第52話 裏切られる事、穴山田お前もかの如し

 その頃、今川本陣では、今川義元が満面の笑みで太源雪斎と話をしていた。


「ついに来たか! 小山田! 穴山! さすが和尚だ!」


「我が策成れりと申し候。武田方は、小山田、穴山、両家の裏切りに気落ちしているはず。一気呵成に攻めるべし」


「よし! 本栖城を落としてやる! 伝令! 総攻撃だ!」



 *



 俺の下に鎧を身に着けた侍が集まって来た。

 彼らは、下士官にあたる。

 現場で十人程度の守備兵の指揮をとっている連中だ。


「御屋形様! いかがいたしましょう!」

「兵たちが動揺しておりますぞ!」

「まさか、小山田殿と穴山殿が裏切るとは……」

「こうなっては、御屋形様だけでもお逃げを……」


 かなり動揺しているな。

 彼らは板垣さんや小山田虎満のような幹部ではないから、今日の作戦内容を知らない。


「待て! 大丈夫だ! 穴山、小山田が裏切るのは、想定内。なんら問題はない」


「えっ?」

「そうなのですか?」

「いや、しかし……」

「むうう……」


 俺は横目でちらりと城内の様子を見る。

 守備兵たちが動揺して色々わめきちらしているぞ。

 早く秩序回復をしないとデマが飛び交い内部崩壊してしまう。


 俺は一人一人の目を見て、落ち着いた声で語りかけた。


「これは策なのだ。今川の耳があるやもしれぬゆえ委細は秘するが……。何も問題はないのだ。これまで通り落ち着いて戦え! 半刻とかからず、我らが勝利する!」


「左様でございますか……」

「策ですか……」

「ふむ……そういう事でしたら……」

「なるほど……」


「まず、守備兵たちを落ち着けるのだ。そして、今川軍からこの城を守れ。そなた達を頼りにしておるぞ」


「はっ!」

「承知!」

「かしこまりました!」

「今川何するものぞ!」


 侍たちはそれぞれの持ち場に戻ると守備兵に声を掛け、本栖城内は徐々に落ち着きを取り戻した。


 ふう。

 何とかなった。


 俺はトランシーバーで小山田虎満に声を掛ける。


『小山田虎満。そっちはどうだ?』


『かなり動揺がありましたが、何とか抑えました』


『板垣さんは、どうですか?』


『大丈夫です。ご安心を』


『香は?』


『平気よ。恵ちゃんと南ちゃんが、説得して回ってくれたよ』


 恵姉上と妹の南が仕事をしてくれたらしい。

 後で差し入れだな。


『馬場信春は?』


『混乱は収まりました。守備兵は落ち着いています』


 まず、第一段階。

 城内の混乱を何とかおさめた。


 俺は上大蔵から缶コーヒーを取り出して一息つく。

 ホッとしたのも束の間、トランシーバーから、馬場信春の声が聞こえて来た。


『今川軍に動きあり。総攻撃です!』


 当然そう来るよね。

 穴山家、小山田家の両家が武田家を裏切って、今川家の兵力が増えたのだ。

 ここがチャンスと攻めるわな。


「よーし! 今川が来るぞ! 落ち着いて戦え!」


 俺は近くの守備兵一人一人に声を掛けて行く。

 双眼鏡を覗くと今川軍本陣から、足軽兵、雑兵が続々とこちらへ移動している。


 正面からは、雄叫びが響く。

 竹束を持った足軽、長バシゴを持った雑兵が、一斉に攻め寄せて来た。

 もう、作戦も何もなく、数に任せて力押しするつもりだ。


 小山田家、穴山家、略して穴山田。

 父武田信虎の葬儀には来ていた。

 だが、俺が家督を継いでから、何度面会を求めても断られていた。


 そして、三ツ者からの報告で穴山田両家に、今川家からの調略が行われている事を知った。

 三ツ者が詳細を調べるのに、それ程時間はかからなかったよ。


 それに穴山田だけでなく、他の国人衆にも方々調略の手が伸びていた。


 おそらくこの『絵』を描いたのは、太源雪斎だろう。


 甲斐国を調略によって、内部から切り崩す。

 暴虐な先代信虎と若く頼りない当代の俺。

 武田家から国人衆を離反させる材料には、事欠かなかっただろう。


 素晴らしい策だ!

 現に俺たちは押されていて、このままでは負ける。


 攻め寄せる今川の大軍は、足場城壁のあちこちに長バシゴをかけて今川兵がよじ登ってきている。

 それに今川軍は味方も増えて士気が上がっているのだ。


 武田軍は抵抗しているが、何せ敵の数が多いし、裏切りにあい士気が上がらない。

 本栖城は落ちる。

 時間の問題だ。


 ――惜しかったな。


 相手が俺たちじゃなければ、勝てただろうな。


 俺は足場城壁から今川軍を見つめた。

 勝ち戦と思い込み、一気呵成に攻め寄せて来る。


 作戦の第二段階は、今川の全面攻勢に耐える事だ。

 そして、次の段階に作戦は進む。


(まだか……まだ来ないか……)


 俺が少し焦れて来た頃、トランシーバーから声が聞こえた。


『遅くなり申した。甘利虎泰、着陣!』


『飯富虎昌! 推参!』


 花菱と月星の馬印が、風にひるがえった。

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