第32話 寝息と、桜と

 ――これは、どうすればいいんだろう?


「すぅ、すぅ……」


 昼食を食べ終わりひと息ついたところで、シアが俺に寄りかかり寝息を立て始めた。


「くぅ……んぅ……すぅ……」


 すやすやと。それはもう、これ以上なく安らかに。

 寄りかかって眠るのは寝にくそうなのに、なんとものんきなものだ。


「シア」

「ぐぅ……」


 朝でもわかってる通り、シアは一度寝ると、起こそうとしても簡単に目覚めることはない。となると、起きるまでこのままじっとしてるしかない。


「……あ」


 ふと、視界を横切った『色』に目を向ける。

 開け放たれた窓から、風に乗って桜の花びらが教室に流れ込んできていた。

 その向こうにある空はうす雲が広がっている。

 薄く広がる雲たちは、花霞が空へと昇ったようにも見える。

 青空を覆い隠すような雲ではなく、ベールのような晴れやかさ。

 薄紗はくさの敷かれた舞台で桜の花びらは、風に乗って舞い踊る。


 ――また一枚。


 舞う花びらにいざなわれたように、花びらが入ってくる。

 二つの花びらは、時に近づき、時に離れるダンスを見せる。


 ゆったりと風の手から離れた花びらたちは、シアの机の上にそっと舞い降りる。

 それも一瞬で、二枚の花びらは転げ回るように机の上で遊び、またどこかへ流れていってしまった。


「……ま、いいか」


 別にシアを起こさなくてもいい。

 シアと触れ合った肩はあたたかく、春の爽やかな気候の中だと心地よい。


「くぅ……」


 寝息も聞いていると、無駄な力が抜けるようだった。


「『好き』、か」


 さっき言われたシアの言葉を繰り返す。

 シアは俺とどこかで出会っていて、そこで俺に惹かれたということなんだろうか。

 見ず知らずの誰かに惚れられるようなことをした記憶はない。

 でも、シアの好意の言葉は驚くほどすんなりと心の奥を打った。


 ――ひるがえって俺は、どうだろう?


 告白したのは俺なのに、シアに対する気持ちは曖昧なまま。

 好きか嫌いかと言われたらもちろん好き――だがきっとそれは恋ではない。

 友人に対しての好意に近い。


 でも、それだけでない。

 わずか数日の間柄だというのに、シアは俺の心の中に入り込もうとする。

 それは嫌ではない感覚だ。シアを意識してないと言えば、きっと嘘になる。

 彼女が好意を向けてくれて俺が応えたのなら、それは真の意味での恋人だろう。

 幸せな両想いの完成だ。


「……余計なこと、したのかもな」


 その幸せにたどり着けないのは――俺自身の問題。

 歪な関係を作り上げた『心残り』がなしたわざ


 それでもシアが、俺に好意を持ち続けてくれるなら――


「なんて、結局他人任せか、俺は」


 穏やかな春の陽気の中。

 隣で眠る『恋人』の寝息は安らかなのに。

 低いわらいが漏れた。



   ◇


「シア、教室にいるって言ってたけど――」


 ぼんやりとシアの寝息を聞いていると、教室の戸が開く。

 シアが連絡していた門井さんだった。部活が終わったらしく鞄と一緒に竹刀袋を持っている。


「アンタッ――」


 俺が何か言う前に、門井さんは荒げようとした言葉を飲み込む。

 シアが寝ていることに気づいたらしい。


「これ、どういうこと?」


 すぐ側まで近づき鞄と竹刀袋を置くと、立ったまま俺たちと向き合う。


「門井さんを待ってる間にシアが寝ちゃってさ」

「そうなんだ……まぁ、こんな春の陽気じゃシアは寝ちゃうかな」

「そうなのか?」

「しょっちゅう昼寝してるわよ、この子」


 当然のように言われる。シアのことをよく知っているのだろう。


「アンタは、知らないの?」

「まだ、短い付き合いだから」

「やっぱり、そうなんだ」


 声は潜めているものの、門井さんの俺を見る瞳は一気に鋭くなる。


「でも、その……シアと『お付き合い』してるんでしょ」

「してる。俺が告白して、付き合うことになった」

「それがわかんないのよねー……シア、今まで誰かにコクられても秒で断ってたのに、どうしてアンタを……」

「シア、門井さんに言わなかったことを申し訳なく思ってるって言ってたよ」

「わかってるわ。シアから連絡してくるなんて珍しいもの」


 門井さんがスマホを取り出し、画面を見ている。

 シアからの連絡を読み返しているのだろう。


「私だってそこまで怒ってるわけじゃないし、シアが謝らなくてもいい。でも、ただ……その……」


 スマホの画面とにらめっこしていた門井さんが言いにくそうな声を漏らす。


 やっぱりこの子はシアが大好きなんだと思う。

 だから、シアが相談してくれなかった。言ってくれなかった。

 そのことが引っかかっていたに違いない。

 シアが連絡をくれたことで、モヤついていた心は多少なりとも晴れたのだろう。


 ……そうだよな。


 だとしたらこの状況は『不誠実』なんだろう。


「んんぅ……んぁ……ふぁ……」


 寄りかかっていたシアが身じろぎする。

 もうすぐ起きるのかもしれない。

 だとしたら、この先はシアに任せてもいい。


 ――わけがない。


「門井さんには、伝えておかないといけないことがある」

「えっ、なに?」


 俺の緊張した声音に驚いたのか、眉をひそめられる。


「……んぅ?」


 シアが寝ぼけた声を上げると、うっすら瞳を開く。

 シアのぬくもりを感じながら、俺は門井さんの目をしっかりと見た。


「俺とシア。今、一緒の部屋で暮らしてる」

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