1.恋に落ちた、同時の失恋!②

 あとから、テニス部に仲のいい友だちがいる真美が、あたしのためにことのいきさつをさぐってきてくれた。

 一澤くんとダブルスを組んでいる男子の名前はみやうちたく。一澤くんが謝りに来た時に、一緒についてきたあの短い茶髪の子だ。あの子がからんでいる。

 真美が友だちをかいしてその本人、宮内くんと二人にしてもらい、聞いてきてくれた。

 いきなり平手打ちをされたあたしのことを宮内くんはづかって、気持ちのいいおくでもないだろうことを話してくれたってことだ。

 彼は高校に入ってすぐ事故にあい、左手の小指の第一関節から先の神経がしている。赤みの引いていないい傷も目立つ。麻痺はいずれ消失し、傷は目立たなくなる。でも今はまだかなり目立つのだ。

 もともと楽天的な性格だし生活に支障もほとんどなくて、本人もまわりもまるで気にしていなかった。

 一年も終わりに近づいたこの時期に、宮内くんは以前から好きだった女子に告白をした。おちゃらけた性格に反して、好きな子のことはダブルスを組んでいる親友の一澤くんにも打ち明けられずに胸にめていたらしい。

 名前は仙条

 一年一組にいるあたしのふたの姉。双子と言ってもらんせいだからまるで似ていない。

 ごくつうの顔立ちをしたあたしに対し、姉の亜子は芸能人だと言っても通りそうなほど、目鼻立ちの整ったすずやかな美人なのだ。一年どころか学校全体の中でもひときわ目をひく存在だった。

 宮内くんが亜子に告白した時彼女が彼に放った言葉に、一澤くんはげきした。


「よく告白できたね。なにその指。気持ち悪い」


 断られることはかくしていたけど、まさかこんな対応をされるとは思いもせず、宮内くんは自分の中で処理しきれなかった。とにかく誰かに話して落ち着きたかったんだろう。

 事のしようさいを聞かされた一澤くんは、怒りで簡単に前後不覚になった。

 一澤くんは一年九組。あたしは八組。亜子は一組。

 ただでさえ一澤くんは、誰がかわいいとか人気とか、そういう女子の噂にうといそうなのに一年で九組だけがかくされたように別校舎だ。仙条亜子が双子だと知らなかったらしい。

 近いクラスから仙条という女子を探して歩き、わたろうはさんだすぐとなりのクラスにいるときとめた。それが仙条亜子ではなく、仙条菜子、あたしだったわけだ。

 仙条なんてちょっとめずらしいみようだ。もうひとりいるとは夢にも思わなかった一澤くんは、勢いのままあたしをつかまえ、平手打ちしたというわけだ。

「なるほどね」

 亜子なら告白された時に虫の居所が悪ければ、そのくらいの悪態はついてしまうかもしれない。宮内くんごしゆうしようさま

 そして。はからずもご愁傷様な人間がここにまた生まれてしまった。


 何事もなく過ぎていく高校生活の中のさいげき。校内で見かけることが日常のひそかな楽しみ。

 昨日まで一澤くんはあたしにとってそういう存在だった。それだけの存在だった。

 れることがないから害の心配もないただきらきらと光る鉱石で、ほかの石より多少目立つそれを、まぶしくながめているだけでじゆうぶん満足だった。

 それがひとつの出来事で化学変化を起こし、多少目立つなんてレベルとは別物の、かなしいほどえたブルーにかがやく石に変わってしまった。

 痛みもなにもない打たれたほおに手をやりながら、ごめん、と謝った時のせっぱつまった一澤くんの声を思い出す。

 くつたくのないがおしか見たことのない一澤くんが、あれほどまでにげつこうした理由は親友をじよくされたから。

「ああいう顔を見たことあるのは、あたしだけってことか」

「菜子?」

 教室の中、あたしの顔をのぞきこむ真美の前で目をせ、ちようぎみの笑いをこぼす。

「ある意味、レアじゃん?」

「かもね。一澤くんってあれで結構人気あるらしいよ」

「ふうん、そうなんだ? それは得したよ。もうかかわることもないけどさ」

「クラス違うしね」

「だよね」

 親友が傷つけられれば一澤くんは、感情の制御ができないほど激しくおこる。いつもはかげをひそめているそのほとばしる正義感と情熱を知ったことで、あたしの中に生まれてしまったこの不可解な気持ち。それをあの時たたきつけられた言葉でふうじ込める。

 最低という言葉や平手打ち。それは全部亜子に向けられたものだ。

 でもあの時たったひとつ、間違いなくあたしに対して放たれた単語がある。

 このブス!

 あたしは軽くくちびるんで窓の外の常緑樹に目をやった。一澤稜。

 もうかかわることもない。かかわることもなければいつしゆん胸にともったこのめんどうくさい気持ちも、あたしの中でちりぢりになってかき消えるに決まっている。



 うちの高校は、全国でも珍しく水泳部が競泳以外に高飛び込みの部門を持っている。選手は入部時にどちらかをせんたくすることになっている。

 高飛び込みを希望する生徒なんているの? と親にも他校の友だちにも聞かれる。でも全国に高飛び込みのできるプールを持っている高校があまりなく、オリンピック選手も出ていることもあって、それを目当てに他県からもぞくぞくと入学してくるのだ。

 かくいうあたしも迷った末、高飛び込みがやりたくて水泳部に入部した。

 うちの一家は、あたしと亜子が小さかったころもっと田舎いなかに住んでいて、よく岩から川のふちに飛び込んで遊んでいた。

 川の両側にせり出すようにびている木々からかわに落ちるれ日がきれいで、その中で泳ぐのが大好きだった。子供同士で飛び込む時に、回転したり身体からだをひねったりする遊びもよくやっていて、それが楽しかった。

 パパはあたしがまだ小さかった頃に会社を作りそれが大成功。ある程度交通の便のいい場所に住む必要があった。それで今の場所に引っしをした。

 それでもまだここは不便らしく、東京の事務所を第二の家のように使っていて、二か月に一回帰ってくればいいほう。

 水泳部は六月から九月までしか学校では活動ができない。今の季節は週に一度、県立の温水プールに練習に行く以外、その他の活動日は基本的に筋トレだ。

 体育館での活動が終わると、制服にえてあたしは郁や他、何人かとハンドボール部の部室を後にした。ちなみにクラスでも仲良しの郁は同じ水泳部だけれど、競泳部門だ。

 水泳部だけは部室が固まっている部室とうではなく、プールにりんせつしているロッカー室が部室だ。

 わざわざ筋トレのためにプール近くのロッカー室に行くのは面倒で、今は女子の人数が少ないハンドボール部の部室で着替えさせてもらっている。

 部室棟は体育館の隣にあり、主に校庭で活動する部活だけが使っている。そんな部室棟は二階建て。男子が二階。女子が一階。

 ハンドボール部の部室から郁たち数人といつしよに出てきたら、男子が七、八人、階段からぞろぞろと下りてくるところに出くわした。

 心臓がドクンと鳴る。男子数人の中に一澤くんがいたからだ。もうくらやみに近いほどあたりは暗いのに、簡単に見つけられる自分が哀しい。

 一澤くんは何事もなかったかのようにあたしの前をどおりする。こっちをちらりとも見やしない。

 そこで前後にだらだらとバラけて歩き始めたテニス部男子の後ろのほうに、知らない男の子と並んで歩いている宮内くんを発見した。

 水泳部の友だちのほうを見ると、サイフを部室に忘れたかもしれないと言っているさきを手伝って、何人かが校庭のえんせきの上に置いた彼女のスクールバッグの中を一緒にさがしている。まだ時間がかかりそう。

 あたしはそっと水泳部女子の群れをけ、速足でテニス部の男子たちに近づくと、その後方に小さく声をかけた。

「宮内くん」

「え? あ……」

 その時だいぶ前のほうを歩いていた一澤くんが、わずかにり向くしぐさをしたような気がし、げんそうな横顔が見えた。

「ちょっとだけいいかな。ほんのちょっとだけ」

 あたしは宮内くんにささやいた。

「何?」

「ごめんね」

「ああ、こないだの、あれか」

 ちょっと照れたような笑顔になる。

「うん。ほんとにごめんね」

「いいって。なんで菜子ちゃんが謝るの? 俺が手ひどくフラれたのは仙条亜子のほうでしょ? 稜がかんちがいしていやな思いしたのは菜子ちゃんでしょ? でも俺は別に謝らないよ。謝るのは勝手に誤解した稜だもんな。だから菜子ちゃんだって謝る必要ないでしょ」

「亜子のことを謝ってるんじゃないよ。そうだね。ごめん、じゃなくてありがとう、だな」

「ん?」

「真美……、友だちが、あたしのこと心配して宮内くんのとこに行ったでしょ? すごく嫌なおくだったと思うのに、正直に何があったのか話してくれた。なんの理由で一澤くんにひっぱたかれたのか、あのままじゃわかんないままだったもん」

「そういうことか。ま、当然っちゃ当然だろ」

「でも実際そんなこと喜んで打ち明ける人いないよ。虫の居所が悪いとめちゃくちゃなこと言うんだよ、亜子は」

「気持ち悪いって?」

 宮内くんは傷の残っているほうの左手をあたしの前でちらちらと振った。

「……亜子最低! だけどそれは本心じゃないよ。そんなこと絶対に思ってない。タイミングが悪かっただけなんだよ」

「虫の居所にタイミングねえ。まあ今となっちゃ俺もよかったと思ってる。自分が一時期熱上げた女の子がどんな子なのかわかってさ。頭にきてる時のほうが本音って出るもんだろ? つまりそういうことだよ」

「…………」

 ──頭にきてる時、本音が出る──。か。

 ブス。一澤くんに叩きつけられたきつい言葉がのうをよぎる。らんせいふたのあたしと亜子は、全く似ていない。

「ぜんぜん似てないよね。菜子ちゃんと仙条亜子」

 きゅっと心臓がしぼり上げられ、そのしようげきにあたしは反射的に下を向いた。子供のころから耳にタコができるほど聞いてきた言葉だ。

「性格がさ」

「え?」

 びっくりしてあたしは顔をあげた。

「拓斗!」

 ほこりっぽい校庭のうす闇からするどい声が飛んだ。ぞろぞろ校門に向かう制服の背中がいくつもぼんやり視界に映る中、立ち止まってこっちを見ている影がある。

「じゃあね! 菜子ちゃん」

 思ったよりも長い時間、あたしは宮内くんと話していたようだ。

 それにしても……あたしが菜子ちゃんで、亜子は仙条亜子。同じ仙条、というみようを区別するためとはいえ、仙条亜子と、菜子ちゃん。

 あれほどひどい仕打ちをされたんだから仕方ないのかもしれないけど、宮内くんの中で亜子は、〝最低な女の子〟になってしまっている。確かにあの断り方はひどすぎる。

 でも……本当はそこまで最低な子でもないんだけどな。

 きっと、宮内くんは告白の時に亜子に言っちゃいけないこと、彼女の最もれてはいけない部分に触れた。亜子を傷つけた。もちろんそんなことは彼女のひどい言動の言い訳にはならないし、今口に出すことじゃない。亜子と宮内くんの関係はすでにしゆうりようしている。もうかかわることもないだろう。

「これでよかったんだよね」

 宮内くんの心の中で亜子のことがそれほど傷になっていないのなら、それが一番だ。

 宮内くんが急ぐ先で、すような視線をこっちに向けている男子がいる。

 あんな目で見られると忘れたつもりでも平静でいることは難しい。何度も脳内で再生される一澤くんに言われたあの単語。多くの人が受け流せても、自分にだけは刺さってしまうのろいのような言葉。だれにだってそういうものがある。

 あんなにかんぺき女子の亜子にだってそれはある。

「なんで今さらそんな目であたしをにらむの。全くのとばっちりだよ」

 あたしは勢いよく横を向いて、一澤くんから視線をらすときびすを返した。

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