第34話 新緑の季節へ、向かう

「シア、もう登校しないと、間に合わないぞ」

「うぅー……わかってるー……起きてる……起きて――ぐぅ」

「寝てんじゃねーか」


 ――あれから数日。

 ひとまず、日々はそれなりに進んでいる。


 寝ぼけ眼のシアを揺り起こし、ギリギリの時間に家を飛び出すことも慣れた。


「バスで行く? その方がギリギリまで眠れるけど」

「やだー……自転車ー」


 言いながらちゃっかり俺の自転車の荷台に座っている。


「……寝ぼけて落ちるなよ、ほら、一度降りて」

「はーい」


 こちらが自転車にまたがると、シアも改めて腰掛け、俺の背中に抱きついてくる。


「こうしてれば、大丈夫ー……すぅ」


 はじめはドキリとしたものの、毎日やられてウトウトされてると、そういう生き物なのだという色気のない悟りのほうに心は傾いていた。


「落ちても知らないぞ……っと」


 時間もないので、そのままスタート。眠っているように見えて、シアが荷台から落ちたことは一度もない。だから遅刻しないことを優先する。



   ◇


 こうしてドタバタした朝が過ぎれば、あとは普段の高校生活。

 こちらも、シアが『付き合ってる宣言』をした日に比べると圧倒的に静かなもの。


「シア、お昼行こっ」

「うん、いいよー」

「あっ、あたしもあたしもー! 今日、学食だから一緒に行っていい?」

「もちろん! 行こー♪」


 門井さんがシアに声をかけると、仲良くなった他の生徒たちも話しかけている。

 シアは学校だと、女性陣たちと過ごす時間の方が多い。


「そんじゃ、あぶれものはこっちに来てもらおうか」

「そーそー、付き合ったからって、つれなくなるのは寂しいからねぇ」

「つれなくなったことも無いけどなー」


 例によって、俺はオギやんとズミーと一緒にいることが多くなる。


「確かにねぇ。付き合ってるわりに君たち、一緒にいること少ないねぇ」

「こう、若さにまかせて……みたいなのはないのか?」

「オギやんは何を期待してるんだ」

「そんなん、撮れ高のいいイベントに決まってるだろ」

「……君の友情に涙が出るよ」


 からかわれることはあるものの、二人はいつもと変わらない。

 シアが来てから日常離れしたことが多かったから、二人の存在は少しホッとする。



   ◇


「ふー……」


 友人たちと昼飯を食べた後、なんとなく一人で中庭のベンチに腰掛ける。

 シアが部屋にいるから、一人の時間というは極端に減った。

 それが嫌ではないが、ふと、こういう時間が欲しくなる。


「桜、もう散っちゃったな……」


 数日前は綺麗に咲き誇っていた桜も、今はわずかに残り香の花が見えるのみ。

 薄紅色だった世界は、いつの間にか新緑の世界に変わっていた。


 そういえば、こんな時期に――


「……あ」


 小さく漏れた声に顔を上げる。


「こんにちは」

「明宮」


 いつの間にかやってきた、去年のクラスメート――明宮あけみや心詠こよみが丁寧に一礼する。


「…………」

「……座らないの?」

「あ……では、失礼します」


 切れ長の瞳をわずかに伏せ、明宮がベンチの隅に腰掛ける。


「新しいクラス、どう?」

「はい、皆さんよくしてくれています」

「よかった」

「……ええ、去年の日辻さんのおかげですね」

「俺は何もしてないって」

「…………」


 明宮が頬の辺りで巻いた髪を、無言で軽くいじっている。


「……言えたらで、いいよ」


 新緑の梢を見上げながら、気安い調子で言う。

 明宮は目を見て話すより、こうして言ったほうが話してくれる。


「――――」


 小さく深呼吸するのが聞こえた。


「……お付き合いを始めたと、聞きました」


 ……そうだよな。

 シアがあれだけあけすけなく言ったのなら、噂になっているだろうし、明宮の耳にも入るだろう。


「ああ、九条シアっていう子」

「はい、九条さん……有名な方ですよね」

「オギやんたちも言ってたけど、俺はぜんぜん知らなかったんだよなぁ」

「え?」


 明宮が顔を上げ俺を見つめた。

 髪をいじっていた指に力が入る。


「てっきり知っていて、それで告白をしたのかと……」

「そんな話まで聞いてるのか。まぁ、色々あってさ」

「……そう、ですか」


 俺の曖昧な言葉に、明宮がまた小さく深呼吸をする。


「九条さんは、とても……明るい良い方だと聞いています。お付き合い、おめでとうございます」

「……ありがとう」


 祝福されるのも、お礼を言うのもなにか違う気がした。

 風が吹き梢を揺らす。葉の擦れるザワザワした音は無遠慮な陰口のようだ。

 でも、俺も明宮も無言のまま、その声をしばらく聞いていた。


「……もうすぐ、予鈴、鳴ってしまいますね」

「そっか、そろそろ戻らないと――じゃ、また」

「はい、また」


 1組の教室と5組の教室は反対方向だから、そのまま左右に別れて歩き出す。


 ――もしかして、明宮は俺と話すために中庭へ来たのだろうか。


 ふと、そんな考えがもたげたが、すぐに打ち消す。

 たまたま通りすがりに噂の渦中の人間がいたから声を掛けた。それだけだ。


「――なんて、そんな性格じゃないの、知ってるのにな……」

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