第124話 腕の中の悪女

「し、シア……」

「あら、離れてはダメよ」


 シアがフフンと機嫌良さそうに笑うと、抱きついてくる。


「うっ」


 無遠慮と言っていいほど、シアの身体が押し付けられてくる。


「ふふ、こうやって私の覚悟を補給してるんだから」

「覚悟を補給……?」

「好きな人のぬくもりや匂い、感触、声……そういうのを覚えておくと、いざ辛い時に思い出して安心できるでしょ?」


 言いながら背中に回された腕に力を込められる。


 あたたかい……。

 ふんわりと香る、シアの香り。

 押し付けられる、柔らかで魅惑的な感触。

 楽しそうな声。


 問答無用で記憶の中に刷り込まれそうな『シア』という存在。


「えー……その言い方だと変態ちっくなんだが?」


 でも、かきいだきたくなる衝動を抑えて、軽口を叩く。


「まぁ、ヒツジくんほどの変態さんに変態って言われたら、そうね。変態なのかもしれないわ」

「認めるのか」

「もちろん。変態さんでも恋人でいてくれる人がいるからねぇ」


 腕の中でクスクスとシアが笑うと、俺の胸元に頭を押し付けてくる。

 首筋にサラサラと黒髪がこすれてこそばゆい。

 でも、嫌な感触じゃない。


「俺が行かない代わりに、シアの覚悟、連れてってくれ」

「そーする♪」


 言いながらシアが俺の身体に身体をこすりつける。

 猫のようにも思えたし、寝起きの幼児がぐずっているようにも思えた。

 そう感じたのはきっと、シアの過去を知ったからだと思う。


「……なぁ」


 しばらくそのままにしていたが、ふと問いかける。


「なぁに」


 囁くような声。でも、眠そうな様子は無い。

 まだ起きていたいのかもしれない。


「シアはさ、いつから俺のこと、好きだったんだ?」

「それ、聞いちゃうの?」

「まぁ……疑問に思ってることだし」


 明確な理由は聞いていない。以前聞いたときもはぐらかされたし。


「好きになったのなんて、いつだって良いと思うけど」

「そうなんだけど、こう……すわりが悪いと言うか、シアは俺のどういうところが良かったのかなって思ってさ」

「うーん……」


 腕の中でシアが考え込む。


「そうねぇ……やっぱり、深く私のことに踏み込んでこなかったところ」

「えっ」


 そうなら、こうやって質問していることは、シアの心象を悪くしているのではないだろうか?


「――なんて、冗談」

「へ?」

「クスッ、冗談よ。もう、そんな顔しないで」


 クックックと意地の悪い笑みをシアが見せる。


「……悪女め」

「あはは、ごめんごめん。でも、私らしいでしょ?」

「このっ」

「ひゃっ!?」


 こちらもお返しとばかりに、シアの脇腹を突く。


「ちょ、ちょっと、それ、反則――」

「嘘をつかないのが心情だったシアが、冗談でも堂々嘘をつくんだから、おしおき」

「ひゃっ!? んんぅっ、ちょっ、だめ……あふっ、あはっ、ふはっ、あははっ!」


 シアが腕の中でジタバタと逃れようと暴れる。


「あははっ、イジワルだぁ、ヒツジくん♪」


 でも、本気で振り払う様子はない。

 むしろ、くすぐられるのを楽しんですらいる。


「まったく……」


 おしおきにもなりゃしない。

 でも、シアが嬉しがっているのを見ていると、いいのかなと思ってしまう。


「はーはーふー……もうっ、笑いすぎて苦しい……っ」

「苦しむ理由の中じゃ良いほうじゃないか?」

「苦しめた人が言う?」


 まだシアは笑っていたが、呼吸を整える。


「ヒツジくんを好きになったの、だよね」

「……ん、ああ」


 急に声音が真剣なものに変わる。


「それはね――」

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