4と4分の3歳
地底人ジョー
-1
陽気な音楽で、意識が引き戻された。
古い勉強机には不釣り合いなモニターを見れば、製菓会社のCMが流れている。
小さいころのお気に入りだった、懐かしい装いのチョコレートだ。
CMが終わると、どこの誰とも知らない人が、誰かとけたたましく喋りはじめる。たまらなくなって、ウィンドウを閉じた。
ぼんやりした頭を動かし、傍らの目覚ましへ向け――暗くて見えないことに気付く。
仕方なく、モニターの明りでほのかに照らされる机の上から、手探りでスマホを手に取り……モニターの隅に、時計があるのを思い出した。
『06:32 2019/02/28』
お情けでスマホの方も見てやることにする。
普段はまったく使わないグループに、メッセージが5件。0時を回ってすぐ送られてきている。
親指を、そっと画面に這わせる。
そのまま固まっていると、フッと画面が暗くなった。
スマホを机の上に放り出す。
ふと、机の隅にある、白いものが視界をかすめた。
指先でそっと撫でると、上質な紙封筒の感触。
すこし押し込んだ先には、固くて細い線が何本も走っているのを感じる。
カサカサと、紙を撫でる音が微かに響いた。
――。
――遠くの方で、小学生たちの騒ぐこえが聞こえる。
夢の中ではなく、ベッドの上らしい。そのことが、ぼんやりと頭に沁みてくる。
ゆっくりとまぶたを開いた。カーテンの隙間から、西日の傾きが差し込んでくる。
細く長く息を吐く。口の中がカラカラだ。
このまま寝転んでいる誘惑と天秤にかけ、私はベッドからはい出ることにした。
冷たい水が身体に染みる。
まだぼんやりとした頭をおさえ、冷蔵庫の前に腰をおろした。
手櫛で髪をすいてると、おばあちゃんのことを思いだす。
――お姫さまみたいな髪だねぇ。
べっこうの櫛でやさしく髪をすきながら、決まって口にする言葉。
そう言われると、私は無性にうれしくなって、意味もなく笑いたくなって、ひひひと唇をつり上げた。
そうすると、おばあちゃんもひっひっひ、と笑った。
遠い思い出だ。
そして、久しぶりに会った日のこと。
ベッドに横たわるおばあちゃんの口元へ、耳をよせた時も言っていた。
――お姫さまみたいな髪だねえ。
か細い声でそう言うと、しわくちゃな顔を一生懸命に震わせながら、微笑んでいた。
思えば、私が人に褒められた、最後の記憶かもしれない。
そのとき、ひひひという笑い声は、まったく出てこなかった。
冷水でたたき起こされたはらわたが、ごろごろと不平をもらしているのに気付いた。
あぁ、無性に何かを食べたい。この家には無い何かを。
いてもたってもいられなくなり、立ちあがった。
椅子に伸びているコートを取りあげ、ポケットからまさぐりだしたマスクもつける。
この季節は便利だ。
姿見を横目に、ふと思った。
反射的にかごを取り、店内へ。
売り場をねり歩いて物色していると、さっきまでの飢えが嘘のように凪いでいるのが分かった。ぼんやりずっしりとした胃の重み。
唇を引き結んで棚をのぞき込む。
弁当――油ものばっかりだ。麺? サンドイッチ? これは炭水化物。ケーキや洋菓子も、ああ見えてだいたい油。口はちょっと恋しいみたい、でも身体はげんなりしてる。ヨーグルト、フルーツ、うわ、コンビニ価格。おつまみ、煎餅、あめ玉、スナック、クッキー――。
私の目に、昨日のコマーシャルで見た包装が飛びこんでくる。
大袋のチョコレート。
すこし迷って手に取る。CMで見た時はあんなに魅力的だったのに、手の中のそれはどこか素っ気なく見えた。
私はその袋をかごへ放り込むと、レジへ向かう。
レジ打ちのおじさんが、怪訝そうな顔でチラリと見た。
私は見てない。ほら、スマホに夢中。
玄関を開けると、うす暗い私の城。
ケトルのスイッチを入れる。
窮屈なコートを脱ぎ、椅子へとかける。
カーテンを開け放つと、真っ赤な太陽が顔を出した。
カチリと無機質な音。
湯気の立つケトルを持って、いつもの定位置へ。
茶渋でくすんだ、お気に入りのマグカップにお湯をそそぐ。安物のティーバッグはくたびれたように浮き上がり、どくどくと透明なお湯を染めあげる。
床に放り出したコンビニの袋から、飾り気のない大袋を取り出した。
何の変哲もないミルクチョコ。おばあちゃんの家に行くと、よく菓子入れの隅にちぢこまっていた。
ばりっと袋を開け、両端を絞られた包みを取り出す。包みごと塊を口にくわえ、絞りの片端をつまむと、いきおいよく引っ張った。
歯にさわるビニールの感触が通り過ぎ、なめらかで安っぽい油脂と砂糖、ココアの香りが口に広がる。あぁ、昨日見たCMの味だ――。
手に残った包みをくしゃりと握る。
膝を抱え、窓を見る。寝そべる夕陽と目が合った。
あの夕陽が沈むと、今日が終わる。もう少し経つと、明日がくる。
そのすき間にあったはずの日は、私しか覚えていない。
素知らぬ顔で沈もうとしている、あの太陽も覚えていない。
でもアイツ、来年には何食わぬ顔で、四年も忘れてたその日にも、のこのこと顔を出すんだろうな。
そっと吐き出した息は、微かに甘い香りがした。
暖かな日差しを顔に受けたまま、膝をぎゅっと抱きしめる。
赤焼けた太陽が、ゆらゆらと沈んでいく。
また明日。
ハッピーバースデイ。
4と4分の3歳 地底人ジョー @jtd_4rw
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