青春注意報!/くらゆいあゆ

1.恋に落ちた、同時の失恋!①

 一年間こっそり見つめ続けた人に、こんなにきようれつなフラれ方をした女子は、世界広しといえども、あたしくらいなもんじゃないだろうか。


「おい! せんじよう!」

「え?」


 あたしが高校のろうを、理科の教科書、ノート、筆記用具を両手で胸にき、友だちのたきぬま、真美と、かないく、郁と歩いていた時のことだ。

 次の授業の理科が実験で、あたしたちは理科室に移動中だ。三人でわいわいと昨日のテレビの話で盛り上がっていた。

 あたりの空気をふるわすようなたかぶった声で呼ばれた自分の名前に、あたしは思わず、勢いよくり向いた。

 いちさわくん……。一澤りようくん。心臓がどきんとねる。

 入学当初からなんとなく気になっていた男子だ。

 クラスがちがい、そのうえ一澤くんのいる九組は、学年でひとつだけべつむねになる旧校舎だ。しゃべったことは一度もない。

 中肉中背より気持ち背が高い印象。ほそおもての顔立ちに、黒目がちで、角度によってはつりぎみに見えるはっきりしたふた

 だまっていると大人っぽいけど友だちとじゃれあっている時のじやがおは、もしかしたら実際のねんれいより幼く見えるかもしれない。

 かっこいい男子だった。ギリシャちようこくの少年を思わせるせんさいな顔立ちじゃなく、かといって、イマドキのイケメン路線ど真ん中からもちょっとズレている。単にあたしの好きな顔立ちなのかもしれない。

 だからなんとなく気になり、そのうちその姿を目で追うようになってしまっていた。

 高校生活の自分だけのひそかな楽しみ。あこがれ程度の目の保養のつもりだから、仲がいい郁にも真美にも話したことはない。

 それにしても、よくあたしの名前を知ってたな。あたしは別におとなしいわけでもないけど、とりたてて目立つ部類にも入らない。どちらかというとその他大勢に完全にもれるタイプだ。

「ちょっとこいよ」

 一澤くんはおさえた声にきつい形相で、あごかたしに後ろにしゃくった。

「え? でももうすぐ授業……はい」

 ほんれいまで一分もないはずだ。でもガラス窓まで割れそうなビリビリしたきんぱくかんおされて、あたしは本意とは違う返事をする。に支配された空気。

 先に行ってて、と小声でうながすあたしに、いつしよにいた郁と真美も心配そうにかたを縮め、顔を見合わせてからしぶしぶうなずいた。二人の視線が、あんだいじよう? とさぐるようにあたしのひとみのぞき込む。

 あたしは小さく首を縦に振る。一澤くんがあたしに用事だなんてなんだろう。

 高校一年も終わりに近づくと、一部のはなやかな生徒は山のいただきのようにどこにいても目につく存在になる。

 気になるというひいき目をさしひいても、一澤くんはそういう生徒のひとりであることはちがいない。

 授業の直前で廊下にすでに人はいなかった。生徒がひけて先生が来るまでのほんの短いせいじやくの中、一澤くんはあたしを階段わきの四角く引っ込んだスペースにいざなった。

 校舎のほとんどせんたんで、ここは廊下からは完全に死角になる。

「お前、何様のつもりだよ!」

 教室に声が届かないように、ぎりぎりの理性で音量をしぼっているように感じる。その静かなこわにはぎゅーぎゅーにいかりの色がめ込まれていた。

 連日のテニス部の活動で浅黒く焼けた一澤くんのはだは、無理に抑えた感情のためか青白くさえ見えた。

 なんのことを言っているんだろう。一澤くんとあたしに接点なんかひとつもないはずだ。

 めまぐるしく頭を回転させ、あたしはやっとひとつの可能性にたどりついた。

 この間駅前で拾った年に一度の全国模試の成績表が、うちの学校のものだった。

 かなりの部分が破れていて、名前も学年もわからなかったけれど、問題に見覚えがあったから一年生のものだと知れた。かなりの高得点だった。

 あたしたちの学校、せいめい大付属かすみはら高校は東京の大学の地方付属高校だ。ああいう資料は内部進学の時に重視される。

 次の日あたしはだれのものかわからないその成績表を、わけを話して担任にわたした。三者面談に必要だから落とした人は困ると判断したからだ。

 もしかしてあれは一澤くんの成績表だったんだろうか。

 一澤くんってあんなに成績がいいの? 男子同士でふざけ合っているイメージしかないけど、よっぽどあたまがいいのかな。

 でもおこられる意味がわからない。落としたものを拾ったと先生に告げたから? でもあれがないと困るよ。

「だってそれはちゃんと言わないと。それが本人のためかと──」

「本人の、ため……だと?」

 あたしの言葉は、一澤くんのぎょっとするほど低い声によってさえぎられた。

「え」

 あたしは、大きく目を見開いた。

 一澤くんがてのひらを、耳のあたりまでひきあげたのだ。

 節の目立ついかにも男子! という大きなてのひらが、こっちに向かって飛んでくるのがはっきり見えた。でもそれが何を意味するのかわからないまま、あたしはただバカみたいにどうだにしないでつっ立っていた。

 平手打ちをされたんだ、と気づいたのはたぶん何秒も過ぎてからだ。

 あたしは一澤くんをぎようしたまま、自分のてのひらで、打たれたほおをおそるおそるさわった。

 痛くない。どうしてだかわかる。一澤くんはおそらく振り上げた手があたしの頰に達する直前にわれに返った。

 女の子を平手打ちなんてできない、と静止させようとしたてのひらは、勢いで結局あたしの頰を軽くたたくことになった。

 なんで? どういうこと? まったくわからない。

「お前、最低だな」

「……」

「人のことが言えるのかよ、このブス」

 一澤くんはそうののしると、あたしに背を向けた。

「はあ?」

 どんどん遠ざかり、あたしのつぶやきなんか聞こえてやしないはずの制服の白いシャツに向かって、それでも疑問の声をもらしてしまった。

 打たれた頰をゆっくりさする。人から平手打ちをされたことなんかないけど、高校一年の男子が力いっぱい叩いたらきっとすごく痛いんだろうな、とぼんやり考えた。

 なんだかぜんぜんわからないけど、一澤くん、よくみとどまったな。われをわすれる一歩手前、ぎようそうが変わるほど感情を怒りに支配されていたように感じた。


 理科室について実験を始めてからも、あたしは全く集中できなかった。

 不思議なほど頰を打たれたことへのいきどおりを感じない。ただ疑問だった。

 なんで? どうして? なんなわけ?

 そして、あたしには疑問を上回るほどのしようげきが、胸にどんつうのように残っていた。一澤くんに叩きつけられた一言。単語だ。


〝このブス〟


 女子高生にとって気になる異性からブス、と言われることは世界が暗転するほどショッキングな出来事だ。しかもよりによって、その単語はあたしにとってピンポイントばくだんほどのりよくを持っている。自分が深い傷を負ったことだけはしっかり理解していた。



、大丈夫だったの?」

 あたしは郁の声にしていた机の上から顔をあげる。

 ほんのりべに色の混ざった窓からの日差し。気づいたら、放課後ももうずいぶんおそくなっているようだった。

 あたし、どのくらいここでほうけていたんだろう。もしかしたらていたのかもしれない。理科室に行く前、一澤くんとろうたいしたところからが、全部夢だったらいいのに。

 教室内にもう生徒はぜんぜんいない。きようたくの上のかべにかけてある時計を見ると、部活も終わる時間だった。

「……あたし。もしかして、部活サボったのかな」

「うん。なんか様子がおかしかったから、そのままにしてあたしだけ出たよ、水泳部。もんのマイコちゃんにはごまかしといた」

「そうなんだ。ありがと、郁」

 冬だから筋トレだけでよかった。もう部活のことなんて頭からすっぽりけ落ちていた。

「帰ろっかな。郁は? どうしてこんな時間に教室にいるの?」

「菜子が心配だったからだよ。放課後、声かけてもろくに反応しなかったんだよ?」

「そうか。それはごめん。それで部活が終わってから、まっすぐ帰らないで教室見に来てくれたんだ?」

「そうだよ」

「ありがと」

「あの時、なんかあったんでしょ? 一澤くんと廊下で何話したの?」

「……なんでもない」

「一澤くん、すごい顔してたよね? あんたなんかしたの?」

「わかんないんだよ、それが」

 呟くような小さな声で答える。

「そりゃ、あたしもさ、どんな人なのかは知らないけど。目立つわりに変なうわさって聞かない男子だよね?」

 郁がいたわるような声を出し、あたしの机に浅くこしける。

「変な噂ってどんな?」

「例えば乱暴だとか意地悪だとか。女にだらしないとか。ふたまたかけるとか」

「そうだよね」

 知らず知らずのうちに一澤くんに目がいくあたしでさえ、彼のそんなひとがらは感じられない。それが初対面のあたしに平手打ち。頭をふりながら立ちあがった。

「何があったのよ? 何言われたの? 菜子」

「もういいよ。部活の仲間と別れたんなら、いつしよに帰ろっか? 郁」

「……うん、そうだね──あ」

 郁が教室のドアのほうに視線をやったしゆんかん、彼女は言葉をくした。

「郁?」

 あたしは郁が見つめる先に身体からだをひねって視線を移し、──同じように言葉を失くした。


 そこには一澤くんが立っていた。

 一澤くんの後ろには、よく彼とつるんでいる派手な茶色たんぱつの男子が見える。あの二人がこうしきテニス部でダブルスを組んでいることを、あたしは知っている。

 一澤くんはおくすることなくまっすぐあたしを見つめてはいる。でも朝、廊下でひっぱたかれた時のような、いかりにまみれた表情からはほど遠い、バツの悪そうな顔をしていた。

 あたしの身体が反射的にこうちよくする。足が動かない。

 でも、今度はとつぜんの出来事だったさっきとちがう。どうしてあんなことをしたのか、ちゃんと訳を聞こうと思った。なのに足の先から細かいふるえがきて、なんだかひざが笑っているような感覚がする。

 そうこうしているうちに、一澤くんはつかつかとあたしの前まできた。あたしは思わず小さく、二、三歩後ずさりする。

 いけない。あたし悪くない。少なくともいきなり平手打ちをされるようなことはなにもしていないはずだ。あたしは下ろしたままのてのひらを、こぶしにしてぎゅっとにぎった。

 視線をあたしの拳に落とした一澤くんは泣きそうな苦笑いをいつしゆんかべると、いきなりすごい勢いで頭をさげた。

「ごめん! 悪かった!」

 開いた両足のひざがしらに両手をつき、深々と頭をさげた。

 声もでないほどおどろいた。あたしが言葉を発しなかったせいで、一澤くんが頭をあげるタイミングを完全にいつしているんだと気づいたのは、だいぶたってしまってからだ。

「あの、とりあえず頭あげて? でで、できればどういうことか説明してくれると……」

 あたしはしどろもどろに言葉をいだ。

 これが一澤くんじゃなかったら、あたしはもっと強気に出ていたかもしれない。

 だけどちょっといいなと思っていた程度でも、あたしはどうやら自覚している以上に一澤くんを観察していたらしい。相当の理由がなければあんなことはしないと、心のどこかで確信している。

 言葉を探すように何度か小刻みに深呼吸をする一澤くんの横から、違う男子の明るい声がした。

ひとちがいなんだよ。こいつ仙条……菜子さんのことひっぱたいたんだって? マジで悪かったな」

 一澤くんについてきたちやぱつ男子だった。一澤くんとダブルスを組んでいること以外、あたしは彼の名前も学年も知らなかった。

 そうか。人違い……なんだ? 頭から冷水をかけられたような気持ちになった。

 ようやく顔をあげた一澤くんは、申し訳なさのにじみ出るひとみをあたしに向ける。

「俺のこと、ぶったたいていいよ。知らない男の顔たたくの気持ち悪くなかったら。あ、それともケリ入れる?」

 いたってな顔つきでそう提案する。

「い、いいよそんな……身に覚えがぜんぜんなかったから。誤解が解けたならそれでいい」

 人違い。だれと間違ったのかもふくめ、てんがいった。

 真っ黒い一澤くんの瞳に吸い込まれそうになりながら、あたしは、ひとつの予感にからめとられていた。

 困ったな。なんなのこんな時に。この予感、当たらなければいいのにな。

 なかなかあたしの前を去らない一澤くんにいいよいいよ、とひたすら言い続けた。


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