第29話 痕




 ──幼いあの子にとって、あの言葉はそれだけ鋭いものだったんだろう。私がどんなに思いを込めて言葉にしても、その傷痕を埋めるには至らなかった。

 そしてあの日から、娘の笑顔には影が差すようになり我が儘を言わなくなった。元々あの子は自分の要求を多く口にはしない子だったが、輪をかけて要求を口にしなくなった。誕生日にアップルパイを出しても以前のように笑う事はなく、村長姉妹が訪ねても前のような笑みを見せることは無かったと聞く。

 だから私は娘が出来る事は可能な限り自分でやらせ、彼女に自信を持たせようとした。それにどれだけの効果があるのかは解らないけれど、ほんの少しずつでも変わっていければ良いと当時の私は願う他無かった。

 ……そうして二年の月日が経った頃、娘は若干の明るさを取り戻していた。しかし自身の欲求を抑制する癖が付いてしまったのか、誕生日にプレゼントをねだる事もない。村長姉妹が訪ねても、昔のように読み聞かせや歌の練習をお願いする事はないのだ。

 娘は決して言葉にはしないが自分は御荷物passengerなのだと、強くそう思い込んでいるらしい。自らは人の手を借りなければ生きられない、ならせめて我が儘は言わないようにしようと。大人しくしていれば、おかぁさんの負担は減る。

 ……自分の為におかぁさんが酷い目に逢うのなら、何も望まないと娘は泣いていた。幼い我が子を、泣かせてしまったのだ。


 五歳にもならない娘にそんな言葉を言わせてしまった、その事実が私には耐えられなかった。なんて不甲斐ない親なのだろうと、独り声もあげずに泣いた夜は何度あっただろうか。

 ……だから、私は極力他人に借りを作らないよう努めた。他人に頼れば今回の様な事になりかねない、またあんな姿を娘に知られるのは耐えられなかったからだ。

 それから私は他人がやりたがらない様な仕事を率先して行い、どんな小さな依頼も積極的に請け負った。他人の為に動く事で、私は無害な人であるとアピールするように村民達の為に働いたんだ。我ながら姑息だとは思ったが、娘のためだと自分に言い聞かせて。

 それと施しだけは貰わないようにしていた。貰うのはあくまでも契約通りの報酬だけ、それ以上は決して受け取らない。しかし村長姉妹からは折角の好意を無駄にするなとたしなめられ、それからは少しだけ受け取るようにした。結果としてまぁ、その方がよかったのかもしれない。以前よりも村人との関係は良好になり、出会えば世間話をするくらいの仲にはなれたのだから。

 けれど相変わらず、私は他人を頼ったりはしなかった。他人に弱味を見せない、つけ入れられる隙を作らない為、ただそれだけの為にひたすら堪え忍んだ。勿論それを娘に悟られない様、細心の注意は払っていた。

 …………しかしそれも過去の事。仲良くなれた彼等も皆、あの日の襲撃で亡くなった。残ったのは村長姉妹と私達親子の四人だけ。あの二人の事は信頼しているけれど、それでも極力頼ろうとは思わない。信用と信頼は全くの別物なんだから。






 ──────…………


「…………あの時の私は村の誰とも距離がありましたし、村の人々も進んで関わるような事もありませんでした。だから独りで耐えるしかなかっただけなんです。だけど今は違います、すぐにお二人に相談しますから……だから、泣かないで下さい」

 吐き出したのは内に秘めた思いと真逆の言葉。移住時から良くしてくれている彼女に対してそれがどれだけ失礼な事なのかは理解している。けれどまだ私は、彼女達を信用しきれていないのだ。

「……嘘じゃ、ないんだよね?」

「はい、お二人の事は信頼しています」

 静かに涙を流す彼女を抱きよせ、その耳元で応える。今、口にしたのは紛れもない本心からの言葉。彼女達の人柄、立ち振舞いや考え方は高く評価している。けれど彼女の行いについては未だ疑問を感じる点があるのだ。

「もう独りで耐えないって、約束できる?」

「……善処は、します」

「そう……わかったわ」

 私を優しく押し返し彼女は離れる。その顔には少し寂しげで、後ろ髪を引くような悲しい笑顔が浮かんでいた。彼女はその場で軽く着衣を直すと、やや足早に扉へと向かう。


「その……いつか、いつか紫蘭ちゃんの支えになれる人が……現れるといいね」

 部屋を出る間際、彼女は此方に背を向けたまま言葉を残して行ってしまう。その背を追いかけようとしたけれど、手を伸ばす事しか出来ず声をかけることも叶わなかった。


 ──一体彼女がどんな意図であんな言葉を残したのか、今の私には全くわからない。支えになるような人なんて、私には要らないのに。












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