春色シンドローム 残念王子様と恋の消しゴム/くらゆいあゆ

1.残念王子に奇跡の再会

「ちょっと君たち事務室に来なさい」

 高校受験の模試会場で、試験かんとくからそう告げられたのは、最初の教科が終わった直後だった。

 試験中に声をかけなかったのは、たぶんほかの生徒へのはいりよだ。

 その男の子は試験監督に目を向けるよりも先に、長机のひとつ席を空けた場所で身をこわばらせるわたしのひとみのぞき込んだ。

 安心していいよ、と言ってくれているようで、こんな一大事だというのに心がいだ。


 事のほったんは一時間前にさかのぼる。

 どこかの大学のキャンパスを借りてやった、中学三年、夏休み明けの模試だった。長い机のはしと端、真ん中の席をひとつおいて受験番号順に座るよう指示が出ていた。

 こくギリギリに、わたしのとなりの席に、ちょっと目をひくくらいかっこいい男の子が座ったのだ。

 もう隣こないのかな、となんとなくそっちをぼんやりながめていた時に、そこにドサッとスクールバッグが置かれた。ふてくされたようなおもちで、その子はスクールバッグから筆記用具を無造作に取り出して机に置く。

 整った顔立ちのせいでおこったように見える無表情が、よけいはくりよくに輪をかける。苦手なタイプ、ととっさに感じたのを覚えている。


 試験開始から十分がったころ、わたしは隣の男の子の異変に気づいた。ごそごそと身動きをする音が、静まり返った会場にひびく。

 顔をほんの少しかたむけてかくにんすると、どうやら何かをさがしているようだった。ペンケースの中身を全部出したり、プリント類をどけてみたりしている。

 消しゴムだ……。

 わたしは予備に持ってきていた消しゴムを自分のペンケースの中から取り出し、にぎりしめた。

 困っている。どうしよう。この模試だって大事な判定材料になる。これがあればあの子は助かるはずだ。

 でも……。

 わたしが机の上に置いた消しゴムに手をせ、首をかしげていると、ふいに動きを止めた彼がこっちを向いた。わたしとその子の視線がぴったり重なる。一秒あるかないかのそのいつしゆんが、なぜかとてもき通っているように感じた。

 わたしのどこにそんな勇気があったのか、今となってはまるでわからない。なにかに導かれるように、声を出さずにくちびるだけが動いた。

〝いくよ〟

 男の子の視線がわたしの顔から机の上の消しゴムに落ちる。

 彼が大きく目を見開く中、わたしは消しゴムの上に置いた指を動かした。消しゴムが長机の上をすべっていく。

 その子はかなりどうを外したそれを器用に受け止める。その格好のまま、まだびっくりまなこでわたしをぎようしていた。

 わたしは問題用紙に視線をもどし、長文の続きにとりかかった。


「ちょっと君たち事務室に来なさい」

 わたしの浅はかな判断が、その男の子をきゆうおとしいれることになってしまった。

「なんすか? この消しゴムのこと? 俺が消しゴムなくて困ってるのを見かねて、隣の席のこの子が貸してくれただけっすよ」

 こうちよくして言葉が出ないわたしとは違い、その男の子はなんの気負いもなくしやくめいしていた。

「いいから来なさい。ここで話すと他の生徒のめいわくになる」

「試験が全部終わってからじゃダメっすか? 解答なんてかなりちがってるはずだし、第一俺たちは初対面だ。これじゃ親切心で貸してくれたこの子にめっちゃ迷惑かかるじゃないっすか。この消しゴムに細工もないっすよ。調べてください」

 男の子は試験監督に消しゴムを差し出した。

「だけど、そういうこう自体がはん……」

 男の子から消しゴムを受け取りながら、試験監督は口ごもった。

「カンニングじゃないって調べりゃすぐにわかることです。あたら十五歳の純真な少年少女の将来をつぶす気ですか? しかも一番かんじんなことに、俺たちは無実だ」

「…………」

「俺がなら彼女だけでも試験を受けさせてください」

 男の子は試験監督を前におくすることがなかった。

「いいだろう。二人とも最後まで試験を受けなさい。その後話を聞かせてもらう」

 そう言い放つと試験監督はわたしたちに背を向けた。その背に男の子が言葉を投げる。

「すいません、消しゴム貸してください。俺、忘れたんで」

「……きようたくの前まで取りにきなさい」

 あきれたようなあきらめたようなこわで、試験監督が応じた。

「ごめんな、あと、ありがと」

 教卓に向かう前、男の子は、わたしのほうをちらっと見てそうささやいた。


 その後、二教科の試験を受け、わたしたちは事務室に呼ばれた。私立模試で三教科しかなかったことがありがたかった。気まずい時間を長く過ごさなくてすんだ。

 最初は個別の部屋に通された。

みなとがわ第二中学三年、しまもとちがいないね?」

「はい」

 そこでいろいろと聞かれ、その後さっきの男の子といつしよの部屋に案内された。

 そこでもまたしつもんめにあったけれど、わたしたち二人に以前からの接点はない。消しゴムにも細工がなく、三教科の解答にもしんな点がみつからなかったことから、その場で無罪ほうめんになった。

 次からはまぎらわしい行動をとらないこと、試験にくるのに消しゴムを忘れるなんて言語道断だと、その男の子は厳重注意を受けていた。紛らわしい行動をとったのはわたしだ。

 でも男の子は終始無言でなおにうなずいていた。

「あの……ごめんなさい。わたしすごく余計なことしたみたいで……」

 事務室の前のろうでわたしは男の子に頭を下げた。

「いんや、こっちこそごめんな。俺が消しゴム忘れたりしたから、君を巻き込んじゃって。てかすごいよね」

「え?」

「あのじようきようで困ってる人に消しゴム貸そうとするなんて。めっちゃ勇気あるなと、俺感動したわ」

「えっ?」

 わたしは目をみはった。

 勇気? 感動? わたしが人にそんなものをあたえたりできるの?

 でもそうだ。わたしの今日の行動に一番おどろいているのは、まぎれもない自分自身。

 わたしのどこにこんな勇気がねむっていたのかとぎようてんしている。わたしって、もしかしてやればできる子?

 引っ込み思案なわたしは自分に自信が持てない。

 運動神経もよくないから、小学生のころおにごっこで延々鬼だったり、ドッジボールですぐ当たってチームメイト、特に男子に舌打ちされたりしていた。

 失敗すると赤面しちゃうのを笑われるだけじゃすまない。小学生はまだ男子のほうが幼くて、その場の感情に支配されがちだった。くちぎたなめ立てるのは男子が多い。

 それもわたしが男子を苦手になってしまった理由のひとつだ。

 そういう男子との間におうちし、き飛ばす勢いでわたしを守ってくれていたのが女の子であるかなでようえんに入る前から現在に至るまでのわたしの親友だ。

 小さい頃からたよりになるのは男子じゃなくて、正義感の強い女の子の友だちだと刷り込まれてきたところがある。

 でも今日、わたしは困っているこの男の子を助けようとした。男子だったのに! なぜか!

 その結果、この男の子から勇気があるとか感動した、なんて言われたことで、自分をまるごとこうていしてもらえたようなさつかくにおちいっている。

 男子を、今までとは違う生きものだと認識したしゆんかんだったのかもしれない。

 歩く廊下の色さえ違って見えた。中学の廊下よりも大学のものは白っぽくて明るいけど、そこじゃないんだ。

 もしかして男子苦手しようこうぐんを、わたしはちょっとだけこくふくした?

 人の引けた空間を二人、並んで歩いた。

 名前も知らないこの子はくずした学ランに、甘さを残すシャープな横顔が絵になる。日に焼けすぎていることに目をつぶれば、タレント事務所の筆頭若手俳優だと言われてもなつとくしちゃうレベルだ。

 それにしても……。わたしがこんなに勇気を出したのは小学校五年のあの時以来。相手はあの時と同じように男子。

 なけなしの自信と奮い立たせた勇気を全否定され、わたしの小さな世界を根底からひっくり返す結果になってしまったあの四年前の出来事を思い出す。

 あれから、子供心に身のほど知らずな行動は決してすまいとちかった。いろんな要因で男子が苦手だ。

 でもできればけて通りたいとまでしゆくしてしまったのは、確実にあの時からだ。

 でもでも。今、わたしが勇気を出したことを、同じ男子であるこの子が認めてくれた。なんだかとても不思議だ。

「第一志望、どこ?」

なたざかこうこう。えっ? あ……」

 わたしは、その子に自分の志望校をすんなり答えていた。聞き方が直球すぎるし、つうは初対面の女子にそんなことは聞かないでしょ。

 思考が過去に飛んでいたところにありえない質問がきて、ほぼ反射で答えてしまっていた。

「あー、なたの坂にあるあの高校ね。そこは俺も考えて──」

さくさんっ!」

「え? あれ? なんで西さいさん、こんなとこまで入ってきてんだ?」

 血相を変えて廊下を小走りでこっちに向かってくる人がいた。洗練された黒のパンツスーツに身を包んだ三十代くらいの女の人。

「あんまりおそいからおむかえに来たんじゃありませんか! 事務室で聞いたらその生徒ならカンニングの疑いで事情をいています、なんて返されたんですよ? どんなにわたしが心配したかわかってるんですかっ?」

「間違いだって」

「そうみたいですね。でも昨日のうちからちゃんと用意しておけば、そんなことにはならなかったはずでしょ?」

「うるさいな」

「今朝だってこくしそうになるから、わたしが仕方なく送るはめになったんです。まあ朔哉さんが気乗りしてないからお目付け役的な──」

「ちょっと葛西さん、もう帰るよっ。そんじゃーね。おたがいがんばろうね」

 その男の子はそうさえぎると、葛西さんと呼んだ女性を出口のほうに無理やり押し出しながら、わたしに手をった。数歩進んでから振り返り、つけ加える。

「またね」

「はぁ」

 どんな関係の人? 葛西さん、なんてにんぎような呼び方。お母さんじゃないのはわかる。ふんとしてお手伝いさん? って感じでもない。

 あわただしく去って行く二人の後ろ姿を見送りながら、思考はさっき、志望校を口にしたことにもどっていった。

 もう会うこともないからこそ、簡単に志望校を答えられたのかもしれないな。


■□■


 その人に、高校で再会した。それがじようくん、宇城朔哉くんだ。

 入学式で、列に並ぶわたしに後ろから「よぉ」と気安く声をかけてきた。

 暖かい日差しの中、満開のさくらの下で、あの時の人が目を細めて笑っていた。日向坂高校のブレザーにネクタイ姿がやけに大人びて見えた。急に春めいて温度がきゆうじようしようした日だった。

 宇城くんのほおは、期待か希望か興奮か、はたまた気温のせいだけか、さくら色に上気して見え、それがとても、健康的でまぶしかった。


 一年の時のクラスははなれてしまったけれど、ろうや体育館でその姿を目にすることはよくあった。なんせ芸能人なみの容姿をしているから、やたらと目立つのだ。

 そのうえ運動神経もいい。いろんな運動部から引っ張りだこだったみたいだ。

 最終的に自分では最初から決めていたらしいサッカー部に入っていたけど。中学がサッカー部だったとあとから知った。

 そんな絵にいたようなモテ要素まんさいな人なら、さぞかし女子の黄色い声がまわりをとりまいているんだろうな、と思われそうだけど……。

 実際とりまいていたのだ。入学からこっち、最初の一週間程度は。

 一年二組にどこぞのタレント事務所の男子がいると、女子の間でまことしやかにささやかれていた。

 しかし高校二年で同じクラスになった現在、宇城くんに女友だちは多いものの、彼女と呼べる人はいない。彼女になろうとする子も、知っている限りはいない。

 変わっているのだ。あつとう的に。

 もう外見のりよくや運動神経のよさを差し引いても、じゆうぶんおつりがくるくらいに。

〝イケメンのもちぐされ〟〝観賞用〟〝残念王子〟と、めいなレッテルばかりをペタペタとりつけられている。

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