宵闇横町へおいで
いぬきつねこ
第0話 宵闇横町へおいで
飲み屋のカウンターで隣同士になった男から宵闇横町という場所の話を聞いた。
開店したばかりの店の中には他に客はおらず、窓の外では真っ赤な夕焼けが街並みを照らしていた。
男は注文した酒には手を付けず、話し始めた。
宵闇横町へはどこからでも入ることができる。
垣根の破れ目や、ふと目についた建物と建物の隙間とか、道に迷って辿り着いた四辻の先とか。どことも繋がっていて、どことも繋がっていない。
探さずとも辿り着けるものもいるし、探しても二度とたどり着けない者もいる。
宵闇横町というのも本当の名前じゃない。ずっと宵闇が続くからそう呼ばれている。
あなたがもし、宵闇漂う町にたどり着いてしまったら、まず行くべきは
なぜなら宵闇横町は宵闇の世界。夕でもなければ夜でもない。辺りがぼうっと暗くて、向こうからやってくる奴の顔もわからない。迷い込んだ者同士が鉢合わせるならまだいいが、ここには薄闇を好むものが多い。
闇は人ではないものの領域だから、身を守るためには灯りが必要だ。
古今堂は町の入り口にある小さな店で、店先いっぱいに
あるいは、薄闇の中を光る青白い
店の戸を開けると、小狐どもがふうふう火を吐いている。小狐どもが火を吐くたびに、店先の火が一つ増える。入れ物がいっぱいだったら、狐火はどこかへ流れていき、やがて店に戻ってくる。あなたは気に入った火の入った提灯でも買って、横町を歩けばいい。古今堂の火の入った灯りを持っている間は、人喰いどもはあなたに手が出せない。いろいろあってそういう取り決めになっている。だが、火が消えたらどうなるかはわかるね?
あなたが長居したいなら、うんと長く火の
店の奥に安楽椅子に座って、煙草を吸っている
あれが店主だ。
赤銅色の艶やかな毛並み、年齢の割に毛並みが艶やかなのは小狐に出す給料をケチって買った上等な椿の油を塗ってるからなんだけども。彼は狐火と同じ青白い目をしている。元は豊川稲荷で修行してた
彼は青白くて透き通った綺麗な炎を吐くよ。
彼の吐く炎は水のように提灯の底に溜まって、ぼんやり光りながら減っていく。
お代は
金がなければ、そうだな。指でも切って血をくれてやればいい。
小狐なら死んでしまうほどは取らないだろう。
店主から火を買いたいなら、指の一本は必要かな。
そりゃそうだ。あいつらも
人と折り合いをつけてやってきただけで、人の道理で生きてるわけじゃない。もちろん人を喰うよ。
灯りが手に入ったら?
そうだね。あなた、猫は好きかい?
それなら
張子の猫の面をつけた男だよ。
見てくれは完全に人間だ。その姿でいるのが猫を抱くのに都合がいいからだって言ってたな。猫面は人を喰う趣味はない奴だ。その点は心配しなくてもいい。
もてなしてはくれないだろうけど、猫面の近くでは面白いものが見れるよ。
猫っていうのは、なかなか面白い生き物で、あいつら本当は液体なんだ。
本当だよ。あいつらの毛皮の下の魂は透明な液体なんだ。
だからどんなに狭い隙間でも入れるし、この町にも入り込める。猫は死ぬと、毛皮を交換しなきゃならないらしいんだ。
だから猫は死んだら猫面のところにやってくる。透明な液体に戻ってね。
猫面はその液体に見合った毛皮を選んでやるのさ。
ふかふかの
猫たちは気に入った色の絨毯を見つけたら、その上をごろごろ転げ回るんだ。
そうすると新しい毛皮が手に入る。透明な液体が見る見るうちに私たちも知っている猫の姿になる。
猫面は、猫の毛を切って整えてやったり、もう少し毛が長いほうがいいとか柄の位置が気に入らないとか鼻の横に黒い模様があるのは鼻くそみたいで嫌だから変えてくれみたいな細かい注文に従って手入れをしてやる。中にはあんまり綺麗すぎる柄は嫌だから手を加えないでくれなんていう奴もいるらしい。
猫は水を嫌うだろう?あれは水に落ちて死ぬと魂と水が混ざってしまうからなんだそうだ。水っていうのはそこで生まれて死んだ魚だとか
他の店かい?
私は入れてもらえなかったが、
ここは偏屈で巨大な烏の店主がやっている、死者に
宵闇横町は夕と夜の
「
どうしても生者に会いたくなった死者は、濡烏を訪れる。大烏の店主は自分の抜けた羽で作った外套を死者に貸す。外套を羽織ると死者は烏の姿になり、その目を通して生者の世界を見ることができるんだそうだ。烏ってどこにでもいるだろう?私たちが見ている烏の何割くらいが外套を纏った死者なんだろうね。
ここは蛇や
旅籠という名前はついているが、
半人半蛇の女たちと一夜を過ごすことができるよ。
蛇の鱗というのは美しくてね。角度によって青色や翡翠や深緑に光るんだ。
孔雀の羽みたいだよ。肌は冷たくて、心地いい。
ずっと抱かれていたい気持ちになる。
でも心を許しすぎてはいけない。文字通り呑まれてしまうからね。
最後に
横町の外れに佇む店だ。
女将が一人で切り盛りしている。彼女の名前は知らない。
美味いものが食いたければここに行けばいい。心配しなくても、人間の食べ物が出てくるよ。
汲み上げ湯葉に飛竜頭の煮たもの、ししとうとじゃこの炒めたもの、角煮に梅水晶。何を食べても美味い。迷い込んでくる人間のために店を開いているというが、女将が本当に人間なのかはわからないんだ。
店の棚の上に白い壺が置いてあるんだが、どう見ても骨壺なんだよ。これは聞いた話だが、誰かがあれは何だと訊いたら、「昔の思い人の骨が入っている」と言ったそうだ。それだけなら、死んだ思い人に店を見守ってもらいたいという切ない話かもしれないが、彼女はこうも言ったらしいんだよ。「骨がもっと美味くなるように食わずにとってある」とね。
他にも不思議な場所が宵闇横町にあるよ。
いつも祭囃子が鳴り響いている小さな神社とか、
宵闇横町はいいところだ。何度行っても飽きない。
行ってみたい?そうか。なんとなくだが、あなたならたどり着ける気がするよ。
だが、辿り着いたからといってあまり長居するのはよくないかもしれないな。
日の光がある世界よりも居心地がよくなってしまうかもしれない。
そしていずれはあの横町を包む宵闇の一部になってしまうかもしれない。
さて、私はそろそろお暇するよ。
そろそろ宵闇の時間だ。
男は札入れから紙幣を取り出すと私の前に置いた。
2人分にしては多すぎる。
男の姿はもうどこにもなかった。
夕焼けは色あせ、店内には闇が押し迫っていた。
男が座っていた席には、手つかずのウイスキーグラスが残っている。
札を取り出すときに見た彼の手には指が3本しかなかったのを思い出す。
男の顔は思い出せなかった。何を着ていたのかも思い出せない。
いずれはあの横町を包む宵闇の一部になってしまうかもしれないよ。
私は残された酒を煽った。
あれは酔っ払いの作り話だ。
そう笑い飛ばそうとしても、私は窓に視線を向けることができなかった。
窓の外の闇が宵闇横町へと続いているような気がした。
宵闇横町へおいで。
私を誘う声がした。
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