第1話「さいかい」①

第1話「さいかい」



『あやとくん、ぼうし返してよ』

『いやだね~、返してほしかったらここまで来いよ』

『わたし、木登りなんてできないよ』

『お前ってほんとどんくせーなあ』

 幼稚園にきてから毎日毎日、同じ男の子にいじめられる。

 どうして私だけ、こんな目にわないといけないの?

 先生は何もしてくれない。お母さんには言えない。

 だれにも言えなくて、誰も助けてくれなくて。

 どうしよう、つらいよ。もう、まんするのも……限界になってきた。

『──返してよ。……返せ。返せって言ってんだろうがー!』


■□■


(起きて、……!)

 誰かにかたらされて、自然に身体からだがびくっと動いた。後ろをり向くと、中学からの親友・すずあせった顔をして「ちゃダメ」と言っている。

(ご、ごめん。ありがとう……)

 に座り直して、校長先生のありがたい話に耳をかたむけた。

 ──そう、今は高校の入学式の真っ最中だ。

 あこがれのブレザーに身を包み、めでたく入学したのはいいけれど、入学式が退たいくつすぎて五分できていたのだ。

 私は、子供のころから退屈になるとすぐ寝てしまう子だった。中学校の授業でもそう。いったい何度先生に注意されたことだろう。

 時々いびきをかいたりもして、周りからは〈ねむれる〉なんて言われていたっけ。

 それにしても、久しぶりにいやな夢を見たような気がする。


 ──ようやく入学式が終わり、私たちは男女二列になって体育館から教室へと移動する。

「もう、莉緒だめじゃない。初日からそんなんじゃ、何も変わらないよ」

 移動するちゆうにも美鈴に注意されてしまった。

 美鈴は長身でスタイルもよく〈クールビューティー〉という言葉がよく似合う女の子だ。中学の時はくろかみのストレートだったけど、高校入学に合わせてパーマをかけたみたい。

 さっぱりとした性格で自分の意見をはっきりと言う美鈴は、大切な親友だ。

 そんな彼女が、母親のように私に注意をするのには理由がある。

「そうだね、ごめん。高校で変わるって決めたのに」

「そうだよ。春休みからイメチェンを手伝ってるんだから、しっかりしてよね」

 そんなことを話しながら、私たちは一番窓側の後ろの席に座った。

 座席は出席番号順で、私と美鈴は番号が並びであるため、席も前後に座っている。

 教室の中はとても静かで、雑談をしている人は誰ひとりいない。

 私と美鈴も空気を読んで、だまって担任の先生の指示を待っていた。

 ふと窓の向こうに目をやると、満開の桜が視界いっぱいに広がっている。

 ゆらゆらと花びらが風に乗ってい、私たちの入学を祝ってくれているようにみえた。

 ──ほどなくして、担任の先生がきようたくの前に立ち、私たちに向かってあいさつをした。

 まだ二十代くらいで、メガネをかけた若い男性きようだ。

みなさん、入学おめでとうございます。僕はこのクラスの担任のみぞかわあゆといいます。主に社会科の授業を担当しています。しゆはテニスをすることですかね。……まぁ、僕の自己しようかいはこのくらいにして、さっそく皆さんにも自己紹介してもらいましょう」

 溝川先生はとってもさわやかながおで挨拶をしていた。まさにテニスが似合いそうだ。

「では、くんからよろしくお願いします」

 自己紹介は、男子から出席番号順に始まった。

 私の順番まではだいぶ先だけど、今からきんちようしてしまう。

 ……第一印象が一番大事だと思うし、ちゃんと〝女の子らしい〟私を演じなければいけないからだ。


 私は〝女の子らしく〟なるために、春休みの間、美鈴にメイクの仕方や女の子らしい仕草を教えてもらっていた。

 今までの私はそういうことに興味が無く、女子とそんな話をするよりも、男子に交ざって運動場を走り回ったり、ゲーセンで遊んだりしているほうが楽しかった。

 朝の準備時間よりもすいみんをとり、可愛かわいい服装よりも動きやすいかつこうを好むくらいに女子力が低かった。

 そんなんだったから男子に女子あつかいされなかったし、私も男子を異性として意識することはなかった。

 ──こんな私が〝自分を変えたい〟と思い始めたのは、美鈴にある本を借りてからだった。

 それは〈ハルカハツコイ〉という少女マンガで、はるというおとなしい女の子が、同じクラスの人気者・けいに恋をして、りようおもいになるためにひたむきにがんるという物語だ。

 美鈴によれば〝典型的な少女マンガ〟らしいんだけど、このジャンルを初めて読んだ私にはかなりひびいた。

 読んでいるだけで胸がキュンキュンしたし、何より恋する春花ちゃんが可愛くて、私もこんな風になりたいって思ったんだ。

 でも、男子達には「お前が少女マンガ読んでいるだけでウケる」と笑われ、恋をしたいとつぶやいただけで「お前みたいな女子力のカケラもないやつ、誰が好きになんだよ」と鹿にされた。

 馬鹿にされてムカついたし、なぐり飛ばしてやったけれど、アイツらの言うことが正しいということも分かっていた。

 ……ずっとこのままだったら、れんあいとはえんの生活を送ったまま年を取ることになる。

 今はこんなんだけど、私だって女の子らしい時もあった。

 今からでもおそくない。努力すれば、私も春花ちゃんみたいな女の子になれるはず。

 そう思った私は、中学の卒業式でみんなに宣言したんだ。

「高校で恋愛デビューする!」

 そう、教室中に響きわたるほどの大声で。


「はい、安部くんありがとうございました。聞いていたみんなは、めい簿のところに自己紹介の内容をメモしておくといいですよ」

 クラスメイトは、先生のアドバイスを聞いていつせいにペンを持ち始めた。

 私もあわてて筆箱からペンを取り出す。……やっば、回想にふけっていて安部くんの自己紹介を全く聞いてなかったよ。

 とりあえず〝メガネ〟って書いておこう。

 安部くんの次からは、メモを取るために集中して話を聞くことにした。

 もしかして、先生はしんけんに自己紹介を聞いてほしくてそう言ったのかな。

 とうくんは野球が好き、がわくんはバンドをやっている、とうくんは映画が好き、とメモを取っていく。

 順調に自己紹介が進んでいき、十一人目が教卓の前に立った時、クラス中の女子たちの背筋がまっすぐにびた気がした。

 長身で手足が長く、髪は流れるように整えられ、前髪からのぞく切れ長のひとみはとてもキラキラしている。だれがどう見てもカッコいい、モデルのような男の子がクラスメイトにいるなんて気づかなかった。

 いったいなんて名前なのだろう。

 ──ドキドキしながら名簿に目をやったしゆんかん、私の体は氷のようにカチカチに固まった。

駿するあやです。よろしくお願いします」

〈するが あやと〉

 忘れかけていた、その名前。私をゆいいついじめたことのある男の子と同じ名前だ。

 そういえば、入学式の時に見た夢にも出てきたな、あやとくん。

 今でも思い出すと暗い気持ちになる。

 私の知っているあやとくんは小学校から遠くに引っしたけど、目の前にいる彼はただのどうせい同名なのかな。

 さっきとはちがうドキドキを胸にめて、彼の自己紹介に耳を傾ける。

 ……なぜか、彼は名前を言ったっきりちんもくしていた。

「えーと、駿河くん、もう自己紹介は終わりなのかな? あと何か話すことはない?」

 溝川先生が助けぶねを出すと、駿河綾人は、聞こえるか聞こえないかくらいの小声でこう続けた。

「……子供のころ、この付近に住んでいましたがしばらくはなれて──」

「──ええっ!」

 駿河の声にかぶさるように誰かがさけんだ。

 そして、先生もふくめてクラス中がその声の主に注目する。

「えーっと、やすはらさん、どうしたのかな?」

「えっ、私ですか!?」

 先生に名前を呼ばれて、さっきの声の主が自分だったことに気が付く。

 ……自分でも無意識に声が出ていたらしい。駿河も目を見開いてこちらを見ている。

 やっばい。悪目立ちしちゃったかも。

「あ、あの、ごめんなさい! なんでもないです」

「そうなの? ほかの人の自己紹介中は静かにしていてね。駿河くんはもう終わりかな?」

「……はい」

 駿河は何事もなかったかのようにすずしい顔をして、席へともどっていった。

 うわぁ、本当に最悪だ。初日から先生にもおこられたし、アイツは私をいじめていた駿河綾人に間違いないだろうし……。

 穴があったら入りたい、とはこういうじようきようのことを言うのだろうか。

 ひたすら名簿とにらめっこをして、顔の赤みが引くのを待っていた。


はしもとです。気軽にレオって呼んでください! 僕は楽しいことが大好きなんで、クラスのみんなで遊びに行けたらなって思っています」

 橋本くんの声はとっても明るくて、全く緊張していない様子だった。

〝楽しいことが好き〟とメモにとる。

 橋本くんはとても楽しそうに話すから、聞いているだけで心が明るくなっていく。

 ワックスで無造作に整えられたくりいろかみに見えかくれするシルバーのピアス。笑った顔は子犬みたいに可愛くて、おそらくクラスのムードメーカーになる人だと思った。

 ……あっという間に男子の自己しようかいが終わり、女子の番になる。

 カラオケが好きな子、すいそうがく部に入りたい子、ダンスが得意な子などがいた。

 いろんなしゆを持っている人がいておもしろいな。

「では、次は安原さん、お願いします」

「……はい」

 そして、とうとう私の番となる。

 きようたくの前に立つと、クラスメイト全員の顔がよく見えてきんちようしてしまう。

 人前で話すのは得意なのに、さっきの失敗のせいでうまく話せそうにない。

 とにかく、駿河綾人の顔だけは絶対に見ないようにしよう。

「安原莉緒です。お……お作りなどが趣味です。みなさん仲良くしてください、よろしくお願いします」

 簡単な自己紹介を終え、足早に席へと戻った。

 お菓子作りが好きだなんて真っ赤なウソなんだけど、女の子らしい趣味だと思って言ってしまった。春花ちゃんも得意だったしね。

 まぁ、これから覚えて本当のことにすればいいだろう。

 ──自己紹介の最後は美鈴だった。彼女はキレイな歩き方で前に出ていく。

よし美鈴です。中学ではバスケをやっていましたが、高校ではテニス部に入りたいと思います! これから一年、よろしくお願いします」

 美鈴は全く緊張していないようだった。むしろ自己紹介なんてゆうって感じ。

 それにしても、美鈴がテニス部に入るなんて知らなかったな。

 中学の時はバスケ部のエースだったから、高校でも続けるかと思ってた。

「吉木さん、僕はテニス部のもんもやっているので、大いにかんげいしますよ。他にテニス部に興味がある人はぜひ教えてくださいね。……皆さん、自己紹介ありがとうございました。あとは簡単に明日あしたからのスケジュールを説明して、今日は終わりますね」

 先生からの簡単な説明を聞いて、高校入学一日目は終わった。

 終わった瞬間、どっとつかれがこみ上げてきた気がする。

「莉緒、いつしよに帰ろうか」

「うん」

 私と美鈴は一緒に教室を出て、学校から駅までの道のりを歩いた。


「莉緒、なんで自己紹介の時に〝ええっ〟なんて叫んだりしたの?」

 校門を出てかくてき人通りが少なくなったところで、美鈴から自己紹介の時のことについてツッコまれた。まぁ、確かに気になるよね。

「あのさ、私がようえんの時にいじめられたことがあるって話したよねぇ?」

「ああ、聞いたことある。それがきっかけで性格が変わったんだっけ?」

「そう。いじめられてまんの限界でキレちゃって……今みたいな性格になったんだ。それまでは自分の意見も言えないおとなしい子でさ」

 美鈴は、私の思い出話と今回のことが結びつかなくて不思議そうにしている。

「その話が何か関係あるの?」

「そのいじめていた相手っていうのが、多分……駿河綾人なんだよ」

「ええっ、何そのぐうぜん! でも確かに、昔はこのあたりに住んでたって言ってたもんね」

「まぁ、多分なんだけどね……。過去の話とはいえ、ちょっといやだなって」

 私にとって幼稚園は苦い思い出。

 いじめられてつらかったし、それが原因でこんなガサツな女になってしまったし。

 もし駿河にいじめられていなかったら、私はどんな女の子になっていただろうか。

 幼稚園のことを思い出して落ち込んでいると、美鈴はなぐさめるように私の頭をでた。

だいじようだよ。もう十年くらい前の話だし、駿河くんも覚えていないかも。気にすることないよ。もしまたいじめられたら、私が守ってあげるからさ!」

「……美鈴」

 美鈴の気持ちがうれしくて、思わずほろりときてしまいそうだ。

「心の友よー!」

「……そういうのはやめなさい」

 美鈴にきつこうとしたら、今度はきつめに頭をたたかれてしまった。

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