1.客の依頼内容

「依頼内容を聞かせて」


 綺麗な顔の少年は笑みを浮かべてそう言った。

 客はすでに冷めた紅茶で喉を潤してから、依頼内容を語る。


「私の消して欲しい記憶は学生時代の同級生…女性から言われた言葉です。たった一言ですが、それがずっとずっと心の中の奥底に残っているんです。皆がそう思っているんじゃないか?一度そんな疑心暗鬼に囚われるとダメなんです。周りの人がどんなに私のことを良く言っても、私は信じられない。でも、私は人を信じたい。信じてみることをしたい。それなのに、そのたった一言がいつまでも剥がれずに残っているせいで踏み出せない。お願いします。消してください」

「ふぅん」


 客からの言葉を最後まで聞いたかと思うと、少年はぽつりと呟いた。

 決して言葉にしてはいないが『そんなことで…』と言わんばかりの冷めた表情をしている。

 しかし、依頼人である客は真剣だ。

 誰しも心に刺さる一言が永遠のトラウマとなることはある。

 この客はたまたまそれがその一言だっただけだ。そのことについて少年は理解している。

 理解はしているがくだらないなと思う感情が出るのは、いささか長く生きすぎているせいかもしれない。


(人はこれだから…)


 ちっぽけな感情に左右される人間を見るのは、くだらないと思うがそれ以上に面白いとも思う。

 こうやって人に触れれば触れるほど人に近付きたいが、決して人にはなれない。

 ふぅと小さく息を吐き、気を取り直して冷めた紅茶を飲み干す。

 そして改めて客に向かい直し、告げる。


「いいよ」

「!」


 客は驚いた顔で少年を見る。


「ぼくの目を見てくれる?」


 少年は客にそう言い、テーブルに手をついて顔を近付ける。

 綺麗な顔が近付き、客は少しドキリとする。

 言われるままに少年の目を見つめると、じわじわと瞳の色が金色に変わっていく。その少年の瞳に吸い寄せられるように魅入られながら、意識がふわりと遠退いていく。


「ぼくの記憶も忘れてね」


 それはぼんやりとしていく頭の中に聞こえた、少年の最後の言葉だった。


 客には言わなかったが、この記憶喪失業のことは記憶から消す。

 記憶を消したいと願ったことすら消さないと意味がないからだ。

 だからいつも依頼料をもらうことが出来ない。

 その代わりに、必ず喫茶でお茶をして帰ってもらうようにするのである。

 少年がぱちんと指を鳴らすと客が消える。おそらく喫茶に移動されたはずだ。


「モネ、きちんとオーダー聞いてね」

「はい」


 モネはそう返事をして、店内へ戻って行った。


「あぁ、今日も儲からない」


◇◇◇


 記憶が消えたその後。彼は以前のように人の顔を伺っておどおどすることがなくなった。まさに人が変わったように明るくなった。彼が考えていた本来の姿を取り戻したのだろう。


 そんな彼に会いに来た一人の女性。


 彼にトラウマである一言を言ってしまった女性である。

 彼女は悪気があって彼にその言葉を言ってしまったわけではない。

 ただ、彼のことが好きであっただけだ。好きだからこそ彼に自分を見て欲しかった。彼に自分にふさわしい人になって欲しかった。

 だから、言ってしまったのだ。


『×××』


 それから彼は彼女を避けるようになった。


 彼女はある企業の社長令嬢である。

 彼は無意識ながら、彼女の父が社長を努める企業に就職した。

 彼女はチャンスだと思った。今さら蒸し返すのは悪いのかもしれないが、どうしても当時のことを謝りたくて彼に会うことを決めた。


「久しぶり」

「!…貴方は社長の娘さん、ですよね。初めまして。今日はどうされましたか?」

「えっ…」

「?」


 彼が嘘を言っているようには見えず、彼女は狼狽する。


(初めまして?私のことを忘れているの?)


 数日の付き合いならまだしも、クラスメイトとして学生時代の数年間を過ごしたのだ。

 その後数年間会わなかったとはいえ、まさか忘れられているとは思ってもみず、彼女はショックを覚えていた。


「あ、あの…もしかして、どこかでお会いしていましたか?」

「あ…」

「すみません。昔の記憶が少し曖昧なんです」


 彼は申し訳なさそうに彼女に向かってそう言った。そして続けてこう告げる。


「ただ、貴女に悲しげな顔は似合いませんよ。笑顔の方が似合います」

「!」


 それは学生時代、彼に最初に言われた言葉。

 社長令嬢のくせに、といじめられ、悔しくて涙を流してしまったのを見られた時だった。


『どうして泣いているの?君には笑顔の方が似合うよ』


 そう言ってくしゃくしゃのハンカチを手渡してくれた。

 それから彼のことを好きになったのだ。

 忘れられたけれど、何ひとつ変わらない。そのことに彼女の瞳からぽろりと涙がこぼれる。


「あぁっ…な、泣かないでください」


 彼はおろおろとして、ポケットの中でくしゃくしゃになっていたハンカチを彼女に渡した。


「ありがとう」


 涙で濡れたままの笑顔で彼女はそう言った。

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