歩く鎧は伽藍堂

おもちゃ箱

第1話 空っぽ道中殺戮毛

___意識を開けば、平野に座っていた。

 

 何も無い空虚な空から、“コレ”は現れた。鈍く銀色に光を反射させる騎士甲冑は、本来誇り高いものだろうが、今は見る影も無く灰で煤けている。焼け焦げたように所々穴のあく外套は、今はもう失われた正義の群青色をほのめかしていた。背中に担ぐは身の丈程の大振りな大剣、力の象徴である筈のそれは、今や醜く錆び付いた鉄塊同然だった。燻んだ鎧は立ち上がり、周りを見渡し考えるように腕を組む。

 

 此処は何処で、私は何か。意思ある物質に記憶は無かった。しかし胸には何か疼きが残っている。疼きを確かめるように胸を叩くも、帰ってくるのは鉄が虚しく響いた音ばかり。どうやら中身は無いらしい。空の鎧は立ち上がり、一先ず歩く。自身は何で、どうして現れたのか。空虚な鎧は当てもなく旅を始める。

 

 鉄の擦れる音が小さく鳴り、周りの動物は気味悪がって出てこない。亡霊の様に歩くそれは、なけなしの意識を持って歩き続ける。

 

 本来、騎士甲冑とは人間の使う物だったが、コレには最早、自分が人間だったかどうかの記憶も持っていない。東洋の国では付喪神なるものがいるらしいが、自身がそれに該当するかどうかも定かでは無かった。思い出せないで悔しかったり、哀しかったりすることもなく、素朴な疑問のみが包み込んでいる感覚だった。

 

 一晩明けて、また一晩。疲労も感じない鎧は歩き続け、気づけば山岳地帯に入っていた。高い山々に鉄を囲まれ、鳥の鳴き声が辺りから響いていた。しかし、鎧は関係ないとばかりにただ真っ直ぐと歩き続ける。行手を遮る倒木は切り倒し、河を飛び越え、谷を抜ける。幾たびの日の出を経験しても、鎧は歩くことを辞めなかった。

 

 山岳地帯を抜けて、また暫く歩いたある日の事。今度は鎧は村を見つけた。この世界には何処にでもある普通の農村。しかし、どうやら様子がおかしい。水車がある程度には豊かな村に本来聞こえる筈の子供の声が聞こえてこない。はしゃぎ、遊びまわる微笑ましい声達が聞こえてこないのだ。

 

 聞こえてくるのは悲鳴だけ。恐怖し、怨嗟を叫ぶ悲鳴のみだった。

 

 しかし、記憶のない鎧にそんな事は関係無く、ただ側を素通りしよう。そうしようとした瞬間だった。

 

「オラッ!大人しくしやがれ!」

「___ッ?!フグッ___?!」

 

 人影が、見えた。二人の男女が何やら蠢いている。

 

 大柄な男は、鎧とは違うが騎士甲冑を身に纏い何故か下半身は丸出しだった。下卑た嗤いを浮かべながら、必死に腰を振っている。

 

 女は、女というよりは少女であった。少女も身につけた衣服は最早残されておらず、ただひたすらに涙を流して目の前の男に恐怖し、出来るだけの抵抗をする。しかし、抵抗は意味を為さない。彼女の振りあげる手は筋力の差によって軽々と男に押さえつけられる。膣内の焼けるような痛みは常に彼女を襲い続ける。悔しさに、痛みに涙する彼女の姿は、ただ男のくだらない嗜虐心を満たしていくだけだった。

 

 男は悲鳴を上げようとする少女を殴り飛ばす。少しでも鍛えていたであろう拳は、可憐な少女の顔面を無駄に的確に撃ち抜いていく。顔を腫らし、最早悲鳴を上げられなくなっていた少女はその心さえも閉ざそうとしていた。

 

 瞬間、鎧は熱い衝動に駆られる。何故かはわからない。わからないのだが、胸に燻る疼きが、目の前の状況を見て灼熱の様に燃えたぎる。身を灼く衝動に鎧は驚く、コレは自分に起こっている事が理解できていなかった。しかし、ただ一つわかるのは、目の前のこの男を殺せば、幾ばくか楽になる事だけ。鎧の行動は速かった。

 

 鎧の身を包んでいたのは、人で言うところの“怒り”だった。鎧に残っていた“正義の残骸”がコレを動かしたのだ。自身は元は人間だったのか、それともただ自分の本質がこの“正義”だったのか。鎧にはまだわからない。だが、確かに目の前のアイツは“悪”だと、鎧は確信していた。

 

 背中の大剣を慣れたように引き抜く。使った事のない筈のそれは、何故だかこの手によく馴染む。身の丈同等の剣を振り回し、鎧はそれを男の胴体にねじ込むように叩き入れる。大剣の刀身は見事に男の胴体へと吸い込まれ、確実に命の根を断ち切った。

 

「ぺっ?!」

 

 無様な断末魔と共に、男はその命を無駄に散らす。胸当には微かに持ち主を大剣から守ろうとした跡があったが、結局は虚しく穿ち飛ばされている。胴体は潰れ、頭からは地面との衝突で血が流れている。突如にして白目を剥き、血反吐を吐いて死んだ男を見て、少女は驚きに呆然とする。

 

「っひっ?!」

 

 しかし、その瞬間も長くは続かず、目の前の鎧を見て彼女は悲鳴を上げる。返り血に塗れたその姿は、年頃の少女からしたら衝撃的な絵面だろう。

 

「___え?」

 

 鎧は、何故か少女に跪き、彼女の頬を優しく撫でていた。コレも何故そうしたのかはわからないが、そうしたい。そうしないといけない使命感に後を押され、鎧は慈しむように、安心させるように彼女を撫でていた。

 

 そうして鎧は立ち上がり、未だ残っているであろう蛮族をその手で殺すべく走り出した。金属の震える音が鳴り続け、その音に気付いた蛮族達が続々と集まってくる。彼らは一様に先程死んだ男と同じ騎士甲冑をつけていた。囲まれた鎧は一度立ち止まる。すると、他の者達よりも一際目立つ外套を身に纏った蛮族が、一歩前に出て誇り高そうに声を出す。

 

「何者かっ?我らは“コウンラタシ皇国第三騎士小隊“である!私は隊長のナナ・ヒカリだ!其方も騎士と見受けるが、名乗られよ!」

 

 自身に満ち溢れたナナは、鎧に向かって叫ぶ。しかし、鎧は鎧である。名乗るにしても、名乗るための声が出ない。そも、名乗れたとしても目の前の蛮族に名乗るつもりは、コレには無かった。

 

「名乗らないのであれば致し方ない。貴様を此処で殺す!者ども、かかれ!」

 

 ナナの号令で、自称騎士供は鎧に向かって斬りかかる。その手に持った剣は瞬く間に鎧の隙間を通っていく。普通の人間ならば即死だろう。

 

「フッ...他愛のない...」

 

 ナナは何事もなく終わったと思い、油断のため息をつく。

 

「まだ作戦の途中だ!各自、任務に戻れ!」

 

 しかし、己の部下達は一向に鎧から動こうとしない、ナナは苛立ったように喚き散らす。

 

「どうした!早く戻れと言っているだろう?!」

「ち、違います!隊長?!」

 

 怯えたように部下が上司に叫ぶ。剣を握った手は震え、刺さっている剣は引き抜こうとしても抜ける事はなかった。

 

「ぬ、抜けな___」

 

 鎧は、その手に持った大剣を自身の体の回転を加えて一つ振り回す。遠心力を持って部下達の身体を潰し斬る。赤茶に錆びた鉄塊が弧を描き、確実に、正確に命を刈り取っていく。つけていた鎧など意味を為さず、鉄ごと切り裂き肉を抉る。切れ味なんて小綺麗なものは存在しない大剣に、彼らはただ胴体を泣き別れさせることしか出来なかった。

 

 引っかかっていた剣を抜き去る鎧。その刀身には、血液なんて物は付着していなかった。それを見たナナは、酷く恐怖し号令をまたかける。

 

「な、何をしている!相手は一人だ!かかれ!かかれぇ!」

「ひ...うわぁぁああっ!!!」

 

 命令に従うしかない彼らは己を鼓舞するように叫んで鎧に突貫する。一人は槍を、一人は戦斧を、また一人は剣を持って鎧に斬りかかる。しかし、そのどれもが無駄に終わる。弾かれ、抑えられ、へし折られる。どの攻撃も無効化され、彼らは非常に恐慌する。鎧には人の気持ちはいまだわからない。青い顔をして逃げようとする彼らを一人ずつ、丁寧に殺していく。それはまるで、梱包材を潰していくかのように。

 

 一人は頭から縦に斬られた。

 

 一人は籠手で頭蓋を砕かれた。

 

 一人は腹を貫かれ、

 

 そしてまた一人は向きを横にした大剣に、真っ向から叩き潰された。

 

 四十余人程いた小隊はみるみる内に数を減らしていく。部下の一部でも気が狂い始めたのか、同士討ちを行うものが現れ始めた。いきなり現れた鎧姿の化け物は、ナナの初めて率いた小隊を尽く殺して蹂躙していく。彼にとっては、ただ敵国の村を一つ潰してくる簡単な仕事の筈だった。それが、なんの間違いなのか。化け物退治に早変わりである。恐怖に歯を鳴らし、鎧の下が生暖かかった。なんとか生き延びようと、彼は鎧に交渉しようと話しかける。

 

「わかった!十分にわかった!この村からは手を引く!だからもうやめてくれ!」

 

 鎧は止まる事はない。錆び付いた大剣は鈍器と変わらない、彼の部下を擦り潰していく。一人、また一人と部下が死んでいく。ナナは更に焦ったように付け加える。

 

「ならば栄誉はどうだ?!これでも我が国で、私の父は騎士団長をやっている!君の望む地位を授けることもやぶさかではないぞ?」

 

 鎧はそれでも止まらない。大剣は血に塗れ、より一層錆びの強さを増していく。それでも大剣が脆くなる事はなく、何故か威力が増していく一方だった。部下が二人、三人と姿を変えて死んでいく。ナナは泣きながら叫んだ。

 

「わかった!此処にいる部下は全員殺してもいい!だから私は助けてくれ!」

 

 鎧の勢いが増した。大剣の威力は増していき、謎の煙が巻き上がる。その煙は刀身を包み、紫色に仄暗く光る。死神を幻想するその姿に、ナナは狂ったように喚き散らした。

 

「わかった!金だな!いくらでもくれてやる!いや、差し上げます?!だからお願い!助けて!助けてくださいぃ?!」

 

 鎧には耳がない、だから目の前の屑の喚く声など聞こえるはずもない。鎧は屑の部下を全員殺し、遂に残ったのは、ナナただ一人となった。彼のサラリとした金髪は振り乱れ、腰は引き、足に力は入らない。なけなしの蛮勇を用いて、彼は剣を引き抜いた。派手に装飾されたそれは、元々戦闘用に作られた物ではないと素人目に見てもよくわかる。柄の部分には、赤、青、黄などの様々な色の宝石が付けられており、握り手には匠渾身の彫り細工が施されていた。見るものが見れば、それ相応の価値がつくだろう。

 

 しかし、そんなものこの状況ではなんの価値にもなりはしない。大振りで、何か得体の知れない力を発し続ける化け物の剣と、弱々しい、ただ飾り付けだけが施された見た目だけの剣。勝敗は誰が見ても明らかだった。

 

「っ?!うああああああああ!!!!!!」

 

 叫び、斬りかかる。剣は鎧へと襲いかかり確かにもう一度隙間に入り込む物だと、彼はそう思っていた。

 

 だが、現実は違う。徐に振り上げられた鎧の籠手が、彼の剣をへし折った。軽々しく、ぞんざいに、まるで蚊でも払うかのような仕草でへし折られた刀身は、見るも虚しく地面へと転がる。ナナは、絶望した。

 

「ひぃいいいぃ?!!?!嫌だ!嫌だぁああ!!」

 

 悲鳴を上げて逃げようとするナナ。しかし、そうは問屋が卸さない。鎧は一歩踏み込んで、ナナの足を砕いた。痛みに蹲るナナ、逃げる足を失って、彼は再度絶望する。それでも生き延びたいのか、這いずってでも逃げようとするナナ。しかし鎧はそんなナナを見逃す筈もなく。

 

「ガッ?!」

 

 大剣を振り下ろし、彼を殺した。当たり前のように振り下ろされたそれは、彼に最大の恐怖を与えた上で彼を殺した。鎧には達成感も何も無かった。

 

 すると後ろから声が聞こえる。

 

「あ、あの!」

 

 少女だった。無事だった村の住民が居たのだろう、今の彼女には一枚の布が被せられていた。

 

「助けてくれて、ありがとう!」

 

 天真爛漫に笑う彼女。鎧が守ったものだった。鎧は反応する訳でもなく、ただ一瞥した後に彼女の元を去った。大剣の煙は既に消え、通常の錆びた状態に戻っている。コレはまたそれを背中に担ぎ、歩き始める。己が何かを知りたいがために、鎧は今日も歩いている。

 

___胸の疼きはまだ、止まらない。

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