前世で魔王を倒すまであと一歩でしたが今は善良な市民です
吉岡克眞
第1話 いたって普通の雑貨屋ですが
臭いものには蓋をしろ、とはよく言ったものだ。そして目の前で喧嘩をしている女戦士と女盗賊を見かけたら、とりあえず逃げろとはよく言ったものだ。だから私は、そう、逃げたのだ。逃げ足だけはそれなりに自信があった。しかし、相手はそんじょそこらの女性ではない。女戦士と女盗賊なのだ。
「サッド。サッド……私の声は聞こえていないかな。おーいサッドやぁ」
「聞こえていますよ、リヴェルさん。聞こえていて無視をしているんです」
「それはあんまりじゃないか」
「立ち止まってあなたと会話をしている余裕が今の私にあるとお思いですか?」
私の隣、いや、足元で同じく全速力で走る毛並みのいい猫、名前はリヴェルさん、はつまらなそうに一声唸ると「ないだろうな」と言った。ご名答。
「わかっているなら邪魔しないでもらっても」
「とは言えだな。もうあれだぞ」
「あれってなんですか?」
「おい、置いていくとはつれないじゃないか」
そう私の左隣で汗一つかいていない女戦士、ミホーク・ラーグリー(18)は言った。
「そうだそうだ、置いていくなら置いていきますねと言ってからだな」
私の右隣でケバブをもぐもぐと食べながら、口の端っこにソースをつけている女盗賊、リリカ・シュタンゼル(21)が言う。
「な」とリヴェルさん。
「追いつかれたなら追いつかれたって言ってくださいよ」
そんな不満をぶちまけたところでリヴェルさんは耳を貸してはくれない。馬の耳に念仏とはよく言うが、猫の耳にも念仏のようだ。そう、リヴェルさん、人間の言葉を操るものの、その姿はネコ、あのもふもふとした耳、つぶらな瞳、ああ、どこをどう見ても猫なのだが、只者ではない。それについてはいつか触れよう。今は逃げるのだ、命が惜しければ逃げるのだ。考えるな、走れ、なのだぁぁぁぁぁぁ。
「またやらかしたのかい?」
また、とはなんだと思いながらも、まるで飛び込むかのように町外れにある古びた雑貨屋に入った私を出迎えたのは警官ポー・クロムウェル(女・28)だ。
「み、み、水を」
「何言ってんだい、私は客だよ。ここは君の店だろ」
この古びた、言い換えれば味のある雑貨屋、ここは私の店であり、ここの主人こそが私、サッド・アイスレイクなのだ。
「ポー、君は仕事をしたらどうなんだ、あ、サッド、私にも水をくれ」
リヴェルさんはそう言うなり、ぴょんと店のカウンターに飛び乗った。少しは休ませてくれてもいいだろうとは思うのだが。
「はいはい、わかりましたよ、ここの主人である私をこき使うとひどい目に遭いますからね、そのうち」
「そうかいそうかい、そのうちな。それが来世とかなら笑えるんだが」
「…笑えない冗談です」
「ああ、いや今のはなしで。…すまん」
「いえ、お気になさらず。私にはもう遠い昔のこと過ぎて。大丈夫ですから」
「じゃあ私にも水を、いや酒でもいいぞ」
髪をかきあげながら注文してくるポーを見遣る。
「リヴェルさん、ちょっとの間、ポーさんの相手しててください」
「そのぐらいお安いご用だ。なにせ私は、」
私は胸を張って話し始めるリヴェルさんとポーをその場に残し、キッチンへ向かった。
「遅かったじゃないか」
「待ちくたびれたぞ」
ため息というのはこういう時に出るのだろうか、危うくエクトプラズムのように魂すら抜けそうになった。
「ミホーク、リリカ。人の店のキッチンで何をしているんだい?」
「見てわからないかい? 冷蔵庫に入っていた何かしらの肉を焼いてみました」
「肉を取られたのでパスタを勝手に作ってしまったよ。君も食べるかい?」
フォークで肉を頬張るミホークとフォークでくるくるとパスタを巻いてこれまた頬張るリリカを見つめ、やはりというかなんというかため息しか出てこない私。
「えーと」
私はポケットから電卓を取り出しカチカチと数字を弾く。
「ミホーク、2800ディラ、リリカ、710ディラ」
「ちょっと待て。私達からお金を取るって言うのかい君は」
リリカはフォークを私に向けながら言う。フォークが凶器に見えたのははじめてだ。
「いいじゃない、710ぐらい。私なんて2800だよ。え、2800、なんの肉これ?」
「食べてもわからないような人に何の肉かなんて教えません」
「つれないねぇ、こっちは客だと言うのに」
どうも彼女たちのペースに巻き込まれると、店主とお客様という関係を維持できない。いや、私の心がとても狭いからだろう。どんなに身勝手で横暴で、人を人とも思わないような人たちだとしても…
「あの、そろそろつけも払って欲しいんですけど」
「つけ? 何かね、つけというのは?」
「私はつけた覚えはないからリリカじゃないの」
「あーずっりぃなずっりぃな、そういうところが卑怯なんだよ」
「はぁ、人を卑怯とか。ここで決着つけてもいいんだけど」
頭が痛い。
「あの人の店壊す前に外に出てくださいやるなら」
「おうおうおう、いい度胸だ、表に出やがれってんだ」
「あいにくだけど野蛮人とは対決しない主義なんでね」
「誰が野蛮人だ、ほんとあったまきた」
なんだかんだと言いながらも仲のいいリリカとミホークなわけだけど、なんでこの二人さっき喧嘩してたんだろ。で、今喧嘩しているのはなんでなんだろう。もっと仲良くできれば楽しいのに。と思いはしたが口にはしなかった。それでさらなる炎上は勘弁してほしいのだ。私はただただ町の外れで小さく、余裕もないけど逼迫もしていないそんな生活を送れれば、それさえできればいいのだから。
彼女たちがキッチンの横から出ていくのを見ながら、きっとここで食い散らかした分はつけになるのだろう、今度会った時はまた覚えていないのだろう、そしてまた喧嘩をしながらどっかに消えるのだろう……
「あーーーーーー、これあいつらの手じゃないか!!!!!!」
ということに気づいた時にはもう遅しである。
「なんだ、大きな声出して」
私の大声を聞きつけてキッチンを覗きに来たポーは苦笑している。
「いえ、なんでもないです」
「そう、ならあれなんとかしてくれって言いたいところだけどお客さんみたいだぞ」
いそいそと店に戻った私はカウンターの上でまだ話し続けているリヴェルさんは無視して、店の中を物色して回る少年に目を留めた。私はポーに「彼がお客?」という視線を送ると頷いている。どうやらそうらしい。
「いらっしゃいませ。こちら雑貨屋ですが、どのようなご用で?」
「あなたが店主さんですか?」
「はい。この町外れの町唯一の雑貨屋店主、サッド・アイスレイクでございます」
値踏みでもするように私の足先から頭まで見た少年は、眉間にシワを寄せ、再び店の中に視線を泳がせた。何だこの少年は。下手したら失礼じゃないか。確かに大したものはないかもしれない。かもしれないけれどだ。
「あの欲しい物があるんです」
「店の中にありましたか?」
「それがないので聞いているのです」
おぉぉぉう、この口調、めっちゃぴきんと来るけど相手はお客様、しかも少年、ここでキレては大人げない。大人の余裕かまして丁重にお帰り頂こう。
「欲しい物というのはなんでしょうか。基本的にはお店に商品は殆ど出しているので、出していないものと言えば、…」
その時、リヴェルさんがにゃおと鳴いた。まるで猫みたいじゃないですか、と思ったことで生まれた沈黙。そして少年は決意した表情でこう言った。
「ドラゴンを倒す武器が欲しいです」と。
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