儲からない記憶喪失業やっています

海嶺

1.ここは紅茶専門店です

 とある大きな街から少し外れた郊外。

 周りは山に囲まれ、田舎のようなのどかな風景。

 そこにぽつんとその場所には似つかわしくないおしゃれな家が一軒建っている。

 外見は淡い色で統一されており、見た目はカントリー風。

 どんな女性が住んでいるのだろうと思わせる外観である。

 その家からは茶葉の良い香りがふわりと漂っている。

 扉にはベルが付いており、カランと音が鳴ったかと思うと中から女性が看板を持って出てきた。

 女性は緑がかったブルネットの髪色で非常に女性らしい体つきをしている。

 エプロンをしており、この店で働いているようだ。

 持っている看板には『本日のおすすめティー<アールグレイ>』と書いてあった。

 店名は掲げていないため分からないが、ここは紅茶の専門店である。


「いらっしゃいませ」


 中へ入ると先ほど見かけた女性が声をかけてくる。

 店の半分は喫茶になっており、淹れたての紅茶を楽しむことが出来るようだ。

 天井までびっしりと瓶や缶が置いてある棚を見渡すと、様々な種類の茶葉。

 定番のよく見かける名前のものや産地別、時には匂いのきついよく分からないブレンドもあるようだ。


 しかし、客は茶葉に見向きもしない。

 女性に向かってこう告げた。


「記憶を消して欲しい」


 そんな客の言葉に女性は驚きもせずに、にこにこと笑みを浮かべたまま「こちらへどうぞ」と客に答えて、店の奥へ案内する。


 通された部屋には柔らく座り心地の良さそうなソファとおしゃれなガラステーブル、そして少年が一人。

 髪色は茶だが色素が薄くやや透き通って見える。肌は青白くやや不健康そうだ。

 しかし目を惹くのは少年の非常に整った顔。人形か、どこか別の国の人間のようにも見える。

 少年がカチャリとティーカップを置く音がした。


「どんなご依頼で?」


 客は少年があたかも店主のように話しかけてきた姿をみて狼狽している。

 女性と少年の顔を瞳だけ動かして行ったり来たりさせていた。

 女性はにこにこと笑みを浮かべて立ったままで、少年はテーブルを挟んだ反対側のソファに座ったまま足を組んでまた紅茶を飲み始めた。


「モネ、お客様にアールグレイを出して」

「はい」


 少年が女性にそう声をかけると、モネと呼ばれた女性はカチャカチャと紅茶の準備をする。

 カタン、と客の前にティーカップが置かれると、漂う紅茶の香りに少し気持ちが落ち着いてきたようだ。

 傍から見ても分かるくらいに強張っていた肩から、少しだけ力が抜けたのが見て取れた。

 客は出された紅茶を一口飲んで、やや躊躇いながら少年に向かって問いかける。


「ここで記憶を消してもらえると聞いたのですが…」

「ええ。この店で間違いないですよ」

「!」


 少年から即答で返事をされて驚いた。

 客は自分が正気ではないようなことを言っている自覚があったからだ。

 半信半疑でこの店に来たのは間違いない。

 そんな客の様子を見ながら、少年は話を続ける。


「消せる記憶には条件がある。一つ、依頼主本人の記憶であること。一つ、内容によるということ。すべての記憶が消せるわけじゃない。だから希望する記憶が消えるという保証はないし、消せたとしても消えた記憶に関連する不都合な記憶も消されてしまう。それは希望している記憶とは違う記憶が消えてしまうかもしれない。そして、一度消した記憶は二度と戻らない。それでも消したい?」


 先ほどとは打って変わって、砕けた口調で一気に話す少年。

 見た目は少年でありながらすでに大人のようであり、どこか達観したような雰囲気がある。

 口元には笑みを浮かべているものの、目は笑っていない。

 少年の鋭い瞳の奥は心の奥底まで見透かしそうで、言い終わった後はとにかくただじっとこちらを見つめているだけ。

 客は思わず、ごくりと唾を飲み込む。

 口の中はからからに乾いている。


「そ、それでも…消したい、記憶…です」


 完全に少年の雰囲気に呑まれてしまい、ようやくそれだけ口に出すことが出来た。

 その言葉を聞いた少年はふっと雰囲気を和らげる。


「依頼内容を聞かせて」


 少年はそう言って、綺麗な顔で笑った。


 ここは依頼主が希望する記憶を消す『記憶喪失業』をやっている紅茶専門店である。


◇◇◇


 ふと意識を取り戻した客はきょろきょろと辺りを見渡している。

 ここは紅茶専門店の店内にある喫茶。


「あ、あれ…ここは…」

「ご注文はお決まりですか?」


 見覚えのある気がする店員のにこにことした顔。

 何か大事なことを忘れた気がするのにどこかすっきりしている。


「あ…えっと、アールグレイを」

「かしこまりました」


 味わったことのあるような紅茶を懐かしむように飲んで帰る客を見送り、奥の部屋から出てきた少年に向かって問いかける。


「これで良かったのですか?」

「…儲からないから良くないよ」


 ふんっと鼻息を荒くして、ぷいと女性の方から顔を背ける少年。

 女性はそんな店主を見ながら、にこにこと笑みを浮かべたままである。


―――ここは依頼主が希望する記憶を消す『儲からない記憶喪失業』をやっている店名のない紅茶専門店である。

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