第108話 贖罪の喫茶店

 ――何もない。


 ただの商店街の雑踏だ。

 それとも、俺が目を向ける前に何かあったのだろうか。


「シア?」

「…………」

「シアっ」

「えっ、な、なにっ!?」


 少し強めに呼ぶと、肩を震わせてこちらを見つめる。


「ボーッとしてたみたいだから」

「えっ……あ、うん……ちょっと、なってたかも……」


 曖昧な言い方だ。シアの性格からして『なんでもない』とごまかすこともできなかったのかもしれない。


「ヒツジくん、どーしたの?」

「いや、この休みの間に家で映画見たりするだろうし、安売りのお菓子、いくつか買ってこうぜ」

「あっ、いいね! やっぱりポテチかなー。でも映画といえば定番のポップコーンもいいよね! んーでも、チョコレートとかビスケットとか、映画館では食べられない甘いお菓子にするのもなかなか……♪」


 すぐに俺の話に食いついてきたシアは、いつもの明るい調子に戻っていた。

 でも、さっきのは見間違いじゃない。なんだったのだろうか。

 


   ◇


「ふふふ……♪」


 お菓子だけでなく、当初の目的だったシャンプーとコンディショナーも買って贖罪しょくざいのため、喫茶店に二人で入る。

 普段、友人たちと入るのはファーストフードとかラーメン屋とかだから、落ち着いて小綺麗な喫茶店というのは、慣れない場所だ。


 商店街の一角にある喫茶店は、店内がダークブラウン木目調の床や家具で統一されて、シックな風景をしている。観葉植物も葉の多いもので華美な雰囲気はない。

 電灯にくっついた、プロペラ――シーリングファンがゆっくり回っているのも、あまりお目にかからない光景だ。

 『彼女連れ』ともなれば、妙な緊張もしてしまう。


「ショコラケーキにクリームソーダまでつけちゃうなんて、ケーキセットにしては豪華過ぎるかな~♪」


 だが、当の恋人は運ばれてきたチョコレートのケーキと、グリーンのメロンソーダが眩しいクリームソーダを見つめて無邪気に喜んでいる。

 落ち着きとは無縁だけど、シアのウキウキした可愛らしさは不思議と喫茶店に似合っているように思えた。


「良かったの? いくら『罰』だからって奮発しちゃって」

「奮発ってほどでもない。幸いけっこう自炊してるから、ちょっとは余裕あるし」


 想像していた一人暮らしと、シアとの暮らしは違いだらけだけど、その一つに『自炊』はあると思う。

 両親と暮らしていた時は、自分から料理をすることはあまりなかったから、一人暮らしをしたら、スーパーの惣菜とかコンビニ弁当ばかりになると思っていたけど。


「自炊って毎日やるとけっこう節約できるもんね」

「夕飯はだいたいシアが作ってくれるし」

「ふふふー、しっかり役に立ってるでしょ?」

「まぁ……普通味にも慣れてきたよ」

「もー、そんなこと言うんだ……合ってるけどさ」


 シアの料理の味は変わらず『普通』をキープしている。

 極端に不味いものを食べることもないから、案外毎日食べるのには合っている味なのかもしれない……と思い始めてきているのは、惚れた弱みというやつなのか。


「でも、罪をつぐないに来たのに、そんなこと言う口は……こうっ!」


 シアが、ケーキをフォークでひと口大に切り分けると、そのまま俺に突き出す。


「あーんっ♪」

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