きっとただの偶然なのだろうけど、京一はひとりで一体何を考えていたのだろうか……       


 彼は星空に問いかけたい気分になった。


 数ヶ月間一緒にいただけだったが、京一という存在は、淳の心に大きな何かを残していた。


 淳は火の点いてないタバコをもう一度咥えてみた。不思議と落ち着いてきて、彼はその場に寝転がった。


 視界一杯に煌めいている夏の星屑たち、淳は考えることを一瞬止めた。静寂のあと、想い出は流星と共に降ってきた。

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