第32話.厄災、再び
「──っ!」
ソフィが立ち上がると、間髪入れずに閃光と雷鳴が轟いた。
近くに雷でも落ちたのか、仮眠室にある唯一の窓ガラスがビリビリと震え次の瞬間に弾けるようにして砕け散った。
「紫蘭、動けるな?」
「……万全とは言い難いですが、なんとか」
「なら遊撃に撤してくれ、前衛は僕が務める」
「わかりました」
私が剣を取るや否や、仮眠室の扉を蹴破りそこから射出された矢のような速さで飛び出すソフィ。開け放たれた入口から見えたのは大規模な破壊の痕、礼拝堂の入り口となる大扉は枠組み諸共吹き飛んでいた。そこに舞い上がる粉塵の只中、一つの人影が見える。
「あれは……?」
佇むのは女、フードを目深に被っているためその顔を伺い知ることは出来ない。風に揺らめく黒衣から時折覗く素肌は青白く、生者のそれではない。そんな彼女の手には一人の子供が抱かれていた。淡い藤色の髪と仄かに輝く
「ゆかり!」
「馬鹿っ──!」
黒衣の女が首を傾げ此方へ振り向いた。酷く緩慢でぎこちない動きが、より強い不気味さを醸し出している。そして画像が乱れるようにノイズが走ったかと思うと、そこに女の姿はなくそいつは目前に立っていた。
「紫蘭、避けろ!」
「──っ?!」
ソフィが短剣で斬りつけたが効果はなく、女の姿はそこから移動した。そして先程まで女が立っていた場所には、代わりに黒い点が浮かんでいる。これはなにか不味い、そう思うよりも早く身体は回避行動に移っていた。それとほぼ同時に黒点が震え、数本の棘へと変化する。
「今のは一体?!」
「足を止めるな馬鹿!」
足を止めた瞬間、再び怒号が飛んできた。
目前には先程と同じ微小の黒点、艶のない黒真珠のようなそれが浮いている。
「──な……っ!?」
先程と同じ攻撃が来るのは明白。無茶な挙動を承知でその場から飛び退いた瞬間、黒点は無数の棘を伸ばしてきた。もしも飛び退くのが寸秒でも遅れていたら、この棘は確実に私の胸を貫いただろう。
続け様に顕れる黒点をどうにかして避けつつ隙をみて、黒衣の女へと攻撃を繰り返すもただの一撃すら当たらない。
しかしそれでも手を止める理由にはならない、ここで止まってしまうと娘が連れ去られてしまうから。故に知らず知らず前のめりになっていたのだろう、致命傷には至ることの無い小さな傷が徐々に増えていった。
……気付けば前衛のソフィよりも、私の方が傷は多くなっていたのだ。
「深追いするな、奴を出口に近づけなければ良い!」
「でも……っ、このままじゃ!」
「冷静になれ紫蘭! 娘を取られたくなきゃ言うことを聞け!!」
三度の怒号。
目的は打倒ではなく退路の封殺だと自身へ言い聞かせ、ソフィと共に黒衣の女を追い立てた。繰り返すうちに気付いたが、相手は一定範囲でしか跳べないらしい。そして時折出してくる黒点は同時に三つが限度のようだ。
「それにしても、これだけ仕掛けて当たらないとか嫌になるね。自信を無くすよ」
「同感です、それにあの黒点が厄介で──っ!」
何時の間に出したのか、黒衣の人物の後ろから妙なものが二本伸びていた。例えるのなら蠍の尾、その先端を鋭い槍に置き換えたような歪な尾である。衣服同様に黒く靄のかかったそれがうねり、
身体の向きを考慮して左に踏み込み回避、けれど流石に避けきれなかったようだ。幸い尾が私を貫くことは無かったが、服の脇が千切れ横っ腹に鋭い痛みが走っている。黒衣の女は外した尾を即座に引き、またこちらを狙って高速の突きを繰り出してくる。痛む腹を無視して後ろへ回避、先程まで立っていた場所に深い穴が穿たれていた。
「ソフィさん、無事ですか!?」
「当たるわけないだろう、集中しろ!」
繰り返し放たれる敵の攻撃は反復横飛びの要領で回避するしかなかった。恐ろしく長く鋭い一撃だが、横範囲をカバーすることは出来ていない。狙いも一尾につき一点に絞られる為、ステップの幅さえ間違えなければ掠りもしなくなってきた。
けれど前に進むことが出来ない。下手に引けば貫かれるだろうし、前に進むには敵の攻撃が早すぎる。
気付けばタタラを踏むことしかできなくなり始めていた。攻められない故に停滞し、いたちごっこが続く。ひたすら横飛びしているこちらに比べて敵は尾を戻し 突くだけ、こちらの分が悪くなるのは目に見えている。近いうちに限界を迎え、止まったところを刺し殺されるだろう。どうにかして打開策を考えなければならない。
──……。
尾が空を裂く音に混じって聞こえた誰かの声。
「しまっ──」
一瞬、ほんの一瞬だけ途切れた緊張の糸は致命傷を呼び込む隙となる。無茶な挙動で避けた結果、体勢を崩した私目掛けて尾が真っ直ぐに突き出された。先の回避行動により足は伸びきり、避けることは出来そうにない。だから一か八か、その切っ先目掛けて剣を振るった。
「──────!!」
振るった刃が尾に当たった瞬間、おおよそ生物の発する音とは思えない奇声が上がる。こちらの剣は中程から折れてしまったが、相手の尾に傷を負わせることが出来た。一か八かの迎撃は、予想よりも良い結果と言えるだろう。
「……何の音?」
絶叫の最中、私の耳が捉えたそれは静電気のような音だった。音源は前方、黒衣の人物から。それは娘を抱えたまま身を捩り、苦悶の様相を示している。その周囲には赤紫の電気が断続的に発生していた。なにか不味い予感がする。
「──ぐ……っ?!」
苦痛と驚きの入り交じった短い悲鳴を上げたのはソフィ、その胸には黒い尾が突き立てられていた。
「──ソフィさん!」
「目的を、忘れるな……紫蘭!
お前は、娘を第一に考えろ。その為に頑張ってきたんだろう?!」
駆け寄ろうとした瞬間、叱咤されて足が止まる。胸を貫かれた彼女は尾を掴むと、引き抜くのではなくそのまま握り潰した。
「なんだよ、僕でも触れられるじゃないか……はははっ!」
再び沸き立つ奇怪な絶叫。それを無視して彼女は残った尾を掴み引き抜くと、それを手に黒衣の女へと突撃し先程とは比べ物になら無い速さで攻め立てる。
全身を血で真っ赤に染めた彼女の両目は煌々と輝き、その口元は獰猛に歪んでいた。片腕で尾を器用に振り回し、真っ白な犬歯を剥き出しにして正体不明の化け物に恐怖なく斬り掛かっていく。黒衣の女は先端の砕けた尾で以て応戦するが、先程までの鋭さは失われていた。
とはいえ、その速さと鋭さは異質なもの。切り結ばれる度に沸き上がる飛沫はどちらのものであったのだろうか。彼女らは傷を交えながら、生物同士が発するには苛烈に過ぎる音を響かせていく。両者は付かず離れずの距離を保ちながら対峙し続ける。
両者共にアドレナリン全開、衝突する度に飛沫が上がった。
絶えず互いに立ち位置を変え、手にした得物を振るい傷つけあう。黒衣の人物は全身が武器であることに対し、ソフィの得物は奪った尾だけ。だと言うのに一歩も譲らず攻め立てているのはソフィだ。槍のような尾も、紫電も、黒点も、いずれも劣らぬ脅威としてそこになくあるのに一歩たりとも引かないのだ。
──正直、介入する余地なんてなかった。
全身全霊、余すこと無く己の肉体を使い、敵と戦うその姿は最早神格化できそうな光景だと思う。
致命傷となりえるものは避け、必要最低限の被弾で相手の懐深く潜り込めているのは彼女が上手く立ち回っているからだ。
とは言え、彼女は既に深手を負っている。今のように身体を酷使し続けられるとは思えない。彼女、もとい吸血鬼が如何に強靭な肉体を誇る種族だろうが胸に大穴が空いているのだ。長くは持たない、そう思っていた私の目はあり得ない光景を捉えた。
床を濡らす血液が、ソフィの足を伝い胸の傷に集まっているのだ。更には斬り結んだ際に上がる血飛沫さえも同様に傷へと集まっている。10分と経たぬ内に胸の傷は完全に消え、破れた衣服からは外見年齢相応の瑞々しい柔肌を晒していた。
「あれが、吸血鬼の──彼女の本領だと言うの……?」
全身の毛が逆立つような悪寒、血に濡れた少女の姿に生物的本能が警鐘を鳴らしていた。
血に濡れたその口元は獰猛に歪み、煌々と輝く瞳は真っ直ぐに敵を見据え怖気付きもせず襲い掛かる。全身は真っ赤な血に染まり、それでもなお刃を振りかざし嬉々として対峙する。
敵対するものを殺す為、全ての力を以て攻め立てる。微塵の情けも持たず、戦闘そのものを楽しむかのように刃を突き立てその血肉を喰らう。時として上がる
「厄災の母、魔物の王よ!
何故今になって現れた!?」
魔王──。
魔物を統べる個体を指すその符号は時として厄災の母とされた。魔物を産み、育てることができるから。魔王を含め、魔物というのは私達からすれば脅威でしかない。私達を無差別に襲い、幾度の大戦を経てもなお未だ各地に蔓延る
瞬時に脳裏を過ったのは魔物に食い殺された両親の姿、娘の死を目の当たりにしたあの日の惨劇。腹の底から沸き上がる怒りと身を焼くほどの
「…………ドラゴン!?」
深い闇のような鱗に覆われたソイツは、特徴的な長い尾を振り回し粉塵を払う。黒衣の人物は黒龍の隣に立ち、私の娘をその手に抱きながら黒龍の脚へ掴まっている。
「──っ、娘を返せ!」
あの黒龍に飛ばれる前に止めなくてはならない、折れた剣を握り絞め黒龍目掛け全力で疾走する。
「Das ist meine Tochter!」
黒龍の爪と尾を避け黒衣の女へと斬りかかろうとした瞬間、黒衣の人物は叫びを上げた。叫んだ瞬間、黒衣の人物の頭からヴェールが外れ素顔が露になる。その素顔に私は驚き、剣を止めてしまう。
「──な……っ!?」
困惑する私の意識を激痛と衝撃が引き戻す。目を向けずともわかる、彼女の尾が私の腹を貫いているのだ。
「か、はっ…………」
乱暴に尾が引き抜かれ、吹き出した鮮血が黒衣の人物と娘を濡らす。後一歩もない距離に娘がいるのに、足が動かない。膝の力が抜けて支えられなくなった身体は、私の意思に従わず重量に従って崩れ落ちる。
「ゆかり……、ゆか……り……」
諦めきれなくて伸ばした手は届かず、伸ばした左腕は無情にも黒龍によって踏み砕かれた。
「──ぁが、っ……ぐ、あぁぁぁぁ……!」
──再び吹き出す鮮血と絶叫。生きたまま腕をミンチにされる痛みは想像を絶するもので、悲鳴を抑える事なんでできやしなかった。
全身を襲う激痛に悶える間も無く、私の体は強烈な風圧に吹き飛ばされ瓦礫に叩きつけられる。満身創痍、そんな状態で全身を強く打ち付けたのだ。当然受け身などとれる訳がなく、意識はゆっくりと刈り取られていく。
──その最中、捉えたのは
それを最期に私の意識は途絶えた。
──Chapter1.END──
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