餌付け 黒羽瑛人

「あー、腹減った! もう動けねえ」

 ひときわ大声でしゃべるまるあたま

 見知らぬ顔だから、たぶん上級生なのだろう。

 その後ろに並んでバスを待つ。


「あれ?……なあ? なんか良いにおいしないか? うまそうな匂い。甘い匂い」

 その丸刈り頭が鼻をクンクンいわせながらとなりに並ぶ丸刈り頭に話しかける。


 彼が振り返ったたんに私と目が合った。

「……あ」

 私のカバンの中にはクッキーが入っていた。

 でも、それからの匂いではなくたぶん家庭科室いっぱいに広がった甘い匂いが私の制服やかみに付いてしまったのだろう。


 家庭科部といっても、メインは料理。

 その中でも私が好きなのはパンやおを作る事だった。

 で、今日はクッキーを作った。


 オーソドックスなバタークッキーからココアパウダーを使ったものや、ごまときな粉を練りこんだもの。

 アーモンドパウダー入りも美味おいしかった。

 その残りがカバンの中に入っていた。


「あ……。あの、良かったら食べますか? クッキーなんですけど、少ししかありませんが」

「え、うそっ! マジで!? 食う食う」


 たぶん犬のように彼にも尻尾しつぽがついていたなら全力で振っているであろう喜び方に、ついつられてこちらまで笑ってしまった。


 レースペーパーとマスキングテープで可愛くラッピングしたとうめいふくろに入ったクッキーを、カバンから取り出した。

「え、これ、ほんとに俺が食って良いの? 可愛く包んでるからだれかにあげるんじゃ……」

「あ、いえ。特にそういうわけじゃないんです。ただ、その方が可愛いからしただけなので」

「うわー、旨そう。あんた、家庭科部?」

「あ、はい。そうです」

「じゃ、まきとかひらとかと同じ?」

 それを聞いて、彼が二年生だと分かった。

「はい」

 そう答えたところで丁度バスがやってきた。

「これ、サンキュ。味わって食うから」

 満面の笑みに、あげて良かったと思った。


「ちーやん、かわたににクッキーあげたんだって?」


 翌日の部活の時間、牧野せんぱいと平田先輩が家庭科室にやって来るなりニヤニヤしながら言ってきた。


 いつしゆん『河谷』が誰のことか分からず首をかしげる。

したってダメなんだから。バス停でクッキーもらったって言って河谷喜んでたよ。あいつ、おかっぱって言ってたから絶対にちーやんの事だと思った!」

「ねぇねぇ、もしかしてあいつの事好きなの?」

 バス停とクッキーでようやく思い出した途端に、先輩が放った「好き」の言葉がどうようさそう。

「まっまさか! ちがいますよ。昨日初めて存在を知ったんですから!」

 赤面しようの私はこんな風に少しからかわれただけでもすぐに赤くなる。

「いやいや、好きになるきっかけなんて分かんないものよ?」

「そうそう。私達、協力するって」

 そう言ってニヤニヤする二人の先輩は、その日作ったぶたまんをみんなより少し多く持たせてくれた。

 二人に悪気が無いからこそ、断りにくい。仕方なくそれを受け取る。


「あいつ、河谷さ。野球部で大会近いから練習がんってるんじゃない? 持って行ってあげなよ。ね?」


 別に好きというわけではないのだけれど結局丸めこまれて、まだ温かい豚まん四つの入ったかみぶくろをギュッとにぎりしめる。

 こうなれば、やはりあげた方がいのだろうか。

 目の前で「腹減った!」と大声で連呼する丸刈り頭に……。

 かくを決める。

「あの、これ……。良かったらみなさんでどうぞ」

 並んでいた四人の丸刈り頭の目がいつせいに私に向く。

 みんなの分あるな、と思いながらまどいがちに紙袋をわたした。

「あ、え? マジで? 今日もくれんの!? サンキュ!!」

 そう言うなり途端に一つ目を紙袋から取り出しバス停で待つ短い間に三口で食べてしまった。あとの三人がうらやましそうに見てるのに気づき、「俺がもらったのに……。仕方ねえなぁ、感謝しろよ」と言いながら一つを半分に割ったのを一つずつ配って、残りをまた彼は食べ始める。

 その速さに私は感心しながらただ見つめていた。

 でも、こんなに喜んでくれるなら、明日あしたもまた何かあげても良いなとつい思ってしまうくらいに気持ち良く食べてくれていた。

「あー、旨かった。サンキュ」

 親指に付いた中のにくあんをペロリとめ取りながら笑う。そのがおにつられて私も嬉しくて笑った。


『好きになるきっかけなんて分かんないものよ?』


 途端にかんだ先輩の言葉。

 いや、違うから! と、私は急にずかしくなってうつむいた。

 彼に言葉をかける勇気もなく。


 今日はキーマカレー。

 残ったカレーはご飯に包んでおにぎりにした。

 で、ニヤニヤした先輩二人が私にそれを持たせる。

「先輩がわたせば良いじゃないですか」

「いやいや。ほら、待ってるだろうから早く行きなよ。今日は何作るの? って期待してたから」

 二人は自転車通学だからバス停には来てくれない。

「そんなぁ……」


 いつもは先に並んでいた丸刈り頭四人が、今日はいなかった。

 もう帰ったのかな、とほっとするよりも少しだけ残念に思う自分の気持ちをあわてて取り消す。

 バスが来る前に彼らが走って来て私の後ろに並ぶ。

『好きになるきっかけなんて……』

 だから、違う!


「あの、これ。牧野先輩と平田先輩からです」

 まだほのかに温かい大きめのおにぎり四つをぎこちなく差し出す。

「え? あ、ああ。サンキュ」

 いつもの満面の笑みではなかったけれど、やはり空腹ではあったのだろう。

 バスが来るまでの短い時間にガツガツとほおばる。

 今日はちゃんと一人一つのおにぎりが当たって良かったね、とほかのみんなもうれしそうに食べている姿につい目を細めた。


■□■


 今日の家庭科部は来月にひかえた体育祭の、各チームの団旗の補修作業。

 よほどひまな部活と思われているのか、ぞうきん作りなどの雑用もたのまれることが多い。


 でも、私のカバンには今おにぎりが一つ入っていた。

 家庭科の授業で作ったご飯としよう焼き。

 残りを少しもらっておにぎりにした。

 残念ながら海苔のりは巻いてないけれど、それは許してもらおう。

 いつも美味おいしそうに食べてくれるあの人を思い浮かべるだけで口元がゆるんだ。

 バス停まで。スキップしてしまいそうなほど、足元が軽い。


 早く。

 会いたい。



「腹減った!」と大声でさけぶ声が後ろから近づいてくる。

 その中でひときわ目立つ彼の声。

 もう、すぐに見つけられるようになった。

「あ、あの。良かったらおにぎり食べますか? 今日は一人分しか無いんですが」


 バス停に着く手前でまるあたまの彼におそる恐る差し出した。

「え?」

 少しおどろいた表情の彼。


 もしかして、めいわくだったかな……。

 いつも美味しそうに食べてくれるから、どこかで調子に乗りすぎていた自分がいまさら急に恥ずかしくなった。

「あ……サンキュ。え、でもこれ、なんで? さっき牧野達に聞いたら、今日はい物だから何も作らないって言ってたのに。だから今日は何もないと思って……」

「あ、今日うちのクラス調理実習だったので、もしかしたら食べるかなって思って……」

 だんだんと声が細くなる。

「余計なして、すみません」

 力無く一礼して私はバス停までけた。

 明日からもう、あげない方が良いような気がした。


 私が彼のことを好きと、かんちがいされそうで。

 ただ、いつも美味しそうに食べてくれるから……。


 そう思って、気づいてしまった。

『好きになるきっかけなんて……』

 そうか……。

 これがこいなのだ。


 料理を作るたびに彼のことが頭に浮かんだ。

 ……そうか。

 これが、恋なんだ。


 知ってから、気づかなければ良かったとこうかいする。


 明日からどんな顔して同じバス停に並べばいのか。

 もう、直視できない。

 声もかけられない。

 食べ物も渡せない。


 この気持ちに気づいた今だから思う。

 彼に見られるだけで恥ずかしくて蒸発してしまう。

 きっと。


 どうしよう……。


 ようやくバス停にげ込む。


「あ、あのさ!」

「きゃっ」

 とつぜん大声をかけられてかたねる。

 その声の主は、見なくてもだれか分かる。

 そっと声の方をり返った。その意外に近いきよに固まる。


 だっダメだ。

 心の準備もしていない。慌てて目をそらした。

「すみません、余計な事をしてっ!」

 謝りの言葉に彼のまどいが伝わる。

 そもそもクッキーなんてあげたのがちがいだった。

 ずかしさになみだがにじむ。


「あ、いや……。サンキュ。うまかった」

 恥ずかしくて逃げたいのに、ここで逃げたら意識しすぎなのがバレバレ。

 牧野せんぱいと平田先輩をうらむ。

 あの二人の言葉がなければきっと、私は今も彼へのおもいに気づかないままでいられたのに。

 うつむく私に彼はきっとこんわくしている。

 いやちんもくがいつまでも流れる。


 それを破ってくれたのは彼だった。

「あ、あのさ! 明日あしたはオムライスだって聞いた。俺、卵半熟は苦手だから、しっかり火通した方が好き」

「え?」

 顔を上げたは良いもののキョトンとほうけ顔の私に、今度は彼が丸刈り頭をかきながら俯く。

「そ、それと……。今度からはあいつらの分はいらないから。お、俺のだけ作ってくれると……う、うれしい」


 友達の分はいらない……?

 ああ、材料代とか気にしてくれてるのかな。

「あ、だいじようです。いつも多めに作って、みんな持ち帰るから。うちの家族、少食ばかりだから」

「ちっちがうっっ」

 ……何が?

 固まったまま、まばたきをする。

 いつしゆん合った彼の視線がまた泳いでどこかへ行ってしまった。

「あの、あれ、さ。できればその……俺のためだけに作ってくれると、嬉しい……って言うか。牧野達にたのまれたからとか関係なく、あんたが俺の為に作ってくれたのを俺は食べたい!」



 名前は河谷先輩。

 二年生。

 部活は野球部。

 卵は半熟じゃなくてしっかりと火を通した方が好き。

 たぶん、すごく照れ屋。


 まだそれしか彼のことを知らない。



「……はい」


 だけど、私の作った料理を本当に美味おいしそうに食べてくれる。

 好きになるきっかけは、それだけで十分だった。


<続きは本編でぜひお楽しみください。>

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