第40話.青瞳
──海の国・
吹けば消えるような頼りない残り香が続く方角と、男が視線を向けた方向が
「キミ、歩けるかい?」
「は、はい……問題なく」
正直なところ、子の返答は
「あの、な、なに……か……?」
「……ううん、何でもない」
最後に軽く頭を撫でてから子の手を引いて通りを進んでいく。この治りの速さといい、この子供は一体なんなのだろうか。
──暫し歩いて思った。恐らくこの通りは馬車が通れる程の幅で設計されていたのだろう。だが今はずっと狭くなっている。原因は車軸の折れたままの馬車が鎮座し、多種多様なゴミが捨て置かれている為だ。
そんなゴミの近くには肋骨の浮いた児童達が
──おおかた寄生虫にでもやられたのだろう。
あれらは皆、
「あ、あの方……た、達は、防壁……帰り……だ、だけ、ど……治して……も、貰えない」
僕の手を握る子の声は震えており、怯えているのは明白だった。しかし防壁帰りと呼ばれた彼らが特に何する訳でもなく、
「……防壁帰り、か」
「み、みなさん……西区で、が、頑張って……く、くれた……のに」
「なんの手当てもなかった、そう言うことだね」
「は、はい……こ、ここの……人たち、は……ずっと、頑張っ、て……来た、の……け、けど、……もう、助けて……く、くれ……ない」
「昔は助けてくれたと言うことかな?」
「そ、そう、なの……白衣の、て、天使さま……?
え、えっと……カン、ゴクシさま……だっ、た、かな。白い、コートの……コー、ト……の、お姉、さん……が、頑張っ……て、た……けど、も、もう……いな、い……ん、だ」
この子が言っているのは看護師の事だろう。
「その頑張っていた看護師様は今どこにいるのか、知ってる?」
「わ、わか、り……ま、せん。
ある日……と、突然、い、いなく、なり、ま……し、た」
「誰も行方を知らないの?」
「え、と……あびす、の……お、奥へ、消え……たっ……て」
「
深層通の奥、とはどういう事だろう。この地区の先にあるのは海であり、戦場でもなんでもないのだと聞いている。加えて海岸は正体不明の化物が
「それはつまり、海へ消えたと言うことかな」
「あ、う……そ、れは……わ、わから、ない……です」
「ふぅん……ねぇ、キミはその話を誰から聞いたのかな?」
「ま、町の……みんな、から……き、聞いた、の」
「そっか。看護師様について、他に何か聞いたことはある?」
「え、えっと……ほ、他に、は──」
それから色々と話をしたけれど、どれも内容は薄く信憑性に難有りといった具合だ。有益かと言われると、返答に困る程度の精度しかない情報であった。
「……これはまた随分と古い造りの家だね」
残り香を辿った先にあったのは
「………あっ!」
暫しどうしたものかと考えていると、突然子供が大きな声を出したのだ。けれど怯えていたとか、焦っているような気配はなかった。
「どうしたの、大声だして」
「お、思い、だ……し、たの……ここ……しんりょー、じょ……だ」
「……診療所って、これが?」
内心疑っていたのだが、正面玄関らしき扉には診療所と刻まれたプレートが取り付けられている。数回ノックをしてから扉を開けようとドアノブに手をかけた途端、服の裾を引かれた。
「お、お姉、さん……あ、開けたら、だ……め。あ、開く……の、待つ……しか、な、ない……よ」
「開くのを待つと言っても、長く使われていないし人の気配がないんだ」
「そ、そう……じゃ、なくて……あの、きま、決まり事……だ、から」
「留守の家に勝手に上がるのはよくない……か」
たしかに子の言う通りではある。色々と抜けているし
「ち、違う……の。と、扉を、ね……閉めて、い、る時は……開け、ないって……ここ、の、怖い人……た、たち、の……親も、あ、開け……ない、から」
「──成る程、そう言うことか」
扉を閉めている間は誰も邪魔してはならない、開けた場合は何をされようと文句は言えない。そんな何かしらを行っていると言うことだろう。こんなスラムじみた場所でそう言われているのなら、ほぼ間違いない。
「お、お姉さん……?」
扉から半歩下がり、必要な距離を空けると子は心配そうな表情で僕を見上げていた。
「キミ、危ないから少し離れていて欲しい」
「む、ムリです……ここの、と、扉は厚さ十ミリ、あ、あるんです……そ、それに、怖い、人が……!」
僕の意図を察したのか、子は酷く慌てた様子で訴えかけてくる。それをそっと後ろへ押し退け、安全圏へと逃がしてやる。
この扉を開ければ怖い人達が居るのかもしれないけれど、並の亜人種程度に遅れを取る事などあり得ない。襲い来ると言うのなら、先程のように処理するだけだ。
「この程度なら問題ないんだ──よっ! 」
踏み込むと同時に中段突きを打ち、間髪入れずに肘打ちを叩き込む。強烈な破壊音と共に扉はひしゃげ屋内へと吹き飛んでいった。
轟音と共に色々な物が壊れ散乱し、多量の埃が元・玄関口から噴き出して来る。
「けほっ……ちょっと強すぎたな。キミ、大丈夫かい?」
尻餅を着いて放心している青眼の子に手を差しのべてみたが反応がない。ぺちぺちと軽く頬を叩いてようやく反応が帰って来た。
「い、今のは……な、なんですか、ソフィお姉さん……」
「拳法の一つだよ、ちょっとやり過ぎたけど」
「ひぇぇ……サフィ、は、初めて見ましたよ」
「サフィ?」
「あ、その……わ、私の、な、なま……………あ」
そこまで言いかけて突然固まってしまった。出会った時から吃りが多く情緒が不安定だと思っていたのだが、これはどうしたものだろう。
此方としても再び放心状態をとられてしまっては心配にもなる、なにせ軽く頬を叩いても反応が全く無いのだから。
「ちょっと、本当に大丈───」
「んにゃごのきゃむねさなぁひさにゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
──青い瞳の子供は突如、発狂した。
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