第40話.青瞳

 ──海の国・深層通アビス──



 吹けば消えるような頼りない残り香が続く方角と、男が視線を向けた方向がおおむね一致しているのは幸いだった。

「キミ、歩けるかい?」

「は、はい……問題なく」

 正直なところ、子の返答はうたがわしい。僕が最初に見かけた時、少なくとも上腕骨じょうわんこつの骨折と左足の捻挫ねんざはしていたはずだ。なのになぜ普通に歩き回る事が出来ているのだろうか。あれだけ青く腫れていた腕だって今はもうすっかりと良くなっているし、軽く触れたとて全く痛がる様子も見えない。

「あの、な、なに……か……?」

「……ううん、何でもない」

 最後に軽く頭を撫でてから子の手を引いて通りを進んでいく。この治りの速さといい、この子供は一体なんなのだろうか。


 ──暫し歩いて思った。恐らくこの通りは馬車が通れる程の幅で設計されていたのだろう。だが今はずっと狭くなっている。原因は車軸の折れたままの馬車が鎮座し、多種多様なゴミが捨て置かれている為だ。

 そんなゴミの近くには肋骨の浮いた児童達がたむろしており、虚ろな瞳で僕達へと視線を投げかけて来た。無視しているとすぐに興味を失うようで、すぐにゴミを漁り死体から貴重品をくすねる作業へと戻っていく。他には血や泥に汚れた戦闘衣に身を包み、道のはしうずくま亜人種アドヴァンスをそれなりに見かけただけだ。性別関係なく皆一様に痩せ細り、黄味がかった皮膚に腹だけが妊婦のように膨れている。


 ──おおかた寄生虫にでもやられたのだろう。

 あれらは皆、住血吸虫じゅうけつきゅうちゅう諸症状しょしょうじょうと一致している。傷の手当ても満足に行われず不衛生な環境に置かれていたのなら仕方のない話だが、正直な話見ていて気分の良いものではない。

「あ、あの方……た、達は、防壁……帰り……だ、だけ、ど……治して……も、貰えない」

 僕の手を握る子の声は震えており、怯えているのは明白だった。しかし防壁帰りと呼ばれた彼らが特に何する訳でもなく、よどみ虚ろな視線を投げ掛けてくるだけ。掠れきった喉でなにかを訴えようとしている者も居たけれど、誰もが途中で咳き込み微量の血を吐いている程度だ。

「……防壁帰り、か」

「み、みなさん……西区で、が、頑張って……く、くれた……のに」

「なんの手当てもなかった、そう言うことだね」

「は、はい……こ、ここの……人たち、は……ずっと、頑張っ、て……来た、の……け、けど、……もう、助けて……く、くれ……ない」

「昔は助けてくれたと言うことかな?」

「そ、そう、なの……白衣の、て、天使さま……?

 え、えっと……カン、ゴクシさま……だっ、た、かな。白い、コートの……コー、ト……の、お姉、さん……が、頑張っ……て、た……けど、も、もう……いな、い……ん、だ」

 この子が言っているのは看護師の事だろう。路傍ろぼうに転がる彼らのような者達は基本的に外傷の処置だけで済む為、看護師単体での処置が可能だ。それに加え、魔王復活後は各地の負傷者は加速度的に増加している。故に看護師は人手不足であり、常に激戦区へ移り続けていると聞く。もう居ないと言うことは、ここよりも激しい戦域へと移動したのだろう。

「その頑張っていた看護師様は今どこにいるのか、知ってる?」

「わ、わか、り……ま、せん。

 ある日……と、突然、い、いなく、なり、ま……し、た」

「誰も行方を知らないの?」

「え、と……あびす、の……お、奥へ、消え……たっ……て」

深層通アビスの奥……?」

 深層通の奥、とはどういう事だろう。この地区の先にあるのは海であり、戦場でもなんでもないのだと聞いている。加えて海岸は正体不明の化物が彷徨うろつくばかりの危険地帯であり、誰一人として向かう者は居ないらしい。そんな場所へ看護師が向かうものだろうか?

「それはつまり、海へ消えたと言うことかな」

「あ、う……そ、れは……わ、わから、ない……です」

「ふぅん……ねぇ、キミはその話を誰から聞いたのかな?」

「ま、町の……みんな、から……き、聞いた、の」

「そっか。看護師様について、他に何か聞いたことはある?」

「え、えっと……ほ、他に、は──」

 それから色々と話をしたけれど、どれも内容は薄く信憑性に難有りといった具合だ。有益かと言われると、返答に困る程度の精度しかない情報であった。


「……これはまた随分と古い造りの家だね」

 残り香を辿った先にあったのは煉瓦れんが造りの洋館。しかし長いこと手入れをされていないのだろう、所々煉瓦は崩落し幾つかの窓は木板で塞がれていた。開けっ放しになった正門をくぐり、正面扉を数回ノックしてみたが反応はない。取り敢えずと洋館の周りを一周してみたのだが、残念なことに誰にも会えず出発点へと戻る事となった。

「………あっ!」

 暫しどうしたものかと考えていると、突然子供が大きな声を出したのだ。けれど怯えていたとか、焦っているような気配はなかった。

「どうしたの、大声だして」

「お、思い、だ……し、たの……ここ……しんりょー、じょ……だ」

「……診療所って、これが?」

 内心疑っていたのだが、正面玄関らしき扉には診療所と刻まれたプレートが取り付けられている。数回ノックをしてから扉を開けようとドアノブに手をかけた途端、服の裾を引かれた。

「お、お姉、さん……あ、開けたら、だ……め。あ、開く……の、待つ……しか、な、ない……よ」

「開くのを待つと言っても、長く使われていないし人の気配がないんだ」

「そ、そう……じゃ、なくて……あの、きま、決まり事……だ、から」

「留守の家に勝手に上がるのはよくない……か」

 たしかに子の言う通りではある。色々と抜けているしどもりもあるけれど、そう言うところはしつけられているらしい。

「ち、違う……の。と、扉を、ね……閉めて、い、る時は……開け、ないって……ここ、の、怖い人……た、たち、の……親も、あ、開け……ない、から」

「──成る程、そう言うことか」

 扉を閉めている間は誰も邪魔してはならない、開けた場合は何をされようと文句は言えない。そんな何かしらを行っていると言うことだろう。こんなスラムじみた場所でそう言われているのなら、ほぼ間違いない。くだんの匂いもこの先に続いているようだし、紫蘭はここに居ると見て間違いないだろう。

「お、お姉さん……?」

 扉から半歩下がり、必要な距離を空けると子は心配そうな表情で僕を見上げていた。

「キミ、危ないから少し離れていて欲しい」

「む、ムリです……ここの、と、扉は厚さ十ミリ、あ、あるんです……そ、それに、怖い、人が……!」

 僕の意図を察したのか、子は酷く慌てた様子で訴えかけてくる。それをそっと後ろへ押し退け、安全圏へと逃がしてやる。

 この扉を開ければ怖い人達が居るのかもしれないけれど、並の亜人種程度に遅れを取る事などあり得ない。襲い来ると言うのなら、先程のように処理するだけだ。


「この程度なら問題ないんだ──よっ! 」

 踏み込むと同時に中段突きを打ち、間髪入れずに肘打ちを叩き込む。強烈な破壊音と共に扉はひしゃげ屋内へと吹き飛んでいった。

 轟音と共に色々な物が壊れ散乱し、多量の埃が元・玄関口から噴き出して来る。

「けほっ……ちょっと強すぎたな。キミ、大丈夫かい?」

 尻餅を着いて放心している青眼の子に手を差しのべてみたが反応がない。ぺちぺちと軽く頬を叩いてようやく反応が帰って来た。

「い、今のは……な、なんですか、ソフィお姉さん……」

「拳法の一つだよ、ちょっとやり過ぎたけど」

「ひぇぇ……サフィ、は、初めて見ましたよ」

「サフィ?」

「あ、その……わ、私の、な、なま……………あ」

 そこまで言いかけて突然固まってしまった。出会った時から吃りが多く情緒が不安定だと思っていたのだが、これはどうしたものだろう。

 此方としても再び放心状態をとられてしまっては心配にもなる、なにせ軽く頬を叩いても反応が全く無いのだから。

「ちょっと、本当に大丈───」

「んにゃごのきゃむねさなぁひさにゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」




 ──青い瞳の子供は突如、発狂した。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る