第4話

 皇子と私の関係は全く進歩無し。

 トレミーが「皇子に肩入れされたら困ると考えていたが、それどころではないな」等と言ってきたが、何をどうやって肩入れするのだろう?

「年頃の娘は、影のある皇子が好きだろう。それに美形でもあるからな」

「あん? 美形? 影のある皇子? はん! そんな物好きになるのが! ネストール皇子がその範疇に入るというのなら! 年頃の娘の常識だったら! 私は年頃を捨てる。そんな常識はいりません!」


 トレミーは遁走した。


 そんな訳で皇子との冷たい関係が続く中、国境警備隊が戻って来た。

 隣国と地続きである以上、国境に警備を置くのは当然で、とある国と面している国境付近は激戦区なのだそうだ。

 激戦区だから当然、普通に育った私などは近寄ることができないが。

 重要な箇所なので、警備隊を率いるのは王族男児と決まっている。

「フローレの美々しい姿が見られる」

 王妃は国境警備隊が戻って来るのを今か今かと待っている。国境警備を率いているのはフローレ皇子。

 国王の弟と王妃の従妹の間に生まれた子で、王妃が次期国王にしたかったのはこのフローレ皇子だったのだそうだ。

 不思議だ、そこまで勢力があったら普通はフローレ皇子が選ばれるような物なのに。何故ネストール皇子なのだろう? あれ? 何か聞いた覚えがあるが、忘れた。

 ……ま、良いか。別に重要なことでもないだろう。

 出迎えて式典を行い、労いのパーティーを催す。

 優雅な騎士というよりは、まさに前線を守る無骨な男達は煌びやかなパーティー会場にそぐわないが、王妃がどうしてもと騒ぐのだから仕方ない。

 私は椅子に座ったまま、フローレ皇子を見る。たしかに美しく華やかで人を引きつける魅力があるだろうが、危険な男のような気がする。血縁だからとかではなく、王妃に似ている。そして、王妃より余程人が悪い、その雰囲気を上手く誤魔化している。

 その誤魔化しが剥がれたら、そこにいるのはいやらしい、下種な男だろう。

 もっとも近寄りたくはないタイプの人間だ。

 だから私はフローレ皇子には近付かないことにした。それでなくても近付きはしないだろう、王妃のお気に入りなのだから。

 私は椅子から立ち上がり、人々の称賛を浴びながら先ほどから私を気にしている騎士の元へと進む。

 私は腰が非常に細い。

 細身が多い東洋の方の血を引いているので、コルセットが苦しいとかいう姫たちとは違う。

「これはこれは、お美しいバネッサ義理姉様」

 目的地に向かう途中、フローレ皇子に声をかけられたので、仕方なく足を止める。

 皇子なんかは最後までいるだろうが、ああいう壁の花……ではなく、壁の大木、いや、修理中の壁を覆う板、のような男はいなくなってしまう可能性が高いというのに。

「何でしょうか、フローレ皇子」

「どちらへ? てっきり私に声をかけて下さるものだと思っていたのに、通り過ぎられたので、これではいけないと声をかけさせて貰いました」

 挨拶だけで良いだろ。王妃に嫌われている私が、王妃のお気に入りに声をかけるのも可笑しいし、下手に仲良くなって王妃に嫌われても困るし、王妃の特命で私を陥れるとも限らない。

「挨拶だけでよろしいかと思いまして」

「そんな冷たいことを」

 離せ! 私を離せぇぇ! あの壁際の田舎くさい騎士の元へと向かわせろ!

 フローレ皇子と話をしていると、無駄に勝ち誇った下品な王妃が声をかけてきた。

「男相手に媚びて」

 どこら辺が媚びているのか聞きたい所だ。

「フローレ皇子。このネストールの妃の本性教えたでしょう。こんな女は放っておいて、あっちへ。貴方の為にあっちに綺麗な娘達を用意しているのですから。こんな女は」

「王妃、皇太子妃を ”こんな女” は」

 フローレ皇子が苦笑いする。ふむ、王妃から話を聞いて品定めに来たという訳か。

「王妃のおっしゃるとおりです、こんな女とお話する必要は無いかと。まあ ”あっちの綺麗な娘達” の ”あっち” が何処なのかは解りませんがね。見渡す限り凡庸な娘ばかり。私以上の娘は見あたりませんが ”こんな女” よりは綺麗なのでしょう」

「ほら! フローレ皇子! この女は、こういう女なのよ!」

「清廉潔白な武の御方に、女の生臭い陰口を聞かせてどうするおつもりなのやら。嫌われますよ。そして普通の武人ならば嫌いますよ」

 王妃は縋るようにフローレ皇子を見る。

 その視線はまさに媚びているが……この媚びが通じるかどうか、私は知らない。

「本当に気の強い方ですね」

 私と王妃に挟まれたフローレ皇子は、苦笑いから本当の笑いに表情を変えて頷く。まあ、それくらいしか反応のしようは無いだろうな。

「それでは失礼。綺麗な娘達と楽しんで来て下さい」

 そう言って、踵を返すと遅れてネストール皇子がやってきた。

「何事だ」

「もう全部終わってますよ。詳細を知りたかったら、暇な王妃様とフローレ皇子からお聞き下さい」

 私は皇子の隣をすり抜けて、目的の騎士のもとへと向かう。


 黒絹の如き、癖一つ無い髪。

 翡翠色の瞳、折れてしまいそうな程の細い体。象牙色の肌。



†**********†


 野良犬に追いかけ回されていた、一才年上の泣き虫の男の子。

 私は棒で追い払った。

「もう! ジョシュったら! 体ばっかり大きくて! 意気地なしなんだから! ねえ、バネッサもそう思うでしょ?」

「そんなに怒っちゃ駄目だよ。ジョシュ、泣かないで。泣かないで、ジョシュ」



†**********†


 田舎くさい騎士は、頭を下げて小声で ”私の名” を言った。

「……」

「えっと、ジョシュです」

 短く刈り込まれた髪と、野暮ったい団子鼻。

「無事だったんだ……ジョシュ!」

 思わず手を伸ばし、昔のように前髪を掴んで顔を引き寄せる。

「無事で何よりだ! お前は鈍いから、絶対に焼け死んだと思ってたぞ! うああ! 他に生き延びたヤツはいるのか!」

「こ、皇太子妃殿下。声が大きすぎます……」

 昔と同じく、情けない困り果てた顔をしたジョシュの言葉に、我を取り戻す。

 そう言えば此処は王宮で、王妃主催の国境警備隊慰労パーティーだった。私は腕を組み、ジョシュを引っ張ってテラスへと向かう。

「早くしろ! ジョシュ」

「おっ! お待ち! くださいませ! 皇太子妃殿下」

 村で暮らしていた時には野山で鍛え、ルイに引き取られてからは海と河で鍛え、今は王宮を歩き回って、隠れて体を鍛えているその体力は、騎士にも引けを取らない。

「そうか、生き残りに会ったのは、ジョシュも初めてか……」

 ジョシュは火事の時、川へと逃げた。

 あの時大人達は、川に逃げるなと言ったのだが(川のある方角が風上だった為)ジョシュは間違って川の方へと走り、襲ってきた炎から間一髪で逃れ川に飛び込んだ。

 そこで気を失い、気付くと老騎士に助けられていた。村が火事だというジョシュの言葉を聞き、老騎士は旅支度を調えてアウガの村へと向かったが、もう誰も居なかった。

 そのまま老騎士に養われる事となり、鈍いながらも真面目に訓練をし、騎士の道を踏み出した。だが、平民から騎士になった者の常で、危険地域に送られる。

「国境線沿いなんて全部平民騎士だよ」

 だから中々気楽に生きてるよ、とも言う。

「そんなものでしょうね」

 言った私の顔をみて、ジョシュが笑う。

「何を笑ってるのよ、ジョシュ」

「いやあ、国境線まで 《皇太子妃バネッサの気の強さ》 届いてるからさ。あのバネッサがねえ……と思ったら、バネッサ……」

 ジョシュはやはり声を押し殺して笑う。

 言いたい事は解る。本物のバネッサは優しくて穏やかで、そうマデリン姫のような性格だった。やっぱり生まれってヤツだとしみじみ思うね。

「私はバネッサなの。解った?」

「はいはい、バネッサ姫」

 交代時間が来たジョシュは宿舎に戻り、私は一人で黄昏れていた。

 もうすっかりと夜空なのだが、黄昏れている気分に浸っていた。村の生き残りがいた事は嬉しかったが、よくよく考えればあまり良いことではないかもしれない。

 ジョシュはあの性格で、疑う必要は無い……と思いたいのだが、どうだろう?

 でも変わっていないと信じてみよう。それで身が滅びかけたら、大臣もろともだ!

 空を見ていた身を翻し、室内をみると時計が目に入った。ヤバイ! ”あいつ” が来ると言っていたのに! 遅れると煩いから早く戻らなくては!

「バネッサ」

 ドレスを持ち駆け出そうとしていた私に、声をかけてきたのはネストール皇子。

「何でしょうか? ネストール皇子」

「あの男は昔の知り合いか」

「はい。忙しいのでこれで失礼します」

 また脇をすり抜けようとしたら、腕を掴まれた。何がしたいのだ、この皇子は。

「何用でしょうか? 忙しいので、手早くお願いします」

 時間がねえと! お前達皇子は、自分の意見を言うのが先決で、こっちの予定なんぞ、全く考慮してくれないな!

「随分と話が弾んでいたようだが」

「死んだと思っていた昔の友人と再会して、話が弾んだら駄目ですか? そもそも話が弾まなければ、わざわざテラスまで来て話しませんが。話が弾んでいた事に関して、皇子は何か不利益でも被りましたか」

 早くしろと!

「お前は何時も喧嘩越しだが」

「皇子がこっちの用事にお構いなしに声をかけて、引き留めるからですよ。普段、暇な時は全く来ないくせに、こっちが用事があるときに来て、時間を割けって。私と皇子は本当に相性が悪いと思います」

「はあ……あのなあ、お前は皇太子妃だ」

「名ばかりのね。皇子に顧みられない年若い皇太子妃が、幼馴染みの騎士と再会してって、とても良い雰囲気ですね。醜聞とも言いますが。会話に注意しろと言いたいようですが、あの程度の会話は、普通の皇太子妃と騎士ではあり得ない事ではありません。在らぬ噂が立つのは、私と皇子が不仲だからです。全ては私達の関係の悪さが原因です。そして、まさか皇子、私があの騎士と? そんな下世話な事を考えてはいないでしょうね。貴・方・様・と・も・あ・ろ・う・御・方・が!」

 声を失って手を離した。

 想像しちゃったんだな? 少し想像しちゃったんだな、皇子。

 全く下世話な生き物だ。自分が愛妾を囲っているからといって私も同じだと思わないで欲しい。

「失礼します」

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