第87話 ガツガツ朝食を食べること、野人の如し

 ――翌朝。


「御屋形様。お目覚めでございますか?」


 俺は聞き覚えのない声で目を覚ました。

 まだ、薄暗い。


 ここは遠征先の信州しんしゅう諏訪すわだ。

 諏訪頼重すわ よりしげ殿から上原城の一室を寝所として提供された。

 甲府こうふにある躑躅ヶ崎館つつじがさきのやかたと違ってベッドや暖房器具がない。

 俺はネット通販風林火山で購入した寝袋にくるまって寝た。

 おかげで暖かく快適な目覚めだ。


 もそもそと寝袋から這い出て、廊下に向かって声を掛ける。


「うむ。起きたぞ。支度の手伝いを頼む」


「ご免」


 部屋に入ってきたのは、見慣れない男だった。

 年は二十ぐらいだろう。

 着替えを手伝ってもらいながら、話しかけてみる。


「名は何と申す」


初沢はつさわ三郎と申します。飯富虎昌おぶ とらまさ様から御屋形様の身の回りのお世話をするように申しつかりました」


「そうか。三郎よろしく頼むぞ」


「ははっ!」


 本陣にいた俺の近習は、俺を守ろうとして全員討ち死にしてしまった。

 俺は彼らの名前すら覚えていない。

 今度は一人一人近習の名前を覚えて、しっかりと彼らの主君になろう。


 甲冑を身につけ上原城の広間に入ると、諏訪頼重殿が既に座っていた。

 諏訪頼重殿も甲冑姿だ。


 今日は戦の二日目だ。

 戦の最中だから広間は慌ただしい。

 諸将が流し込むように食事をして、外に出て行く。


 そんな中、諏訪頼重殿はキチンと座って、上品にゆっくり食事をしている。


「諏訪殿。おはようございます」


「武田殿。本日もよろしくお願いいたします」


 諏訪殿の隣に座ると、スッと膳が運ばれた。

 運んできてくれたのは、美しい桜色の着物を着た女性だった。

 諏訪頼重殿が、女の子を俺に紹介する。


「武田殿。娘ののぞみです。今年十三になります」


のぞみでございます」


 すぐ分かった。

 彼女が諏訪御料人すわ ごりょうにん、諏訪姫だ。


 なるほど確かに美しい。

 芸能人でデビュー前から超絶美人だったなんてケースがあるそうだが、希姫はまさにそれだ。

 顔には、まだ微かに幼さがあるが、何とも言えない色っぽさがある。


 今は天文五年。

 史実の諏訪姫は、まだ子供のはず。

 だが、俺の存在するこの歴史の流れでは、立派な女性だ。

 少し歴史が違うのだろう。


「武田晴信にございます。膳を手ずから供していただき、ありがとうございます」


 俺がお礼を告げると、諏訪姫はニコリと笑って奥へ引っ込んだ。

 なるほどな。

 良家の姫様とは、ああいう上品な――。


「ああー! つっっっっっっかれたぁぁぁぁぁ!」


 ドスドスと足音がして、広間に上品ならざる女性が入ってきた。

 俺の奥さんかおるである。


 香は俺の所に一直線に歩いてくると、メモ書きを渡した。


「ハル君。これ、医薬品で足りない物リストね。補充しておいて!」


「ああ、わかった」


 メモ書きには、消毒液、包帯、手術用の針や糸、手術用グローブ、マスクなど、重症者の治療に使う消耗品が沢山書いてあった。


 香は徹夜で重症者の手当をしていたようだ。

 目の下にクマが出来ている。


 続いてドスドスと足音が聞こえ、膳を持っためぐみ姉上が広間に入ってきた。


「香! 食事じゃ!」


恵姉めぐみねえ~。もう、疲れた。腕が上がらないわよ~。食べさせて~」


「仕方ないのう」


 香はグッタリと広間の柱に寄りかかって座り、恵姉上が食事を香の口に運ぶ。


「あ~美味しい~。染みるわ~」


 香はガツガツと握り飯を食べ、野菜の入った味噌汁をズルズルっとすすった。


 俺は香を労う。


「香。お疲れ様、ありがとう。どうだった?」


「一応、全員縫ったわよ。ええ。やりましたとも! でも、一人死んだわよ!」


「そうか……」


「腹を刺されていたのよ。まったく刺されるなら、腕や足にしてよ! 内臓をやられてたら、私じゃどうにも出来ないわよ! しっかり防具を着けろ! クソッ! クソッ! クソッ!」


 香は重症者の一人を助けられなかったのが、よほど悔しかったのだろう。

 寝不足もあって感情的になっている。

 ダン! ダン! ダン! と広間の床を蹴り飛ばした。


 腹を刺されていては、どうにも手の施しようがない。

 手や足の深い切り傷であれば、なんとかなる。

 縫って安静にして、肉がくっついたら抜糸すれば良い。

 素人手術でも、戦国時代基準では最新医療だ。

 香に治療をしてもらった将兵は泣いて喜ぶだろう。


 俺は香に両手を合わせて拝むようにして礼を告げた。


「本当にありがとう。治療してくれた兵士たちは、きっと感謝しているよ。それに、香が対応してくれたおかげで、俺はしっかりと休めた」


「いいの。大将は休むのも仕事の内よ。私は少し寝るわ。昼前に起こして!」


 香はその場で大の字になりイビキをかき始めた。

 豪快である。


「飯富虎昌。頼む」


「はっ!」


 飯富虎昌に香の世話を頼んだ。

 飯富虎昌は、香を起こさないようにそっとお姫様抱っこすると、奥の部屋へ運んでいった。


 俺たちの様子を見ていた諏訪頼重殿が恐る恐る俺に尋ねた。


「あの……武田殿……あれは……?」


「正室の香です」


「武田殿のご正室は、京の三条さんじょう家の姫君では?」


「ええ。ですので、あれが左大臣三条公頼さじょう きんより様が二の姫の香子です」


「……」


「あの……、武田家は自由闊達な家風でして……。ハハハ……」


 諏訪頼重殿が、あんぐりと口を開いて驚いている。

 なんか申し訳ない。

 だが、気にしたら負けだ。


「陣中につきご免!」


 俺はお行儀悪く握り飯と味噌汁をかっ喰らった。


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史実では諏訪御料人の名前は不明です。本作では、希としました。(作者の創作です)

また、諏訪御料人の生年は史実では1530年で、今話の天文五年1536年は、まだ子供です。十三才の設定は作者の創作です。

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