プリティフェイスに騙された 西京芹香
俺は自分で言うのもなんだけど、そこそこ顔も
午後最後の授業が始まる前、ぼんやりと自分の席に座っているところだった。顔の横から
「なっ
声の方向を見上げると、少し
同じクラスの
彼女は両手で俺のスマホについていたストラップを差しだす。
「あのっ……これっ!」
どうやら移動教室の際に落としたらしい。別に悪いことをしたわけでもないのにぷるぷる
「……あぁ、ありがとう」
地味めな
「……あっ」
ストラップを受け取るときに手がちょっと
……この子、たぶん俺のこと好きだな。
俺は彼女の小さな手をがっしりと
「清藤さん」
「はっ……はい!」
彼女は背筋を正した。
「……俺とつきあわない?」
「はい! ……え!? うっ
俺は
「今『はい』って言ったよね。……よろしく」
「……難波くん、わたしのこと、好、きなの?」
彼女は
「んー? 可愛いと思ってるよ?」
俺は笑顔で押しきった。彼女の色白の
「よ……よろしくお願いします……!」
少し手が握り返される感覚に
「よろしくね」
そして身を乗りだして耳元でささやく。
「ことの」
彼女の背がピンと
……
チャイムが鳴ってクラスメイトがガタガタと帰り
「
「あっ……うん!」
俺が名前を呼ぶと、彼女はいつも
「……緊張?」
彼女は二回首を縦に振る。
「
「……でも難波くんはモテるから」
「
彼女が「あ」と小さな口から声を
「
テキトーだが。俺は弱った彼女の顔を
「呼んでみてよ。俺の名前」
俺がうながすと、彼女は深呼吸して一音ずつもたもたと発音する。
「しゅ……しゅ……ん……くん」
「しゅん」より「くん」のほうが声量が大きい。
「……聞こえないなぁ」
「しゅ、瞬くん!」
「はい、なんでしょう?」
彼女は「呼べって言うから呼んだのに!」と言わんばかりの顔で俺を
「わかったわかった。ちゃんとお
俺は彼女の頭にそっと触れる。
「女の子の髪だな……」
「お……男の子の髪とちがうの?」
おや、食いついた。
「俺の髪は太いし
「ほんとだ……」
「一本一本が私の髪より太いね……」
俺の髪を
「あ、あの、清藤さん?」
「わぁ!」
彼女は慌てて俺から
「ち、ちかい!」
そこかよ。
「……もしかして天然?」
「そんなことないけど……」
噓つけ。彼女は少し驚いている俺をじっと見上げる。そしてじっとりした声でつぶやいた。
「……琴乃」
「あ……」
不覚。
「しゅ、瞬、くんも、お家でれんしゅうしてきてねっ」
俺は思わず自分の顔を押さえる。
やばい、思わぬところで
顔が熱い。
◆◆◆
本当に練習したのかどうかはわからないが、二カ月くらいすると、彼女は俺のことを「瞬くん」と照れずに言えるようになった。
「琴乃」
教室で本を読んでいた彼女は、ゆっくり俺の顔を見上げる。肩を跳ねさせることもなくなった。成長したなぁ。
「どうしたの? 瞬くん」
「髪、
彼女の後ろ頭はぴょんと撥ねていた。
「え? うそ!」
彼女は慌てて髪を
「そのまま」
俺は彼女の手を外して、ワックスで彼女の撥ねた髪を落ち着けてやった。
「男用のワックスだけど、今日はいいだろ?」
「う、うん……」
「できましたよ。お
「……ほ、ほめて……つかわす……ます!」
結局言えんのかい。
「……うん」
俺は
……日に日に、
俺が髪を直している間カチコチになってるのも、恥じらいながらも冗談に乗っかろうとするのも、
なんとかヨユーこいた態度取ってるけど、バレたら超カッコ悪い。
「なんばちゃーん、見てたよー。ラブラブじゃーん」
友人の
「……俺のカノジョが可愛すぎる件」
こんなはずじゃなかったのに。
「はいはい、
「脅してねーよ」
俺は小堺の顔も見ずに反論する。
「……ところでお前、清藤さんに手を出したのか?」
小堺のまさかの暴言に、俺はガバリと顔を上げる。
「は? 出せるわけないだろ!」
「だってお前、昔の彼女とはさっさとよろしくやってたじゃん」
「そんなこと……」
いや、あるわ。
「可愛がってるなぁ。キスもしてないなんて」
たしかに、二カ月つきあってるのにこの進展のなさは俺にとって異常だ。俺は向こうの席で彼女が友達と話しているのを
いや、俺にはあんな
「かわいーよなー清藤さん。お前がしないなら俺がしたいくれーだ」
「ふざけんな俺のだぞ」
「冗談冗談。でもお前らあんまり『お似合い』の関係には見えねーし、ちょっと
「うるせーよ」
俺は小堺にパンチを入れ、トイレに行くため席を立った。
その日の放課後、俺は彼女と帰るべく席まで
「琴乃ー」
彼女は俺に気づくと、少し顔を引きつらせた。
「あっ瞬くん、ごめんね。今日は用事があって……先に帰っていてくれる?」
「そうなのか? 朝は帰れるって言ってただろ」
「う、うん、急に言われたの」
ちょっとばつの悪そうな顔だ。何かあったのだろうか。
「……おー、じゃあ
「ごめんね」
彼女は申しわけなさそうな
俺は首を
悪いとは思ったが、俺はこっそり彼女の後を
彼女は先生が面談などで使う空き教室に入っていった。ノックをしたから中ではもう人が待っていたらしい。「どうぞ」と声がした。神経質な女の声。うちのクラスの担任だ。
この先生、どうやら俺がとにかく
彼女が放課後、担任に呼びだされるようなことをするはずがないのに。俺は
「清藤さん、あなた、難波くんと交際してるって本当?」
厳しい
「……はい」
彼女が重々しく口を開くと、担任のため息が聞こえる。
「本当なのね。……こういうことを言うのはよくないけれど、難波くんは見ためも派手だし、あなたの相手には
このババァ! 何かお前に
「え……」
「あなたのイメージが悪くなるでしょう?」
俺は俺で彼女は彼女だろ? 先生のくせに頭の悪いことを言う。俺は教室のドアに手をかけた。
「今回の期末テスト、清藤さん、順位が五十番ほど下がってる。周りの先生たちが心配していたわよ? 難波くんが悪い
その言葉で、俺はドアを開けることができなくなった。
彼女は成績が落ちたことなんて俺に一言も言わなかった。
「それは……私の勉強不足です」
「あのね清藤さん、成績の話だけをしているのではないの。あなたのために言っておくわ。つきあう人間はよく考えなさい。あなたの評価を下げる人間は、あなたにとっていい人間だと言えるかしら?」
俺はドアから手を
頭が悪いのは……俺じゃないか。
たしかに俺は、勉強が嫌いだ。まじめに勉強をしたのは受験のときくらいだし、定期テストの点数もお世辞にもいいとは言えない。
服装も校則なんか守っちゃいない。制服のネクタイを
でも彼女は
真逆じゃないか。俺は彼女に、ふさわしくない。
「あれ!? 瞬くん?」
「もしかして、待っててくれたの?」
俺なんかには、もったいない子だった。
「……いいや、ヤボ用。俺、帰るわ」
「いっ……いっしょに、帰らない?」
「……ごめんな。俺はお前と
彼女が明らかに傷ついた顔をした。
違うんだ! と
◆◆◆
次の日の気分は最悪だった。せっかく伸ばしてきてくれた手を
「難波くん! やる気がないなら帰りなさい!」
数学の時間、無意識に窓の向こうを見ていたらしく担任に
放課後、俺は
「瞬くん!」
俺のシャツの
「……ちょっとついてきて」
いつもに輪をかけてまじめな顔だ。なんだろう、別れ話でもするんだろうか? 今日の俺はたいがいカッコ悪かったしな。聞きたくないけど聞いてみる。
「どこに行くの?」
彼女の横顔は赤い。
「ふ……ふたりきりに、なれるとこ!」
連れてこられたのは、なんと理数科の教室だった。うちの理数科はそもそも高校受験で合格した者の中でも選ばれし四十人しか入れないエリートクラスで、俺には
「こ、琴乃、ここどこかわかってる?」
まさか乱心して気づいてないのだろうか。
「理数科の教室でしょう? ここは部活で使わないから放課後はいつも空いてるの」
「へ、へぇー、そっかぁ……」
にしても、ほかにも場所はあるだろうに。
彼女の後ろから教室に入ると、彼女はくるりとこちらに赤い顔を向けた。
「えっと……まだ、私からちゃんと言ってなかったから」
何を? 別れたいって? 不安すぎて血を
彼女が深呼吸をしてから口を開く。
「私は……瞬くんが好きです」
「えっ……」
俺の
「な、なんで今?」
「言わないと……瞬くんが私から離れていっちゃいそうだったから」
たぶん、俺が
「離れちゃ
俺の声が上ずる。
「いや」
その声に彼女の感情が見えた。この子「いや」とか言うのか。
「……ガッコの先生に
言ってて悲しくなる。
「好きに思えばいいじゃない。私が好きで瞬くんといる。それだけのことでしょ?」
……感無量ってこのことを言うんだろうな。やっぱり、この子を手放したくない。
「……
せめて、もう少しまじめそうに見えたら先生も多少静かになるだろうか。
「そ、そのまんまでいいよ!」
彼女が
「しゅ、瞬くんはそのままが一番カッコいい」
その
俺は嬉しすぎて死ぬんじゃないか。とりあえず話を
「ってか俺もちゃんと言ってなかったけどね。琴乃のこと、好きだって」
まだ
彼女は上目遣いで俺に
「……好きになった?」
そういえばそんなこと言ってたな俺。上から目線にもほどがあるだろ、
「なったなった」
彼女の小さな頭を
「……?」
俺は気づいた。なぜか彼女は少し不満そうに
「どうした?」
その返事は聞けなかった。
「忘れ物した!」
「もー、ばっかじゃねーの?」
遠くのほうから男たちのブシツケな声がする。そして足音がどんどん近づいてきた。
彼女が近くの机に目を向ける。
「忘れ物……これかな」
机の上にぽつんとメガネケースが置いてあった。
やばい。こんなところに二人でいるのが見つかったら、また変な誤解される。
「瞬くん、こっち!」
彼女がベランダのほうを指し、俺は慌てて引き戸を開けた。
「あったー」
「間に合った……」
俺は小声でつぶやく。
「瞬くん、しゃがまないと見えちゃう」
「あっ」
彼女に
「え」
彼女の小さな手が俺の顔の横に勢いよく置かれる。
「ど、どしたの?」
彼女は答えず、そのまま俺に
やばいやばい俺の心の準備ができてない!
「ちょ! 琴乃! タンマ!」
「……
低い声が俺の身体を
バニラが混じったような甘い
口を引き結んだ彼女が、俺の顔をがっしりと
やけに力いっぱい押しつけるので、俺の思考は完全停止。なすがままだ。
唇が
「あの……琴乃、さん?」
彼女は真っ赤な顔で息を切らしながら、俺を見下ろして強い口調で言う。
「えっと……あ、あんまり私を……あまく見ないで、よねっ!」
何してくれるんだ。鼻血を
俺は自分の顔に手をやった。信じられないくらい熱い。
「もう、好きにしてくれよ……」
情けない声が二人きりのベランダに響く。なんだこのハニーテロは。
目の前で
俺の完敗だ。
どうやら彼女は、そう簡単には俺を手放してはくれないらしい。
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