春色シンドローム 残念王子様と恋の消しゴム/くらゆいあゆ
1.残念王子に奇跡の再会
「ちょっと君たち事務室に来なさい」
高校受験の模試会場で、試験
試験中に声をかけなかったのは、たぶん
その男の子は試験監督に目を向けるよりも先に、長机のひとつ席を空けた場所で身をこわばらせるわたしの
安心していいよ、と言ってくれているようで、こんな一大事だというのに心が
事のほったんは一時間前にさかのぼる。
どこかの大学のキャンパスを借りてやった、中学三年、夏休み明けの模試だった。長い机の
もう隣こないのかな、となんとなくそっちをぼんやり
整った顔立ちのせいで
試験開始から十分が
顔をほんの少し
消しゴムだ……。
わたしは予備に持ってきていた消しゴムを自分のペンケースの中から取り出し、
困っている。どうしよう。この模試だって大事な判定材料になる。これがあればあの子は助かるはずだ。
でも……。
わたしが机の上に置いた消しゴムに手を
わたしのどこにそんな勇気があったのか、今となってはまるでわからない。なにかに導かれるように、声を出さずに
〝いくよ〟
男の子の視線がわたしの顔から机の上の消しゴムに落ちる。
彼が大きく目を見開く中、わたしは消しゴムの上に置いた指を動かした。消しゴムが長机の上を
その子はかなり
わたしは問題用紙に視線を
「ちょっと君たち事務室に来なさい」
わたしの浅はかな判断が、その男の子を
「なんすか? この消しゴムのこと? 俺が消しゴムなくて困ってるのを見かねて、隣の席のこの子が貸してくれただけっすよ」
「いいから来なさい。ここで話すと他の生徒の
「試験が全部終わってからじゃダメっすか? 解答なんてかなり
男の子は試験監督に消しゴムを差し出した。
「だけど、そういう
男の子から消しゴムを受け取りながら、試験監督は口ごもった。
「カンニングじゃないって調べりゃすぐにわかることです。あたら十五歳の純真
「…………」
「俺が
男の子は試験監督を前に
「いいだろう。二人とも最後まで試験を受けなさい。その後話を聞かせてもらう」
そう言い放つと試験監督はわたしたちに背を向けた。その背に男の子が言葉を投げる。
「すいません、消しゴム貸してください。俺、忘れたんで」
「……
「ごめんな、あと、ありがと」
教卓に向かう前、男の子は、わたしのほうをちらっと見てそうささやいた。
その後、二教科の試験を受け、わたしたちは事務室に呼ばれた。私立模試で三教科しかなかったことがありがたかった。気まずい時間を長く過ごさなくてすんだ。
最初は個別の部屋に通された。
「
「はい」
そこでいろいろと聞かれ、その後さっきの男の子と
そこでもまた
次からは
でも男の子は終始無言で
「あの……ごめんなさい。わたしすごく余計なことしたみたいで……」
事務室の前の
「いんや、こっちこそごめんな。俺が消しゴム忘れたりしたから、君を巻き込んじゃって。てかすごいよね」
「え?」
「あの
「えっ?」
わたしは目をみはった。
勇気? 感動? わたしが人にそんなものを
でもそうだ。わたしの今日の行動に一番
わたしのどこにこんな勇気が
引っ込み思案なわたしは自分に自信が持てない。
運動神経もよくないから、小学生の
失敗すると赤面しちゃうのを笑われるだけじゃすまない。小学生はまだ男子のほうが幼くて、その場の感情に支配されがちだった。
それもわたしが男子を苦手になってしまった理由のひとつだ。
そういう男子との間に
小さい頃から
でも今日、わたしは困っているこの男の子を助けようとした。男子だったのに! なぜか!
その結果、この男の子から勇気があるとか感動した、なんて言われたことで、自分をまるごと
男子を、今までとは違う生きものだと認識した
歩く廊下の色さえ違って見えた。中学の廊下よりも大学のものは白っぽくて明るいけど、そこじゃないんだ。
もしかして男子苦手
人の引けた空間を二人、並んで歩いた。
名前も知らないこの子は
それにしても……。わたしがこんなに勇気を出したのは小学校五年のあの時以来。相手はあの時と同じように男子。
なけなしの自信と奮い立たせた勇気を全否定され、わたしの小さな世界を根底からひっくり返す結果になってしまったあの四年前の出来事を思い出す。
あれから、子供心に身の
でもできれば
でもでも。今、わたしが勇気を出したことを、同じ男子であるこの子が認めてくれた。なんだかとても不思議だ。
「第一志望、どこ?」
「
わたしは、その子に自分の志望校をすんなり答えていた。聞き方が直球すぎるし、
思考が過去に飛んでいたところにありえない質問がきて、ほぼ反射で答えてしまっていた。
「あー、
「
「え? あれ? なんで
血相を変えて廊下を小走りでこっちに向かってくる人がいた。洗練された黒のパンツスーツに身を包んだ三十代くらいの女の人。
「あんまり
「間違いだって」
「そうみたいですね。でも昨日のうちからちゃんと用意しておけば、そんなことにはならなかったはずでしょ?」
「うるさいな」
「今朝だって
「ちょっと葛西さん、もう帰るよっ。そんじゃーね。お
その男の子はそうさえぎると、葛西さんと呼んだ女性を出口のほうに無理やり押し出しながら、わたしに手を
「またね」
「はぁ」
どんな関係の人? 葛西さん、なんて
もう会うこともないからこそ、簡単に志望校を答えられたのかもしれないな。
■□■
その人に、高校で再会した。それが
入学式で、列に並ぶわたしに後ろから「よぉ」と気安く声をかけてきた。
暖かい日差しの中、満開のさくらの下で、あの時の人が目を細めて笑っていた。日向坂高校のブレザーにネクタイ姿がやけに大人びて見えた。急に春めいて温度が
宇城くんの
一年の時のクラスは
そのうえ運動神経もいい。いろんな運動部から引っ張りだこだったみたいだ。
最終的に自分では最初から決めていたらしいサッカー部に入っていたけど。中学がサッカー部だったとあとから知った。
そんな絵に
実際とりまいていたのだ。入学からこっち、最初の一週間程度は。
一年二組にどこぞのタレント事務所の男子がいると、女子の間でまことしやかにささやかれていた。
しかし高校二年で同じクラスになった現在、宇城くんに女友だちは多いものの、彼女と呼べる人はいない。彼女になろうとする子も、知っている限りはいない。
変わっているのだ。
もう外見の
〝イケメンのもちぐされ〟〝観賞用〟〝残念王子〟と、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます