第84話 諏訪湖の戦い(中編)

 諏訪すわ・武田連合軍対長尾ながお軍の戦いは一進一退の攻防が続いた。


 諏訪から追い出そうとする諏訪・武田連合軍。

 諏訪に居座ろうとする長尾軍。


 諏訪・武田連合軍が積極的に攻撃を仕掛け、長尾軍は地の利を生かし上手く守った。


 だが、冬の日は早い。

 もうすぐ日が暮れる。

 そろそろ両軍が引く頃合いだ。

 今日の戦は終わりだな。


 俺は双眼鏡から目を離した。

 視界の隅にチラリと何かが動いた。


「ん?」


 俺は何かが動いたと感じた方に視線を移したが、諏訪湖すわこがあるだけだった。

 諏訪湖の湖面は凍っていて、アイススケートが出来そうだ。

 そして湖面には、一部の氷がせり上がって恐竜の背中のようになっている。


「あの氷が盛り上がっているのは何だ?」


 俺の質問に、案内役の諏訪家の老臣が答えた。


「あれは御神渡おみわたりずら」


「御神渡り?」


「そうずらで。諏訪大社すわたいしゃ上社かみしゃから下社しもしゃへ神様が歩いて行った跡ずら。上社の神様は男神で、下社の神様は女神ずら」


「へえ。神様の逢い引きか!」


「そうずらで!」


 諏訪大社には、上社と下社がある。

 上社は現代日本の諏訪市にあり、下社は下諏訪しもすわ町にある。


 御神渡りは自然現象なのだろうけど、男女の神様が会うために歩いた跡だと考えるなんて、諏訪の人はなかなかロマンチックだ。


 俺は諏訪湖の湖面に続く御神渡りを眺めていた。

 すると目の錯覚だろうか?

 先ほどと同じように、何かが動いたように見えた。


「おい……、何か動いてないか?」


 俺は諏訪湖の湖面を指さす。

 湖面は凍っていて、さらに雪が積もり真っ白だ。


 近習や兵士たちが俺の指さす方を見た。


「いや……特には……あれっ!?」

「何か動いてるぞ!」

「狼か!? 熊か!?」


 近習や兵士たちも何かわからない。

 俺の隣に立つ諏訪家の老臣が大声を上げた。


「敵ずら! 白い布をかぶって湖面を渡ってきたずら! 御神渡りの影に紛れてきたずら!」


「敵だと!?」


 俺は双眼鏡を手にした。

 御神渡りの近くに照準を合わすと、白い布をかぶった敵兵が見えた。


「敵襲だ! 長尾軍だ!」


 俺は大声で怒鳴ったが、同時に鬨の声が湖面の方から上がった。

 長尾軍の奇襲だ!

 長尾軍はかぶっていた白い布を捨て、次から次へ凍結した湖面から陸に上がってきた。


 長尾軍の中に一人、小柄で幼い顔立ちの兵士がいた。

 まだ、子供だ。

 だが、身振り手振りで長尾軍の兵士たちを指揮している。

 あの子供が、この奇襲部隊の大将なのか?


(鑑定!)


 俺はスキルを発動した。


【長尾虎千代 軍神毘沙門天びしゃもんてん かかり乱れ龍 生涯不犯ふぼん


「なっ!? 上杉謙信うえすぎ けんしん!?」


 虎千代は上杉謙信の幼名だ。

 それに、この特徴的な一芸……。

 間違いない!

 あの子供は上杉謙信、つまり幼少の長尾景虎ながお かげとらだ。


 六文字の一芸なんて初めて見た!

 この一芸は何だ?


【軍神毘沙門天:野戦において無類の力を発揮し、全ての兵を巧みに指揮し、敵の弱点を看破する】


【懸り乱れ龍:突撃時に全将兵の攻撃力が倍加する】


【生涯不犯:仏教の戒律の不淫戒を守る限り、配下将兵の忠誠度が大幅上昇する】


 俺は一芸の説明を読んで固まってしまった。

 こんな強力な一芸持ちが存在して良いのか?

 いや、反則だろう!

 だが、この一芸なら子供が奇襲部隊を指揮することも可能だ。


 長尾軍の動きが速い。

 あっという間に乱戦になった。


 俺たち武田軍本陣は、観戦するために本陣から出てきていたので、構えも何もなくバラバラだ。

 長尾軍に押されている。


「武田様! 逃げるずら!」

御屋形おやかた様! 引きましょう!」


 形勢不利と感じたのか、諏訪家の老臣と武田家の近習きんじゅうがそろって退却をすすめてきた。

 俺は判断に迷った。


「しかし……、飯富虎昌おぶ とらまさたちが湖水の向こうで長尾軍と戦っている。俺だけ退却して良いのか?」


「何をのんきなことを言ってるずら! 大将が討ち取られたらお終いずら!」


 迷う俺を諏訪家の老臣が叱り飛ばしてきた。

 続いて近習が一生懸命に俺を説得する。


「飯富殿でしたら、きっと上手くやります。真田様も諏訪様もいらっしゃいます。村上様も騎馬ですから、いざとなったら逃げられます」


「わかった……。じゃあ、上原城に――」


「いえ! 上原城に入ったら最後逃げ場がありません。ここは甲斐を目指して街道を走るのがよろしいかと」


 俺よりも近習の方が落ち着いている。

 普段は着物の着付けを手伝ったり、面会の取り次ぎをしたりするだけの平凡な若者なのに、戦場ではやけに頼りになる。


「そうか……そうだよな……。わかった、甲斐へ向かおう!」


 俺は近習の意見を採用した。

 武田軍は右往左往してしまい、長尾軍の浸透を許している。


 もう、俺のすぐそばで戦闘が始まっている。


「あそこだ! 大将首だぞ!」

「討ち取れ!」

「武田晴信がいたぞ!」


 やばい!

 見つかった!


「者ども! かかれ!」


 長尾虎千代が指揮する長尾軍奇襲部隊が突撃してきた。

 脇差し一本の肉弾攻撃だ。

 長尾虎千代の一芸【懸り乱れ龍】の効果も加わり凄い迫力だ。


 武田軍も必死に防ぐが、軍としてのまとまりがない。

 とても防ぎ切れなそうにない。


「武田様! お逃げを! 諏訪をよろしくお願いするずら!」


「おい! 待て!」


 諏訪家の老臣は、刀を抜くと長尾軍に突っ込んでいった。

 俺が逃げる時間を少しでも稼ぐつもりなのだろう。

 止める間もなかった。


「御屋形様! お早く!」


 俺は近習に連れられ十人の兵士と一緒に本陣から脱出した。

 甲斐へ続く街道を走った。

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