第99話 虎千代を誘うこと、家族の如し(陰の章 最終話)

 越後えちごへ向かって長尾ながお軍が引き上げて行く。

 兵士の中には、俺に向かって手を振り挨拶をする者もいる。


「武田の殿様~! お元気で~!」


「お~う! かあちゃんと仲良くな~!」


 俺も手を振り気さくに答える。


 諏訪すわに来ていた長尾軍の兵士たちは、俺や武田家に対してかなり好感を持ってくれた。

 毎日メシを食わせ、酒を飲ませたからな。

 金がかかったが、これも成果の一つだ。


 俺の隣で板垣さんがニヤリと笑う。


「御屋形様は、越後の兵士を手なずけましたな」


「これで万一越後ともめても、兵士が戦うのを嫌がるでしょう」


「なかなかの策士ですな」


「偶然ですよ。狙ったわけじゃないです」


 長尾軍は長い隊列を組んで、降り出した雪の中を越後へ向かう。

 俺たち武田軍は見送りのために、北信濃までやってきたのだ。


 見送りといっても、実質は見張りだ。

 長尾軍の兵士が略奪や暴行などをしないように目を光らせている。

 幸い何も問題は起らなかった。


「さすが長尾為景ながお ためかげ殿ですね。兵の統制がとれています」


 軍師で妹のみなみが、長尾軍の整然とした様子に舌を巻いていた。


 今日は、白と薄紅色の諸葛孔明しょかつ こうめいコスプレ衣装だ。

 雪の中で美しく見える。


「おお! 臥龍様だ!」

「うおーい! 臥龍様!」


 南も越後の兵士に顔が売れて、なかなかの人気だ。

 南が羽扇子をゆっくりと頭上で振ると、越後兵がドッと湧いた。


 俺たちが長尾軍を見送る場所は、村上義清むらかみ よしきよ殿の居城である葛尾かつらお城の北東。

 川が流れ、山がそびえる、北信濃しなのらしい場所だ。


 歴史では川中島かわなかじまの戦いが行われ、武田信玄たけだ しんげん上杉謙信うえすぎ けんしんが激突した場所でもある。


 これから先の歴史がどうつむがれていくのかはわからない。

 だが、武田家と長尾家は婚姻で結びつき、兵士レベルでも交流を深めた。


 川中島の戦いのように、両家が何度も執拗しつように戦うことはあるまい。


 一つ、良い方向に歴史を変えられたのではないかと思う。

 長尾軍を平和に見送ることが出来る――そのことに、俺は満足感を覚えていた。


 雪が降り続く。

 これから越後や北信濃は、雪に閉ざされる。

 春になれば、戦後処理や婚姻で忙しくなる。

 だが、それまではお正月のやり直しをしてノンビリと過ごそう。


 俺はふと有名な小説の一節を口にした。


国境くにざかいの長いトンネルを抜けると雪国であった」


「夜の底が白くなった――川端康成の雪国だね! 受験勉強でやったな」


 奥さんのかおるである。

 香は別働隊で大活躍をした。

 馬上で薙刀なぎなたを振り回し、バッタバッタと敵を斬り伏せたそうだ。


 長尾軍からは女関羽かんうとあだ名され恐れられたそうだ。


 ちなみに恵姉上も香と同様の活躍をして、女張飛ちょうひとあだ名されたそうだ。

 蛇矛をプレゼントしようか検討中だ。


 俺は香を労う。


「香もお疲れ様。躑躅ヶ崎館つつじがさきのやかたに帰ったら好きなお菓子を食べてよ」


「いいね! ケーキが食べたいな!」


「ああ、俺も食べたい!」


 さすがに精神的にも肉体的にも疲れた。

 そしてお財布にもダメージが大だ。


「長尾軍には何をあげたの?」


「米と酒。スゲエ量だったよ」


「あっ! それでみんな荷物を背負ってるんだ!」


 長尾軍の兵士は、みんな背中に荷物を担いでいる。

 武田家からは、結納の品として米と酒を渡してる。

 長尾為景は越後に帰ったら大威張りで家臣や国人に分配するのだろう。


「まあ、今回は良い終わり方じゃない」


「みんな納得したからね。一部を除いて」


 長尾為景と長尾晴景は最終的には負けたが、武威を示すことが出来たし、俺に米と酒を贈らせた。


 信濃の国人衆は、戦はあり犠牲者はあったが領地を取り戻した。


 武田家としては、信濃の国人衆を助け、長尾軍を打ち破ったことで、信濃での影響力を得、名声を高めた。

 まあ、飯富虎昌おぶ とらまさたち武闘派の連中は思う存分暴れたから満足だろう。


 ただ、武蔵むさし山内上杉家やまのうちうえすぎけを頼った連中が、今後どうでるか?

 戦後処理は春になってからだが、納得してくれるかどうか心配ではある。


「ねえ。ハル君。納得していない人が、あそこにいるよ」


 香が指さす先に一人の少年がいた。

 長尾虎千代ながお とらちよ、後の上杉謙信だ。

 越後へ向かう長尾軍の列から外れて、ジッと俺をにらんでいる。


「あれが未来の上杉謙信だよ」


「へえ……美少年だね……。ハル君に用があるんじゃない? ていうか、殺気立ってるけど」


「はあ……。面倒臭いけど行ってくるか……」


 俺は武田軍が集まっている高台から、長尾虎千代が待つ川原へ向かって歩き出そうとした。

 風魔小太郎ふうま こたろうが慌てて俺を止める。


「御屋形様! 絶対一人では行かせませんよ! 高梨政頼たかなし まさよりに斬り付けられたことをお忘れですか?」


「わかってる。護衛としてついてきてくれ」


 近習の初沢はつさわ三郎もズイと進み出た。


「御屋形様。近習の私を置いてきぼりにされては困りますよ」


「ああ、そうだな。三郎も来い。人数が多いと長尾軍を無用に刺激する。三人で行こう」


 俺は風魔小太郎と近習の初沢三郎を連れて川原へ下りた。


「よう! どうした?」


 俺は気軽な口調で長尾虎千代に話しかける。

 長尾虎千代は、俺をにらみつけ、頬を膨らませて文句を言い出した。


「納得できないことがある。われは勝った! 我はお前より強い! なのに、なぜ我ら長尾は退くのか!」


 なるほど。

 長尾虎千代は、今回の結果に納得していないのだな。


 確かに長尾虎千代は武田軍の本陣を奇襲して、俺を追い詰めた。

 あの戦いは、長尾虎千代の完勝だろう。


 俺が黙って聞いていると、長尾虎千代はさらに言葉を続けた。


「今もそうだ! 我は一人で来た。だが、お前は護衛を連れている! そんな弱いヤツのところに姉上は嫁ぐ! 納得出来ぬ!」


 長尾虎千代の目が真っ赤だ。

 悔しいのだろう。

 姉と別れるのが寂しいのだろう。

 そして、姉の嫁ぎ先、夫になる男が俺のように弱い男なのが許せないのだ。


 俺は真面目に長尾虎千代の相手をすることに決めた。

 腕を組んだまま、真っ直ぐ長尾虎千代の目を見る。


「俺はケンカが弱いからな。ケンカが強いヤツを常にそばに連れている」


「恥ずかしくないのか? この前の戦でもオマエは逃げたではないか?」


 長尾虎千代が俺をなじる。

 だが、俺はまったく気にしない。


「ああ、俺は負けた。そして、逃げた。悪いか?」


「悪い! 戦え!」


「俺は勝つために逃げた。分からんか?」


 俺の言葉に長尾虎千代は心底分からないといった顔をした。

 怒りで口元が引きつっているが、目は困惑の色を濃くした。


 なるほど。

 コイツは後に軍神と言われるほどの戦上手だし、持っている一芸も凄い。

 だが、強いからこそ、勝てるからこそ、分からないのだ。


 弱いことは、恥ではない。

 負けることは、恥ではない。

 逃げることは、恥ではない。


 最終的に何を成し、何を得るかが大切なのだ。


 俺は懐からメモ帳と鉛筆を取り出して、図を書き始めた。

 この戦いの両軍の動きだ。


「順番に話すぞ。まず、正面から戦うばかりが戦ではない。この図を見ろ。ここで俺が一軍を引き止め、もう一軍が佐久で長尾軍の別働隊を破る。そしてそのまま北上して長尾軍本隊の退路を塞ぐ。これが俺の描いた軍略だ。わかるか?」


「わかる……」


 長尾虎千代はメモ帳をガン見している。

 物凄い食いつきだ。


「ひょっとして初めて聞いたのか?」


「ああ」


「情報は大事だ。情報収集が出来る者をそばに置け」


「うむ」


 何かライバルに力をつけさせる自滅行為をしているようにも思えるが……。

 だが、長尾虎千代は義弟になるのだ。

 武田信玄と上杉謙信は何度も戦ったが、史実とは違う未来があるはずだ。


 何より目を真っ赤にしている少年を放っておくことは出来ん。


 俺は細かい所を解説する。

 突破力のある武将を別働隊に集中させ勝負をかけたこと。

 俺は本隊を率いて防御に徹したこと。

 傭兵を雇い、後方に憩いの場をつくり、長期戦を可能にしたこと。


 俺の言葉を聞いて、長尾虎千代は衝撃を受けたようだ。

 目を大きく見開いたまま言葉をなくしている。


「戦場で強いのは良いことだ。だが、最終的に勝利を得られるなら、戦わなくても良いと俺は考えている」


「それで、和平か?」


「義理の親父殿は、戦うよりも婚姻で武田家と縁を結ぶことを選択した。越後国内の安定に集中するのだろう。俺も戦い続けるより長尾家と誼を結び越後が安定することを望んだ。そうすれば駿河するが攻略に力を注げるからな」


「駿河?」


「今川家だ」


「なるほど……」


 長尾虎千代なりに納得出来たのだろう。

 何度も深くうなずいている。


「虎千代。お前に味方はいるのか?」


「味方? 我の後ろに沢山いるのが見えないのか?」


 長尾虎千代の後ろには越後へ帰る長尾軍の兵士たちがいる。

 だが、俺が言いたいのは、そういうことじゃないんだ。


「そうじゃない。仲間はいるかと聞いているのだ」


「仲間……」


「信じられる仲間は大切だ。さっき軍略の話をしただろう? 俺は別働隊を任せられる武将、信じられる仲間がいた。別働隊を率いた板垣信方いたがき のぶかた甘利虎泰あまり とらやす飯富虎昌おぶ とらまさ、香、恵姉上たちだ。信じられる仲間がいたから、あの軍略が成立したのだ」


「信じられることが重要なのか?」


 長尾虎千代は心底分からないと首をかしげた。


「信じられるから大きな兵力を任せることが出来る。裏切られたらどうしようと不安を感じていたら一軍を任せられないだろう?」


「なるほど……それはそうだ……」


 俺は義弟になる長尾虎千代と話していて、義弟が心配になってきた。


 こいつは人として何か大事な物が欠落しているのではないか?

 それとも長尾家で孤立して人と接する機会が少ないのか?

 大丈夫かな?


「虎千代。甲斐かいにいつでも遊びに来い」


「甲斐に?」


「ああ。俺とお前は義理の兄弟になるのだ。遠慮は無用。気が向いたらいつでも来い。旨いものを腹一杯食わせるぞ。それに富士が見える」


 俺は長尾虎千代を誘った。

 姉の嫁ぎ先にちょっと顔を出すくらいは問題ないだろう。

 姉の顔を見に来れば良い。


「富士……」


「ああ。春になれば、満開の桜と富士が美しい。花見をしながら旨いものを食おう」


「なぜ、俺を誘う?」


 俺は答えに困った。

 別に深い理由があったわけじゃない。

 親戚の子供に遊びにおいでというのと同じだ。


 俺は正直に自分の気持ちを伝えた。


「なぜと言われても……。俺たちは義理の兄弟、親戚になるだろう? 義理の弟を誘うのに理由がいるのか?」


「そうか……。そうなのか……」


「ああ。春になったら富士を見ながら花見をしようぜ!」


 長尾虎千代がフッと笑った。


「富士と花見か……。それは悪くないな。楽しみにしている。ではな、義兄上あにうえ


「ああ、またな、義弟おとうとよ」


 虎千代が越後へ帰る長尾軍の列に戻っていった。

 宇佐美定満うさみ さだみつが見えた。

 虎千代を待っていたのだろう。

 宇佐美定満は、遠くから俺に会釈をすると列に戻っていった。


「さあ、甲斐へ戻るぞ!」


 俺たち武田軍は家路についた。


 雪が全てを白く染め、春になれば溶けて水となり川になる。

 やがて川は海へ流れる。


 俺の変えた歴史は、どこへ流れ着くのだろうか。

 俺にもわからない。


 だが、今は仲間とともに、家へ帰れることに感謝をしよう。



 ―― 陰の章~信濃動乱 完――


 つづく


 ※この小説はフィクションです。本作はモデルとして天文三年初夏からの戦国時代を題材にしておりますが、日本とは別の異世界の話として書き進めています。史実と違う点がありますが、ご了承下さい。



◆―― 作者より ――◆


コミカライズ準備中の『蛮族転生! 負け戦から始まる異世界征服』も、ぜひお読み下さい。

https://kakuyomu.jp/works/16816700427998590188



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