第11話 傷跡が語る事、事件の如し

 ――五日後。

 信濃しなのとの国境くにざかいに出ていた武田軍が戻って来た。

 父信虎は、本当に亡くなっていた。


 戦自体には勝ったが、総大将であり当主の武田信虎が死亡。

 帰って来た武田軍に勝利の高揚感は無かった。


 父上の遺体は大広間に安置され、武田家の菩提寺ぼだいじである恵林寺えりんじから来た僧侶が世話をする事になった。

 俺に悲しさはなく、これで命の心配をしなくて済むと思うと不謹慎ながらホッとしてしまった。


 父上の遺体と対面し俺はある事に気が付いた。

 大広間に横たえられた父上の遺体に傷が見当たらないのだ。

 討ち死にと聞いているがどういう事だろうか?


 隣にいる板垣さんも気が付いたようだ。

 眉根を寄せて渋い表情をしている。


 父上の体を清めている僧侶に声を掛け聞いてみた。


「父上に傷が無いが? 刀傷かたなきずとか、槍で刺された傷とか……」


「お背中にございます」


「見せてくれ」


 僧侶たちが父上の遺体を寝返り打たせるようにして背中を見せてくれた。

 背中側はひどい傷だ……。


「この通りお背中はひどいあり様で……特にこの胴と頭への一撃が死因でございましょう」


「あいわかった……父が安らに旅立てるようにしてくれ……」


「はは!」


 僧侶たちは黙々と父の体についた血をぬぐっている。

 僧侶たちから少し離れ考える。


 どういう事だろうか?

 父は戦に出て討ち死にした。しかし、傷は背中側ばかりだった。

 そのような事があるのだろうか?


 敵と戦って死ぬのなら、体の前方に傷が集中するのではないか?

 それなのに背中側に傷が……。


「板垣さん。父上の遺体ですが前方に傷は一切なく、背中側から斬られていました」


「……はい」


「戦でそういう事は、あり得るんですか? 敵と向かい合う前側に傷を負うと思うのですか?」


「太郎様のおっしゃる通りです。戦では敵と相対しますので、傷は体の前方に集中します」


 やはりそうか。

 ならどうして父信虎の遺体には傷が背中側だけに?


「じゃあ、なぜ? 父の遺体は背中側に傷が集中していましたよ」


「……恐れながら、私の口からは申し上げ難く」


 板垣さんはうつむいて口を閉じてしまった。

 何だろう? 何か凄く嫌な感じだ。

 そんなに不味い理由なのか?


「板垣さん。話し辛い事なのかもしれませんが、正直に話して下さい」


「……」


「俺は武田家の嫡男ちゃくなん……亡くなった父上の後を継いで当主になります。ですから、隠し事は無しにして下さいよ」


 板垣さんは一つため息をくと覚悟を決めた顔をして口を開いた。


「かしこまりました……。恐れながら……信虎様は、お味方に討たれたと……」


「味方に!?」


「はい……」


 とんでもない事を言い出したな……。

 いや、だけどそれなら……背中側だけに傷がある説明が……つくか……。


「何かの間違いって事はない?」


「そうあって欲しいと私も願いますが……。負け戦ならば……敵に背を向けて逃げますので、背中に傷が集中する事がございます。しかし、此度こたびの戦は我が方の勝利と聞いています。ならば、信虎様の背中に傷を付けられるのは……」


「ふう。そうだね……。味方という事になるね……」


「……」


「……」


 沈黙が続いた。

 父信虎が味方に殺されたとなれば一大事だ。


 しかし、証拠がある訳ではない。

 あくまでも遺体の傷から導き出した推測に過ぎない。


小山田虎満おやまだとらみつを呼んで下さい。事情を聞きます。俺の部屋で話しましょう」

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