(とりあえず)学園ラブコメ

蓬莱汐

Prologue

 セミの声が喧しく鳴り続ける中、俺は校内に設置されたベンチに腰を下ろしていた。

 今朝見たニュースでは、今日は昨年度の最高気温を上回るほど暑くなるらしい。毎日のように更新されていく光景にも飽き飽きとしてきた。

 ずずっ、とパックジュースを飲み干す。


「あっっっっつい……」


 全身から噴き出るような汗と摂取する塩分と水分の量が釣り合っていないような気すらする。

 ふと校庭の方へ視線を向けると、サッカー部やら野球部やら陸上部やらが汗水垂らして走り回っている姿が見えた。先程からセミの声の合間に微かに聞こえていたのは、運動部の掛け声と吹奏楽部の演奏だろう。

 季節は夏。学生にとっては最大の休暇である夏休みが迫り、既に授業は午前のみに切り替わっている。

 午後からはすべての部活が忙しなく活動をしているのだ。 

 よく目を凝らすと、教室で見た顔がいくつもあった。

 やはり、俺たち1年生としてはどこかしら部活に所属することは当たり前らしい。学校によっては部活動が強制されている学校すらあるらしい。

 やりたくもないことを強制する方針はどうかと思うが、やらなければ身に付かないこともある。協調性とか団結力とか、あとは他人とうまく合わせる能力とか。

 きっと、組織に縛られ続ける俺たちにとって必要不可欠な力なのだ。

 ポーン、と野球部の隣から黄色いボールが転がってくる。「やっちゃったー」とか言いながら歩いてくる女子生徒の手にはテニスラケットがあった。


「すいませーん! ボール取ってください!」


 足元まで転がってきたボールを拾い、届かないと恥ずかしいから目一杯の力で放る。しかし、軟式のボールというのはどうも飛びづらいらしい。

 グラウンドとアスファルトとの境目、おおよそ20メートルほどでバウンドし、何度か跳ねてようやく女子生徒に辿り着いた。


「ありがとうございまーす!」


 女子生徒はボールを拾うと、ポニーテールを揺らしてすぐにテニスコートへ戻っていく。

 この炎天下の中での練習は既に1時間ほど経過しているはずだ。休憩があったのかは知らないが、あそこまでストイックになれるものなのだろうか。


「……はっ」


 自分自身が運動部に所属している姿が想像できず、乾いた息が漏れる。

 俺には無理だな。俺が本気でストイックになろうとしても30分間の運動で肉体的限界に襲われること間違い無い。

 立ち上がったついでだ。新しいジュースを買いに行くとしよう。

 

「……ん?」


 足を自動販売機に向けたとほぼ同時に校内放送が流れる。


『1年3組の安良川あらかわれいくん。至急職員室まで』


 それは俺を呼ぶ内容だった。


「やっとか……」


 足を自動販売機から職員室の方へ向け直し、影の下を行く。

 職員室は冷房が効いていることを願って。



 ***



「あっつい……」


 職員室での第一声がそれだった。

 冷房が効いていると期待していたが、窓を開けて通風しているだけで居心地が良いとはお世辞にも言えない環境だ。

 

「私だって暑い。ごちゃごちゃ言うな」

「えぇ……」


 我らが担任の新森しんもり明穂あきほはあからさまに機嫌が悪い。


「冷房つければいいじゃないですか」

「最近は節電やら省エネやらがうるさくて、簡単にはつけさせてもらえないんだ。特に補習組が教室を使っている間はな」

「なんか……大変っすね」


 新森先生は目だけで肯定すると、話を区切るように水を一口飲む。

 男らしく喉を鳴らして飲み干す姿は女教師とは思えない光景だった。


「さて、本題に入ろうか。安良川はいつまで待たせるつもりなんだ?」

「何がですか? 提出物なら出しませんよ」


 どきりとしたが、手を頭の裏で組んで惚ける。すると、脛に鈍痛が走る。


「ぐっおぉぉぉ……」


 体を丸めてしゃがみ込むと、頭上からため息が聞こえた。


「提出物はきちんと出せ。それと、私が言っているのは入部の話だ」


 痛みを我慢して立ち上がる。

 授業が終わった後、帰らずに待っていろと言われた時点で話の内容は分かっていた。


「入部って……この学校は部活動強制じゃないはずでしょう」

「表向きはな。うちが部活動に力を入れていることは知っているな?」


 頷いて肯定する。

 特別多くの記録を保持している訳ではないが、部活動に対する生徒教師の熱量が中学の比じゃないことは感じていた。それはきっと他校と比べても同じことが言える。

 それは先程校庭で見た光景が裏付けていた。


「部活動に力を入れているが故に、無所属の生徒に入部を促すのが教師の仕事の一つになっているんだよ。担任ともなれば、担当クラス内に無所属の生徒がいると教頭あたりからネチネチ言われるんだ」

「目上の人に構われるなんて、先生ってば気に入られてるんじゃないですか?」


 再び鈍痛。しかし、今度はそれほど痛くなかった。


「兎に角、安良川には文化部でもいいから所属してくれという話だ。内申点も付くし、悪い話ではないだろう」

「文化部でもって……。何部があるのか知らないしなぁ……」


 事実、俺は部活動見学の時は仮病を使って保健室にいたから、運動部文化部問わず何部

があるのか把握していない。


「失礼します。新森先生はいらっしゃいますか?」


 うーん、と頭を掻いていると、扉の方から目の前の社会科教師の名前を呼ぶ声がした。

 新森先生の視線を追って俺もそちらを見る。


「おお、倉本くらもと! ここだ!」


 新森先生が手を上げると、こちらに気付いたようで一礼して近付いてくる。

 隣まで来た彼女からは甘い香りがした。


「補習は終わったのか」

「はい。なので部室の鍵を取りに来ました」

「そうか。……ほら」


 新森先生が机に掛けてあった鍵を渡す。

 受け取ったところでようやく俺と目が合った。


「先生、彼は?」

「ああ。コイツは……」


 俺のことを紹介しようとしたのだろう。そこまで言って、顎に手を置いて何かを考える仕草を見せた。

 その後、何かを思いついたように顔を上げた。


「倉本。コイツを部室に連れて行ってやれ」

「……え?」

「はぁ?」


 倉本と呼ばれている女子生徒と俺の間抜けな声が重なる。

 

「新入部員?」

「え、違……」

「ああ。そういうことだ」

「待っ……」

「わかりました。そういうことなら」


 あれ、勝手に話が終わったんだけど……。

 新森先生の視線が彼女から俺に移る。


「何部があるのか分からないなら、取り敢えずうちの部活に入ればいい。安良川はこのまま帰すと入部届けを持ってくるのはいつになるか分からないからな」

「横暴だ」

「応急処置だ」


 それに、と続ける。


「他の部活に目移りしたり、本当に嫌になれば退部してもいい。その時は私から教頭に言ってやる」

 

 新森先生の表情は柔らかかった。カッコいいという言葉が女性に対して適切であるかは分からないが、ただそう感じた。

 

「……うす」


 小さく答える。

 なんだか母親に向きそうな人だ。


「あのー……」


 倉本さんが手で自分を扇ぎながら新森先生に話し掛ける。


「話が終わったなら行っていいですか? ここ暑いです」


 気付けば、彼女の額には僅かに汗が滲んでいる。

 ついさっきまで冷房が効いた教室で補習を受けていたのなら、この職員室が我慢できないほどに暑いというのも納得できる。

 

「ああ。もう行け。部室の冷房はいれておいてやる」

「ありがとうございます」


 倉本さんは新森先生に礼をすると、踵を返して職員室の扉へ向かっていく。彼女が動くたびに香る甘い匂いに釣られてボーっとしていると、尻を蹴られて前へ踏み出す。


「早く行け。きっと悪くはないさ」

「……はあ。んじゃ、まあ」


 おぼつかない足取りだったのは暑さのせいか、それとも彼女の甘い匂いのせいか。

 ただ、不思議と彼女の背中を追う足は軽かった。

 


 

 

 

 

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