第2話「約束」①

 トンボの地味子。

 クラスのみんなが私をそう呼んでいるのは知っている。

 真っ黒なかみは後ろに一つのゴムでくくっただけで、全く可愛かわいさのない赤色眼鏡めがねをつけた私。トンボのあだ名は昔からあるどうようの歌から取っただけというのも、もちろんあく済み。

 そう呼ばれるのは仕方ないって思ってた。

 だって本当に地味なんだもん。

 まだ十七歳だっていうのに、明るさなんて私にはいつさい無い。

 だから友達もいなくて、いつもいつしよにいてくれるのは教科書とペンとれんあい小説。私がこんなものを持ち歩いているのは、母親から「勉強しなさい」と毎日言われるからだ。

 勉強をする事はきらいじゃない。むしろ好き。

 だってまだまだ自分が知らない事はこの世の中にはたくさんある。

 だからこそよくいてくるし、何よりも勉強は裏切らない。

 そしてそれは恋愛小説も一緒。ラストは絶対にハッピーエンドだもん。

 こんな地味子の私でも少しは女の子らしくいられる時間がこの恋愛小説を読んでいる時だけ。

 だって、こんな見た目の私。だれが好きになってくれるんだろう?

 トンボの地味子だよ? 誰がトンボに好意を寄せてくれるの?

 恋愛をほうした私は、ますます勉強と恋愛小説に深くハマっていって……

 け出せなくなりそうになっていた時に、ある男の子に手をばされてつかまってしまった。

かしわぎ! お願い!! 俺に勉強を教えて!!」

 ある日の放課後、とつぜん私に頭を下げてきた男の子。

 トンボの地味子とは呼ばず、私の本名である柏木の名字を呼んだ、背がめちゃくちゃ高いバスケ部員の人……

 あかだい

 名前の通り、とてつもなく広い大地のような心と熱い感情をぶつけてきた男の子が私の前に現れた。


■□■


 赤城君が現れたのは本当に突然だった。

 クラス委員長である私が日誌を一人で書き終わったこの時間。

 だいだいいろの夕日がクラスをやわらかな光で照らすこの光景を見ながら、私は真っ赤なブックカバーがかかった恋愛小説を読んでいた。

 いつものにぎやかで……だからこそどくを感じるこのクラスがたった一人、私のためにあると思えるこの時間が大好きだった。

 そして恋愛小説の世界にのめり込み、ぼつとうする。

 家に帰ったら親が決めた家庭教師との生活が待っている私にとって、ゆいいついききだった。

 そして、その日もいつもと同じく変わらない放課後を過ごしていたその時。

 バタバタバタッ!! とごうかいな足音を鳴らしてろうを走るうわきの音が聞こえてきた。

うるさいなぁ」

 せっかく高校生同士のういういしい二人が少しきよを縮めようとするとってもいいシチュエーションだったのに。

 かたを落としため息をついた時、また豪快にドアをスライドさせる音が聞こえてきた。しかも開いたのは私のクラスだ。

 誰だろう? 誰かが忘れ物でもしたのかな?

 視線だけとびらの方へ向けると、私とバッチリ目が合った男の子がいた。

「わっ! 誰かいた!!」

 突然現れた男子は、スポーツロゴがプリントされたタンクトップにグレーのハーフパンツ姿で首にはスポーツタオルをかけていた。

 それに確かこの背の高い男子。バスケ部でエースをやっているって聞いた事がある男子だ。クラスは確かとなりで名前は……

ふか君?」

「おっ! 俺の名前知ってんの?」

 イケメンなのにひとなつっこい顔で私の言葉に反応してくれる。

 その明るい表情にドキッとしてしまった。

 でもこの人、彼女がいるはず。だってクラスの誰かが、彼女がいるからあきらめなきゃーって話していたのを聞いた事があるから。

 このクラスに来たってことは、私以外の誰かに用があるわけで……

「なー、赤城のやつ知らない?」

 ……赤城君。

 ウチのクラスのバスケ部員の男子の一人だ。

 私が通っている高校は、バスケ部が県内ではトップレベルの強さをほこきようごうらしい。だからいつぱん入試でもバスケ部希望の人は多くて、各クラスに何人かは必ずバスケ部員の子がいる。赤城君もその一人だ。

「なぁ、探してるんだけど? ここには来てねぇ?」

「うん……見てない」

 小説にまた視線をもどしてそっけない返事をした。

「ふーん、そっか。じゃーいいや! もし赤城のやつ見かけたら、バスケ部のやつらが探してた! って言っといてくれよ! たのむな!」

「えっ? ちょっ」

 勢いよく立ち上がり深谷君に声をかけたけれど、それだけを言い残してあっという間にその場からいなくなってしまった深谷君。

 私が赤城君に伝言とか……自分から男子に話しかけるなんて。

「で、出来ない。出来ないわよ、そんなことっ!」

 独り言を言いながら立ち上がった時に眼鏡がズレたからかけ直した。

 すると、黒板の前のきようだんからガタガタガタッ!! という音が聞こえてきた。

「へっ? えっ?」

 教壇? 今、教壇から音が聞こえてきた気がする。

 もしかして放課後だけしゆつぼつするお化けとかようかいたぐい

 いや、でもまだ外は明るい。そんなものが出るなんてまだまだ早い時間だ。

 じゃぁ……誰?

 もしかして変質者? 校内にしんにゆうした犯罪者とか?

 こわくて固まってしまった私の身体からだは思うようにいう事を聞いてくれず、足がガクガクとふるえるだけでげる準備も何も出来ていない。

 教壇の中からはおかまいなしに大きな音を鳴らせて、黒くて大きいかげがその姿を現した。

「あーーっ! せまかったぁ!」

「きゃああああっ!」

 突然大きな音と大声と共に現れた長身の後ろ姿。

 あまりのおどろきに私はらしくないさけび声をあげて、自分の席へと座り込んでしまった。

 現れた長身の男の子はウチの学校の制服を着ていて、教壇の中に無理な体勢でかくれていたせいか、長いうでを伸ばして思いっきりびをしている。

 腕を伸ばした後、その男子はゆっくりと私の方をり向いた。

 そしてその顔は……

「あ、赤城君?」

「おー。柏木、ありがとうな、大和やまとのヤツどっかやってくれて」

 私が変質者と思った相手は、さっきまで深谷君が探していた赤城君その人だった。

 クラスメイトであったことに安心して気が抜けた気持ちと、「どうしてあんなところに?」と疑問に思う気持ちで胸の中はいっぱいだ。

 今すぐにでもなぞを解明してスッキリしたいのに、私の口は気持ちとはちがいパクパクと開いたり閉じたりしてるだけ。

 そして今のしようげきに身体も動かなくて、ただ赤城君を見上げている格好になっていた。

「あーっ! やっと抜けられた! ったく、さっさと探しに来て部活に行けってんだよな」

 伸ばした長い腕は背伸びをやめて、今度はかたうでずつグルグルと回している。

 そして歩いて近づいてくる赤城君はクラス一身長が高いのもあるけれど、あっという間に後ろの席の方にある私の机までやってきた。

「悪かったなー。驚かせて。でも、スゲーだろ? 俺のかくれんぼ」

「……」

 返事の言葉は出てこなくて、ただ首振り人形みたいに上下にうなずき続けた。

 おかげで眼鏡めがねもズレて、今の私はこつけいな顔になっていると思う。

「んっ? すごくない? 俺のかくれんぼの術」

 それはもしかして「隠れみのの術」と言いたいのかな?

 ちがいに気付かない赤城君はに座って動かない私の方に上半身をかがませ、顔をのぞき込んでくる。

 私の目の前には赤城君の顔があり、かみはワックスか何かを付けているのか、独特のそうかいかんのあるかおりがした。

 それにしても……

「ち……」

「ち?」

「……近い」

「へっ? 何?? 声、ちーせぇよ」

「ち、近いっ」

「だから何??」

 さらに近寄ってくるただのクラスメイトの赤城君の顔。

 この人は人見知りもしないクラスの人気者だからいいけれど、人付き合いが一番苦手な私にはこんなのごうもん以外の何物でもなくて!

「ち、近い! はなれて!」

 力を込めて赤色のブックカバーを赤城君の顔面に押し当てた。

「いっ……て!」

 思いっきりぶつけたブックカバーは見事に赤城君の顔面にヒットして、離してみると赤城君の鼻の頭は真っ赤になっていた。

「そ、そんなにイキナリ近寄ってきたら驚くし……それに、何で!? いつからあんなところにいたの!?」

 ぶつけた本で今度は自分の顔半分を隠し、目だけを出して赤城君を見ていた。

 慣れない男子との会話にこめかみからは次々とあせが流れ出てくる。

 そんな私を赤城君は何とも思っていないのか、よくぞ聞いてくれました! みたいなニッコリと笑った顔でこたえてくれた。

「教壇の下だろ? 隠れたのはみんながいなくなってからだ。お前ずっとここに座っていたのに、日誌書いてからも全然気付かないんだもんな。本ばっか読んでて」

 顔がしゆうしんおそわれて赤くなっていくのがわかる。

 ずっと見られていたんだ、私の行動の一部始終。

 だんだれも気にも留めない私の行動が、まさか放課後の時間になって見られているなんて。

「すっげー幸せそうな顔で本、読むんだな。柏木って。いつもそんな顔してりゃいーのに」

 赤城君は赤くなった鼻をこすりながら、私の前の椅子に座り、誰にも言われた事のない言葉を送ってくれた。

 ただでさえつうに会話する事が難しいのに、こんなことを言われてこのままここにいられるほど、私の心にゆうはなかった。

「か、帰る……」

「えっ? ちょっ」

「さようなら!」

 赤色のブックカバーを学生かばん押し込めて、逃げるようにその場を離れた私。

 もう赤城君がなぜあんなところに隠れていて、バスケ部の子がどうして探しているのかなんて事情はどうでもよくなっていた。

「おーい! 柏木! 待てよ!」

 遠い後ろの方から私を呼ぶ声が聞こえる。

 振り向いたら、教室の窓から顔だけを出して赤城君は私の姿を見ていた。その時、目と目が合い、ますますどうしていいかわからなくて逃げる足が速くなる。

 なのに赤城君は……

「また明日あしたなーっ!」

 聞こえていないふりをして、今度は鞄で顔半分を隠しながら私は早歩きでくつばこまで辿たどり着き、バス停までの道をまだね続けているどうを一人で感じつつ歩いた。めつに帰ることのない夕暮れ前のこんな時間。

 いつも帰る時間は授業が終わってすぐ下校する生徒と、部活後の生徒が帰る間の時間だからほとんど同じ学校の子はいないのに、今日はいつもより早いせいか同じ制服を着た生徒をチラホラ見かける。

 それもみんな楽しそうにどこかに寄る予定をたてながら。

 私と違い、制服もオシャレにくずしていて髪もメイクもちゃんと流行を追っている。

 学校の中では地味でもいい。その他大勢の一人でいられるから。

 でも、一歩学校の外に出ると、たんむなしさに襲われていつも下を向いて歩いてしまう。

 逃げるようにしてやってきたバスに乗り込む。

 でも、家に帰ったら帰ったで別にごこがいいわけじゃない。

「あら、今日は早いわね。放課後、予習復習はしてこなかったの?」

 家の中に入るなり、「おかえりなさい」の言葉さえもない私の母親だ。

「……今日は、放課後にクラスの子が残ってて集中出来なかったから帰って来た」

「そう。だったら家庭教師の先生が来るまでちゃんとやっておきなさいよ。

 お勉強はり返しが一番大切なんだから」

「はい」

「ただいま」も言わない私達親子の会話。

 階段を上がりながらいつからこんな会話しかしなくなったんだろう……っと、ふと思った。

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