梔子のくっちゃん

桜野 叶う

第一話、梔子のくっちゃん

 早朝の森。鬱蒼うっそうとしていて、深い森。ぼんやりとしていて、薄暗い。大きな木々が自由奔放に入り乱れたこの森は、夏の日光をも遮る。まだこの時間帯は、暗いままだった。この暗い森は、不気味さよりも神秘的の方が合っていた。この薄暗い森は、どこか美しさを持っていた。まるで、守り神でも眠っているような、そんな気もする。そんな神秘的な森の中には、秘密の花園が存在していた。鬱蒼としたこの森の奥の奥の深くに、美しい花園が存在しているのだ。そこには、梔子くちなしの花が美しく咲き誇っていた。まず、目に入るのは、中央の木。周囲の森の大きな木々よりもかなり小さい、丸く整えられた木。その葉の部分は、清らかな白色の花で埋め尽くされていた。その木の周りには、同じ花が咲いている低木が、中央の木を軸にして、円を描くようにして、並べられていた。その円は、一つだけでなく、二重にじゅう三重さんじゅう。三重になっていた。三重の円が描かれている梔子の花園。その中央の木の上に、一人の少女が座っていた。少女は、明け始めの空を見上げていた。今日は清々すがすがしい晴れ空だった。でも、森の中は、夜だった。花園の上は、空なので、そこから光が差し込んで、天から使いの者がやってきたかのようだった。なんとも神秘的で、美しい光景だった。一人の少女は空に向かって両手を広げた。すると、花園に広がっていた、梔子の匂いが、流れていった。どこかの遠くの方へ。


太陽が姿を現し、完全に明るくなった。強い日光に照らされ、地上は暑くなっていた。朝からゆらゆらと陽炎かげろうが踊っていた。そんな猛暑の中、ある男の子は、心を弾ませ、走っていた。


 僕の心は弾んでいた。わくわくして、止まらない。好奇心にあふれていた。僕が好きなのは花。きれいな花が好き。これから、花を見に行く。この時期に咲く花。すてきな匂いがする、特に好きな花。

 この場所。立派な庭の立派な家。この家の庭に、その花が咲いている。毎年、この時期になると必ず見に行く。わあ、きれい。今年も立派に咲いていた。ほんのりすてきな匂いがする。きれい。一生、見ていられる。この花に囲まれてみたいなと、そんなことも考えた。どんなにすてきなことなんだろう。

 すると、この家のドアが開いた。中から人が出てきた。幼稚園で、花に興味を持ったころから、この家に見に来ていて、この家に住むおばさんとは、毎回話している。向こうからきて、軽くあいさつをする。毎年ずっとそうだ。おばさんは、もちろん僕のところに来て、あいさつをくれた。僕も返した。

「今年もきれいに咲いてますね」

 僕は、この花を褒めた。

「ありがとう。ゆうちゃんのために、私は毎年がんばっているんだから」

 おばさんはとってもうれしそうだ。この立派に咲いた花をわざわざ見にくるのは、僕ぐらいだろう。そのためにがんばってくれているのだと思うと、この花が好きな僕にとってらとてもありがたいことだった。

 おばさんががんばって育てたこの花を見ていると、どこからかすてきな匂いがした。この匂い、今見ているこの花の匂いだ。でも、さらに強く、べつのところからきている。

 

 どこからきた匂いなんだろう。


 ものすごく気になった。おばさんに別れのあいさつを言い、その匂いをたどっていった。不思議なことに、この匂いは、まとまったものだった。本来、匂いというものは、そこら中に広まっていくものだ。しかし、この匂いはまとまっている。それはまるで、道。誰かが、僕を呼んでいるのか。一体誰が。そんな疑問をのこしたまま、僕は匂いをたどって歩いていく。

 やがて、町をこえて森の中へと入った。体力のない僕だが、少しも疲れていなかった。足もパンパンになっていない。この匂いのせいかもしれない。疲れないので、どんどん奥へと進んでいった。森の中はたくさんの木が生えていて、鳥の鳴き声も聞こえる。草もたくさん生えていた。道のない、複雑なところを歩いていた。木の根っこをまたいで、またいで。それでも疲れなかった。不思議だ。

 そして、たどり着いたのは、白い梔子の花畑だった。梔子の低い木が、いくつも輪になっていた。その真ん中には、花だらけの高い木。そこは、梔子の王国のようだった。その真ん中の高い木に、女の子が座っていた。僕よりも背の高い、お姉さんが。女の子は、僕に気づくと、目を大きく開いて、僕のところに飛んできた。彼女は背中に羽が生えているかのように飛んでいた。でも羽は生えていなかった。僕はこの目を疑った。信じられなかった。これは、夢なのか。とても現実に起こっているものだと思えなかった。女の子は、僕のすぐ目の前で、華やかに降りてきた。

とても近かった。あと数ミリ動けば触れてしまいそうな距離。

 僕よりも背の高い、中学生や高校生くらいのお姉さんは、僕の目と目を合わせた。彼女目は黄色。鮮やかな黄色だ。それ以外は白かった。来ている服も肌の色も白かった。それは梔子の色だとわかった。彼女は妖精だ。梔子の妖精。それにしても、彼女はきれいだった。初めて人をきれいだと思った。心臓がどきどき鳴っていた。彼女の顔ははじけていた。お菓子のラムネのようにはじけていた。

見ているこっちもうれしくなるような、そんな笑顔だった。

「わぁ、きてくれたー。かわいいね君」

「え、あ、ありがとうございます」

 いきなり全力でかわいいといわれて、うれしくなった。ほっぺに手を当てて、照れていた。それを見ていた彼女はより笑顔になった。

「かわいい!」

より強く言われて、うれしさが倍増した。

 彼女は、僕の手をどけて、ほっぺを触った。彼女の手はすこしひんやりしていて、やわらかい。心臓のどきどきは、さらに強くなった。恥ずかしさが限界の門を突き破った。

 やがて、手を離した。その手をパンと合わせた。

「そうだ、わたしはくっちゃん。よろしくね」

 彼女は名乗った。

「ゆうです。よろしく」

「ゆうくん。よろしく。君はかわいいから、気軽に話してくれていいよ。ともだちみたいに」

「うん、いいよ」

 そして、僕とくっちゃんはともだちになった。もちろん、秘密のね。くっちゃんのことは誰にも言わない方がいい気がする。


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