第26話 歴史に思いを馳せる事、どこかの提督の如し

「かしこまりました。諏訪家すわけへの外交は、二年後の駿河攻略への布石ですな?」


「そうです。後顧の憂いを失くすってヤツですね」


 史実通りなら二年後に今の静岡県にあたる駿河国するがのくにでは、今川家の後継者争いが起こる。

 花倉はなぐらの乱と言われる内乱だ。


 このどさくさに紛れて駿河の領土を削り取るのが、俺の戦略目標なのだ。

 その為には背後から攻め込まれるのを外交で防止したい。


 相模さがみの北条家は板垣さんが一年間の和睦を取り付けて来てくれた。

 来年これを延長すれば北条家は問題ない。


 そうすると残る気掛かりは、何度も揉めている信濃しなの諏訪家すわけだ。

 諏訪家すわけと和睦して親交を回復すれば、背後は心配なくなる。


 俺は先ほど商人の駿河屋喜兵衛するがやきへいが置いて行った金から四十両を板垣さんに渡した。


「板垣さん。この金を諏訪大社すわたいしゃへ寄進して下さい」


「かしこまりました。これで武田家の印象も大分変わるでしょう」


 武田家と諏訪家すわけを比較した場合、武田家は代々甲斐守護で、諏訪家すわけは代々諏訪大社の大祝おおほうりだ。

 両家とも歴史が長いが、家柄では武田家の方が優勢だ。


 支配領域つまり戦国大名としての実力で見ると、武田家は甲斐一国を支配し、諏訪家すわけは信濃国の諏訪地方を支配しているのみ。

 実力では武田家が上になる。


 つまり武田家の方が諏訪家すわけより格上だ。

 そこで和睦をするのに武田家の方が頭を下げた形にはしたくない。


 そんな事をすれば周りの大名家からなめられるし、武田家の内部からも不満が出る。

 一応公式には父武田信虎は、諏訪家すわけの息のかかった国人衆が雇った忍びに暗殺された事になっているのだ。


 そこで諏訪大社への寄進だ。


 諏訪家すわけに金を払えば『新しい武田家の当主武田晴信は弱腰大名』と悪い風聞が立つ。

 しかし、諏訪大社への寄進なら『神社を大事にする信仰心のあつい大名』になる。


 寺社勢力からの支持も期待できるし、諏訪家すわけにも歓迎される。

 そして武田家が諏訪家すわけに頭を下げた事にはならないから、武田家の面子も保てる。


「後は諏訪頼重すわよりしげ殿へのお土産ですね」


 こういうのが意外と難しい。

 北条家への土産は美しい江戸切子のガラスの器に入った金平糖だった。


 諏訪家すわけは北条家より家柄では上だが、実力では圧倒的に下だ。

 北条家と同じ物を諏訪家すわけへ贈って、それが北条家の耳に入ったら……。

 北条家は自分達が諏訪家すわけと同列に扱われたとへそを曲げるかもしれない。


 かといって米、塩、酒ではありきたり過ぎて、武田家の力を示す事にはならない。

 外交も戦いなのだ。

 たかが土産でもメッセージを込めないと。

 わかる人にはわかるのだ。


 俺が考え込んでいると板垣さんが提案をして来た。


「先ほどの駿河屋喜兵衛にお売りになった酒はいかがでしょうか?」


「ワインか……悪くないな……」


 ワインなら珍しいモノだから武田家の力を示す事が出来る。『オラオラ! こんな珍しい物が武田家では手に入るんだぞ!』的な感じだ。


 価格的に北条家に送った金平糖よりも下だから、北条家とのバランスもとれる。

 しかし問題もある……。


「見た目はどうでしょう? 真っ赤な酒というのは……見た目が血のようですよね……」


 血はけがれという考え方がある。

 もちろんワインは酒だけれど、この時代の人はそんな事は知らない。

 諏訪家すわけは諏訪大社の神職だからな……ワインを贈っても大丈夫だろうか……。


 俺の心配を他所に板垣さんはあっけらかんと言ってのけた。


「お気に為さる必要はないでしょう。酒は酒です」


「そういうモノかな……」


「あの『わいん』という酒は、なかなか良い酒に見えましたが?」


 うん。チリワインで2000円なら、そんな悪くないはず。

 そりゃフランス産のヴィンテージワインとは比べ物にならないけれど、普段飲みなら十分だ。

 それにワインは女性に人気があるしな。


「そうだな。まあ悪くない。美味い酒だと思う」


「さ、左様でございますか……」


 板垣さんの喉がゴクリと鳴った。

 板垣さんを見ると物欲しそうな顔をしている。


 あれ?

 板垣さんワインを飲みたいの?

 それでお土産にワイン押し?

 それって自分が飲みたいだけじゃ?


 板垣さんの目は徐々に熱を帯びて来た。

 本気と書いてマジと読む。

 そんな雰囲気が漂っている。


 いけない!

 ここで提案を却下すると物凄く恨まれる!

 呑兵衛の恨みは怖いからな。


「えーと……じゃあ、土産はワインにしましょうか。諏訪頼重殿には、ワインについて良く説明して下さい。見た目は慣れないかもしれないけど、味は良い酒なので」


「かしこまりました!」


 板垣さん良い笑顔だ……。


 俺は隣室に行きで赤ワイン二本をネット通販『風林火山』で買って板垣さんにプレゼントした。

 板垣さんは飛び跳ねるほど喜んでいたよ。


 いやだってさ。

 諏訪家すわけに行ってお土産を渡してご相伴しょうばんに預かれなかった場合が怖すぎるじゃない。

 それなら事前にワインを飲んでおいて貰えば……。


 そうこれはリスク回避であり、部下の忠誠心を高める為に必要な投資なのだ。

 ワイン二本四千円で済むしね。



 こうして色々と大変だった天文三年は暮れて行った。


 父信虎が急死して、急遽武田家の当主になったりして大変だった。

 けれども板垣さん達が支えてくれたし、かおると出会う事が出来た。


 来年、天文四年は、史実では干ばつになっている。

 対策はしたが大丈夫だろうか?

 そして金山から本当に金が出るのだろうか?


「違う歴史がまた一ページ……か」


 俺は自分が変えてしまった戦国の歴史に思いを馳せた。

 数々の英雄が現れ散って行った戦国時代。


 俺はこの時代で生き残る事が出来るだろうか?


 だがやるしかない!

 仲間たちと一緒なら、きっと出来るはずだ!


-林の章 完-

つづく


■解説まとめ■

カクヨムは後書き欄がないので、なろうで後書きに書いていた解説をまとめて掲載します。


■参考にしたページ

下記ページを参考に、価値を算出しました。ありがとうございました。


・江戸時代 値段史

http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J078.htm


■金の買取価格は、金一両の重さを元にキリの良い価格に設定しました。執筆時2019/2/22の金相場より少し高めです。


■話を進めやすく計算しやすくする為に、金一両は千文と設定しました。戦国時代は金一両=1200文程度、江戸時代に入ると金一両=2000文程度だった様です。

(その時々の相場で上下していたそうです)


■<第三話>

史実の武田信玄(幼名太郎、元服して武田晴信)と父信虎との確執は、もっと後年の様です。


■<第四話>

小山田虎満が小山田姓を名乗る(石田小山田家を継承する)のは、天文20年頃です。本話は天文3年晩夏が舞台ですので、史実より早く小山田姓を名乗っています。


■<第七話>

馬場信春が馬場姓を名乗るのは、もっと後年です。

武田太郎が武田家当主武田晴信になってから、晴信の命で馬場姓を名乗ります。

(断絶していた名門馬場家の家名を貰った形)

今話の天文三年晩秋の時点では、教来石きょうらいし景政と名乗っているのではないか? という説があります。


■<第九話>

三条家と武田家の婚姻は、史実では天文三年よりもっと後の話になります。

史実では、武田家と今川家が和平を結び、今川家の仲介で三条家と武田家が婚姻を結びます。


■宗三左文字は、今川義元の愛刀として有名ですが、元々は近畿の大名三好宗三が所有していました。

三好宗三から武田信虎に譲られ、武田家と今川家が和平を結んだ折に信虎から義元に名刀『宗三左文字』が贈られたそうです。

天文三年の時点では信虎の手元にある……と思います。(少なくとも今川家には無いです)


■<第十三話>

躑躅ヶ崎館について

本話の天文三年時点は、史実では武田信虎時代になります。

武田信虎時代の躑躅ヶ崎館は、現在山梨県甲府市に残っている躑躅ヶ崎館跡の様に大きくはなく、主殿とその周りの堀だけだった様です。

武田信玄時代に増築を行い、さらに武田氏滅亡後にも増築を行った模様です。

本話では、信虎時代のあまり大きくない躑躅ヶ崎館を想定しています。


■会所について

書院かな? とも思いましたが、畳自体がまだ全国に普及していない時代であるし、甲斐国は田舎で書院造が伝わっていない過渡期の状態と考え『会所』としました。


■三条の方の名前について

三条の方の名前は史実では不明です。

ただ、当時の貴族の娘は父親の名前や祖父の名前から一字貰うという習慣があったそうです。

そこで三条の方の祖父『三条 実香さねか』から一字拝借して、『香子』としました。

三条公頼の次女なので公子か頼子かもしれませんが……、小説のヒロイン的に名前の響きがピンと来なかったので香子にしました。


■<第十八話>

鯉口を切る

『鯉口を切る』というのは、動作の事です。

日本刀は鞘に収まっていて、すぐに刀を抜く事が出来ません。

(抜こうとしてもキツくて抜けない)

そこで左手で鞘を持ち親指で刀のツバを少し押し出し、すぐ刀を抜けるようにします。この動作を『鯉口を切る』と言います。


■<第十九話>

せの海

せの海は史実です。富士山北側に巨大な湖があり富士山の噴火で溶岩に飲まれて消えました。平安時代の出来事です。


■せの海人

これは作者の創作です。史実にはありません。

せの海人が浅間神社に身を寄せるというのも作者の創作です。


■三ツ者

三ツ者は史実に登場し武田信玄に仕えています。ただし、時代はもう少し後だと思われます。

富田郷左衛門も実在の人物です。ただしあまり詳しい記録が残っておらず生年も不明です。


三ツ者がせの海人というのは作者の創作です。


■<第二十一話>

今川義元、今川良真は、僧籍に入っている時は、


栴岳承芳←義元

玄広恵探←良真


と名乗っています。

還俗してから、今川義元、今川良真と名乗っています。

本作では読者の混乱を避ける為に、僧籍の頃の名前は記載せず還俗後の名前、今川義元、今川良真の名を記載しています。

ご了承ください。


■甲斐国の河内地方は、「かわうち」と読むそうです。

河落ち「かわおち」が語源らしいです。

二つの川が合流して、厳しい地形を流れ落ちるから、河落ちなのかもしれません。


■<第二十二話>

山本勘助について

山本勘助は『甲陽軍鑑』という、武田家の歴史や戦略を記した本に登場する人物です。

『甲陽軍鑑』武田家滅亡後に完成したと言われています。『甲陽軍鑑』は、歴史研究者から事実と異なる点が指摘されている書物なのです。

山本勘助は『甲陽軍鑑』にしか登場しない人物なので『創作上の人物なのではないか?』と言われてきました。


近年になって複数の戦国時代の書状から山本勘助の名が確認された為、山本勘助は実在した人物ではないか? と見方が変わって来ています。


また、本話の天文三年冬の時点で、山本勘助は駿河にいる可能性が高いです。

天文三年に山本勘助が武田晴信に仕官した事実はありません。ここは作者の創作です。ご了承ください。


(武田信虎が天文三年の時点で存在していない事で、既に我々の歴史とは別の歴史になってしまっています)


■<第二十四話>

チェーンソーを使った伐木作業は、非常に危険です。

本話のように簡単ではありません。

また、伐木作業は特別教育(研修)を受ける必要があります。

チェーンソーをお使いの際には、安全対策を必ず行ってください。


■<第二十五話>

ブドウ栽培について

山梨県でブドウが名産品となったのは、江戸時代に入ってからです。

ただし、ブドウ自体は鎌倉幕府の時代に栽培が始まっています。

戦国時代にブドウは存在していました。


■<第二十六話>

武田家と諏訪家の和睦について

本話は天文三年の武田家をモデルにしています。

史実では、天文三年の時点で武田家と諏訪家は和睦を結んでいません。

武田家と諏訪家が和睦を結ぶのは、天文四年の九月と言われています。

(和睦を結んだのは、武田信虎です。)


※この小説はフィクションです。本作はモデルとして天文三年初夏からの戦国時代を題材にしておりますが、日本とは別の異世界の話として書き進めています。史実と違う点がありますが、ご了承下さい。

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