プリティフェイスに騙された 西京芹香

 俺は自分で言うのもなんだけど、そこそこ顔もあいもいいので女の子に困ったことがない。いつも向こうから寄ってくる子とテキトーにつきあっていたのだが、たまたま当時はカノジョがいなかった。

 午後最後の授業が始まる前、ぼんやりと自分の席に座っているところだった。顔の横かられんな声がした。

「なっなんくん!」

 声の方向を見上げると、少しほおを紅潮させた女子が立っている。

 同じクラスのきよふじさん。

 彼女は両手で俺のスマホについていたストラップを差しだす。

「あのっ……これっ!」

 どうやら移動教室の際に落としたらしい。別に悪いことをしたわけでもないのにぷるぷるふるえていた。

「……あぁ、ありがとう」

 地味めなふんだけど、真ん丸な目が子うさぎみたいで可愛かわいらしい。

「……あっ」

 ストラップを受け取るときに手がちょっとれあって、彼女は自分の手を反射のようにはなした。顔全体を真っ赤にして、そのまま固まっている。

 ……この子、たぶん俺のこと好きだな。

 俺は彼女の小さな手をがっしりとにぎりしめる。彼女は真っ赤な顔のまま目をぱちくりさせる。その手がはらわれないことをかくにんして俺は口を開く。

「清藤さん」

「はっ……はい!」

 彼女は背筋を正した。

 きんちようしすぎだろ。俺のしゆはんはもっと色っぽい男慣れした子だけど……こんなじゆんすいそうな子も、悪くないかもしれない。

「……俺とつきあわない?」

「はい! ……え!? うっうそ!」

 俺はじようきようについていけてない彼女に向かってニヤリと意地悪く微笑ほほえむ。

「今『はい』って言ったよね。……よろしく」

「……難波くん、わたしのこと、好、きなの?」

 彼女はまゆをへの字にしてたずねてくる。可愛いとは思っているけど、実際のところ俺すらよくわからない。

「んー? 可愛いと思ってるよ?」

 俺は笑顔で押しきった。彼女の色白のはだはもう見るかげもない。やっぱりこの子にチャラ男はあつかいきれないかな?

「よ……よろしくお願いします……!」

 少し手が握り返される感覚におどろいた。と思ったら授業開始のチャイムがひびく。俺はあわてて自分の席にもどろうとする彼女に向かってにっこり微笑んだ。

「よろしくね」

 そして身を乗りだして耳元でささやく。

「ことの」

 彼女の背がピンとびた。カチコチとした動作で席に戻った彼女を見て、俺は笑いをみ殺す。

 ……初心うぶにもほどがあるな。


 チャイムが鳴ってクラスメイトがガタガタと帰りたくをするなか、俺はちようめんにカバンに教科書をめる彼女へ声をかけた。

こと、帰ろうか」

「あっ……うん!」

 俺が名前を呼ぶと、彼女はいつもかたねさせる。もうつきあいはじめて一週間つのに。

 じやつかんの人通りがあるろうとなりを歩く彼女は、少しうつむき気味だ。ずかしいのだろう。

「……緊張?」

 彼女は二回首を縦に振る。

だれも気にしちゃいないよ」

「……でも難波くんはモテるから」

しゆん

 彼女が「あ」と小さな口から声をらした。

いつぱん的に、こいびとはおたがいを下の名前で呼びあうって不文律があってだね」

 テキトーだが。俺は弱った彼女の顔をのぞき込みながら言う。「むむむ」と赤くなりながらひるんでいるのがおもしろい。

「呼んでみてよ。俺の名前」

 俺がうながすと、彼女は深呼吸して一音ずつもたもたと発音する。

「しゅ……しゅ……ん……くん」

「しゅん」より「くん」のほうが声量が大きい。

「……聞こえないなぁ」

「しゅ、瞬くん!」

「はい、なんでしょう?」

 彼女は「呼べって言うから呼んだのに!」と言わんばかりの顔で俺をにらむ。ちょっとなみだなのがたまらなく可愛らしい。

「わかったわかった。ちゃんとおうちでれんしゅーしてきてね」

 俺は彼女の頭にそっと触れる。やわらかくてふわっとしたかみしつだ。

「女の子の髪だな……」

「お……男の子の髪とちがうの?」

 おや、食いついた。

「俺の髪は太いしかたいよ。そんでワックスで固めんの」

「ほんとだ……」

 とつぜん首筋にくすぐったい感覚が走る。

「一本一本が私の髪より太いね……」

 俺の髪をさわりつつ、肩につくかつかないかくらいの自分の髪と見比べているが、めずらしいものを見た子どものように純粋なひとみだ。自分が何をしているかわかっていないだろう。

「あ、あの、清藤さん?」

「わぁ!」

 彼女は慌てて俺からきよを置いた。

「ち、ちかい!」

 そこかよ。

「……もしかして天然?」

「そんなことないけど……」

 噓つけ。彼女は少し驚いている俺をじっと見上げる。そしてじっとりした声でつぶやいた。

「……琴乃」

「あ……」

 不覚。どうようしてみようで呼んでしまった。彼女は真っ赤な顔で勢いをつけて言う。

「しゅ、瞬、くんも、お家でれんしゅうしてきてねっ」

 俺は思わず自分の顔を押さえる。

 やばい、思わぬところではんげきが来た。

 顔が熱い。


   ◆◆◆


 本当に練習したのかどうかはわからないが、二カ月くらいすると、彼女は俺のことを「瞬くん」と照れずに言えるようになった。

「琴乃」

 教室で本を読んでいた彼女は、ゆっくり俺の顔を見上げる。肩を跳ねさせることもなくなった。成長したなぁ。

「どうしたの? 瞬くん」

「髪、ねてる」

 彼女の後ろ頭はぴょんと撥ねていた。

「え? うそ!」

 彼女は慌てて髪をき回す。

「そのまま」

 俺は彼女の手を外して、ワックスで彼女の撥ねた髪を落ち着けてやった。

「男用のワックスだけど、今日はいいだろ?」

「う、うん……」

 かたしの声のきんちよう具合がおもしろい。

「できましたよ。おひめさま

 じようだんめかしてささやくと、耳まで真っ赤にした彼女がぎこちなくり向く。

「……ほ、ほめて……つかわす……ます!」

 結局言えんのかい。

「……うん」

 俺はあわてて席にもどり、机にす。

 ……日に日に、可愛かわいさが増している。

 俺が髪を直している間カチコチになってるのも、恥じらいながらも冗談に乗っかろうとするのも、ちよう可愛い。

 なんとかヨユーこいた態度取ってるけど、バレたら超カッコ悪い。

「なんばちゃーん、見てたよー。ラブラブじゃーん」

 友人のさかいが俺の頭を小突く。

「……俺のカノジョが可愛すぎる件」

 こんなはずじゃなかったのに。

「はいはい、まんおつ。しかし、お前と清藤さんかー。めずらしい取り合わせだよなー、お前がおどしてつきあってるようにしか見えん」

「脅してねーよ」

 俺は小堺の顔も見ずに反論する。

「……ところでお前、清藤さんに手を出したのか?」

 小堺のまさかの暴言に、俺はガバリと顔を上げる。

「は? 出せるわけないだろ!」

「だってお前、昔の彼女とはさっさとよろしくやってたじゃん」

「そんなこと……」

 いや、あるわ。

「可愛がってるなぁ。キスもしてないなんて」

 たしかに、二カ月つきあってるのにこの進展のなさは俺にとって異常だ。俺は向こうの席で彼女が友達と話しているのをながめる。

 いや、俺にはあんなでキレイな瞳をしている少女に手を出せない。

「かわいーよなー清藤さん。お前がしないなら俺がしたいくれーだ」

「ふざけんな俺のだぞ」

「冗談冗談。でもお前らあんまり『お似合い』の関係には見えねーし、ちょっとめんどうかもな?」

「うるせーよ」

 俺は小堺にパンチを入れ、トイレに行くため席を立った。


 その日の放課後、俺は彼女と帰るべく席までむかえにいった。

「琴乃ー」

 彼女は俺に気づくと、少し顔を引きつらせた。

「あっ瞬くん、ごめんね。今日は用事があって……先に帰っていてくれる?」

「そうなのか? 朝は帰れるって言ってただろ」

「う、うん、急に言われたの」

 ちょっとばつの悪そうな顔だ。何かあったのだろうか。

「……おー、じゃあ明日あしたな」

「ごめんね」

 彼女は申しわけなさそうながおを作りながら、俺に手を振り教室を出ていった。

 俺は首をひねる。なぜカバンを置いていったのだろう。


 悪いとは思ったが、俺はこっそり彼女の後をける。何か、面倒ごとでもあったのかもしれない。

 彼女は先生が面談などで使う空き教室に入っていった。ノックをしたから中ではもう人が待っていたらしい。「どうぞ」と声がした。神経質な女の声。うちのクラスの担任だ。

 この先生、どうやら俺がとにかくきらいらしく、シャツのボタンを留めろと注意してきたり、数学の教師のくせに化学の成績についてなんくせつけてきたりと面倒くさい。化学は苦手なんだよすいませんねぇ。

 彼女が放課後、担任に呼びだされるようなことをするはずがないのに。俺はかべにはりついて会話をぬすみ聞きする。

「清藤さん、あなた、難波くんと交際してるって本当?」

 厳しいきつもんの口調だ。

「……はい」

 彼女が重々しく口を開くと、担任のため息が聞こえる。

「本当なのね。……こういうことを言うのはよくないけれど、難波くんは見ためも派手だし、あなたの相手にはり合いではないかしら」

 このババァ! 何かお前にめいわくをかけたわけでもないのに!

「え……」

「あなたのイメージが悪くなるでしょう?」

 俺は俺で彼女は彼女だろ? 先生のくせに頭の悪いことを言う。俺は教室のドアに手をかけた。

「今回の期末テスト、清藤さん、順位が五十番ほど下がってる。周りの先生たちが心配していたわよ? 難波くんが悪いえいきようあたえているんじゃないかって」

 その言葉で、俺はドアを開けることができなくなった。

 彼女は成績が落ちたことなんて俺に一言も言わなかった。

「それは……私の勉強不足です」

「あのね清藤さん、成績の話だけをしているのではないの。あなたのために言っておくわ。つきあう人間はよく考えなさい。あなたの評価を下げる人間は、あなたにとっていい人間だと言えるかしら?」

 俺はドアから手をはなす。話の続きを聞いてはいられなかった。

 頭が悪いのは……俺じゃないか。

 たしかに俺は、勉強が嫌いだ。まじめに勉強をしたのは受験のときくらいだし、定期テストの点数もお世辞にもいいとは言えない。

 服装も校則なんか守っちゃいない。制服のネクタイをめたら首が苦しいし、第一似合っていないから入学早々くずした。そうするとなんかモテはじめたから、寄ってきた女子とつきあったりしたけど、迷惑をかけたなんて思ったことはない。

 でも彼女はちがう。成績はゆうしゆうだし、スカートの長さもひざたけだしヘアアクセの一つもつけない。生活態度もいたってひかえめで、そりゃあ先生も気に入るだろう。世界史のジジイなんてデレデレ鼻の下ばしてる。

 真逆じゃないか。俺は彼女に、ふさわしくない。

「あれ!? 瞬くん?」

 ばこの前で彼女がおどろいた声を出す。どうやら俺はずっとくつを出したままボーっとしていたらしい。

「もしかして、待っててくれたの?」

 とうめいひとみ。今までつきあったどんな女よりれいだ。

 俺なんかには、もったいない子だった。

「……いいや、ヤボ用。俺、帰るわ」

「いっ……いっしょに、帰らない?」

 うわづかいで見上げられてらぎそうになる。彼女からの初めてのさそい。本当は、ふたつ返事で受けたいけれど。

「……ごめんな。俺はお前といつしよにいちゃいけないみたいだから」

 彼女が明らかに傷ついた顔をした。

 違うんだ! とさけびたい。けど俺はくるりと背を向けてそのまま走り去った。


   ◆◆◆


 次の日の気分は最悪だった。せっかく伸ばしてきてくれた手をはらうなんて。本心では、むしろ引き寄せてきしめてしまいたかったのに。

「難波くん! やる気がないなら帰りなさい!」

 数学の時間、無意識に窓の向こうを見ていたらしく担任におこられた。ノートが真っ白だ。いや、帰りたいよ本当に。


 放課後、俺はだれかに当たり散らす前に教室を出ようとする。すると入り口で何かが引っかかる感覚がして振り返る。

「瞬くん!」

 俺のシャツのすそつかむ彼女が俺の名を呼んだ。

「……ちょっとついてきて」

 いつもに輪をかけてまじめな顔だ。なんだろう、別れ話でもするんだろうか? 今日の俺はたいがいカッコ悪かったしな。聞きたくないけど聞いてみる。

「どこに行くの?」

 彼女の横顔は赤い。

「ふ……ふたりきりに、なれるとこ!」


 連れてこられたのは、なんと理数科の教室だった。うちの理数科はそもそも高校受験で合格した者の中でも選ばれし四十人しか入れないエリートクラスで、俺にはえんのない場所である。

「こ、琴乃、ここどこかわかってる?」

 まさか乱心して気づいてないのだろうか。

「理数科の教室でしょう? ここは部活で使わないから放課後はいつも空いてるの」

「へ、へぇー、そっかぁ……」

 にしても、ほかにも場所はあるだろうに。

 彼女の後ろから教室に入ると、彼女はくるりとこちらに赤い顔を向けた。

「えっと……まだ、私からちゃんと言ってなかったから」

 何を? 別れたいって? 不安すぎて血をきそうだ。

 彼女が深呼吸をしてから口を開く。

「私は……瞬くんが好きです」

「えっ……」

 俺のけた声が静かな教室にひびいた。

「な、なんで今?」

 うれしい、より先に俺はまどっている。

「言わないと……瞬くんが私から離れていっちゃいそうだったから」

 たぶん、俺がぬすみ聞きをしていたことにかんづいているのだろう。こんなあやしい彼氏でいいのか君は。

「離れちゃいやなの?」

 俺の声が上ずる。

「いや」

 その声に彼女の感情が見えた。この子「いや」とか言うのか。

「……ガッコの先生にきらわれてるし、俺とつきあってたら琴乃も誤解されるよ。チャラ男にだまされてる、なんて」

 言ってて悲しくなる。

「好きに思えばいいじゃない。私が好きで瞬くんといる。それだけのことでしょ?」

 ……感無量ってこのことを言うんだろうな。やっぱり、この子を手放したくない。

「……かみ、染め直そうかな」

 せめて、もう少しまじめそうに見えたら先生も多少静かになるだろうか。

「そ、そのまんまでいいよ!」

 彼女があわてて叫ぶ。ちょっと大きな声なのでびっくりだ。

「しゅ、瞬くんはそのままが一番カッコいい」

 そのしゆんかんたおれるかと思った。

 俺は嬉しすぎて死ぬんじゃないか。とりあえず話をらそう。

「ってか俺もちゃんと言ってなかったけどね。琴乃のこと、好きだって」

 まだだいじようゆうでカッコいい、俺。

 彼女は上目遣いで俺にたずねる。

「……好きになった?」

 そういえばそんなこと言ってたな俺。上から目線にもほどがあるだろ、ずかしい。

「なったなった」

 彼女の小さな頭をでる。

「……?」

 俺は気づいた。なぜか彼女は少し不満そうにほおふくらませている。

「どうした?」

 その返事は聞けなかった。


「忘れ物した!」

「もー、ばっかじゃねーの?」

 遠くのほうから男たちのブシツケな声がする。そして足音がどんどん近づいてきた。

 彼女が近くの机に目を向ける。

「忘れ物……これかな」

 机の上にぽつんとメガネケースが置いてあった。

 やばい。こんなところに二人でいるのが見つかったら、また変な誤解される。

「瞬くん、こっち!」

 彼女がベランダのほうを指し、俺は慌てて引き戸を開けた。

「あったー」

 あんの声が窓しに聞こえる。かんいつぱつ、俺たちはベランダに身をかくすことに成功した。

「間に合った……」

 俺は小声でつぶやく。

「瞬くん、しゃがまないと見えちゃう」

「あっ」

 彼女にてきされて、俺は急いで窓の下までかがんだ。

 ゆかしりをつけて足を軽くばすと、彼女のくりくりした目が光る。

「え」

 彼女の小さな手が俺の顔の横に勢いよく置かれる。とびらたたく音が鳴らないように気をはらってはいるようだ。いかめしい顔の彼女が俺を見下ろしながらこしを落とす。

「ど、どしたの?」

 彼女は答えず、そのまま俺に身体からだを近づけてくる。

 やばいやばい俺の心の準備ができてない!

「ちょ! 琴乃! タンマ!」

「……さわぐと聞こえちゃうよ」

 低い声が俺の身体をかなしばりにする。彼女はゆっくりと俺に体重をかけていき、やわらかい身体をしげもなく押しつけて俺の呼吸を乱した。

 バニラが混じったような甘いかおりが鼻をかすめる。石けんみたいなせいな香りを好むのかと思ったら、どうやらちがうらしい。

 口を引き結んだ彼女が、俺の顔をがっしりとはさんでくちびるうばった。

 やけに力いっぱい押しつけるので、俺の思考は完全停止。なすがままだ。

 唇がはなれたと思ったら、彼女はむくりと起きあがり、俺の胸にペタリと両手を置いた。

「あの……琴乃、さん?」

 彼女は真っ赤な顔で息を切らしながら、俺を見下ろして強い口調で言う。

「えっと……あ、あんまり私を……あまく見ないで、よねっ!」

 何してくれるんだ。鼻血をいたらどうしてくれるんだろう。

 俺は自分の顔に手をやった。信じられないくらい熱い。

「もう、好きにしてくれよ……」

 情けない声が二人きりのベランダに響く。なんだこのハニーテロは。

 可愛かわいすぎるだろこんなの……。

 目の前でいつしようけんめい強気に出ている彼女を見て、俺はさとる。


 俺の完敗だ。

 どうやら彼女は、そう簡単には俺を手放してはくれないらしい。

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