ひかれた少女
小箱
ひかれた少女
ここ最近、とある学校についての、二つのうわさが流れていた。
一つ目は、ここ数日、引いてしまうほど執拗な嫌がらせを続けている生徒がいるといううわさ。実際に目撃してしまい、不快な思いをした者も少なくない。その不気味さから、うわさは校内だけでなく、校外にまで広まってしまったらしい。
そして、もう一つは――――。
日差しが強く風も生暖かい、快適とはいえない夏の日。夏休みはとうに終わってしまったが、蝉の声はまだまだ響いている。少女は今日も大嫌いな満員電車に乗りつつ、学校へと到着した。
「あーホント、電車は最悪だし勉強も大嫌い、友達もいない。何が楽しくて学校に来てるんだか」
正門をくぐった少女が真っ先に向かったのは、自分のロッカー――ではなく。
「番号は『0713』っと。自分の誕生日を暗証番号にしちゃうなんてさ。ゆーなってば、バカだねぇ」
簡単に開いたロッカーは、少女の同級生の「ゆーな」のものだった。教科書一つ置いていないようだ。
「おっ、開いた開いた」
少女は鞄を漁り、透明で小さいプラスチックケースを取り出した。中には、びっしりと画鋲が詰め込まれている。少女はふたを開け、
「ほら、ゆーなにプレゼントだよ? たくさん詰め込んであげるからね、開けたらびっくりするだろうなぁ」
ケースの中の画鋲全てを、ロッカーの中にばら撒いた。
周囲にいた生徒はみな揃って、見てはいけないものを見たかのように、顔を背ける。少女はそんな群衆のことなど、一切気にかけていない。そのまま自分のロッカーを開けて靴を履き替え、教室へと階段を上がっていく。
ここには「あなたのその行動、皆に引かれていますよ。やめた方がいいですよ」などと咎める者は、誰一人として存在しない。
うわさの少女は、今日もうわさ通りだ。
教室につくとまだ誰もおらず、少女はニヤリと笑う。進める足の先はやはり、自身ではなく「ゆーな」の机だった。
「……こんなモノ、いらないよね」
少女は机の上にあった物をはたき落とす。物が壊れる音がしたが、そんなものどうでもいい。それからもう一度机を確認して、ため息をついた。
「はぁ、やっぱり消されてる。折角あたしが書いてやったっていうのに」
ため息の理由は、昨日少女が書いたはずの文字が全て、綺麗さっぱり消し去られていたことにあった。
「仕方ない、また書いてあげる」
昨日もおとといも消されてしまったにもかかわらず、性懲りもなく机に落書きをする。油性ペンで、しっかりと。
「よし。我ながら上出来」
自分の書いた黒い文字で覆いつくされた机を見て、少女は満足し、満面の笑みで自分の席に着いた。
一人、二人と増えていく教室の住人たちは、少女の行動を見て引いているのだろう。「かわいそう」という声も、わずかに聞こえる。しかし今日もまた、ほとんどの人が見て見ぬふりをするのだった。
放課後、向かったのは写真部の部室。少女と「ゆーな」の所属する部活だった。
棚に並ぶクリアファイル。部員たちが撮影した作品が詰められている。少女は迷わず一つを手に取った。
一枚一枚の写真を眺めながら、少女はファイルをめくっていく。最初のあたりは、お洒落なカフェや街灯など、よくいえば統一された、悪くいえば似たり寄ったりな写真ばかりだ。
「ゆーなってば、昔は建物の写真しか撮らなかったってのに。急に人物写真なんか撮るようになっちゃってさぁ」
次第に、人物の写った写真が増えていく。そしてその人物は、決まって、
「あーもう腹立たしい! ゆーな……。どうしてあんたが選ばれるわけ?」
決まって、同じ男子生徒だった。
「あたしの方があんたよりもいいのに、あたしの方があんたよりもずっと好きなのに」
男子生徒が写っている写真だけを、少女はファイルから取り出す。
「どうしてあたしじゃなくてあいつを選んだの、ねぇ!」
風景写真だけになったファイルを、床に叩きつける。心の奥底から湧き出てくる怒りは、それでもなお消えそうにない。
ふと目に付いた、少女自身の作品をまとめたクリアファイル。そういや自分は入部当時からずっと、「ゆーな」と同じ。決まった人物の写真しか撮らなかったのだ。だから今は、自分の作品を見るだけでしんどい。もう少し風景も撮ればよかったかもしれない、と感じながら、ファイルを手にした。
自分の作品ファイルと、「ゆーな」のファイルから奪った男子生徒の写真を握りしめたまま、少女は鞄を持って学校を出た。
そこら中の木に蝉が止まっていて、耳が壊れてしまいそうなほどに耳障りだ。少女は先ほどの荷物を抱えたまま、「ゆーな」の前に立っていた。
「あんたが悪いんだよ」
荷物を全て、地面に乱雑に落とす。
「あたしがこんなことするのも、全部全部、あんたのせいだ」
少女の滲んだ瞳には鮮明に、憎しみと悲しみが映っている。
「ほら、何も言い返せないでしょ?」
少女の言う通り。「ゆーな」は、何一つとして言葉を返そうとしない。
「大体、おおげさすぎるんだよね、あんたは」
カッターナイフを取り出して、「ゆーな」の前に突きつける。それでも「ゆーな」は一切動かず、少女だけが「ゆーな」を睨んでいた。
「苦しいでしょ、寂しいでしょ。誰に助けを求めたって、誰も動いてくれやしない。……ああ。そもそも、助けを求めることすらできないんだったっけ?」
カッターナイフを持った手が、次第に震え始めた。開いている方の手で、落とした写真を拾い上げる。男子生徒の写真だ。
「ゆーな、こいつのこと、好きだったんだよね」
突然「ゆーな」が男子生徒の写真ばかり撮るようになった原因は、間違いなく恋愛感情のソレだった。
思えば先生や同級生、後輩も、「ゆーな」は人物写真を撮るようになってから急に腕が上がった、と評価していた。確かに少女もそう感じた。その様子が、何よりも気に食わなかった。
「でも残念だねぇ、こいつ、転校しちゃったんだってさ。あたしも残念」
つい、昨日。「ゆーな」が恋していた男子生徒は、学校を去った。どこか遠くに行ってしまった。
「これでも一応幼馴染、だったからね。あたしもあんたも、転校してったあいつも」
三人は、幼稚園時代からの付き合いだった。同じ小学校、中学校で、さすがに受験で離ればなれになると思っていたのに、高校まで一緒になった。
「――高校、別の方が幸せだったよね」
今もう居ない人だって、同じことを思っているだろう。少女は勝手に推し量った。
「――――ああ、でも、やっぱり!」
――ずっと、耐えていた。耐えきれると思っていた。どうやらそうではなかったらしい。少女はもう限界だった。
「あいつなんか居なければ良かったんだ! あたしとゆーな、二人だけの方が幸せだった! どうしてあんなやつなんか、ねぇ‼」
力任せに、写真を引きちぎる。男子生徒の無邪気な笑顔が、他の何よりも憎かった。今もどこかでのうのうと生きている、あいつが。
「あたしはゆーながいなけりゃ居場所がないの! 友達なんて他にいないの、ゆーなだけが友達なの、あたしからゆーなを奪わないでよ……!」
ばらばらになった写真、投げ捨てられたカッターナイフ。地面に転がったままの、「ゆーな」の写真だけがつまった、作品ファイル。
ずっと、逃げていた。全部ただの現実逃避だった。このまま消え去ってしまって欲しかった記憶が、蘇る。嫌というほど鮮明に、残酷に、美しく。
泣きじゃくる少女は、動かない墓石に――
――――「ゆーな」に、縋りついた。
涙の跡は消えぬまま、少女は線路沿いの道を歩く。あの日、あのことがあったのも、ちょうどこの線路だった。
意を決して、線路沿いの道で幼馴染の男子生徒に告白したゆーな。少女は、うまくいかないことを知っていた。だからこそ――いや、そうでなくとも。ゆーなには、告白なんてしてほしくなかったのだ。
それより少し前、少女は男子生徒に告白されたから。「他に好きな人がいる」と言って、断ったばかりだったから。
「失恋したくらいで、線路に飛び出しちゃうなんて、やっぱりバカ。ゆーなはどうしようもないバカ」
ずっと逃げていた現実も、ついさっき思い出してしまった。両目いっぱいに涙を溜めて、背を向けて走り出すゆーな。下がる踏切、電車の音に、鳴りやまないサイレンの音。鳴きやまない、蝉の声。
今もまだあの日と同じように、蝉の声が響き渡っている。
「昔のままでいられたらなぁ」
昔は、仲良しの三人組だったのだ。性別なんて気にせずに遊び、三人お揃いの、シャープペンシルを買って。仲良しの証は今もまだ、少女の筆箱の中に収まっている。三人はごく普通の、仲の良い友達だった。
惹かれてしまったことで、歯車は狂い始めた。退けなかったのが、悪かった。
自分の作品ファイルをめくりながら、少女は帰り道を歩く。最初の方はカメラ目線で、純粋な笑顔だったゆーな。なのに横顔が増えていって、目線は少女のカメラではなく、男子生徒を映す、ゆーな自身のカメラに向けられるようになって……。
もう見ていられない。
――刹那、蝉の声が止んだ。
「おいでよ」
どこからともなく、そんな声が聞こえたような気がした。
ここ最近、とある学校についての、二つのうわさが流れていた。
一つ目は、ここ数日、執拗な嫌がらせを続けている生徒がいるといううわさ。実際に目撃してしまい、不快な思いをした者も少なくない。その不気味さから、うわさは校内だけでなく、校外にまで広まってしまったらしい。
そしてもう一つは、この前一人の女子生徒が電車に轢かれて自殺したといううわさ。なんでも、失恋したことが原因なのだとか。相手の男子生徒は、周囲からの視線や罪悪感、人の死というものを目撃してしまった精神的ショックからか、どこか遠くにある別の高校へと引っ越していってしまった。
ここについ先日、新たなうわさが加わった。
ひかれた少女は、二人だった。
ひかれた少女 小箱 @kobako_
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