chapter2.

第33話 一年後の私達


 ──まだ日も昇りきらない時間帯。



 吐く息は白く、澄んだ空気が身を包む。厚手の服を着ているとはいえ、まだまだ肌寒い季節。未だ瓦礫がれきの残る広場で、なんの変哲もない刀を左手で掴んで慣らすように振るう。握る力は充分、しなやかな動きは生体のそれと変わらぬ可動域を実現していた。

 一通りの動きを確認した後、刀を鞘に戻し全身の柔軟運動に切り替える。


 ──一年前の魔王襲撃により、私は娘を拐われ左腕の肘から先を失った。村長姉妹曰く、竜種によって負わされた傷は治る事がないらしい。また竜の爪や牙、鱗といった身体の一部を使った武器による傷も同じく治らないとのこと。

 失った腕は今、エーギルの手掛けた義肢によって補っている。非常に軽量な合金で造られたそれは艶のない黄銅色で、一見すれば籠手のようにも見えなくはない。

「──準備は良さそうだね」

 背後から声をかけてきたのはソフィーティア・キルシュボゥム、私達が親しみを込めてソフィと呼んでいる女性だ。

 私と同じ流れ者だった彼女も、あの日から此処を拠点に置いていた。娘を拐われて一年経った今、彼女の容姿は大きく変化している。身長は私より頭一つ低いくらいで止まっているが、腰には美しいくびれが生まれ大人の身体に近づいていた。長く艶やかな黒髪は短く切り揃えられ、毛先に向かうにつれて深海を思わせる濃い藍色に染められている。

 彼女は軽やかな足取りで近付いてくるが、その手には細身の直剣が握られていた。

「──はい、いつでも行けます」

「なら、いつでも好きなタイミングでどうぞ」

 私は目前の彼女に向かって踏み込み、鞘から抜刀しつつ斬り込む。鞘走りを加えた初撃は速度こそあるが非常に分かりやすい挙動だ。故に容易く回避され、お返しとばかりに細身の剣が突き出される。それを鍔で受け流しつつ、距離をとる為に後方へ跳び下がった。

 寸秒の間も挟まず、着地の衝撃をバネにして再び突きを放つ。先程の踏み込みよりも速く突いたにも関わらず軌道を逸らされ、伸びきった脇腹を蹴り飛ばされてしまった。肋骨が軋む感覚と共に飛ばされ、地面を転がりつつ体勢を取り直し追撃をさばく。

「武器だけが脅威じゃないんだ、気をつけて」

「……わかっています、ソフィさん」

 一度刀を鞘に戻し、抜刀を起点に技を繋げて攻め立てる。けれど相対する彼女には一太刀すら届く事はなく、針のように細い直剣一本で捌ききられていた。

 それでも退かずに攻め続け、相手の襟を掴める距離まで肉薄する。数度打ち合った末、彼女の剣がしなったかと思った瞬間には私の手から剣が絡め飛ばされていた。

 これはしなりを見せるあの直剣だからこそ出来る芸当であり、普通ならここで試合終了となるケースが殆どだ。


 ──しかしここで退かない、私はこの一撃を待っていたのだから。──


 伸びきった相手の腕を掴みながら、飛び掛かるようにして押し倒す。相手の両腕は私の脚の下敷きとなり、満足な抵抗など出来ようもない状態である。組伏せられた彼女の顔に浮かぶのは驚きの色。数度瞬きを繰り返し一息吐いた後、やれやれと言った表情で“降参だ、君の勝ちだよ”と一言告げてきた。


「ありがとうございました、ソフィ」

「どういたしまして。

 それにしても驚いたよ、まさかあそこで鎧組討あれを仕掛けてくるとは……それにあれ、君のオリジナルだろう?」

「オリジナルというか、ちょっとした応用みたいなものです。武器を用いても勝ち目は薄いですし、ああいった体術なら体格的に優位かなと考えたんですよ」

「成る程、だからわざと刀を手放したんだね……中々やるじゃないか」

 彼女の言う鎧組討とは先程の決め手となった技であり、古くニホンで編み出された武術だ。本来は鎧を着た状態での使用を想定しているもので、今回はそれを応用した体捌きを取らせて貰った。


 その後、軽い反省会を終えた私達はその場で別れ別々の方向へと向かっていく。彼女は役場へ向かい、私は鍛冶場と化した教会へと足を運んだ。

「お早うございます、お義姉さま」

「おはよう、エーギル」

 敷地内へ入るなりエーギルが駆け寄ってきた。修道服と鍛冶場とはまた不可思議な組み合わせであるが、半年も見ていれば慣れてしまうらしい。つくづく慣れと言うのは恐ろしいものだ。

「……お義姉さま、なにか良いことでもありましたか?」

「それほどの事ではないけれど、ようやくソフィさんから一本取れたんだ」

「まぁ、それは喜ばしい事です。

 これで四百七十二戦、四百七十一敗と一勝ですね?」

「ははは……本当にやっとだよ」

「それで、義腕の調子はどうでしょうか?」

「──悪くない、けど強度に不安が残るんだ。

 武器を使うにしても、何度か打ち合うと手首の動きが弛くなってしまってね。申し訳ないんだけどそこをどうにか出来ないかな?

 もしも素材が足りないなら採って来るから」

 彼女は差し出した腕を観察しながら、何かぶつぶつと呟いている。そうして手首の辺りを捻り、曲げ伸ばしを繰り返し動作確認をとる事数分。

 ある程度のアタリをつけたのだろう、彼女は懐から使い倒された手帳を取り出すとメモを残し私の左腕を外した。

「……少し時間を頂きますわ、お義姉さま。

 素材については余裕がありますので、大丈夫ですよ」

「なら良いけれど、必要なものがあれば遠慮無く言って下さいね」

「その時は頼りにさせていただきますね、お義姉さま。

 予備の義腕はそこにありますが、あまり無理はなさらないでください」

「わかってるよ、けど仕事はあるからなぁ……

 それ、出来上がるまではどれくらいかかる?」

「えぇと……明日の昼には」

「そう、わかった」

「仕事も程々にして下さいね、お義姉さま」

「わかってる……エーギルも、ちゃんと休んでね」

「お気遣いありがとうございます、お義姉さま」

 嬉しそうに微笑むと、義手を抱えて奥へと消えていく彼女。私は作業台に放られていた予備の義腕を嵌め込み、軽く動作確認を終えてから村の役場へと向かう事にした。


 ──ちなみに、村は未だ荒れ果てたままだ。

 焼け落ちた家屋は概ね取り壊し終えているのだが、そのゴミがまだ処分しきれていない。教会も天井が崩落した為、今は比較的損傷の少ない役場を寝床にしている。

 また教会については損害が酷く、修繕するよりも新しく建て直した方が早いとの結論に至った。その結果、教会はエーギルとソフィによって鍛冶場へと作り替えられている。

 新たな教会は役場の近くに建造している最中だ。人手も資源も限られているので以前と同じ規模の物は建てられないが、それなりの物にはなる予定になっている。



「……相変わらずですね、本当」

 新造中の教会を尻目に役場の戸を開けると、そこには机に突っ伏して寝ているメネの姿があった。机の上には空いたグラスと空の瓶が数本乗っている。机の近くに行かずともわかるこの香りは、彼女が愛飲しているブランデー特有のものだ。恐らくまた朝まで飲み明かしていたのだろう。

 彼女を起こそうか迷っていると、扉の蝶番ちょうつがいが軋む音が聞こえた。役場の奥から姿を見せたのは姉のセレネであり、その手には湯気の立つカップが握られている。此方に気づいた彼女は軽く微笑むと、それを手近なテーブルへ置いてから静かにやって来た。そうしてすぐ傍まで来ると、彼女は片手で招くような仕草をみせる。

「おはよう、紫蘭ちゃん」

「……おはようございます、セレネさん。どうしてそんな小声で?」

 囁くような彼女の声にあわせ、此方も可能な限り小さな声で返す。

「あの子、昨日も遅くまで調べものをしていたみたいなの。だから少しくらいは寝かせてあげたくて……それと、貴女に話しておきたいことがあるのよ」

「わかりました、外で話しましょう」


 そういうことならと、私達は物音をたてないように気をつけて役場を後にする。外はもう日が登り、程よい暖かさに包まれていた。

「この時間でもまだ冷えるね、紫蘭ちゃん」

 小さく体を震わせ、息を吐いて手を暖めるような仕草を見せる彼女の表情には微かな影が射している。

「まぁ冬ですからね……それで、話というのは?」

「……魔王の足取りについてよ」

 両手で身体を抱き締めながら話す彼女の声は震えている。視線も此方に会わせず、足下の地面に向けられていた。

 あの日、妹のメネさんは魔王の操る黒点により左目を抉られたのだという。幸い追撃もなく魔王達は退いたのだが、一目見たその姿は強い恐怖と共に脳裏に焼き付いてしまったらしい。

「その……魔王が現れたあの日を境に、各地で古い遺跡が見つかったんですって。そのどれもが非常に古くて、もしかすると大崩落より前に造られた可能性もあるって言われてるの……

 それでね、特定の遺跡を調査しようとすると黒龍に襲われるらしいのよ。加えて厄介な事に、鉄ノ国の武器ですら太刀打ちできなかったらしくて……結局、調査は断念されてしまったわ」

「そんな……あの国の武器ですら通じなかったんですか」

「……ええ、あの国の武器ですら傷つける事は叶わなかった」

 ──鉄ノ国。

 それは火と鉄を扱い、多種多様な武具を造る事に長けた者達の集まる国である。彼等の手掛けた武器には必ず何かしらの仕掛けが施されており、戦場において絶大な効果を発揮する。但しそれらの扱いは非常に難しく繊細であり、下手に使用すると使い手が負傷することも多かった。

 しかしそれらのデメリットを帳消しに出来る程の破壊力を秘めており、彼等の手掛けた武器がなければ勝てなかったとされる規格外の魔物は多い。そんな彼等の武器ですら太刀打ち出来ないとなると、あの黒龍に対して勝ち目はあるのだろうか?

「……遺跡の出現と魔王の襲来、そこに因果関係があるかは不明よ。けれどもし本当に遺跡が大崩落以前のものなら、魔王についての情報があるかもしれない」

 何処か迷いのある表情で此方を見詰める彼女は、一呼吸挟んでから話を再開する。

「紫蘭ちゃん、私が確認している遺跡は全部で三つあるの。

 一つは鉄ノ国で、二つ目はここから近い海ノ国。

 そして……三つ目は、亡国ヴァナガンよ」

 ──彼女の口から告げられたのは予想外の名前。

 亡国ヴァナガンは厄災の母ナラカが大崩落を起こしたとされる場所であり、現在は凶悪な魔物が跋扈する危険地帯であった。ナラカが処刑されたとされる大広間にあるのは、奈落を思わせる程の深き大穴。この星に降りかかった全ての厄災が産まれし場所──


「──紫蘭ちゃん……貴女は向かうのよね?」

 神妙な面持ちで尋ねる彼女の視線はハッキリと私に向けられていたけれど、どこか躊躇いのような物を感じるのも確かだ。

「勿論向かいます。そこに魔王につながる情報があるのなら、私は何処へだって向かいますよ」

「そう、よね……紫蘭ちゃんは、そういう子だもんね」

 そう言って、彼女は寂しそうに笑った。

「……調べるのなら海ノ国からが良いと思うわ。あの国には今、三体の天使様が居るというからきっと助けてくれる。

 ……それじゃあね、紫蘭ちゃん。私は少し出掛けてくるから、メネにも伝えておいて」

 言い終えた彼女は私を残し、足早に何処かへと向かって行く。その後ろ姿は何時ものそれよりも少しだけ、落ち込んでいるようだった。








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